法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「とにかく外へ」
ふと見下ろせば先ほどは遠かった山小屋を通り過ぎる辺り。
その先に黒い霧のカーテンのような境界。隠れ里と外の世界との区切りだろう。
「街道を……」
王都方面を目指すか。
あるいはこのまま禁域に向かうべきか。ムンジィに頼まれた東港に行く選択も
なんにしても一度、通ってきた街道を見て方角を確認したい。
「うん?」
「あれは……」
何か感覚と合わない。
アユミチは特別方向感覚に優れているわけではない。
地上を走っていた時と空を飛んでいる今とで、さらに感覚は不確か。
だが、なんとなくレーマ様の在所を感じられるおかげで、鈍いなりに把握できる部分もある。それと合致しない。
「荷車が……?」
カヨウも奇妙に感じたのかくぐもった声を漏らした。
そんなカヨウに応じるように天孔雀が高度を下げる。心なしか速度も落ちる。
「そう、だな」
荷車、それに馬が二頭。
イーペンから借り受けたものに違いない。街道沿いにいるのも記憶に合うのだけれど。
「なんで内側に……」
陰のカーテンより内側。スカーアの領域内にいる。
勝手に動いたのか?
いや、馬と荷車は離した。アユミチ達が戻らない時、馬は自由に逃げられるよう。
待っていてくれたのはやはり賢いのだろうが、置いてきたのは隠れ里に入るより前。外だったはず。
「伸びてるんだわ。広がってるの」
「……スカーア復活の影響か」
「でしょうね」
見れば街道もすぐ近くを走っている。
どうする、一度荷車と馬を回収していくか。
いやその必要はないか。どう考えても天孔雀で飛んでいく方が早い。
「いや、このまま――」
カヨウはアユミチの判断を待ったのだと思う。
どうしますか、と。
馬車に接近して速度と高度を抑えて。
アユミチの判断が遅く、気付いた時にはすぐ目の前に陰のカーテンが迫っていた。
「抜けて――」
アユミチの言葉を先読みしたのかわずかに高度を上げる天孔雀。
一瞬、このままカーテンを通り抜けられるのかと不安を覚えた。
「――」
ぬるりと、分厚いシャボン玉の膜でも抜けるようにカーテンが過ぎた。
痛みも衝撃もない。何事もなく。
「が、は――っ⁉」
するりと抜け落ちた。
アユミチの手に重なっていた温もりが、力を失って。
「な……」
背中に向けて崩れ、抜け落ちていく。
突如意識を失ったように、力の抜け落ちたファニアが。
「ファニア!」
ただ一人だけ、黒いカーテンの内側に再び飲み込まれるように落ちていった。
◆ ◇ ◆
「……女神スカーアは背天の泉にお戻りです」
疲れきった顔。
リードゥたち守女も、戻ってきたアハラマ達も同じく。
央里、朔月の内殿も荒れている。
何なら里で一番荒れているのではないか。ひどい有り様。
凄まじい暴風、あるいは巨大な落石でも通り過ぎたよう。あちこち壁は崩れ木々は砕け、屋根を支える柱が残っている建物は半分程度。その一室。
仕方があるまい。ここから湧き出た魔獣が四方八方へと向かっていったのだ。
ここまで戻る間にアハラマも聞いている。何が起きたのか。
「再び泉でお眠りです。直接拝見はしていません。お眠りの頃と同じご様子です」
「事情は、互いにわかっていると思っていいのじゃな。リードゥ」
「ええ」
細かな説明はいらない。
事実だけ共有できていればいい。
アハラマの心情も何も関係はない。
「女神が飛び去った後、途中からですが見えておりました。影に映り、あなたがたの様子の端々が」
「そうか」
リードゥたち守女の後ろにはパラーサと少女がいる。
パラーサの目がアハラマに刺さる。
優しい目ではない。
「……そうか」
あの場での出来事、一連の全てではなくとも見えていたと。
だいたいの事情は伝わっている。
戻る途中でも同じ話を聞いた。聞く限り、あの天孔雀が降りたつより少し前辺りから。
おそらく天孔雀が隠れ里に入った時点からなのだと思われる。
フォティゾの眷属のように言われていた。誰彼構わず余計なことを吹聴する露悪の神。その分け身。
「なんぞ言いたいことがあろう」
「アハラマ」
リードゥではなくパラーサが呼んだ。
「無礼ではありませんか。あなたが先代の花札とて」
「お前たちも同罪だ。裏切り者め」
「っ……」
言い返そうとするレフカースを手で制する。
言われても仕方がない。
「お前たちがすべきことは何だったか。女神スカーアの意志に背くことか。答えよクロロテッサ!」
「……」
事情を知られているのなら言い訳のしようもない。
どうすればいいのかわからなかった。怖くなった。迷い、悩み、逃げ出したかった。
「シュキに従い敵を殺す! なぜそうしなかった!」
「それは……」
「まして敵の、男と‼ 男どもと! 男と通じようなどと……この……っ」
怒りが限度を超え言葉すら出てこない。
パラーサの怒気が張りつめ、苦しい。
戻る道中でも聞かれた。
里の者たちがアハラマに尋ねた。なぜ外の者の話など聞こうとしたのかと。
スカーアの言葉には確かに不安を感じる部分もあった。けれどスカーアは里の守り神。それに従うのが里の者の道だろうと。
今のパラーサほど強く明確に叱責されたわけではないが、疑念と困惑の目を向けられた。
「鬼巫にあるまじき愚挙! 恥を知るならば申し開きでもしてみよ! アハラマ‼」
「……なにも」
「貴様ぁ!」
襟首を掴み上げられても何も言えない。
わからぬ。
アハラマとて、あの場でどうすべきだったのか。何度考えてもわからない。
ただ、怖かった。
スカーアの言葉にただ従い進んだとして、里の者たちが心から笑い合える明日を迎えられるのか。
なぜあの時考えなかったのかと、後で責められるのが怖かった。
結局、反対を選んでもこうして責められる。わからない。何もわからない。
「パラーサ……」
シュキだった。
激昂に震えるパラーサの手に触れ、アハラマの襟から離させる。
「何もできなかったのは私も同じ。あの場にいて……」
「お前は正しく果たそうとしていた。ヨハルハ様の花札として」
「……たぶん、違う。そうじゃない」
「シュキ……」
アハラマたちがスカーアの意と異なる道を選ぼうとしたのは周知のこと。
その様子を見て、里の者がどう思ったのか。
パラーサの態度が答えだ。
あの場にいたシュキは同じ空気を感じていた。ただ見ていただけの者とは少し違う。
「少し、落ち着いて。落ち着くまで少しでいい。時間がいる」
「……」
シュキは元々口数が多い方ではなかった。
アデスタの死でかなり情緒が乱れていたけれど、今は以前の様子に近いように思う。
「……お前の選んだ花札、あの醜態も忘れるな。アハラマ」
「そう、じゃな……」
ファニアはアハラマを選ばなかった。前にも言われていたけれど、やはり。
それでも繋ぎ止められるような気がしていたのだ。
だが、アハラマを選ばぬままアハラマを助け、その上で敵方についた。
恥じ。醜態。返す言葉もない。
「お預かりします」
パラーサが引いた代わりに少女が前に進み出た。
マベラが持っていた戟槍を受け取ろうと手を差し出す。
「……」
神の槍。
もしかしたら何かの手立てになるかもしれないもの。唯一の。
「お預かりしますね」
「……わかった」
裏切り者の手になど残しておけるはずもない。
手渡された少女は嬉しそうに、大事そうに、不釣り合いな大きさの戟槍を抱える。
「ファニア様にお渡ししたのですが、返ってきてくださってよかった」
ああ、この少女。
次期花札の候補として選ばれていた娘の一人。確かフローシュだったか。
関わることがほとんどなくあまり覚えていないが、少女の方はファニアと接点があったらしい。
アハラマを選ばなかったファニアに。
「あれは……ファニアは戻らなかったが。すまぬな」
「いいえ」
微笑む。
曇りのひとつもない微笑みで、小さな体の低い視点からアハラマを見下ろして。
「ファニア様もお戻りになられます」
「……?」
アハラマの勝手で色々な物事を乱した。
そう思い謝罪の言葉が口をついて出たけれど、フローシュはアハラマなど些末な問題ですらないというように穏やかに笑う。
「ファニア様も里の女。ここにお戻りになりますから」
抱える槍と同じように。
私の懐に。胎内に。
必ず帰ってくるのだと微笑んだ。
◆ ◇ ◆