法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「アハラマ様にお会いしたい。話をさせてほしい」
鬼巫の里の中心、央里はひどい有り様だった。
出て行った時も敵の襲撃の被害はあったが、戻ってみればそれどころではない。
四方八方、無分別に破城鎚でも通したのかというような惨状。
十では済まない数の王蠍が湧き、建物も人も構わず踏み潰して四方八方に走っていったのらしい。瓦礫の片づけをしている者たちが口々にそう言っているのを聞いた。
幸いと言っていいものか、王蠍はこの里の破壊や殺戮を目的としていなかった。ただ通り過ぎただけ。
走り出したあれを止める術などない。石壁も砕き瓦礫を踏み越え突き進む。天災のごとき魔獣。
「聞いてくれフローシュ。私は決して敵ではない」
「もちろん存じています、ファニア様」
里に戻り声をかけたファニアに里の女たちは警戒の目を向けた。
よそ者だと知られている。
彼女らの言葉から、スカーア降臨の場でファニアが何をしたのか知れ渡っていることがわかった。皆にあの様子は見えていたのだろう。
シュキを投げ飛ばしアユミチを守った。事実で、別に言い訳などない。
「ですが、難しいでしょう」
敵意はない。
ファニアの力ならどうとでもなるが、まずはおとなしく後ろ手に手首を縛られ連行された。
土蔵に放り込まれたのも仕方がない。守女の長リードゥはファニアの幽閉を命じてどこかに行った。
見張りとしてフローシュが残り。
主だった者は被害の復興や救助に忙しいのだろう。
ファニアだってアハラマの要請があれば手を貸す。
「なぜお戻りになられたのですか」
フローシュの質問。
薄暗い土蔵の中で見る少女の顔に疑問の色はない。
ただ場を繋ぐ会話として……というか、ファニアが何を言うか待っているだけのよう。
「女神スカーアの復活は、この里の明日をよくしてくれるものじゃない」
あの場のやりとりを見ていたのなら皆わかったはず。
里の女たちを慈しみ守護してくれるような神ではないのだと。
実際に里の者たちの口からスカーアを求めるような言葉はまったく聞かない。
すぐさまスカーアを再び目覚めさせようという空気はない。
だからファニアも短慮に走らず冷静に話そうとしている。
「また呼び戻そうと言うのなら止める。そうならないよう話に来た」
「女神スカーアは私たちの女神です。その御心に背くことはありません」
「フローシュ……」
「違いますよね、ファニア様」
フローシュが微笑む。
「今のはファニア様がこの里に残った理由です。ここに戻ってきたのはなぜ、ですか」
「だから……」
「鬼巫様と話をしたいのならお探しになればよかった。そうではないのでしょう」
「……」
「私をお探しだったのでは? 私にお聞きになりたいのかと」
アハラマは里の中心人物だ。
どこにいるのか知っている者に聞きだすことも可能。アハラマ以外の花札の居場所でも。
自ら捕らわれてまで戻らなくとも話はできたはず。
「どうぞ、ファニア様。フローシュにお尋ねください」
「……預かった槍をなくした。すまない」
「女神に逆らう使い方をされました。謝るのであればそちらでは?」
「里の人たちの明日が間違った方に進まぬよう最善を尽くしたつもりだ。女神に唯々諾々と従うべきだとは思えない」
「槍のことはお気になさらず。ファニア様のお気持ちは承知いたしました」
ふわりと、静かな微笑の中に温かさが浮かぶ。
ファニアを責める色は微塵もない。
謝罪の言葉を疑わずに受け入れ、敵意による行動ではなかったと聞いて嬉しそうに。
「罪悪感、それだけでお戻りになられたのではないのでしょう?」
「この惨状を見て心配になった。君たちが……フローシュ、君に怪我がないかと」
「気にかかりましたか?」
「君には恩がある。気にしないはずがない」
「恩、ですか」
「……少しでも親しくなった相手だ。心配くらいする」
「はい」
会話を楽しむフローシュ。
二人きり。
薄暗い土蔵の中で。
「……里から出られなかった」
「はい」
「君か?」
「はい」
「なんで……食事に何か……」
「いいえ」
すうと寄る。
後ろ手に縛られたファニアに一歩、二歩。
「愛です」
「……」
「女神の御寵愛。でなければフローシュの」
「勝手なことを……」
「ファニア様はフローシュを抱いて下さいました」
さらに寄り、見上げながら頬をファニアの胸に押し当てて。
「ファニア様の肌も覚えていて下さいますか? フローシュの肌を」
「フローシュ、私は……」
「ファニア様も里の女。女神の娘。ここにいて下さいますよう」
虫かごに蛍を
「外に出れば死んでしまいます。フローシュはファニア様に死んでいただきたくはありません」
害意ではない。
悪意ではない。
ただファニアの意に沿わぬだけ。
「ずっとここで」
フローシュの手がファニアの横腹を撫でる。
右手は腰骨を下に伝い、黒い着物の裾から太ももの付け根に指が這う。
左の手の平は上に。
乳の丸みを包みきれず、慈しむように何度か行き来させた。
アハラマからもらった黒い着物の上から、その隙間から肌の感触を求め貪る。
「女神の目覚めを妨げることはできません。時が満ちれば必ず」
「何とかする。その為に協力してほしい」
フローシュを取り押さえることなど
簡単だからためらう。
強すぎる好意に困惑するが、この子は心からファニアを好いてくれている。
アユミチと違い、他の何にも目向きもせずファニアを見上げ、見つめて。
敵意の視線であれば相手が神だろうと正面から睨み返せるけれど、フローシュの瞳にはたじろぐ。
「君を傷つけたくない。フローシュ」
「はい」
「こんなやり方では君は何も得られない」
「ファニア様の温もりと心音。それだけでフローシュは満たされます」
「私には愛する人がいる。一番と思う男だ」
「存じております」
縛られたままのファニアの背を左手で抱きすくめ、口づけをねだるように見上げて。
「すぐに死にます。長くはありません」
左手で強く抱き寄せながら、内腿に滑り込ませた右手の指に力をこめて訴える。
女神は止められない。男は死ぬ。だから諦めてと綺麗な目で請い願う。
「アユミチは」
名を口にしたら、ふっと気持ちが軽くなった。
愛する男の名を呟き、言ってもよいのだと思ったら。
この世界ではもう男の名を口にすることさえ許されないのではないかと、そんな気がしていた。
「アユミチは、やるべきことをやる男だ。私が愛したただ一人の男だ」
「……」
「だから私も、自分のできることを尽くしたい。力を貸してほしい。フローシュ、君に」
「……」
拒絶したら聞いてくれないだろう。
だから素直に伝える。ファニアがどうしたいのか。
「里の者たちは怯えている。それが外の世界か自分たちの女神か。このままでは結局怯えたままの未来しかない」
「ファニア様……」
「外からきた私だから言えることもある。伝えたいんだ」
「……はい」
乳を求める幼子のように擦り寄っていったフローシュが目を伏せ、小さく頷いて離れた。
悪い子ではない。
素直で純粋な少女。
「リードゥ様をお呼びします。お話し下さい」
「……ありがとう」
頭を下げて土蔵を出るフローシュは、ファニアを目を合わせなかった。
半ば無理やりの淫行を恥じたのだろう。
わかってくれてよかった、と。
まだフローシュの指の熱が残る体に、昨夜のアユミチを思い出してしまいぎゅっと身を小さく震わせた。
◆ ◇ ◆