法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「だから言ったの」
あなたの聞いていないところで。
「その望みはきっとあなたを殺す。あなたの意味をなくす道になる」
わかっていた。
この世界に存在したことのないレーマ・ルジアが降り立とうとするのなら。
かつてレーマルジアがこれと信じた価値のあるもので、時を逆回しにする必要があるだろうと。
穢れの無い男児。
その魂で時を止め、反対に押し出す。
一人一人の力は関係ない。ただ流れる月の楔として差し、永遠にそのまま。
母を大事とし、眩しい笑顔を浮かべ、友と手を取り格好の良い甲虫を探しコマ回しの上手を競い遊ぶ。そんな男児のまま永遠に。
女児では満たせない。
レーマ・ルジアは女神であり、女は女の陰をよく知っている。
女神が憧れ焦がれる男児だけが重い価値を持ち、大事だからこそ意味を為す。
それでも疑問だった。
アユミチなどの願いを、価値を重く受け止める何かを失っても聞き届けるのか。疑問だった。
けれど実際にレーマ・ルジアは約束し、約束を履行する為に進んだ。
願いとは別に彼女自身が生まれたいと思ったのかもしれない。
聞けないし、聞いても素直に話してはくれないだろうけど。
最も聖き女神として、汚れ無き男児の魂に背を押されて世界に生まれ出でる。
再誕ではなく生誕。
レーマルジアは戻らず、レーマ・ルジアが生まれる。
スカーアの目論見は外れ、その先がどうなるのかはわからない。
それもひとつの道か。
この先はもう流れるまま……のはず。
受け取った。
アユミチの全部。
驚いた。そろそろ食い尽くすかと思っていたアユミチの寿命。それっぽっちでは何もできないと思っていたのに。
まだこんなに?
九百年くらい?
信じられない。人間じゃない? 亀か、魚介類? 変な人間なのは知っていたけれど、なんなの?
びっくりしても契約は契約。
アユミチに宣言され、まさに今力を使えと言われるのなら実行する。
とはいえ、できることだけ。
できないことはできない。
たとえばアユミチが全身全霊の力を尽くした最高の一撃を九百年分レーマ・ルジアにぶつけたとしても、それでも届かない。
神と人との隔絶した差。
千年分あれば届いたのかも。
「お綺麗じゃないけど」
アユミチが何をどう頑張ってもこの場を乗り切る手段はない。
ただ、無意識に行われていることなら。
「我慢しなさい! ノクサもするから!」
気の
男児たちが犠牲になっていることを知りつつ、アユミチには言えなかった。
言えばアユミチの望みも断ち切ってしまうだろうと思って言わなかった。
知らずに、何も知らずに終わってしまえばいい。罪悪感は胸の内に。
「うぁ!?」
もぞり、と。
ぞわりと。
アユミチの体が膨張した。
膨れ上がる。
内側から得体の知れない何かが。
服の隙間から洩れ、外の奔流にも似たけれど黒いものが溢れ出す。
「はわぁっ!」
「なんだぁっ!?」
黒い陰。
アユミチを飲み込んで爆発するように膨らんだそれにクルサドが腰を抜かし、レーマも両手で防御姿勢を取った。
正体不明の黒い――
「穢れよ!」
不気味な黒い爆発。暴走。
なんのことはない。体毛。陰毛や胸毛、腋毛。男なら個人差はあれ誰でもある。
ただ九百年分生やすとなれば普通ではない。
悪いものの吹き溜まり。忌み地の汚泥でもこうまでひどいものはあるまい。
アユミチがごく当たり前に行っている生態のひとつを特化させて解き放った。
「んな⁉」
咄嗟に目鼻を覆うレーマ。
彼女でなくても誰だって同じ反応をする。ノクサだってイヤだけれど今は他に手立てがなかった。
「ああっっ‼」
解き放たれ抜け落ちる。
その量は部屋を埋め尽くすほど。長年放置された廃屋を覆う蔦のように。
「あぁぁぁぁ!」
まともな思考ができたわけではないと思う。
尻もちをついているクルサドを掴み、入ってきた通路に向かって駆けだした。
「くっそ、がぁぁぁ!」
「うぁぁぁぁ」
レーマの震える声を背に、奇声を上げながら走るアユミチにノクサも続く。
完全にレーマと敵対してしまった。
アユミチの要求がなかったなら、ノクサはレーマと敵対するつもりなどなかった。
見捨ててもいい。そういう考えさえあったのに。
スカーアにどう対処するにしても今のノクサでは話にならない。レーマを呼び出すというのは、どう転ぶにしてもマシな判断だったと思っていたはず。
人間のアユミチはどうせそのうち死ぬ。
なら、レーマがいる世界の方が楽しそうだと。
レーマルジアではないレーマ・ルジア。我がままで奔放なノクサたちの娘。
「待てってんだろアユミチぃ‼」
レーマルジアなら、この攻撃で大きく力を削いでいたはず。
なんなら倒してしまっていたかもしれない。
レーマ・ルジアはレーマルジアではない。その記憶を夢のようにあやふやに受け継いだ別のもの。
滅びるまでではない。
「アユミチ、さんっ!」
「逃げる! クルサド逃げるんだ!」
守らなければならないと。
頭が混乱して錯乱しているけれど、とにかくクルサドを守らなければとがむしゃらに。
本来の目的も後先も何も考えず走っていく。
「だぁぁぁっ!」
何かを掴んだ。
おたおたと逃げながら、途中で何かを引っ掴む。
「あじゃぁぁ!」
ぶちまけた。
へりを掴んだ
通路の入り口に。
膨大なあれこれが、さながら先ほどの体毛の爆発に似た様子でばらまき、だがそれでは治まらない。
無限と思えるほどの量が詰め込まれた宝箱から溢れる物の濁流に引っ張られ、そのまま部屋中にばらまくことになり、振り回す力と質量に負けて部屋の外まで飛び出した。
「おどぁっ!?」
『ドゥルルァッ』
レーマの住居の裏側、境界の浜辺。
ばらまかれる宝物がレーマの戦馬車にも降り注ぎ、ついにアユミチの指から離れたつづらが転がった。
「アユミチさん! どうしたら……」
「あ、あっあぁ!
レーマの怒気が迫ってくる。
どうにかしなければと必死だったのだろう。
逃げる手段。同時に追う手段にもなる戦馬車。
そこに繋がれた天馬がいななくのを見て、手近に転がっていた大きな宝石付きの杖を掴んだ。
「あぁぁ!」
打ち砕く。
宝石が砕ける。
同時に、天馬と戦馬車を繋いでいた留め具も砕け散った。
「頼むから! お願いだ!」
解き放たれた天馬の片割れ。
もう片方はまだ綱が馬車と繋がっている。
わかっていたのか偶然か、自由になった方の天馬の背にしがみついた。
火事場の馬鹿力というのか、かなり大きな天馬の背の馬具を握り、片手でクルサドを引っ張り上げて。
「行ってくれ!」
この天馬は翼があるわけではない。
燃えるような赤い
「言うこと聞くはず――」
レーマの馬だ。アユミチのような人間の言うことを聞くはずが――
『トゥユルラァァァ』
いなないた。
わかったと言うように前足を一度上げ、その踏み込みと同時に駆け出した。
「うそぉ?」
まだ戦馬車に繋がれたままの方はそのまま。
駆けだす天馬とその背にのるアユミチに、ノクサも慌ててしがみついた。
「なんっ、はぁ? ランプシー?」
『ブリュルルゥゥ!』
あのバカ。
自分の一部を馬にしてレーマに贈っていたってこと。
背中にレーマの尻を乗せたかったから。あのバカ。あのバカ!
「この根暗バカ!」
戦馬車から解き放たれた天馬は楽しそうにまた一声いななき、アユミチたちを乗せて雲海の空を駆け抜けた。
◆ ◇ ◆
君が落ち込むなんて珍しい、アニラービー。
詫びたいと言っても彼女はもう遠い。遥か遠くだ。
彼女が彼女をまた見つけられるように、どうだろう。
足を贈るんだ。
世界を越えて巡れる足を。
この馬だよ。俺の宝物だ。
彼女も退屈しているはず。きっとよろこんでくれるだろうさ。
君から彼女に贈ってくれればいい。
いいんだ、気にするなよ。
友達だろ。俺たち。
◆ ◇ ◆
「んで、レーマは話を聞いてくれずにアニラービーは死んで、あんたはついでにアニラービー食わされた呪いで縛られてたってわけね」
『そんなところ』
「スカーアがバカやってんのは知ってるでしょう。どうにかできる?」
『そんな力はない。どっちにしろもう神域を出ればただの獣になる。魔獣と変わらない』
「そ」
『アニラービーを恨んでいた。罰を与えようと思って、逆に罰が当たったんだ』
「本体が弱ってたのもこのせいね」
『自業自得だ』
「だとしても」
『……』
「レーマを自由にしてあげたいって思ったのも本当でしょ」
『わからない。どうかな』
「そういうことにしておきなさい。その方がノクサの気分がいいわ」
『じゃあ、そうだ』
「そうよ」
『ありがとう、ノクサリージュ』
◆ ◇ ◆