法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「おかえりなさい」
その顔で理解する。
全てを見通していたかのような、辿り着いた笑顔。
「アスパーサ……」
アスパーサの顔を見て、ようやく理解した。
これが彼女の望んだ世界だったのだと。ここが彼女の終着点。
「レーマルジアの……復活、か」
「正直に伝えたと思っているのよ」
「……」
イーペンたちにカヨウを預けたらすぐにでも戦馬車を呼ぶかと思ったけれど、アスパーサの真意に気づいてしまって。
疲れ切った様子のクルサドを休ませてもらうようイーペンに頼み、最後にもう一度アスパーサと話す場を作る。
これが最後だ。
「嘘なんて言っていないの」
「……この先は見えていないと言ったのは?」
「それも本当」
宵闇の中、アユミチに呼び出されても気にした様子もなく。
最初から全てを知り、諦めていたようにも見える。
「気づいて引き返してきた、ってわけじゃあないのね」
「残念ながら違う」
レーマルジアと呼んだ場合のレーマ様が破滅を呼ぶ女神だと知っていたのなら。
アスパーサの言う意味を理解して、スカーアにおびき寄せられる前に引き返していたなら、切迫した状況になっていなかったのかもしれない。
アユミチの知らないままスカーアが力を取り戻し、悩む以前に世界が終了していた可能性もあるが。
「その素敵な黒蝶がレーマルジア……じゃあなさそうね」
「大昔の記録なんかを知っていてそう呼んだのかなって思ったのよ」
アスパーサがレーマ様をレーマルジアと呼んだ時、ノクサは違和感を覚えたらしい。
しかし、レーマルジアが大昔に世界に実在したのも事実。
魔眼やら予言の力を持つ血筋のアスパーサなら、何かしら知っていたとしても不思議はないと整理して見過ごした。
「……違うわね。ノクサも、ちょっと嬉しかったんだわ。誰かが覚えていてくれたんだって、そう思って」
「見かけ通り可愛いのねぇ」
ノクサの姿はもう普通に見えている。隠れ里の外でも同じ。
ノクサリージュの復活はレーマルジアの復活に紐づけされている。このままならレーマ様の封じられた神格レーマルジアが復活して、世界の男は死滅する。
「こうなることがわかっていて、あんたは……」
「他に道はなかったもの」
「このままじゃ世界がめちゃくちゃだ。皆死ぬんだぞ」
「平等に。神の下でみんな等しく……男が先に死んでしまうのは、そうね。男ってそういうものなんでしょう?」
「言ってただろ。皆の幸せを考えているって言ってたじゃないか」
「ええ、誰かだけ不幸を背負うことがない。誰もが平等な世界。センセイもお好きだって言ってたのよ」
「違う……」
アスパーサは嘘など言っていなかった。
ただアユミチの理解とずれているだけで、彼女はずっと自分の目的の為に進んできたのだ。
「ねえ、センセ」
アスパーサが一歩距離を縮める。
イーペンの住居から出た暗い路地で、無防備に。
「わたしが何もしなかったら、ゼラさんもファニアさんも助けられなかった。違うかしら?」
「……」
「その方がよかった? どうかしら、センセイ?」
「……あんたに、アスパーサ。俺はあんたに……」
アスパーサの助言がなかったのなら。
捨て森の人たちを助けることはできなかっただろう。
ファニアと生きて再会することもなかったかもしれない。
「他に道はなかったのよ」
「……」
「貧民も貴族も男も女も、みんなそう。誰も自分で道を選べるなんて夢を見てるだけ。意味なんてない」
「そんなことはない」
「なら、センセイ。あなたが選んだ結果がここよ」
「……」
「わかるでしょう。他に道はなかったの。ないの」
アユミチが選んで進んできた結果。
仮にアスパーサの助言がなかったとしても、アユミチはきっとエクピキ教と相容れることはなかった。ゼラやファニア、捨て森の人たちを助けようと行動して、失敗して何もかも失っていたかもしれない。
アスパーサを責められる筋ではない。
筋ではないけれど。
やはりアスパーサのやり口に納得などできない。そもそも目指す未来が違い過ぎた。
「
「道が重なっていただけの関係。男と女、珍しいことじゃないわ」
「……隠れ里はどうするつもりだ?」
全ての人に等しく不幸を与えるというのが目的だとして、隠れ里の人たちは残ることになる。
アユミチの質問にアスパーサは鼻で笑い、
「別にどうとも。なにも死ぬだけが不憫だなんてこともないでしょう」
「……」
「気まぐれで何を起こすかわからない。そんな女神様の近くで怯えながら生きるのもどうなのかしら? 生きているだけで幸せ? センセイはそう思う?」
アスパーサは自分の身の上に不幸しかなかったと見捨てている。
娼婦と呼ばれていた。実際にそれらしい道を辿ってきただろうこともわかる。
望んで選んだ生き方ではなく、他に道がなかったから。
「女神スカーア、素敵だったわ。人なんて虫くらいにしか思っていない。何とも思っていない」
「見てきたみたいに……?」
「あら、まだ知らなかったのね」
戻ってきて少しばたついた後、すぐにアスパーサを呼んだ。
クルサドとカヨウを少し休ませ、夜のうちにクルサドだけ連れてレーマ様の所に向かう。その前に確認を。
アスパーサがまだ何か企んでいるのなら、カヨウを残していくのも不安。
イーペンやコニーは事情を知っているかのように受け入れてくれた。
「みんな見えていたわ。スカーアが再臨する少し前くらいから、あなたたちが空に飛び立つあたりまで? 途中ファニアさんとあなたが落ちたところで途切れてしまったけれど」
「それも、予言……予知の……」
「そうじゃあないの、みんなって言ったでしょう。他の人たちも……きっと世界中のどこでも」
「天孔雀の……たぶんフォティゾの力ね。あのバカならやりそう」
苦々しいノクサの呟きに、嬉しそうにアスパーサが頷く。
ファニアが合流前に見えていたと言っていたのと同じ。外の世界でも似たような現象で、無料電波で届けられていたということか。
世界中が見ていた。スカーア復活の顛末を。
余計なことを言いふらす神。
「空を塗り替える力を持つ女神。伝説の大魔獣も彼女のおもちゃ。死病の広がる世界に解き放った」
「……みんな、見ていたのか」
「だから何も聞かないのよ。どうして一人欠けているのか、なんて」
「……」
ムンジィがいない。
出て行った時に一緒だったムンジィがいない。
イーペンもコニーも聞かなかった。話題にしなかった。
「戻ってくる時も人に会わなかったんでしょう。誰だって少しでもスカーアから離れたいんだもの」
「……そうか」
「あとは、少しでも頑丈な場所で魔獣から隠れているんじゃないかしら」
死病で死ぬか、魔獣に潰されて死ぬか。
ここから近い王都でも一匹、今も暴れているはず。
王都を完全に更地にしたら、周辺の村々に向かうのかもしれない。
「センセイは、隠れ里をどうにかしたいのかしら?」
「別に……里をどうこうしたいんじゃない。問題はスカーアだ」
「どうしようもないなら? どうするのかしら」
「その時は……」
レーマ様に頼んでも解決できないかもしれない。
アユミチが失敗した時には、スカーアの願う世界ができあがるだけ。
「俺が……俺が失敗したら、頼んだ。鬼巫に……」
「敵なのに、ねえ」
「敵でも……カヨウは女の子だ。里で保護してくれるように頼んだ……」
「……そう」
いや、これも見られていたのか。既にアスパーサは知っていたはず。
アユミチが失敗してこの世界が滅ぶとしても、道連れにすることはない。
生きられる道があるのなら繋いでやりたい。
何もかも滅びても、ずっと未来でアユミチのことを思い出して少し泣いてくれるなら、それだけでも救われる。
全てが無駄だったわけじゃないなら。
「望むなら、アスパーサも隠れ里に行ってみればいい。女なら聞いてくれるかもしれない」
「まだ優しくしてくれるの? わたしに?」
「コニーとプレヴラも連れて行ってやってくれると助かる」
アスパーサは様々な経験を積んでいて交渉上手だ。
アユミチよりずっと教養もあると思う。
鬼巫にうまく話してプレヴラたちを助けてくれるかもしれない。アユミチが失敗した時のわずかな保険として。
「センセイってバカなのねぇ」
「そう……そうだな」
「男ってほんと、みんなバカなんだから」
「……」
「嫌いじゃないわ。本当よ」
ムンジィの奴も馬鹿だった。
世の中の全ての男がどうなのかは言えないが、アユミチの周りには馬鹿が多い気がする。
馬鹿だから長生きできなのかもしれない。
「ノクサも嫌いじゃないわよ」
「ありがとな」
「んで、結局。そっちはレーマルジアの復活が目的だったってだけでいいのね?」
「他に……特にないわ。前に全部話したつもり」
「隠し事はつまんないわよ」
「今さら何も隠す必要ないでしょう」
「……ないのね?」
「えぇ」
嫣然と笑うアスパーサ。
後悔も未練もない。そんな笑顔を作って。
「アユミチ、これ以上は意味がないわ」
「……みたいだな」
話していることは、先に王都で聞いたことと大差ない。
その言葉の裏をアユミチが理解していなかった。それを確認しただけ。
もっと何か情報が得られたらと期待もあった。
不思議な力を持つアスパーサなら、と。
しかし彼女の予知はこの状況を作るまでで完結している。これ以上はなく、嘘みたいな打開策もない。
仮にアユミチが怒りに駆られて彼女を殺したとしても、それすら受け入れるのだろう。
誰かと戦う力も運命に抗う力もない、ただの女。
ハズレの未来しかないと予め知ってしまうというのは、どうしようもない絶望かもしれない。アユミチには想像もできない。
「わたしにはこれしか選べなかった。ただそれだけ……」
アスパーサの独白を背中に聞きながら、建物で休んでいるクルサドを迎えに戻る。
こうしている間にもスカーアの再復活や侵食は進んでいるはず。
何の解決も得られず、ただ気持ちの整理をする為だけに時間を無駄にしたか。
「……」
クルサドだけ連れて戦馬車を呼ぶ。
カヨウに見つかれば、きっとカヨウは無理やりでもついてくるだろう。
今度ばかりはダメだ。
レーマ様のどこに地雷があるのかわからない。うっかり踏んでアユミチが吹っ飛ぶだけならいいけれど。
「クルサド」
それを言えばクルサドだって危険には違いないのだが。
アユミチは差別主義者なのかもしれない。男だったら、女なら。それで危険に近づけるかどうかを判断するような。
いや、レーマ様は前に言っていた。あたしの為の男児を殺すなとか、そんなことを。
クルサドは大丈夫だ。
「クルサド、ごめんな」
「いえ」
ひっそりと呼ぶアユミチに、旅を終えてやっと一息ついた様子のクルサドが不思議そうに、けれど事情を察したように忍び足で寄ってくる。
「お前にしか頼めない。世界を救うんだ」
「僕、ですか?」
「あぁ」
かつてアユミチを救ってくれたリグラーダの弟。
今度は世界を救う重責を負わせることになるとは、リグラーダになんと言えばいいのか。
スカーアのことさえなければ、レーマ様の下で過ごしてもらえばいいだけだった。そのつもりだったが、世界なんて背負わせてしまうことに。
「アユミチさんの役に立てるなら、なんでもします」
「助かる。ありがとう」
アユミチの勝手な要望に笑顔で応えてくれる。
疲れているだろうに、不安だろうに、健気な少年。
レーマ様が好むのもなんとなく理解はできる。
素直で優しく、かっこいい甲虫が好きで友達より強くコマを回せるのが誇らしい。そんな男児を見るのは嬉しい気がする。
「じゃあ、もう一度出かける。俺の女神様のところだ」
「うん、楽しみです」
道中でも一応は話していたから承知してくれている。
「でも、僕なんかでいいの? 世界を救っていただくのに」
「大丈夫だ。クルサドが頼めばたぶん二つ返事で引き受けてくれる」
レーマ様は男児には甘い。
そこには期待していいかもしれない。
「静かについてきてくれ」
「? はい」
カヨウに見つからないように。
二階の部屋にいたクルサドを連れ出し、やましいところがあるように息を潜めて階段を――
「アユミチ様?」
「っ……」
少女に呼ばれた。
ちょうど階段を上がろうとしたプレヴラに。
「……あぁ」
「お出かけ?」
「……そうだ。ちょっとな」
「アユミチ様」
ちょいちょい、と。
小さな手で手招きされる。
無視するわけにもいかず、階段を降りて膝を着きプレヴラの目線に合わせた。
「どうした?」
「ん」
こつん、と。
驚いた。
額を小さな手で叩かれた。
「ムンジィのおじさんが言ってた」
「ムンジィが……?」
「おじさんが死んじゃってアユミチ様が泣いてたら、一回だけ叩いてって。プレヴラに言ったの」
「……そうか」
それだけ。
そう言って、きらきらした両目にぶわっと涙が浮かび上がると、逃げるようにプレヴラは階段を駆け上がっていった。
「……そ、か」
言葉に詰まり、アユミチも溢れた涙を袖で拭って立ち上がる。
あの野郎、くそ。
プレヴラ泣かしやがって、ちくしょうが。
「……らしいですね」
「あぁ」
叱咤。
俺なんかの為に泣いてねえでしゃきっとしやがれ、と。
プレヴラの柔らかな拳の感触を額に残してイーペンの建物を出た。
空には沈みかけた月。ほとんど満月に近い。
しかし、そこにも影のような何かが近づきつつある。
雲とは違う。スカーアの影。
明日の満月は見られないかもしれない。
そうなればレーマ様の戦馬車を呼ぶことも、王蠍を倒すこともできなくなる。
「ノクサも行くわ」
「……大丈夫か?」
「スカーアのバカの半分はノクサの責任よ。レーマがこっちをどう認識するかわかんないけど」
「お前に死なれたら……」
「ノクサリージュとレーマ・ルジアなら平気なの。説明めんどいからわかって」
なんというか、
ノクサリージュとレーマルジア。
レーマ・ルジアとノクサ・リージュ。
触れ合ってはならない対となるもの。
今のノクサはノクサリージュ。黒蝶の仮姿とは違う。
「じゃあ、行こう」
月の縁から影を破るように、黄金の戦馬車が降りてくるのが見えた。
◆ ◇ ◆