法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-60.白く濁る檻

 

「殺して……」

 

 何度も、何度も、繰り返す。

 ただその言葉だけを繰り返す。

 

「ころして……殺して……」

 

 手拭いで何度も何度も拭き清める。

 牢の中、年若の妹の体を、優しく恐る恐る、繰り返し。

 

「カンナ……」

 

 幽閉される時、アハラマは逆らわなかった。

 レフカースも抵抗などするつもりはなかった。虚ろなカンナを引き離そうとされなければ。

 牙をむき目を血走らせて振り払った。

 

 触れるな。

 私の妹に触れるな。

 私から引き離してどうするつもりか。

 こんなに傷ついたカンナを、よもや母様に預けるなどと。

 

 妹を背負い牢に入り、ずっと看ている。

 こんなに傷ついたカンナを誰かの目に晒したくない。母たちに見せたくない。

 レフカースがそうしたせいか、もう一人のクヌーイはマベラが預かり別の牢に。

 

「ごめんなさい……カンナ、どうか……」

 

 癒しの魔法は特殊だ。守女には使える者もいるがレフカースには簡易なものしか使えない。

 外傷で特にひどいものはなく、レフカースの扱う程度の癒しの魔法でも繰り返せばほぼ完治させられた。

 けれどカンナの瞳に光は戻らない。虚空を見つめ怨嗟の言葉を呟き続ける。

 

 

「みんな、殺した……マベラが……女神スカーアが永遠の苦しみを与えて下さった。だから……」

 

 妹の柔肌をこれ以上傷めないよう、温く温めた湯で手拭いを絞り、繰り返し清める。

 忌まわしい記憶と腐った獣の臭いが消え去るように祈りを込めて。

 

「みんな殺して……殺して……みんな、全部……消して……」

「……」

 

 皆殺し。

 (みなごろし)に。

 もう分別などない。

 汚らわしいもの、憎み嫌い恨むべき外の世界の男どもを残らず殺してくれと。

 レフカースに願う。

 ああ、カンナがそう言うのならそうしてもいい。

 カンナにはそう願う資格がある。姉としてレフカースはカンナの願いを叶えたい。

 

 山小屋にいた男どもはマベラの魔法で潰れ、他の者はスカーアに呪われ世界からはじき出された。

 逃げた男がいたか。蛙魔人の仲間ども。あれらを見つけて殺さなければ。

 

 周里を襲った人間の兵士どもは、戦いの最中に次々に倒れていったそうだ。

 突如として病を発症し、満足に動けぬまま始末された。

 まだ生き残りがいるかもしれないと、周里の女たちは山狩りもしているようだが。

 

 兵士どもを襲った突然の発病。

 クロロテッサが山に何か仕掛けていたのだと思う。

 奇跡の薬を飲んでいる里の女たちに影響はない。クロロテッサは何の遠慮もなく死病の毒を撒いた。おそらく彼女が得意とする植物の魔法で無差別に。

 世界中に広めたのもその応用。

 食料や何かに紛れ込ませてばらまいた。

 昨冬、奇跡の薬を大量に確保したという話。その頃から大規模に実行に移したと考えれば時系列も納得できる。

 

 

「……クロロテッサ」

 

 外の世界を滅ぼす。

 やむを得ない。大量殺戮なんて趣味ではないけれど、里を守る為なら。カンナをこんな目に遭わせた連中など死に絶えてもいい。

 そう断言したいけれど、どうしても引っかかってしまう。

 

「ファニアを……どうして……」

 

 クロロテッサは邪悪な害意をファニアに向けた。

 正しくない。

 認められない。

 外の女だから死んでもいいなんて、そんな風に割り切れない。だってファニアは花札の一枚、アハラマの花の一片なのに。

 

 その迷いが他にも波を立てる。罪もない者も総ざらいに死ねと言うのは、やはり正しさを欠く。

 レフカースの心にある正しい真円が、ぐにゃりと歪む。

 それを許容してしまうと、次もそのまた次も続いて失ってしまいそう。

 

 

 レフカースはファニアを歓迎してはいなかった。

 冷たい態度で接した。

 厳しいことを言った。

 逃げ出すのなら逃げ出せばいい。そうすればアハラマに相応しくない愚かな女だったというだけ。

 けれどファニアはぐっと堪え、アハラマの花札であろうとし続けた。

 悪くはない。

 アハラマの見立ては間違っていなかったか。

 これならば受け入れてもいい。認めてもいいかと思った矢先に。

 

 よりにもよって死病に冒されるなんて。

 なんという間の悪さ。間抜けさ。友と思いかけていた自分に腹が立ち、強く叱責した。

 

 運が悪かった。――のではない。

 クロロテッサが罠にかけた。

 花札の最年長にしてアハラマが最も頼りとするクロロテッサが、アハラマの花瓶に毒を流した。

 

 

 何も信じられない。

 どうすればよかった。

 これからどうすればいい?

 誰のことも信じられず、それよりなにより自分自身が信じられない。

 レフカースにはカンナの願い事を叶えるのがよいのかどうかも決められない。わからない。わからない。何もわからない。

 

「ごめんなさい、カンナ……」

 

 誇れる姉でなくてごめんなさい。

 守ってあげられなくて、助けてあげられなくて、ごめんなさい。

 馬鹿な姉でごめん。ごめんね。

 

「もう、大丈夫……もう怖いことなんてない……させないから……」

「殺して……みんな、ころして……」

 

 

 女神スカーアの依り代にされた。肉を使われた。

 かわいそうなカンナの肉体を、一緒にいたクヌーイとまとめて、肉団子でもこさえるように。

 あの時、カンナにどれだけ意識があったのか。

 

「魂を……熱を冷ました、抜けた肉……」

 

 里でよく使われる紙鬼のように。

 無機物。魂のないものに力を注ぎ込み動かす術。

 人の使う術とは次元が違うのだろうけれど、発想とすればそれに似たものだったと考える。

 

「言い伝え……全て、予定通り……」

 

 いけない。

 女神への不信が形を成し、不可解だった疑問の穴にはまっていく。

 

 

「天の逆橋……歴代の鬼巫と、その影……」

 

 スカーアが眠る泉。

 底の知れぬ、人の世界からはみ出した暗い泉。天の逆橋。

 代々の鬼巫と対を為す影はそこに葬られる。

 世界の裏側にも同じく逆橋の穴があると言われるが、確かめようもない。

 そこから這い出てきたという――

 

「渇きの王蠍……」

 

 女神スカーアが作ったのだと彼女自身が言っていた。

 その魔獣は、今ここに突然生まれいでた存在ではない。

 王都にもいた。スカーアの言葉通りとすれば、あれは先代鬼巫ヨハルハとその影サノミアが重なり、融け合い、魔獣となった。

 

 いや、もっと昔からいたもの。

 禁域の大魔獣。渇きの王蠍。

 遥か昔に、あの蛙魔人の祖が聞いたという予言。それを授けたのは……

 

「……ころし、て……」

 

 あの、邪悪な女神。

 あれの計画でカンナは陰惨な悪業の餌食とされ、心を失い、残った体まで利用されたのか。

 

「スカーア……っ」

 

 あの場では混乱して理解できないことばかりだったけれど。

 こうして繋ぎ合わせてみれば、全ては大昔にスカーアが計画したこと。

 

 スカーアが求めたレーマルジアとやらはスカーアに見向きもしなかった。

 世界の多勢は男と女が求め合うもので、レーマルジアもそうだったから。神は人の影響を受けるとも言っていたか。

 だから多勢無勢を逆転させ常識を塗り替えるべくこの里を作った。

 スカーアの作った限られた隠れ里が、そのまま多勢にまで広がるのは不可能。

 なら外の世界を死滅させる。これで天秤は逆転してこちら側に傾く。

 スカーアが望む形となった新しい世界に、自身とレーマルジアを降臨させる。

 その為に仕組まれていた。

 

 人をものとも思わない女神。

 というだけではなく、都合の良い家畜として扱い。

 我々は彼女の為に世界を折り上げる(かいこ)

 カンナとクヌーイの肉体は心を失い、重なる影にスカーア自身が入り込む。

 

 

「許さない……」

 

 崇め奉ってきた女神だけれど。

 それも全ては里を守ってくれる女神だと信じていたから。

 裏切られた。

 最初から裏切られていた。

 いや、そもそもスカーアは隠れ里の女に慈愛など持ち合わせていなかったのだ。

 疑いもせず盲信してきたレフカースが愚か。

 エクピキを崇めていた太光師の方が数段マシだったとさえ思う。

 

「許せない」

 

 自分の愚かさが妹をこんな目に遭わせた。

 スカーアはまたこの子を、こんなに傷つき虚ろになってしまったカンナの小さな体を弄ぼうとするのか。

 この子を貪った男どもと大差ない。生まれる前から計画していたというのならなお悪い。

 邪悪な女神。

 

 

「レフカース様」

 

 薄暗い牢に静かな足音。

 

「お加減はいかがでしょう。お体、崩されてなどいませんか」

「問題ありません」

 

 花札見習いの少女フローシュ。

 形だけの木製格子の閂を抜き、履き物を脱いで畳に上がる。

 運んできた盆には水差しと白い団子。

 

「まさに今、しかと目が醒めました」

「よろしければお召し上がりください。白のレフカース様」

 

 挑発的な物言いをする。

 そうか、今ははっきりとわかる。

 この子は見下しているのだ。見限っているのだ。

 アハラマと、その花札であるレフカース達を。

 

「白串です。味はありません」

 

 使えない、頼りにならない花札と見なされていたのも仕方がない。

 ずっと盲目のまま女神の影の中を歩いていたのだから。

 

「妹君の分もご用意いたしましたので」

 

 うわ言を繰り返すカンナをちらりと見て、そっと目を伏せる。

 薄暗い座敷牢でもフローシュには見えているようだ。

 

「気遣い、感謝します」

「滅相もない」

 

 おぼろげに見えてきた自身の愚かを、フローシュの声が照らしてくれる。

 輪郭をはっきりと掴む。

 

 

「里の様子を――」

「天の逆橋……泉はどのように?」

「……はい、時折波立ち影が溢れています。すぐに鎮まりますが」

 

 女神スカーアの魂の寝所。

 形を失っているスカーアの力そのもの。

 かつてはその神秘に触れることを悦びに感じていた。

 盲目に女神を信じた愚かな過去。

 

「空の白符を、あるだけ用意して下さい」

「レフカース様、ご要望をお聞きすることはできません」

「あなたの判断は聞いていません」

 

 罰を受けている身で要求などできる立場か、と。

 確かにそうだが、それを言うのならフローシュごとき見習いが花札の言葉を否定する資格もない。

 

「リードゥ様に、レフカースよりそう言われたと。言伝てくらいは見習いでもできるでしょう」

「……何ができるとお思いですか」

「為すべきことをします」

「ファニア様が里をお守りくださいます」

「なに……ファニア?」

 

 不意に出てきた名前を聞き返すと、ふふっと口元を緩めて頷いた。

 

 

「鬼巫様よりご伝言を賜りました」

「そん……なんです?」

 

 そんなことより、と。

 言いかけて飲み込む。苦い。

 決してアハラマを軽んじるつもりはないが、もったいぶるフローシュに弄ばれる。

 

「すまぬ、そう仰っておられました。他の花札には一言もなくレフカース様にだけ」

「……」

 

 申し訳ないのはレフカースの方だ。

 肝心な時に何の役にも立たなかった。

 それだけではない。もっと前にクロロテッサの愚行に気づいていたなら。みすみすファニアを……

 

 ――レフカが主様(ぬしさま)を謝らせた。

 

 あの軽口を聞きたい。そんな甘えた気持ちを戒める。

 

「わかりました」

 

 傲りがあった。

 里始まって以来の神童などと持て囃され、その結果が今。

 主を謝らせ。

 仲間を失い。

 里を守れず。

 妹に深い傷跡を残した。

 レフカースが真に優れた花札だったのなら、この惨状を避けられたはず。

 賞賛と女神の影に曇った目で、自尊心だけ高く他者を見下していたから。

 

 

「ファニア様がお戻りになり、里の者を集めて話をされました」

「……わかりました」

 

 それだけ聞けば察する。

 リードゥの許可を得てスカーアへの盲従を諫める内容だったのだろう。

 

「里の者たちの反応は?」

「話が早くて嬉しいです。さすがレフカース様」

 

 おためごかしを挟んでから、

 

「元より迷いはありました。多くの者はファニア様のお言葉に同調しつつあります」

「綺麗事では里を守れません」

「ファニア様の崇める女神レーマ・ルジアを呼び、慈悲をもって里を守って下さると」

「……」

「北府ヴォラスに一時(いっとき)降臨されたという噂の女神です。その際は人々に一定の理解を示したということですが」

「噂は聞いています。そうですか」

 

 エクピキの高位司祭を蹴散らし、輝かしい美と慈愛を見せて空に戻ったと耳にした。

 その噂を聞いた時には思ったのだ。スカーアはそれよりさらに素晴らしい女神だと。

 愚か。

 

 

「レフカース様。私フローシュはあなたに憧れていました」

「……」

「先ほどの言葉は本当です。レフカース様がお聞きする通りの才媛だと嬉しく思いました」

「……いえ」

 

 憧れの花札が今は惨めに牢にうずくまり。

 そんなレフカースを見下ろすフローシュの前で、カンナから手を離し跪いた。

 頭を下げる。

 

「……私も、ファニアに協力します。したいと思います」

「許可がありません。あなたに今許されているのは、反省し己を見つめ直すことだけです」

「どうか……」

 

 額を、素足で畳に立つフローシュの足の甲に当てて願う。

 

「なんでもします。私にはファニアにできないことができる。どうかリードゥ様に取次ぎを……」

「花札一と謳われるレフカース様のそのような姿、余人が見れば失望されてしまいますよ」

「お願いします……フローシュ様……どうか、レフカースにお許しを……ください……」

 

 唇を当てる。

 惨めに、情けなく、さもしく。

 フローシュの指に唇を押し当て、囚人として許しを請う。

 

 

「……壊された蔵に収められていた白府。雨がきたらだめになってしまうかもしれません」

「それを、どうかフローシュ様……」

「ファニア様の力となる、というお言葉が本当でしたら」

 

 右足がすっと引かれた。

 唇が離れ、見上げるレフカースの前に反対の足が差し出された。

 

「……フローシュ様のお情けを……」

 

 もう一度、今度は宙に浮いた足の先に唇を開く。

 上下関係を受け入れるように、受け入れた。

 

「ん……」

 

 情けない。

 惨め。

 人に見られれば幻滅されるだろう。

 白のレフカースの素の姿。

 

「あ、ふ……」

「……ええ、レフカース様」

 

 それでもいい。

 なんだってする。

 

「……消して……ぜんぶ……」

 

 カンナ、あなたは女神に救いを求めているのかもしれないけれど。

 そうじゃない。

 あなたを救うのはお姉ちゃんだから。

 お姉ちゃん、頑張るから。

 里の平和も主の矜持も守れなかった情けない私でも。

 妹のあなたを救うために、もう一度だけ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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