法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
人は分かり合えない。
しょせんは他人のこと。
己だけが己の理解者であり、他はよそ事。
突き詰めればそれが人生だと。
それで終わり。そこが終点。
ならば己の人生を楽しむ。
そう割り切って生きてきて、死んで。
振り返ってみて楽しかったかどうかと考えると、わからない。
いや、それは正確ではない。
わかった気になりたくない。
己のことさえ、振り返ってみれば、今さらあれこれ論評することをみっともないと、そう感じる。
その最中はそれでよいと思っていた。
今は違う。
死んでから今さら。
死んで、もう一度考える時間を得られる者はそう多くはいないだろう。
知る限り二人だけ。
ワタシと、あナた。
“信じテくだサい”
「今さら」
実にモっとモな反応。
頭の中で彼と会話する。遠慮なくぬけぬけと。
「さっき俺を盾にしようとしたくせに」
“ソうですガっ”
思ってしまったノですヨ。
あナたにナるのナら、それモ面白いってネ。
悪くナい、と。
“テュズのくれタ好機、無駄にデきまセん”
「ちっ」
神を騙すトは、ヤはり素晴らシい娘デす。
テュズだけナら不可能だったとシても、アの娘の胆力はジツに魅力的。
“あナたではデキないホドウさんっ”
「やれんのか?」
“ヤるほかナいでショうネっ!”
ナれるのナら、あナたにナってみたカった。
まア、そんナ気の迷イ。
魂を揺さぶリ引きはガす。そんナ攻撃を受けテみテ。
“わかっタことがあリます”
「なんだ?」
“人は決して分かり合えない”
魂を形作る力。
自分という形を繋いでいる力に、その間に割り入ることはできない。
他から触れられるのは表側だけ。
“だガしカし”
近くに触れて、熱を伝え色を変えることはできる。
全てを伝えることはできず、完全に分かり合うことはできないけれど。
“分かり合おうとする。その歩みが、進む道は。そう悪いものではないようです”
他者との距離は永劫に等しい遠さだとしても。
近づこうと歩み寄る。
そうしていく内に何かが残るのかもしれない。
己の熱が。
己の色が。
死んだ後も、世界のどこかで。
生きている間は考えもしなかった。至らなかった。
誰が、パテシーイという人格を少しでも知って残してくれていたか。表面の上っ面を遠くから見ただけではなくて。
“独リで得る美食よリ、誰カと食べる粗食がうマい”
「?」
“ソんナつまらナいことデすよ”
あナたにはワからナいのでしょうネ。
当たリ前すぎテ。
愚鈍ナようデ一安心。
“最高ノ一撃を”
「ノクサ!」
頭の中の会話を切り上げ、黒蝶に願う。
「三年だ!」
「わかった!」
黒蝶の肉声を聞く。
ああ、これだ。
世界の声。世界の音。エクピキの【指】から耳鳴りのように聞こえていた。遠く、何も理解できなかったもの。
生まれた時からずっと聞いていたような気もする。誰もが。
『何ができると――」
スカーアの姿は揺らいでいる。
女神を照らす黒い太陽。雨に
ズレている。
“いエ”
世界よ。
わタしは初めて心カら願いまス。
“ぜんぶ、デすっ!”
魂が輝く。
わたしが、パテシーイが。
初めて己の色を世界に晒し出す。。
ああ。
存外、悪くない。
◆ ◇ ◆
全力を込めた一撃。
世界が輝くほどの刹那。
だったのに。
「……く」
『それで……』
スカーアはびくともしない。
腹に、魂との結びつきが強いとパテシーイが感じたへその辺りにアユミチの拳が突き刺さっても、まるで揺らがず。
それ以上進めない領域のように表面で拳が止まる。。
『終わり?』
小うるさい虫を潰そうと、スカーアの手が上がって――
“えェ、おわリです”
するりと、スカーアの手がアユミチを貫いた。
やはりパテシーイなど信用したのは間違いだったかと、他の仲間の援護を信じてスカーアに向かった自分の判断を悔やむ。
“わタしの役は”
『……なに?』
スカーアの姿はまるで揺らがない。
しっかりと、はっきりと。
つい今までノイズのように散っていた女神の輪郭ははっきりと、その左右に二人の少女が離れ、倒れて。
割れた。
卵の殻のように左右に倒れた少女と、中身だけがアユミチの目の前に。
“わタしの重さ程度デ女神は揺らがナくとモ”
『肉を……』
“はみ出テいる肉体は人間デしょうカら”
「ぱて……」
アユミチの撃ち出した拳にパテシーイが乗るような感覚があった。
強烈な衝撃。感じたことのない……いや、つい先ほどカエル魔人から受けた感触に似ている。
腕力とかそういったものとは違う。たとえようのない部分に伝わる力。
パテシーイの全部が拳を通じてスカーアにぶつかっていった。ブレかけていた輪郭を割る力になって。
跳ね返されて戻ってきたけれど。
「しい……?」
“ここマでですヨ、ホドウさん”
スカーアの手がアユミチの腹を貫き、泳ぐように胸を
するりと、何も掴めないまま。
顕現していない。肉体を失って下界に影響を及ぼせない。
“あトはウまくヤりなさイ”
「ま――」
“思い出しテくだサいネ”
輪郭から漏れた少女たちとぶつかった後、びくともしない壁に跳ね返されて戻ってきたパテシーイ。
だが、その魂の輪郭がぼろぼろと崩れていくのがわかる。
アユミチ自身の内側にあるから感じられる。
“あナたがテュズを抱く時に! わタしを思い出しテください、そうっパテシーイっ!”
「ば、っ……か、が……」
“最後の、最高ノっ! 嫌がらセですヨ”
ははっと笑って。
パテシーイの魂は崩れて消えていった。
最後まで、最低のクソ野郎だった。
アユミチになってみたかったとか、笑えない冗談を。
残していったのもつまらない嫌がらせ。
どう転んでもロクな気持ちにならないだろう嫌がらせ。だからこそ嫌がらせか。
けれど、どうしてか。
ただ憎らしいとは思えず、実体のないスカーアに当てたままだった拳を握り直し、噛みしめる。
『雨、霧、ポスフォスの稲光……』
ノクサと同じ顔で
「ポスフォス……」
鬼巫たちの方。
仲間に他を任せて見ていなかった。
見事な戟槍を手に鬼巫を庇うファニアを見て、腹から安堵の息が漏れた。
反対に、実体のないスカーアの口からは溜め息が。
『邪魔ばかり』
スカーアに拳を当てた瞬間に輝いたと思ったのは、ファニアがあの戟槍を振るったからだったか。
天雷を呼ぶ神の遺物。
陰の太陽の下、実体化したスカーアだったがまだ完全に定着していなかったのだと思う。
雨と霧で光を遮られ、雷光も重なり魂と肉の境があらわになった。
そこにパテシーイの捨て身がぶつかり、女神は揺らがなかったが肉体の方は弾きだされた。
「よくも、汚い手で女神を……」
「旦那」
「あぁ」
話の通じない女神スカーアの意図はとりあえず
手に伝わる感触で、この女神の魂を処理する方法はまるで見当がつかない。
スカーアのいる空間には拳も何も進めない。山のような厚みの雑誌を叩いているようにも感じる。
肉体を失ったスカーアの方からアユミチに攻撃は届かないが、アユミチの攻撃も通らない。
手立てがない。
いったん天孔雀の傍まで退くアユミチ達に、スカーアは倒れた少女たちを一瞥するだけで何もしなかった。
「女神スカーアに仇為し我らが里を侵す凶徒ども! 決して許さん!」
ムンジィたちと刃を交えていたシュキが、あらためて強く宣言する。
鬼巫を助けたファニアに聞かせるようでもあった。
遅れてきて事情を知らぬファニアに、アユミチ達が敵だと札をつけるために。
「アデスタの仇! ここでっ」
「くそが、わかんねえ奴だなっとに!」
「つっても弟、こいつぁきつい」
「そりゃあ嵐だ、まともに受けんな」
ムンジィ達とやり合っていたと言っても正面から戦えば実力差は歴然。
双子はさらに後ろに退き、退けないムンジィとアユミチは身構えるけれど。
パテシーイの消えたアユミチでは、達人級の実力者に対してどれだけのことができるか。
「ここで散れ!」
「くっ」
こちらが二人でも三人でも一呼吸で切り捨てる。
シュキの剣がゆらっと揺れ、次の瞬間には目で追えないほどの速度で踏み込んできたかと思えば――
「事情は」
「なん」
「わかっている」
状況の理解が追いつかないはずのファニアの静かな言葉。
静かで、穏やかで、どこか寂し気な。
呟きながら、アユミチたちを切り捨てようとしたシュキに一瞬で肉薄して、戟の柄をシュキの脇に差し込み投げ飛ばした。
「くぁっ!」
スカーアの後方に投げ出されるシュキ。
混乱で反応が遅れると見ていたのだろうが、そんなことはなかった。
「事情は知っている。みな」
「ファニア……」
「……迎えにきてくれて嬉しい。アユミチ」
わずかに見せた横顔は、少しだけ照れたようにも。
「そりゃあ……当たり前だろ。大事な……」
「……」
へへ、と笑うムンジィ。笑うなよ。
こんな状況でもファニアが手の届くところにきてくれて安心する。
だけど、彼女の様子には照れとは別にやはり寂し気な感情も混じっているのを感じる。
「カンナ……」
動きを止めた女神スカーアの傍に倒れる少女たち。
花札レフカースが、何も言わないスカーアの様子を窺いつつ近づき、堪えきれぬように少女の片方に駆けよった。
寄り添い、小柄な体に手を当てて。
「無事、レフカ。こっちも」
「あぁ……あぁ、カンナ……」
少女の体を抱き寄せる花札二人。
女神から隠すように、庇うようにも見える。
花札たちの考えも一枚岩というわけではない。話し合う余地はあると想えた。
「ファニア、ファニア・イア・イオルテ」
ファニアと代わり鬼巫を支えたクロロテッサが呼ぶ。
厳しい表情で。
「あなたの意志はわかります。ですが、女神スカーアの意志とは相容れません」
肉体から引きはがしたものの、スカーアを滅ぼしたわけではない。
空を見上げ止まったままのスカーアは何も言わないが、諦めたわけではないだろう。
「アハラマ様の慈悲が、優しさがわかるのであれば。どこに立つべきなのか。今ならまだ許しも得られますよ」
「クロロテッサ……」
「薬師も。お前たちは女神の世界に生きられませんが、望むのならその娘だけは助命いただけるよう計らいましょう。せめてもの情けとして」
「クロロテッサ」
一度目は苦く、二度目は凛と。
ファニアが呼び掛ける。
あらためて深く息を吸い直して、クロロテッサの顔を真っ直ぐに見て。
「あなただったのだな」
「……」
「私に死病を与えたのは、クロロテッサ。あなただったのか」
「……」
とても寂し気に。
問いかけではなく、苦い確信を噛み殺すように、静かに。
「……」
答えない。
鬼巫や花札たちの視線を集めても、クロロテッサの表情はぴくりとも動かぬまま。
「ねえ……ね……?」
「そんな……だってあれは、私が……っ」
レフカースの声は震え、一瞬だけ息が止まって。
「クロロテッサに、言われ……て……」
「レフカ」
マベラは少女の体を抱えながら寄り添い、レフカースの肩も抱く。
「マベラは言った。レフカのせいじゃないって」
「そんな、の……」
「そう」
しばらくの沈黙の後、クロロテッサが息を漏らした。
しようのなに弟妹に呆れる姉のような微笑みを浮かべて、ゆっくりと頷く。
「悪い子ねぇ、ファニアちゃん」
「あなたには敵わないが」
「そう」
立てない鬼巫を置いて立ち上がり、もう一度大きく頷いた。
「あれで死んでくれたらよかったのに。本当に悪い子」
「そんな私でも好いてくれる人がいるんだ。羨ましいだろう」
「本当に……あぁ、本当に」
クロロテッサの微笑みが黒く歪む。
「最悪にムカつく女ねぇ」
「光栄だ」
ファニアを悪く言われて最悪にムカつくのはアユミチなのだけれど。
美しいファニアの返礼に見とれてしまい言葉が出てこなかった。
◆ ◇ ◆