法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
『抜け殻を使うの。使わなかった私の肉』
なにが楽しいのか聞いてもいないことをノクサに話す。
表情はほとんどない。だがどこか楽し気に。
『抜け殻を二つ重ねるのよ。淫らな満月と虚ろな新月。重ね合わせると破れない』
「あんたの……」
『あなたの繭の中にいる私があなたを飲み込む。怖気の立つあなたの汁をすべて啜って、あなたより広く大きな私があなたを覆い隠す』
王蠍の中にノクサはいた。
長い時の間にノクサの力や姿を吸い上げたと思えばいいのか。
なり替わる為に。
「抜け、がら……」
「……」
レフカースの声は小さかったがやけによく響く。渇いた声音。
鬼巫たちの顔に影が差す。
「王都の……」
「ヨハルハ様……サノミアであったか」
王都に出現した王蠍もスカーアに連なる何かだったなら、鬼巫たちには当然心当たりがあるはず。
それと知っていたわけではない。今、知った。
ノクサを閉じ込めていた方の王蠍は、ずっと昔に持ち出されたもの。
満月と新月。アユミチは知らないが、たぶん鬼巫アハラマと同じ顔をしたマベラのように対になる存在を指すのだろう。
「んで、次はその趣味の悪い出来損ないにあんたが入んの? お似合いじゃない」
『生きていないこれの形は定まっている。こんな形だとレーマルジアは見てくれない』
「見てほしいのはその顔? ばかみたい」
『神に似せようとする人間。私の姿に寄せてくれば、レーマルジアの目に入るかもしれないでしょう』
隠れ里の人たちはスカーアの顔を見知っている。
ノクサの姿。女神の姿は信奉者にとっては理想の形に違いない。
進化の過程で、より望む姿に変化していくことも考えられる。
『私から漏れた汁を啜って生まれて少し珍しい力を得た人間。その姿が残らないよう遠い形にした』
「……いっそもう感心するわね。その自分勝手な思い付き」
『あなたがこれの中にいる間ずっと、私はあなたを感じていたノクサリージュ』
王蠍の巨体を見上げ、すっと視線をノクサに移して、
『あなたの味を噛みしめて、忌々しい味を喉に溜めて、私の中へ流し込んできた。とっても苦しかったのよ』
嬉しそうに、赤く濡れた舌が唇をなぞる。
『ねえ、ノクサリージュ』
「……」
『レーマルジアに愛されるために私はこんなに我慢してきたの。あなたにはわからない。あなたは何も知らない』
「わかりたくもないわ」
ずっと耐え忍んできた結果が実を結ぶ。
その過程を、憎む相手に語る。
楽しいのだろう。嬉しいのだろう。
王蠍を見せびらかす理由など他にない。あれに命じて即座にアユミチたちを蹂躙してしまえばいいのだが、座興の時間。
「……」
ファニアに寄る。
させない。
ノクサとスカーアの会話の間に彼女の姿勢が変化していくのを見て取る。
覚悟を決め、腹を据えた。
だが、そんなことはさせない。
言って止められる雰囲気でないこともわかっている。
ゼラは、アユミチの為に命を投げ打つ魔法を使った。
なぜあれほどの魔法を使えたのか。今でも不思議に思う。
同じことをファニアがしようとしている。その手には命を代償とする神の槍がある。
「ノクサ……」
スカーアの注意を引きたくはない。
話すノクサの背に小さく声をかけると、わかっているというように小さく羽ばたいた。
「それで、どうするの? その塊で人間を一人ずつ潰して回って? あんたが半端なままレーマルジアだけ戻ったら、ただ終わるだけなのよ」
『肉はある。他にいくつでも』
スカーアの瞳が鬼巫を映す。
店頭に並ぶ野菜の中、よさげなものを選ぶような目で。
『もっと濁らせたい。醸すというのかしら、飲み物なら……そう、貴腐酒と言うのね』
食べ頃じゃない。飲み頃じゃない。
アハラマを見てそんな風に言う。
『では、あらためて始めましょう』
話は終わり。
言いたいことは言った。ノクサの悔しそうな顔も見られた。
満足したから再開する。
『さあ、滅びなさい』
女神スカーアが命ずる。
いらない者に滅びを命じ、それらを刈り取る獣を解き放った。
◆ ◇ ◆
――なんで俺がこんなところに。
場違いだと思う。
とうてい役者になれるような男ではない。
世界の命運を左右する神様の前に立てるような、そんなたいそうな人間になれるはずがない。
たかだか一年程度だ。死にそうな場面に何度も出くわして、ひいひい言いながら生き延びてきただけ。
ムンジィはどこにでもいるつまらない男に過ぎない。
ずっとそうだった。
口では強がりを言っても中身は意気地の無い空っぽの人間。
惚れた女に惚れたとも言えず、その場しのぎで適当に生きていた。
ディサイでポーラ隊と諍いを起こした時だってそうだ。あの時、女の手を取って一緒に逃げることもできず一人で逃げ出した。
たかだか一年。
アユミチと出会い、心を揺さぶられ、自分が情けない。
たまに異様な力は発揮するが、それ以外はいたって普通の青年。特別な何かでもなんでもない。
けれど、どうにか人として選ぶべき道を選びたいと、そんな気持ちで困難に向かう。
出会いに感謝する。決してよい形ではなかったが、それも自分らしい。
伝説の大魔獣を退治し、捨て森の病人たちを救い、西港の腐った連中をぶっ潰した。
ムンジィの心残りを取り戻させてくれた。ディオーネとフィリオ。もう話すこともできないと思っていた親友とその妹。
感謝している。どれだけ感謝しても足りない。
そうは言ってもムンジィという人間が激変するわけもない。
急に英雄のような力を得て世界を救うような、そんなこともない。
ただの男。
いつも手が届かず、口惜しい気持ちばかり募らせて唇を噛むつまらない男。
だけれど。
「いんや」
伝説の大魔獣渇きの王蠍。
見るのは三度目になる。
「そいつぁ違うぜ、旦那」
小さな女神ノクサさんに声をかけ、ファニアの持つ戟槍を奪おうとしたアユミチ。
アユミチのことなどお見通しのファニアがそれを避け、取り合いになる神の槍。
行儀の悪い下町育ち。こんなことなら得意だ。
「ムンジィ!」
「返せ! 私が――」
「二度も、俺の前で旦那の嫁さん死なせてたまるかよ」
アユミチとファニアの怒声に笑って答える。
ムンジィの言葉にアユミチは声を詰まらせ、ファニアは伸ばしかけた手をこわばらせた。
「っく……っそ! レーマ様! 馬車をここに!」
王蠍がぎちゃぎちゃと足を鳴らしてこちらを見定める。
おっかねえ女神様の命令を聞いて、殺すべき相手を選んでやがる。
小さい女神様は殺さねえ。鬼巫の連中も。
それ以外を、鋼より硬い殻で磨り潰してハサミでぶった切って殺そうと。
「……レーマ様! 馬車、なんで来ないっ!?」
「閉ざされてるのよ! 聞こえてない!」
女神様の馬車。王都で見たっけ。
金ぴかのすげえ戦馬車だった。あれならそこの鋼色の大サソリも潰せるかもしれねえ。
けど残念。ここにゃ降りてこないらしい。
「アユミチさん! 鳥が!」
カヨウの嬢ちゃんが叫んだ。
それまで何をするでもなかった天孔雀が、大きく翼を広げる。
戦う……という様子ではない。飛び立とうと。
まあ天孔雀ってのはそういうもんだろう。今までだってただ世界を飛び回って見て回ってるだけだった。
ここで面白い見物があるから見に来ただけ。危険なら逃げる。
「乗れます! 早く!」
「あ、あぁっ」
カヨウの嬢ちゃんが何でそう思ったんだか。天孔雀が乗せてくれるらしい。
理由なんざわからないが、嬢ちゃんがそう言うんだったらそうだろう。
双子がクルサドを捕まえて背中に飛び乗った。天孔雀は嫌がるでもなく、むしろ嬢ちゃんが乗りやすいように背を下げる。
「ムンジィ! お前も」
「だからよぉ」
王蠍の目がどこだかよくわからない。けれど、あれが見ているのはムンジィだ。
というか、ムンジィが手にした戟槍。
今ムンジィが背を向ければ即座に襲い掛かってくる。獣の気配。
「俺じゃねえ、嫁を守れって言ってんだ」
「だか……でも、お前――」
「なんでもできりゃあいいんだが」
詰め寄ろうとするアユミチを軽く突き飛ばした。ファニアの方に。
「俺ぁ器用じゃねえんだ。だから、やりてえことをやる。それしかできねえ」
「……」
「二度も、あんたの嫁を死なせねえ。何度も何度もあのクソ魔獣から逃げ出すのもごめんだ」
渇きの王蠍の速さは知っている。自分の体で思い知っている。
あの巨体で風より速くぶっ飛んでくる。
天孔雀が飛び立つより襲い掛かる方が早い。間に合わない。
「わかったんだぜ、旦那。俺がここにいる理由が」
「ムンジィ……」
「わりいがあんたの為じゃねえ。世界の為なんてのもガラじゃねえ」
アユミチとファニアを押しのけて王蠍の正面に立つ。
槍を構えて。
「東港にディオーネがいる。フィリオの妹だ、知ってんだよな」
「ああ……だからお前」
「順調なら秋に産まれんだ。赤ん坊だぜ」
言っていなかった。言えなかった。
みすみす目の前でゼラを死なせておいて、自分は赤ん坊ができたなんて。
ファニアと合流出来たら帰り道にでも言おうと思っていた。申し訳なさと気恥ずかしさで伝えられなかったことを。
「あのクソ女神様は全部ぶっ殺しちまうって? 俺の嫁と赤ん坊も、なぁ」
「……」
「なんとかしてくれんだろ、旦那」
王蠍の神経が集まってくるのを感じて、へっと笑いが漏れた。
腹ぁくくっちまえばこんなもん、ディオーネに求婚した時よりなんでもねえや。
ただ強いだけ。そんだけで気持ちを砕けるかよ。
「母親に似てくれってレーマ・ルジア様に頼んどいてくれや」
「ムンジィ……」
「姐さん、旦那を連れてけ」
「だが、しかし……」
「頼むよ」
ファニアは超一流の戦士だ。ムンジィよりずっとわかっている。
すでに勝負の世界は始まっている。横から手を出せば全部御破算。
アユミチが下手なことをする前に引っ張っていってもらう。
「一生一度、男が覚悟決めてんだぜ。かっこつけさせてくれよ」
「勝手なことを……」
「死なせたくねえんだ。弟分みたいなもんだぜ」
「……あぁ」
「ムンジィ!」
「赤ん坊の顔、見てやってくれ。約束だ」
ファニアに掴まれればアユミチの力で振りほどけるはずもない。
まだ喚くアユミチの声に嬉しくなってしまう。
「行きます……よ」
「嬢ちゃん」
なんでえ、珍しい。
アユミチの旦那以外にそんな声、かけんじゃねえよ。
「旦那のこと、頼んだぜ。カヨウの嬢ちゃん」
「……ムンジィさん」
「あんたのこと見直した」
最後に、頭の後ろに小さな感触が触れた。
「忘れないわ。ムンジィ」
「モテるのもつれぇな」
「でしょ」
バサァ、と。
翼がはためく風音。
いよいよ王蠍の無数の足が動きを止めた。
邪魔な虫けらを跳ね飛ばして後ろの連中に襲い掛かろうと狙いを定め。
「ムンジィ! お前は俺の――」
「……ああ」
嬉しいじゃねえか。
突っ込んでくる巨体。クソみてえなクソ虫のクソ鉄色の
槍を突き刺し、貫いて。
「俺の人生の全部だぜ」
あんたと過ごした短い時間が全部くれた。
生まれてきた意味を。
ここに立ってこの魔獣に立ち向かう理由をくれた。死ぬ理由には十分すぎる。
「ノクサさんよぉっ」
アユミチの相棒。だったらあの女神様は俺の相棒も同じだ。
「俺の、全部だ!」
鋏の端にぶつかったムンジィの片足が消し飛んだ。
腹もいくらか抉れた。痛みもねえ。
葬槍の穂先が王蠍の腹に突き刺さった。
「ぶっとべクソ野郎!」
天雷が、世界を貫く。
◆ ◇ ◆
あぁ、そうか。
あん時のゼラも、そうだったのか。
わりぃなディオーネ、最後に他の女を思い出しちまってよ。
勝手にかっこつけて、いつも俺ぁ自分勝手だな。わりぃ。
でもよ、お前が生きる時間を守れんなら、意味はあんだろ。
アユミチの旦那はすげえんだ。
だから……頼んだぜ。兄弟。
◆ ◇ ◆