法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-38.約束の世界へ_1

 

 勝手な想像、理想的なものを抱いていた。

 神の降臨というのは、神々しく荘厳なイベントなのだろうと、そんなイメージを持っていた。

 背後にパイプオルガンの低音が響く中、悠然と姿を現していく。

 そういうものだと、そういうものであってほしいと。勝手に思っていた。

 

 壊れた山小屋の中に場違いな雰囲気の黒い鏡があった。

 球体のようにも、平面の円のようにも見える。距離感が掴みにくい、光を飲み込む何か。鏡とは違うけれど鏡に見える。

 鏡と感じたのは額縁のせい。美しい二人の少女がその身を反らせて楕円の縁取りを形作っていた。

 

 黒い鏡面がノクサと正対した。

 半呼吸の間に鏡と少女たちがぐにゃりと、綿あめでも回すように混ざり合い、別の形を作る。

 黒いドレスをまとい、美しい紋様を走らせたアゲハ蝶のごとき羽を広げた女神。

 肉の量が違う。ノクサより胸の厚みがあり、より肉感的な存在感。

 

 蝶が羽化する様子を一呼吸の時間で目にしたよう。

 女神の復活は、アユミチが思い描いていた光景とは異なり、にゅるっとハンドクリームをひねり出すように進み、終わった。

 

 

「かんな、は……?」

 

 女神スカーアの復活。

 鬼巫たちが望んだものだと思うが、様子がおかしい。

 レフカースの目線、表情から察するに、額縁になっていた少女の片割れのことだろう。

 彼女らにとっても想像外のことが起きて、狙い通り予定通りなどではない。

 

「私に足りなかったのは、覚悟」

「生まれ変わる為に死ぬのが? 生まれ変わればうまくいくなんてバカじゃない」

「だから整えた。世界を」

「……」

川ねずみ(ビーバー)やアリ、人間もやっているわ。自分の住む場所をもっと快適にする為に水路(みずみち)を作る。こう」

 

 ゆらぁっと片方の羽が動いた。

 陰る太陽に向かって伸びるその影が、足元に残っていた瓦礫や兵士だった肉塊を横に寄せ、(なら)す。

 子供が砂場で山や川を作るように。

 

「準備をしてきた。あなたが無駄な時を過ごす間に」

「……」

刻喰(ときはみ)。まさしくあなた」

「イヤになるわね、自分が」

「そこはかつて私の場所だった。今は逆さま」

 

 荒々しい雰囲気ではない。けれど、感じる。

 ノクサ以外の者には何も関心はない。意に介さない。存在は認知していてもただいるだけ。そこらへんにあるだけ、という。

 逆にアユミチからは、とても無視などできない強者が、目的不明ですぐ近くに存在している状況。

 アユミチだけではなく他の誰にとっても同じで、言いようのない恐怖心が腹に湧く。

 

 凶悪な嵐を前に、どこから横殴りの暴風が来るか怯えているような気分だ。

 口を開けば汚い言葉が漏れてしまいそう。

 漏れた言葉が彼女に不快と受け取られたら、叩き潰される。虫を潰すように。

 コバエや蚊ならひょいと躱せるかもしれないが、相手はこちらを殺す術を何万通りも有している。そう確信できる。

 何も言えず、何も悪いことが起こらず過ぎ去ってほしいと願うしかできない。

 

 

「ただ眠っていただけのあなた。ただ見ていただけのあなた」

 

 意外と饒舌。よく喋る。

 

「肉と名を受けてもただ生きていただけのあなた。ただ起きていただけのあなた」

 

 いや、わからないでもない。

 全て思惑通りに運んだ。その種明かしを事情を知るノクサに聞かせる。聞かせたい。

 人間っぽい。

 神は人の影響を受ける。復活し受肉したスカーアもそれは同じく。

 

「逆順に時を流して私は生まれ変わった」

「まんまと楔の起点にされたってわけね」

「あなたが世界だったノクサリージュ。他に代えはなくて、私が置き換わった。世界は私のもの」

 

 何を言っているのか正確には理解できない。

 なんとなく、ノクサが世界の始まりのような存在で、けれど神々とは一線を画す立ち位置だったのだと察する。

 ノクサを中心点にして反対の道を辿り、逆転して今に至る。

 そんな理屈なのだろう。神ならぬアユミチの頭ではふわっとしかわからないが。

 仕上げにノクサの姿を映し盗ったというところか。

 誘い込まれた。そうなるように仕組まれていた。

 

「もうわかっているでしょう、ノクサリージュ」

「さあ、どうかしらね」

「あなたという折り目がなくなった。重石(おもし)が消えたのだから」

「黙っててもレーマが戻るって?」

「レーマルジアそう。月が満ちる頃には」

 

 レーマ様が戻る。

 アユミチの目指すところと同じ。同じはず。

 愛おし気に呼ぶ名は、同じ女神を想っているようには思えない。

 

 

「んで」

 

 よく言い返せるものだと感心しないでもないが、そうではない。

 ノクサはスカーアの目的を聞き出しつつ時間を稼いでくれている。

 ノクサは味方だ。

 

「そのザマでレーマに会えるって?」

「穢れも(ゆる)す。包み込む。私の世界でなら、私もレーマルジアに」

「……あんただったのね」

 

 初めて、ノクサの表情が強く歪んだ。

 怒りに。

 それを受けた同じ顔のスカーアは頬を赤らめて笑い返す。合わせ鏡のようにちぐはぐ。

 

「アニラービーを焚きつけて、レーマを……騙した」

「私には全てを捨てる決意が必要だった。穢れを知ってこそ赦しを得られる。だから仕方がなかった」

「よくもそんなことを」

「少しだけ早すぎた。あなたがレーマルジアと差し変わるのは。ポスフォスやエクピキが陰るより早かった。見通しが狂わないように、あの時は困ったわ」

 

 ありがとう、と。

 言われたノクサがぐっと唇を結んだ。悔し気に。

 

「あなたのお陰でポスフォスもエクピキも片付いた」

 

 エクピキが死んだのはノクサに指を切られて弱っていたから。

 そんな話だった。

 

「修正に余分な時間をかけたけれど、あなたは何も知らずに世界を過ごしていただけ。世界を味わっていただけ」

「レーマがくれた世界だったのよ」

「お前の為に? お前の為に。お前なぞを喜ばせる、それだけの為に」

 

 今度はスカーアの方の顔が嫌悪に歪み、そのまま醜い笑みに変わる。

 

 

「間違いだった。間違った世界だった。もうおしまい」

「レーマが認めると思ってんの?」

「ああノクサリージュ。そうだった」

 

 ゆっくりと二度頷くスカーア。

 

「かつてノクサリージュだった頃と今のあなたは違う。何色でもなかったあなたが今は別色。元の自分も思い出せない。変わったあなたを私は知っている」

「ノクサはノクサよ」

「あなたでさえ自分の色の変容を認識できない。私は見える」

 

 アユミチは昔のノクサを知らない。出会った頃からノクサはずっとこんな風だった。

 レーマ様と差し変わったと先ほど言っていた。その前のノクサと今は違うらしい。

 

「昔見た夢のように思い出せないのでしょう」

「レーマも、そうなる……」

「どんな色に染まると思うかしら?」

 

 ふわさぁぁっと羽を大きく広げる。

 漆黒の中に無軌道な紋様が鈍く光る蝶の羽。凸レンズに似た妙な曲面を感じ、蝶が羽を開いているというよりは、何か……蛾が、羽を伏せているようにも思える。正面から見ているからちぐはぐ、鏡反対の印象を受ける。

 いびつな存在。美しさもあるせいで気味が悪く、不安を覚えさせる。

 

 

「あんたの、色に……?」

「時間をかけ過ぎて湧いた人間が多いわ。――あの(・・)昼行燈(ひるあんどん)が……間引きに時間が必要。次の満月までに間に合わせないと」

 

 間で一瞬憎々し気に吐いた声音に腹が震えた。

 目の前で化け物の機嫌が悪くなる。ぞっとする。

 しかし、機嫌の良し悪し以上に。

 間引き。次の作業として挙げた言葉が染みてきて、力が抜けていく。

 

 殺される。

 死ぬ。

 逃れられない未来だと肌で理解させられ、力が抜けた。

 

 

「あなたは、見ているといいわ。ノクサリージュ」

「させないわよ」

「何もできない。あなたにできるのは(とき)()むだけ」

「それでも――」

 

「んへっぶへぇっ」

 

 最初からその場にいたのなら、とてもできなかったはず。

 虎と獅子がにらみ合う場で、くしゃみひとつだってできない。堪えようとする。

 

 険悪な会議中に素っ頓狂な着信音が鳴るように。

 間の悪い闖入者(ちんにゅうしゃ)は、神様でも拒絶できないのかもしれない。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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