法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「げふっふはぁっ!」
唐突に。予想もしない方から。
誰もが雰囲気に飲まれ身動きできないでいた場に、鬼巫たちの斜め後ろの茂みから転がり込んできた者がいた。
クライマックスの舞台上に、場違いに上がってしまった部外者のような。
「はっ、はぁっぐ……助けろゾーハぁ!」
何を言い出すのか。
本当に場違い、まるで状況を理解していない。
だからこそ言えたのだろうが。
「俺のっ俺の部隊が! ごぶっぶほっ……しびょう、全員っ!」
やや高そうな具足を身に着けた兵士の男だ。隊長格に見える。
ひどく咳き込み、目元は暗い灰色で、だらりと汗を流しながら。
しびょう……死亡、か?
いや、この症状は知っている。
アユミチはこれを見たことがある。何人も。
「灰息病……」
斑徂症と灰息病。治療法が確立しておらず、極めて致死率の高い感染症。
捨て森で何人も見た。
灰息病の中期から末期の症状。
「女神スカーア!」
大きく呼びかける者があった。
空気が破られて金縛りに似た状態が解けた。
鬼巫の片割れを抱いていた女……名前は思い出せないが、花札で最も年長の様子の女が声を上げる。
「既に、このように間引きの手は進めてあります。お言葉の通りに」
「ろろ……?」
何を言い出すのか。
間引き?
人間を、だぞ。
鬼巫の花札。先にスカーアの言葉を聞いていたことはあるかもしれない。だとしても。
「そう……ああ、お前だったの」
ちらりと女を見て、しかし個人を認識した様子はなくつまらなさそうにまた転がり込んできた男の方に視線が戻る。
どちらも、アリの群れの中の個体を見るような目で。
「クロロテッサ、何を言って……」
「後になさいレフカース。女神の御前ですよ」
「なん……」
「外の世界も既に広がっているはずです。発症時期、進行度は調整していますので」
「いいわ」
いい、わけがあるか。
何を言っているんだ。
「死病のまんえ、ん……っ! ぶっふぅ……おまえ、ら……ばかか、狂ってんのか、ごぼぇっ」
ここまで逃げてきて、病気も相まって立つ気力もないのだろう。
傷だらけで座り込むゾーハ近くでへたり込み、呆れと罵りを吐いて首を振る兵隊長。
死病の蔓延。
世界的に、各地で死病が流行していると耳に挟んでいる。
それを、彼女らが……クロロテッサが、人為的に?
「てめえらも死ぬんだぞ、この里も! っぶ、げぶ、ぶぇっ……お前らも……」
「それなら――」
「問題はない」
もう一人。
今度はアユミチの後方から現れた。
後ろを追ってきた女。シュキ。
撒いたと思ったが、戦闘音を聞きつけたのだろう。
「里の者は皆対策済みです。女神スカーア、全て滞りなく」
「対策……っ!」
思い出した。
北府ヴォラスでアユミチは渡した。
何かの助けになればと思い、数樽以上の酒を。まだ関係が悪くなる前のシュキとアデスタに。
「里の者は問題ありません。まだ必要であれば……」
女神の前だったからか抜刀はしていない。
アユミチを追ってきたシュキ。その目の敵意は変わらない。
死病の薬は里の女全員が口にした。不足するのであれば、材料はここに。
「うひぃぃっ!」
「かんべんだぜっ!」
皆の意識が向いていなかった者。
数人の会話で異様な雰囲気が緩み、ただ生き延びる為にどうすべきかと考えて。
ゾーハと、似てはいないがやはりカエルや爬虫類のような質感の異形が、弾かれたように飛び出した。
スカーアから遠ざかる方向に、恥も外聞もなく駆けだす。
「っ」
シュキの手が腰の剣に伸びた。が。
「……」
スカーアは一瞥しただけ。
何の関心も示さず、すぐに彼らの背中は見えなくなった。
シュキとしても、最も憎いアユミチより優先度は高くなかったのだろう。追わず。
「たす、け……やくじょう……を……」
触発されたのか、ゾーハの口から。
足に木片が刺さり立ち上がれない。スカーアから遠くない場所で両ひざを着き、ちょうど崇めるような。
スカーアの大きな羽を見上げて、朦朧とした様子で訴える。
「約定……ああ」
スカーアの関心を引いた。
「わが……かみ、ノクサリージュ……よ……永遠、の……」
「ご指名よ、ノクサリージュ」
「あんた……」
黒蝶の女神。
ゾーハを誑かしたのはスカーアで間違いない。
言い伝えと言っていたか。ゾーハの祖先を。
「何もできない。それがあなた、ノクサリージュ」
「できたとしてもやんないわよ、そんなこと」
「神は偽りを口にしない。いけないわ、ノクサリージュ」
スカーアの目がゾーハを映した。
ゾーハだけではない。転がり込んできた兵隊長や、山小屋周囲で倒れ、まだ息があった兵士も同様に。
「永遠、不滅。それが願いかしら?」
「おお……おぉ、まさに……」
「望むのであれば、スカーアが叶えましょう」
「そんなっ! スカーアよそのような――」
クロロテッサに抱えられていた鬼巫が、さすがに黙っていられなかったのか前に出た。
引き留めるクロロテッサの手を払い、拳を握りしめて。
「そのような者になぜ」
「神は偽りを口にしない。私は既に口にしたのだけれど」
「ラハちゃんやめなさい!」
「おかしい! 妾は――」
「やめなさい!」
ばしん、と。
強く、頬をはたく音。
「っ……」
「女神スカーア。二度とさせません。どうかご慈悲を……」
「いいわ。お前は私の言いつけを果たした。褒美としましょう」
「ありがとうございます」
「ねえねっ……」
まだ非難めいた声を上げる鬼巫の口を塞ぎ、押さえつける。
女神に口答えなどしていいはずがない。
すぐ近くで、レフカースもまた何かを言おうとして鬼巫――ではないのか、マベラに強く手首を掴まれていた。
「お前の同類たちも同じ? 永遠不滅を願うのかしら?」
「お、おぉ……女神よ。ぜひとも」
「俺たちも、俺たちにもどうか」
傷つき呻いていた兵士たちも、これ幸いと続けざまに女神に乞い願う。
神は偽りを言わない。
叶えると言った。
そのおこぼれに与かろうと、あさましく。
「そこの、お前たちは?」
アユミチにも。
後ろのムンジィ達にも向けて。
「どうだい弟、永遠だとよ」
「ずっと兄弟? ぞっとしないね」
アユミチが答えるより先に双子が応じた。
「へっ、俺ぁ小さい蝶ちょさんに世話になってんだ。そっち側じゃあねえな」
続けてムンジィが言ってくれた。
今までノクサのことは見えていなかったはずだが。言われたノクサは少し嬉しそうに唇をすぼめる。
「僕は、アユミチさんの言う通りにします」
「……」
クルサドは判断できるほど大人ではない。
永遠の命と聞かされ、いらないと簡単に切り捨てられるものでもないだろうが。
ましてクルサドはつい最近家族を失っている。死なないという願いに魅力がないはずはないけれど。
直前にノクサとスカーアの口論を見ていて、少なくともあちら側ではないとだけ判断した。
「……そう、ですね」
クルサドの言葉に沈黙していたカヨウが、短く息を吐いた。
「アユミチさんと一緒です。ずっと」
カヨウの声色は、判断を放棄したという様子ではない。
アユミチと一緒にいるという道だけを選んでくれているのだろう。嬉しくもあり、申し訳ない気持ちも浮かぶ。
「あんたのくれる永遠なんていらない。俺はノクサの側だ」
「聞くまでもなかったわね」
「そう、――の……? ノクサリージュ。お前はいつもそう」
「?」
会話がかみ合っていない。
どうやらスカーアはノクサをノクサと呼べないらしい。
それとも何か違う噛み合わなさがあったが、スカーアはすぐにアユミチたちから興味を失った。
「では、願うものには――」
「理由をお聞かせください、スカーア」
「レフカ!」
マベラの叱責は遅い。
先ほど鬼巫が犯した過ちを、あえて踏みに。
「なぜそのような者を。私の――」
「
「――」
マベラとスカーアの声が重なり、レフカースの口が開いたまま静止した。
なんと言ったのか、アユミチにはよく聞こえなかったが。
「さあ」
広げた羽根から鱗粉のような黒い粒が舞う。
「願いを叶えましょう」
「「おお……おぉ……っ!」」
ゾーハたちそれぞれに、スカーアから離れた鱗粉が触れた。
◆ ◇ ◆
――そして願いなさい。
――ノクサリージュを呼び、願いなさい。
――願いは叶うでしょう。
――永遠、不滅。あなたは得る。
神は偽りを言わない。
約束は守られる。当然の道理。
◆ ◇ ◆