法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-55.目に映る広さ

 

「うわぁぁ……」

 

 年相応のきらきらとした笑顔。

 クルサドのそんな顔は初めて見た。

 出会った時は悲惨な状況だったし、その後も平穏な旅路ではなかったのだから仕方がない。

 黄金の戦馬車のへりに掴まり、風のように流れていく景色に目を見開いて。

 

 年相応。アユミチにとってはそうでも、この世界の子供たちがこんな顔をすることはほとんどない。

 レーマ様の酒瓶からもらった果実汁(ジュース)で似た笑顔は浮かべても、心から何の不安もなくただ感動して目を輝かせる様子など見られなかった。

 

 空を飛ぶのは二度目だから。

 天孔雀の背中に必死にしがみついていた経験がある。

 あれよりは乗り物として安定したレーマ様の戦馬車だから、景色に目を向ける心の余裕があったのだろう。

 満月に近い月の浮かぶ夜空に駆け出した戦馬車の上で、目に星空を映して感嘆の声を漏らした。

 

 

「すごい、すごい綺麗! すごい!」

「そうだな」

 

 星空の下を飛ぶ。

 今回でレーマ様が復活して、地上の問題はきっと片付く。

 もうアユミチにはどうしようもないことばかり。レーマ様でダメなら諦めるしかない。

 そんな割り切りもあったせいか、アユミチもクルサドと一緒に広がる世界に目を向けた。

 

「あぁ……すごいよな。これが……」

 

 世界。

 衛星写真や何かならアユミチだって知っている。

 飛行機の小さな窓から見たこともあった。

 月明かり、星明りに照らされた地上。

 晴れていると思うのに、高度を上げるたびに薄っすらと広がる雲の層。

 遠い地上に灯る橙色の明かり。

 流れる川面、揺れる湖面の反射。

 

「これが、世界だ……」

「うんっ」

 

 嬉しそうなクルサドの後ろ頭に、なんだかほっとする。

 恩人リグラーダの弟。

 広大で圧倒的な世界を見せてやれてよかった。

 大したことはできないアユミチだけれど、少しでも恩に報いられた気がして。

 

「すごいよなぁ」

「うん……すごいね……」

 

 言葉にならない。

 特に何かがあるわけではない。色鮮やかなイルミネーションがきらめき美しさを魅せてくることもない。

 ただ色々なものが生きる世界がそこにあるだけ。

 

 さざぁぁ、と。

 風が緑を撫ぜて深い色合いが地上を走っていく。

 ふつりと途切れた先。その先の暗い海からぶつかる白い波しぶきが散り、月明かりの粒となって消えていった。

 

 

「……」

「そう、すごいのね」

 

 ノクサがぽつりと呟く。

 アユミチに言ったわけではない。

 遠い誰かに。

 

「……ありがとう」

「……」

 

 誰に。

 何を。

 アユミチに問う資格はなさそうだった。

 

「そうだな」

 

 ただ同じ気持ちが浮かぶ。

 美しい世界。

 心から信頼できる友人や伴侶。仲間たち。皆と過ごした時間をくれた。

 アユミチが受け取った奇跡。かけがえのないもの。

 

「……ありがとう」

 

 他に言葉などない。

 クルサドとノクサと共に、世界の境界を区切る雲海の層に向かって頷いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 南蛮ティルソと言う。

 北大陸と南大陸に分かたれた世界の南側を指して。

 

 北大陸は大国トローメとその他の小国家群で形成される。

 それに対して南大陸にティルソ以外に国はない。

 乾燥した内陸は人の居住に適さず、沿岸部に集中した港湾都市をまとめる単一国家。

 大陸中央を流れる大河周辺は、国家と呼べない氏族集団が無数にある。小規模なものばかり。

 

 さらに南は永遠に解けぬ氷の大地。

 年中通して光の薄い、神に見放された暗い死の地。

 

 

 沿岸部で収穫される果物、香辛料などは人気の交易品だ。

 トローメ王国と関係の悪いティルソでも、あちこちの港で北大陸との定期便が運航されている。

 当然、北大陸の動向も耳に入っている。

 

「よい! 実にいい気味じゃのう」

 

 ティルソは女王を戴く。

 海を鎮め風を呼ぶ女王と、その夫が国を治める。

 代替わりするたびに自分の身内を厚遇しようとするため、政治体制は安定しない。

 しかし、やはり権力の座についた者が同じように振る舞うのに、代々の慣例は都合がいい。結局は繰り返し。

 新たな女王は正統な海の長。慣例に従いその夫と共にティルソを導くのだと。

 この地域の発展が進まない理由である。

 

「恥を知らぬエクピキは滅び、暴悪なるトローメも滅ぶ。北は陰り我ら南天の時代の幕開けじゃ!」

 

 ティルソはここ数年で二度女王が変わっている。

 トローメの先王クムスに敗れた数年前と、再始動した叉波王(ざはおう)によって数か月前に。

 

 忌々しい。

 ティルソの戦船はことごとく沈み、この苦境に女王の座についたキャイレーと夫パレセス。

 誰もやりたがらなかったから回ってきた役目だ。

 そのはずが。

 

 キャイレーが女王となってからというもの、ティルソには喜ばしい報せばかり。

 トローメは内乱で荒れ果て、隆盛を誇ったエクピキ教団は壊滅した。

 トローメを中心に各地で疫病が大流行し、もはや止める術もないとか。

 王都には魔獣王蠍が住み着いたという噂もあった。戦乱の中で流布されたデマと思われたが。

 

 

「これぞ天罰! 神罰であろうな!」

「南天女王キャイレーの威光あってのことよ。そうだな皆の者!」

 

 キャイレーとパレセスが杯を手に高らかに笑い、周囲の者もそれに追従する。

 宴。酒盛り。大笑い。

 キャイレーが女王の座に就いたから全てがうまく回るようになった。

 何も期待されていなかった女王の評判は一転うなぎのぼりで、南大陸全体に口々に広まっている。

 北は沈み南は昇る。

 真なる女王キャイレー万歳と。

 

 疫病については南大陸でもちらほら報告が上がっている。

 疑わしい者、村は焼き払うよう命じてある。

 過去にも死病の流行がなかったわけではない。いくらかの被害に目を瞑れば収められる。

 幸い、評判の新女王の名は強く、勅命は通りやすい。

 南天の真なる神ポスフォスに選ばれた女王キャイレー。進む先を遮るものなし。

 

 

「それに王蠍! あの渇きの王蠍も事実とは! 思わぬ愉快よな!」

「まさにまさに! 北の連中を食らう我らが神獣!」

 

 デマだと思った王蠍の話だが、話が変わった。

 女神が見せてくれた。

 トローメの連中を始末する為に女神スカーアが魔獣王蠍を放つところを、ティルソの地でも見せてくれたのだ。

 王都を襲ったというのも誤情報ではなかったのかと。

 

「北の連中は女神によって滅ぼされよう! 逃げてくるのであれば奴隷として救ってやろうではないか!」

「ははっ! それはよい、それがよいな女王よ! 女子供は奴隷、他は沈めて構わんぞ」

 

 仇敵だったトローメ王国、北大陸が滅亡する。

 面白い。

 ふん詰まりとしか思えなかったティルソ女王の座。これは真なる主としてキャイレーを迎えるためのお膳立てだったのだろう。

 全てうまくいく。

 キャイレーこそ神に選ばれた、南天ポスフォスに選ばれた正統なる女王。

 北大陸が根暗のスカーアに滅ぼされたとて、ティルソには関係ない。こちらは何とか助かるはず。神の加護があるのだから当然に。

 

「酒じゃ酒じゃ! 南天の栄光を讃える宴なのじゃ!」

「おうとも! 神に選ばれ士我らティルソ、酒も命もいくらでも湧いてこよう! 神への感謝を捧げよ!」

 

 

 慶事である。

 奉恩である。

 ティルソに繁栄をもたらしてくれる神を讃えることこそ女王の務め。

 その感謝を受けた神は、さらなる幸福を授けてくれる。

 疑う必要などない。

 疑う心を持つなど神への冒涜。侮り。無礼である。

 讃え、崇め、慶べ。それだけでいい。

 

 

 ティルソ王宮で酒宴が続く中。

 日の沈まぬ極北とよく似た正反対の黒く凍る南天から湧いた蠍が、南大陸の沿岸都市を次々に飲み込んでいることなど誰も知らない。

 

 数日後、月が満ちる夜の直前に。

 王宮まで押し寄せた銀色の魔獣にぐちゃぐちゃに蹂躙され、女王とその夫が酒と肉が溢れるはらわたを引きずり出される頃になってようやく。

 彼らは神が助けてくれぬものなのだと知った。

 もっと早く知り、海に逃げ延びる船を作っていたなら。

 どちらにしても酒と血の海に沈んでいたのかもしれない。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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