法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-40.約束の世界へ_3

 

 目を覚ます。

 何をしていたのか、ここがどこなのか。

 頭に霧がかかったように思い出せず、けだるさが思い出すのを後ろに追いやった。

 

「おはよう」

「……ん」

 

 目が覚めるのと同時に日が昇ったような、そんな眩しさが差し込んでくる。

 目に刺さる光の目映さを和らげるような声。

 好きな声音。声色。

 そうだ、この声をあたしは愛おしく思う。

 

「あなたが目覚めるのを待っていたわ」

「……ん」

 

 待たせていた。

 ああ、そうだった。そうだと思う。

 待たせていた。あたしが目を覚ましたら――してやるって、約束をして?

 

「……誰?」

「……」

「誰が、待って……?」

 

 待たせていたような気がする。やらなければならないことがあったような。

 なんだっただろう。

 

「もちろん、みんな。みんなよ」

全員(みんな)……」

「寝ぼけているのね。ずっと眠っていたのだもの、仕方がないわ」

 

 手の平にあったような、何か。

 いつも周囲を巡っていた気がする何か。全て。

 けれど手の平は空っぽ。拾い集めていた色とりどりの石はどこかに落として。

 つまらない、光らない石も拾った気がする。何か面白いことを喋っていたような……つまらない石が?

 

「さあ起きて」

 

 もう起きている。

 起きているけれど、夢のような。どちらが夢か。

 眩しくて何も見えない。あたしはこんなだっただろうか。

 

「いっしょにいきましょう」

 

 逆光で見えない。

 光に(うず)もれて、愛しく感じるそれが見えない。

 

「行く……」

 

 あれに乗っていかないと。

 あれがないと、あたしはどこにも行けない。

 ここに繋がれたあたしが夢の向こうへ行ける足。ただひとつの手段。

 

 ――がくれた。

 ――は、どうしようもないバカでクズで卑怯なお調子者。

 ――のせいであたしはここに繋がれた。なのに。

 今は、もう、――のことを思っても前ほど激情が沸き上がらない。

 あたしが、馬鹿だった。

 あたしも、馬鹿だった。

 誰も、彼も、みんな。馬鹿で自分勝手で我がままで愛おしい。

 

「ひとりで起きられないのね」

「……ん」

 

 そうだ。

 あたしは、ひとりじゃ起きられない。

 だから手を引いてもらう。

 その手を取って。

 この手を取って。

 これじゃあ手綱は握れないけれど、ああ。

 なくていいのか。

 もう他のどこかに逃げなくても、ここに全てがあるのだから。

 

「いきましょう、レーマルジア」

 

 手を取ってくれた手に望む全てがある。

 光の中から差し出されたそれは、あたしが欲していたもの。これが全てを満たす。

 

「ああ」

 

 引かれて、引き寄せられて。光の中に。

 

「あ」

 

 とぷん、と。

 水に飛び込むように光に沈む。

 とたんに世界が暗く、白黒になって、はっきりと。

 顔が見えた。

 瞳だけ紅玉みたいな白黒の蝶。アゲハ蝶。

 そうだ、この蝶に魅せられて飛び込んだのだった。忘れていた。ずっと、いつからか。

 

「私の……私たちの世界に、いきましょう」

「せかい、に」

 

 寄せられて、愛しい顔が目の前に。

 このままだとあたしの唇で触れてしまう。穢れたあたしが、愛しいものを。

 

「……だめだ」

 

 違う。これは違う。こんなことをしたいんじゃない。

 欲に溺れて触れたいんじゃない。そんなつもりじゃなかった。違うって証明したかった。

 あたしがお前を開いたから。

 あたしが――を開いたから。無思慮に、無分別にお前の羽をこじ開けて。

 傷つけたかったんじゃない。

 だから、そう。あたしは見せてやるって約束したんだ。美しく楽しい世界をお前にやるって。

 

「なにが、だめ?」

 

 唇が触れそうな距離。永遠に遠く。

 遠かったはず。

 届くはずがない。

 

「なにって……それは……」

 

 なんだったろうか。

 触れ合うのはお互いをよく知るために必要な行為。

 恥じることも(はばか)ることもない。

 

「だって、あたしは……」

 

 何を迷っているのだろう。

 正しい道は決まっているのに、見えているのに。

 他に進むべき道はない。はず。

 

「女、なんだ」

「ええ」

 

 さも当然と、当たり前のことを言ったあたしに微笑む。愛しい顔。

 

「私もそう、だから」

「……あぁ」

 

 そうだった。

 女同士、結ぶのは当たり前だった。

 他に選ぶ道なんてないのに、何を考えていたのか。

 何か違う、違和感の正体を頭の霧の中に探す。探す。

 

「あたしは……」

 

 正しい道。正解に向けてこの永遠の距離をゼロにしてしまう前に。

 しなければならないことが、あったような。

 

「……あたしは、汚れている」

「そう」

「汚れているんだ。あたしは汚された。あたしが汚した。あたしは」

 

 触れて許されるはずがない。

 

「欲に、負けたんだ……あたしは、だって……わからなかった。あいつが言ったんだ、誰にも言わないって……子供のふりをして、あたしが好きな顔に似せて、だってそれがお前に似てたから……」

「……」

 

 ぎぃぃ……

 愛しい顔の白黒の線が歪み、ぼやける。

 不安が加速する。

 こんなに悔やんでいても、あたしはお前に嫌われたくない。逃がしたくない。

 

「救いだって言われた。あたしに食べてほしいってあいつ……あいつが、そう言ったから……あたしは、だから……」

「欲に揺らいで穢された」

「あたしが、穢したんだ……壊したんだ、あたしが」

「レーマルジア」

 

 ああ、そう。

 そうだった。あたしはそうだった。

 なんでも欲しがるあたしが、お前にだけいい顔をしようとした。そのひずみがこれ。

 

「大丈夫よ」

「あたしは……」

「私だってそう。私だってそうよ」

 

 違う。お前は何にも染まらず綺麗だった。

 やっぱりあたしが汚した。お前の羽を。

 

「大丈夫、レーマルジア」

「……」

「私も、あなたを欲しいと思う」

「……」

「あたなを私で汚したいと思う。穢したいと願う」

「……」

「だから、私はあなたを赦せる。赦す」

 

 唇の間の永遠が、半分詰まる。

 残り半分。

 

「……あぁ」

 

 みんなで作ろうって言いだしたのはあたしだった。

 ルールを破って壊したのはあたしだった。

 許されない。誰も許してくれない。みんな、誰も。

 だけど、赦しをくれる。

 最初から彼女だけだった。あたしが欲しかったみんなは、彼女だけだった。他に何もいなかった。

 

「欲しがってもいい……?」

「愛しているわ、レーマルジア」

「うん」

 

 残り半分の永遠を埋める。

 他にどこにも道はなく、あたしだって進みたかったひとつしかない道に。

 

「ずっと愛してる、スカーア」

 

 いつも傍にあったはずの彼女にようやく手を伸ばして、彼女の唇の色を受け入れた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 始祖は、頭がおかしかった。

 始祖の祖父も頭がおかしかった。狂いの原点はこちらだろう。

 捨てられた男の子。

 

 太陽が狂い、その光を受けた男は次々に死んでいった。

 成人したら死ぬ。

 人々は別の太陽に隠れるか、日陰に隠れるか。

 日陰に隠れた一団に影の女神が与えた恩寵。女だけで閉じた世界。

 運悪くそこにいた男児は、神の都合で転がされる己の運命を呪い、神をも殺す力を求めた。

 

 人の身では決して届かない。

 ならば人以外のものになればいい。

 

 狂っていたのだろう。

 己と他者との境があいまいで、子と己が違うこともわからなかった。

 なんとしてでも神を破り自分を捨てた者たちを引きずり出す。また一緒に暮らして捨てなかった世界を再び作るのだとか、支離滅裂なことをよく口にしていたと残っている。

 

 実の娘だったのか別に用立てたのかはわからない。

 とにかく娘に魔獣の子を孕ませ、始祖が生まれた。

 神を超える何かになる為に作られた生き物。それが始祖となった。

 

 当初、目指していたものと始祖の考えは異なる。

 まあ当然。血がつながっていたところで考えが同じになるわけではない。

 それでも持て余すほどの力を有した始祖は、死んだ男から聞いた情報を元に裏切り者たちの里に辿り着いた。

 鬼巫のつがいを殺し、持ち帰った。

 

 恨み言として聞いていた神は、薄汚れた布を被り老婆のように腰の曲がったものだった。

 それとは異なる、蝶のような羽を持つ神に導かれたのだという。

 隠れ里に導かれ、その先を。

 

 禁域とされる大陸南部。

 そこに小さな(ほこら)がある。

 鬼巫の亡骸を捧げよ、と。

 ノクサリージュに願え。永遠に不滅のものとなりたいと欲するのなら。

 願いはいつか果たされる。

 そう聞いたと残して禁域に発ち、戻らなかった。

 

 そうか。

 ノクサリージュが叶えるとは言わなかったか。

 まあ、誰でもいい。

 太古の復讐も世界最強の夢も、まず吾が死なぬものとなれば取るに足らぬ些事(さじ)

 神が真実叶えてくれるというのなら、他のことは後回し。

 

 

「は、はは……ははっ!」

 

 黒い鱗粉が触れた。

 胸に、胸の奥底のもっと深い部分に触れた。

 小さな粒。

 それが、途方もつかぬ力――腕力や魔力とも異なる、とても測れない異階の力でゾーハを包み込んだ。

 まさに永遠に等しい、生き物の脳では到底及ばない広さ。無限の広さ。大きさ。

 

「は……」

『欲するものは与えたわ。けれど』

 

 響く。

 別の空から響くように、断絶された向こう側から。

 

『私の世界には不要。二度と戻らぬ向こうへ棄てる』

「……は?」

 

 ゾーハを包んだ鱗粉ひとつぶ。シャボン玉のようなそれに独り包まれて、他に何もなく。

 暗い、どこまでも暗く何もない空へ流れる。

 この世界から棄てられて。

 

「な……話が違う! ばかな!」

『違わない』

 

 ゾーハと同じく部隊長のベンデックも、生き残りの兵士たちも、果てしなく暗い空の海に放たれ、永遠に離れ続けるように流れに乗り。

 同じ言葉を聞かされているのか、かろうじて見えた表情は驚愕と疑念に染まっていく。

 

『何もないのは嫌かしら?』

「当たり前だろうが! 戻せ! 返せ!」

 

 まだ足に突き刺さっていた木片を抜き、その痛みに顔を歪めながら叫ぶ。

 死なない。それは何となく感じられた。

 しかし傷口は痛い。ゆっくりと治っていく痛みが脳髄を震わせる。

 

『別の願いをひとつ叶えましょう』

「それなら――」

『すでに聞いている。私の中から』

 

 先ほどの願いを取り消す。

 そう願うことも許されず、別の願いを与えられた。

 

『呪われなさい』

 

 

 ぐぶぇ?

 

 股間から胃に、木の枝でも突き刺されたような。

 そのままぐるりと捻られ、口を開けても声も出ない。

 喉に糞を流し込まれて息ができない。

 肺に流れた糞からざらざらの蔦が伸び、全身の血管に這いまわっていく。

 目玉の裏側から汚らしい体毛が無数に生えてきて、目玉を絞る。

 こみ上げたゲロが鼻を詰まらせ、こめかみの中で砂利がかき混ぜられて。

 

「ん――――っ!!」

 

『体が朽ちるまで苦しみと共に……ああ、そうね』

「は、ぎっ……」

『永遠に不滅。もう一度約束しましょう』

 

 

 慣れることも許されぬ苦しみを共に、永遠を得た。

 もう他に何もない、ただ己だけの世界で。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 紙鬼で報せは聞いている。

 アユミチたちを一時は見失ったシュキも状況は知っている。

 外の兵士が里を襲撃してきたと。

 それもこれも全てアユミチのせい。

 

 見失った先から戦闘の気配。

 山の湯殿がある辺り。魔法の気配からすればアハラマ達か。

 

 

 アデスタの死で失意にあったシュキに、追い打ちのような凶報。

 先代鬼巫ヨハルハとその影サノミアが王都で死んだ。それもアユミチの仕業かと問い詰めたシュキにアハラマは否定したが、どうだか。

 

 アハラマは幼い。

 強がっているが中身は未熟だ。

 アハラマだけが悪いわけではない。トローメの国情の影響で思ったより早く鬼巫の代替わりをしたのも事実。

 また、クロロテッサ。守り役のあれが甘やかしてきたツケ。

 なんなら影のマベラの方がしっかりしている。まあいざという時はそれでもいい。その為の影だ。

 

 里の女は基本的に隠れ里を出ない。

 稀に連絡役や荷運びで出ることはあるが、外の者と接する機会がまずない。

 外で暮らす鬼巫と花札は外の人間と接する。

 

 悪党は多い。

 どんな人間でも悪意がまるでないものはいない。見たことがない。

 ただ、悪意だけという人間もそうそう見ない。

 気まぐれのように見返りのない善行をふいにする者もいる。

 アハラマは幼く未熟で、そうした良い面を目にしてつい気を許してしまうのだろう。

 ヨハルハであれば、外の女を軽々しく花札に加えたりしなかったはず。鬼巫に許された権限ではあるが、甘い。

 

 

 聞けばファニアはアユミチと懇意だったとか。

 ファニアの心情を思い、アユミチを庇いだてしているのか。

 下らない。外の世界の男などを。取るに足りないものをいつまでも気にして。

 

 覚悟が足りない。

 いや、これもクロロテッサか。

 スカーアの望む世界の()(よう)をアハラマにまだ伝えていない。

 アハラマだけでなく他の花札にも。

 

 鬼巫のお守り役は守女の長から聞かされるはず。

 男のいる世界は間違い。いずれ滅さなければならない。

 ただ、最初からその意識では外でうまくやれない。男を嫌うのは里の女として当たり前だが、駆除対象と見なすまですると衝突が起きる。

 お守り役はその辺りをうまくバランスを取り、花札全体を制御する。

 ある程度慣れてからスカーアの真意を伝えるとして、それまでは伏せたまま。

 

 スカーアの真意を知ったから、まだ眠りの内にあるスカーアの夢に繋がることができたのだろう。

 世界を駆除するための準備を整えていたのは評価する。

 死病を利用する考えに素直に同意はできなかったが。

 危険だ。間違えばこちらが滅びかねない。

 密かに進めていたそれの解決策を、北府ヴォラスで手に入れた。

 

 奇跡の薬師アユミチ。

 実際に北府でも死病を治癒してみせた。

 与太話ではなく事実。これならば使える。

 

 けれど、やはり不吉な死病は不吉なものだった。

 アデスタに死を運び、代わりに手に入れた薬酒を里に届けたけれど。

 これで収めることなどできない。

 

 

「女神スカーア」

 

 あなたが夢見る世界に、我が手をお使いください。

 

「残った男どもの始末は、我々にお任せ下さい」

「……」

 

 我々、と。

 シュキはただ一人。

 けれど、スカーアに仕えるべき手は、手札は、花札は。

 

「女神スカーアへ、我らの忠心を捧げましょう」:

「そう」

 

 無論、スカーアがシュキやアハラマたちに頼る必要などないだろう。

 けれど女神の民として、どんな形でも忠実であると示したい。

 私情ではない。剣を抜く許可をいただき、憎んでも余りある男を八つ裂きにするだけ。決して私情などではない。

 

「お前たちがしたいのならすればいい。早く終わらせて」

「ありがたく。聞いたな、お前たち」

 

 兵士どもとの戦闘で多少消耗していたとしても。

 女神からいただいた役目。全力で向かってもらう。やらなければならない。

 

 

「シュキよ……妾は」

「ラハ様」

 

 その者の甘さはそう、お前のせいだクロロテッサ。

 返事はひとつしかないのに、それもわからぬような愚かな鬼巫に育てた。

 

「全ては、女神の御心のままに」

「……」

 

 アハラマも、マベラも、レフカースも。

 お前が甘やかしてきたツケならお前が尻を叩け。

 仕方がない、先達としてシュキが先頭に立ってやるから。

 

「やめろ。俺たちは戦いに来たんじゃない」

「黙れ」

 

 覚悟の無い幼稚さは相手にも。

 毒のように甘っちょろい言葉をだらだらと流す。

 

「世界に残るな。腐ったゴミが」

 

 女神の望む世界を切り開くために剣に手をかけた。

 女神の為に、八つ裂きにしてやる。私の女神の為に。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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