法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-59.牢のつぼみ

 

「レーマ・ルジアは死病を畏れる地上にアユミチを遣わした。慈悲深い女神だ」

 

 残念ながらファニアはレーマ・ルジアを見たことがない。

 アユミチを通じてしかその存在を知り得ない。

 そういえば少女は……カヨウは直接面識があったのだったな、と。少しばかり(ねた)ましい。

 

「人の命をものとも思わないような神ではない。皆も見たのなら感じたはずだ。奇跡の薬師アユミチ、彼がどんな人間なのか。見たのだろう?」

 

 リードゥや守女と話した。

 里の者たちの間に広がっている不安、疑心。

 このままでいいはずがないと。

 ファニアが感じたことは同様にリードゥ達も感じていた。

 

「女神スカーアとのやり取り、彼は人の道に反するようなことを言っていたか? どうか?」

 

 どうしたらいいのかわからない。

 そんな里の者たちにファニアから話す機会をくれた。

 復旧作業半ばの央里の中心、朔宮の前の広場に人々を集めて。

 アハラマたちの姿はない。

 シュキとパラーサはファニアの立つ檀上の左右。パラーサの目は厳しく、シュキは人が変わったように静かな様子で。

 

 

「不安はわかる。どうすればいいのかわからない気持ちもわかるつもりだ」

 

 信じていた女神が恐ろしいものだった。

 気分次第で里の女でも殺す。潰す。

 人の生き死になど全く無感動。

 事実、スカーアの呼び出した魔獣王蠍により死んだ者も両手をゆうに越える。怪我人を数えればどれほどか。

 人間の命に無関心で、人間の行いにも興味がない。こうして話している内容も女神には虫の鳴き声程の意味も持たない。

 

「このまま女神の目覚めを待てばどうなる? 女神の目に怯え、その影を踏まぬようびくびく暮らすことを望むわけではないだろう」

「そうは言うけど、あんた」

 

 反論があっていい。

 里の人々の気持ちを封じたくて言っているのではない。

 だからよそ者のファニアは丸腰で、パラーサとシュキは帯剣しファニアに対して構える姿勢でいる。

 

「女神に背くなんて考えられない。女神スカーアはあたしらの守護者だ」

「その通りよ。今さら女神を裏切るなんて許されるわけがない」

 

 里で生まれ育った者であれば当然の意見。

 女神スカーアの本性は思い描いたものとは異なるものと知った。だからといって即座に信心が反転することでもない。

 思ったものと何か違う。

 だけど信じてずっと生きてきた。女神に背いてはいけない。女神の示すままに進むしかない。

 不安があっても、疑心があっても、今までの生き方を否定などできないのだから。

 

 

「女神スカーアに背くことなどない。そうじゃあないんだ」

 

 信仰を覆すというのは人生の否定。

 自身や我が子、親をスカーアに殺されでもしない限り認められないだろうと思う。

 その時では遅い。そうなってからでは取り返しがつかない。

 

「スカーアの求めたレーマルジアとは、薬師アユミチが仕えるレーマ・ルジアの別様。別姿だ」

「レーマルジア……」

 

 寝物語にアユミチから聞いた。彼の知る限りの神の()(よう)を。

 

「レーマ・ルジアは慈悲を知る、人を思いやる心を持つ女神の一面。レーマルジアとは異なる」

「それがどうしたって……」

「レーマ・ルジアに降臨いただき女神スカーアの慰めを願う。レーマ・ルジアはスカーアを好ましくお思いだという」

 

 可愛いスカーアだと。

 レーマ・ルジアの口から確かに聞いたそうだ。

 黒蝶ノクサリージュが知るレーマルジアは話が通じるような神ではなかったそうだが、レーマ・ルジアは違う。

 彼女をスカーアに()てる。

 

「考えてみてほしい。世界を塗り替えてまで求める伴侶だ。そのレーマ・ルジアが人々への慈悲を示したら、女神スカーアの心にもよい変化を与えてくれるのではないか」

 

 欺瞞だ。

 希望的観測だ。

 そうなるかもしれないし、そうではないかもしれない。

 スカーアは相手を偽物と見なして激昂するかもしれないし、レーマ・ルジアの方はスカーアの気持ちに応えないかもしれない。

 だが、神であるスカーアの存在や内心を人の身で動かすことは不可能だ。

 どう転ぶかわからないとしても、同じ神でありスカーアに影響し得るレーマ・ルジアに賭けるしかない。

 

 

「あなたの言う通りになったとしても……」

 

 おどおどと、気の弱そうな女が訴え出る。

 

「外の……外の人間は……男が、里を襲いました」

 

 里の不安は女神のことだけではない。

 もっと身に迫った危険として外界からの襲撃。

 現実につい先日あった。

 

「それに、こんなに……今の状況で、もっとひどい……もっと悪いことが」

「……そうだな」

 

 隠れ里に侵入を許した。

 おそらく今は隠れ里そのものが開かれている。外との行き来が可能。

 さらなる襲撃は十分に考えられる。

 仮に女神スカーアを止めたとして、外の世界が無事に残るのなら、隠れ里は大いに恨まれるだろう。

 自分たちの為だけに死病を世界中に蔓延させ、最悪の魔獣を解き放った。

 

「なら、このまま……このまま外が滅びてしまえば……外の人たちが、みんな死んでくれたなら……」

 

 気弱そうな女。

 震える声で、消極的な解決の道を言葉にする。

 

「……」

 

 聞いている人々が、リードゥたち守女が、目を伏せた。

 シュキはぐっと息を飲みこみ、パラーサはきつく唇を結ぶ。

 そうだ。

 ファニアはあらためて思う。

 里の女たちは悪人ではない。習慣や考え方は違っても、殺戮を喜ぶような性分など持ち合わせていない。

 

 ここにいる者のほとんどが、スカーアの道を正しいと信じているわけではない。

 他にどうしようもないのなら、自分や家族を守るためになら、無思慮で無分別な死に目を(つむ)ろうと。

 女神スカーアの見ている前では外の人間など死ねばいいという気勢を上げたシュキだって、今こうして冷静になれば苦いものを覚えている。

 彼女は元より外界の排除について知っていたようだけれど、おそらくいざ現実になると思っていなかったのだろう。

 勢いがあり、女神スカーアを聖なるものと信じていた時には強く出られたが、時間を置いて本心の迷いに気づいた。

 

 

「外の世界にも色んな人間がいる。女も子供もいるんだ」

「……」

「皆殺しなんて蛮行、認めたくないだろう……誰だって」

「それでも……里を守るため、なら……」

「女神の復活は妨げられない。レーマ・ルジアとスカーアがここを理想の地と思うのなら、きっと本当の意味での守護を下さる」

 

 神の復活がどう転ぶのかはわからない。

 だが、この流れは止めようがない。迫りくる波のようなもの。

 誰かが目覚め、どう動くのか。

 女神スカーアの語った思惑通りではない方向に持っていけるよう、里の者たちに理解と協力を求めたい。

 

「この里の皆が心穏やかに互いを愛し慈しむ、それが理想のはずだ。何かに従わされ強要されるようなものじゃない。本当の理想の里を女神スカーアに捧げることこそが女神への報恩になると私はそう思う」

 

 我ながら口が達者になったものだ。

 アユミチがイドラ・ディドラーに向けた弁舌を思い出し、彼に似たのかと胸の内で苦笑する。

 

 

「ファニア様は」

 

 鈴のように響く声。

 フローシュの美声が鳴る。

 

「お恨みにならないのですか?」

「何を……」

「ご自身が死病に冒されたファニア様は、それをお怒りになられないのでしょうか?」

「あぁ」

 

 忘れていた。

 外の世界の人間が里に怒りを抱く理由。

 世界中に知れ渡ったらしい人為的な死病の蔓延、その原因。ファニア自身も被害者の一人。

 

「そうだな……私は、恨んでいない」

「なぜです?」

 

 尋ねてくれてよかった。

 ファニアは自分の中の気持ちを確かめ、頷いた。

 

「私は、許したいと……好きなんだ。ここを好ましく思っている」

 

 フローシュの澄んだ顔を見つめ返し、もう一度強く頷き。

 

「この里は失われてほしくない。女神スカーアが作り、君が……あなたたちが愛した里だ。だからもう、自分の小さな怒りや何かはいいんだ。忘れてしまった」

「……わかりました、ファニア様」

 

 うまく言葉にできない。

 アハラマ達が何より大事とする隠れ里。

 秘密の花園。

 アユミチの想いを守りたいのと同時に、この里もなくしたくない。

 そして、咲くのなら憂いなく咲いてほしい。

 女神の影に覆われ、下を向いて咲く花ばかりの世界にならぬよう。

 

 

「ファニア様のお気持ち、確かにお聞きしました」

「ああ、フローシュ」

 

 暗い空の下でも。

 君は真っ直ぐに見上げて曇りなく笑うのだな。

 叶うなら誰もがそんな風に笑えるといいと思う。

 だけどどうしてか。

 君の笑顔が、愛する夫の傍でいつも深く冷たい瞳を湛える少女とどこか重なって、なんだか怖いよ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「今は守女の方々が里の方々を交えて協議しています」

 

 座敷牢。

 花札たちとは分けられ、外の状況は(よう)として知れない。

 アハラマがその気になれば座敷牢など打ち壊して出られるが、そんな気にもならなかった。

 

 どうしようもない。

 アハラマが何をどう思い考えたとて、もうどうしようもない。成り行きのまま進むだけ。

 

「おそらくファニア様の言われる方向で協力することになるかと」

「そうか」

「鬼巫様にもお伝えした方がよいかと。リードゥ様より許可はいただいています」

 

 次期花札候補として教育されていた少女フローシュ。

 まだ未熟だが賢いし腹が据わっている。

 ここ数日の騒ぎが少女を成長させたのだろう。必要は成長の母とでも言うか。

 

 

「ファニア……」

 

 息を吐く。

 アハラマが見つけた異郷の花。

 もう何もできない、道などないと折れていた心に明かりを差してくれた。

 

 無慈悲な女神スカーアと、同じく女神レーマルジア。

 二柱が揃い、世界は鬼巫の里だけとなる。

 最初からそうだったのではない。他の余計なものを踏み潰し、殺し尽くして。

 その世界で顔を上げて堂々と生きられる自信はなかった。

 けれど、選べる道はない。

 

 ファニアが別の道を示してくれる。

 里は守る。同時に世界も亡ぼしたりはしない。

 女たちは女神の顔色に怯えながら過ごすのではなく、堂々と天の下を歩けるような。そんな未来。

 

 選べないと思っていた。

 けれどファニアの示した道に少しでも希望があるのなら、目指したい。

 

 そうか。

 アハラマは思っていたのだ。

 外の世界にもファニアのような花が蕾をつける。

 それが永遠に失われてしまうのが悲しい。

 可能性の芽を摘み、途絶え、後は女神に求められる通り働き蜂のごとく生きる者たちだけの世界。

 

 ただ生きる為に息をして、女神が望むように繁殖を重ねる。

 無感動に、無感情に、月が満ち欠けを繰り返すだけの冷たい世界になっていくのではないか。

 それが嫌だと感じていたのだ。

 別の道の可能性を知りようやく自覚する。

 

 

「おぬしは、こんな妾に……」

 

 ただ美しいだけの花ではなかった。

 見事に咲き、アハラマの心を安んじ、里の者たちにも道を照らしてくれる。

 スカーアは影の女神だが、日輪の女神がいるのであればファニアはその使いに違いない。

 惜しむらくは彼女の心がアハラマに向いていないこと。妬ましい。口惜しい。

 

 誰かがあんな愚かなことをしなければ、あの花は今もアハラマを向いて咲いてくれていたのに。

 ぎりと歯を食いしばり、胸に浮かんだ思いを飲み込む。

 それも含めアハラマの過ち。責は全てこの身にある。

 

「花札の方々にも同じ話をお伝えします。鬼巫様のお言葉を伝える許しはいただいていませんが」

「……」

「何か、ございますか?」

 

 許しはないと言うのに。

 フローシュは花札見習い。こんな状況でもアハラマの気持ちを思いやってくれるのか。

 

「なにも……レフカースに、すまぬと」

「それだけですか?」

「……それだけでよい」

 

 アハラマ達が別れ別れに幽閉されているのは見せしめの罰として。

 しばしの反省を促したという形式を終えれば解放される。ファニアの話がうまく進めば明日、明後日にも拘禁は解かれる。

 あれこれ伝言を頼む必要もないし、言うべき言葉も見つからない。

 ただ、レフカースには妹のことで心労をかけている。ふがいない主として謝りたい。

 

「他は、ありませんか」

 

 一番つらい思いを抱えているのはレフカースだ。

 それだけでいい。他は、今は考えたくない。

 何か言おうとしても恨み言になってしまいそうで。

 

「……ない」

「確かに承りました」

 

 フローシュは小さく頭を下げ、座敷牢の前から去ろうとして、

 

 

「私見ですが」

 

 立ち止まり、背中を向けたまま。

 

「ファニア様のお言葉で里の空気は変わっているように感じます」

「……」

「良くも悪くも、と思います」

「……なんじゃ?」

 

 言いにくいのか、もったいぶった言い方をする。

 ゆらりと斜めに振り向き、皮肉気に微笑んで。

 

「里の女として正しい方へ進みたい、と」

 

 里の女たちは純朴な気質が多い。

 正しく明るい道を選べるのならそう望むのは不思議もないこと。

 

「死病で人を殺すなど恥ずべき邪道。誰であれ憤りを覚えようと。そのように」

 

 皮肉気な視線をアハラマ越しの誰かに流して、息を止めたアハラマを置いて立ち去った。

 

「……う、く……っ」

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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