法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
カンナとクヌーイ。
二人の少女の関係がどんなものだったのか、察しはつく。
傷ついた二人を一緒にしてあげた方がいいのかもしれない。けれど。
重ねれば、再びスカーアの依り代になるかもしれない。
スカーアの行動は制御できない。女神の目的のために手段を選ばない。
外の人間を踏み潰すように、必要なら里の者もためらいなく排除するだろう。
天災を呼び覚ました。対処しようのない災厄。
今、スカーアを再び呼び覚ますことは避けたい。
放っておいても再度の目覚めは時間の問題。それまでに少しでも有効な手立てを見つけなければ。
「もう、やだ……いや……」
クヌーイの嘆きをずっと聞いている。
兵士に襲われ、女神に肉塊として利用されたクヌーイ。
死んではいない肉。虚ろな魂の肉体。重なり合った影にスカーア自身を押し入れ、ねじ込み。
「……」
マベラは鬼巫アハラマの影。代々鬼巫には対となる影がいる。
影に通ずる力を扱う。
里の歴史で最高の天才と呼ばれるレフカースにもない特異な能力。
「傷つけない。少しだけ許して」
クヌーイの体を優しく拭う手と、少女の影に潜り込む反対の手。
無遠慮に、クヌーイの意思も無関係に入り込む。
承諾のある仲間にするのはいい。殺すべき敵にやるのも構わない。
けれど傷つき泣いている少女の影の中に勝手に入るのは、悪い行い。誰だって見られたくないものがあるだろうに。
「ごめん」
少女クヌーイの繊細な内側への侵入。
できるだけ刺激を与えないよう、そっと。
「……ん」
牢に隔離されたのは都合がいい。
他の誰にも見られず、静かに遂行できる。
「これが……」
無理やり押し込まれ、スカーアの形にさせられたクヌーイの影。
少女の影の穴の中が覚えている。本来のクヌーイではない跡形。
「これが、女神の輪郭……」
常ならば、決して人が知り得ないだろう神の形だ。
大きすぎる。
巨山、あるいは海の形のような圧倒的な痕跡に、潜ったマベラが飲み込まれてしまいそう。己を見失いそうだ。
神を見るという畏れ多い行為に人は耐えられない。
「ん、は……っ!」
声は、クヌーイのものだったのかマベラのものだったのか。
意識が細切れに、魂が千切れてしまいそうだった。
かろうじて戻る。
「は……ふ、うぁ……」
忘れかけていた呼吸を、荒く。
目を瞬かせ、両目から涙が零れる。
ぶわっと額から汗が、続けて全身から溢れ、衣服がべったりと濡れて張り付く。肩にはりつき鎖骨のくぼみまではっきりと肌で感じる。
大きく息を繰り返し、自分を取り戻す。思い出す。マベラの形を。
「ひどい……」
少女の身に暴力的にこんなものを。
正気に戻らないのも当然だ。
魂が切れ咲かれ、開いた影の穴から無理やり侵した女神の蛮行。
「……見えた……マベラは、わかった……」
クヌーイを哀れに思うと同時に感謝もする。
「いや……ぜんぶ、いや……」
「……」
このままではクヌーイは死んでしまうだろう。
カンナも同じ状態。
衰弱して死ぬか、あるいは自ら命を絶つか。
二人の傷を癒せるとしたらお互いのみ。二人が手を取り、お互いの命を手繰り寄せることができれば。
けれど二人が重なれば再びスカーアの器が出来上がってしまう。
そうでなくともスカーアは新しい別の器を見つけるかもしれない。自ら進んでスカーアに身を捧げる者がいても不思議はない。
その先でカンナとクヌーイが光を取り戻すような未来は、とても想像できない。
「レフカ……」
助けなければ。
マベラがやらなければ、きっとレフカースは自らを犠牲にしてでも解決しようとするはず。
マベラはレフカースに負い目がある。
騙して、嘘をついて、彼女の愛を求めた。
アハラマの振りをしてレフカースと肌を重ねたことがある。
お互いに幼かったし、呆れたアハラマがそれをきっかけにレフカースと愛を
だって。
いつもいつもアハラマのもの。里の嬉しいものはみんなアハラマのもの。
ひとつくらい、白くてきれいな一粒だけ、ほしかった。ほしがった。
アハラマは許してくれて、レフカースはそんなに怒らなくて、良い形に収まった。
とはいえ負い目がある。
悪いことをした。本当なら許されてはいけないマベラの罪。
「レフカ、マベラが……」
震える手を強く握りしめた。
女神相手でも、もう恐れない。
「これで、半分……」
女神の全容までわからないけれど、半分は知った。
挑むには十分。
「……レフカ」
握った手。
この指の股、間と間に感じた彼女を思い出して、もう一度優しく握りしめた。
◆ ◇ ◆
「なんと、まさに神馬!」
イーペンは商売人として多くの馬を見てきた。目は肥えていると自負がある。
カヨウが作った幻影では見たことがあったが、まさに間近で息遣いを感じれば感動も覚える。
「神馬にまたがり迅速なご帰還とは」
見た目は幻影の戦馬車と同じ。女神の戦馬車を引いていた天馬。神の馬。
空を割って現れたそれを、使用人がいち早く見つけたのは偶然ではない。
皆、怯えていた。いつここにも王蠍が襲ってくるかわからない。
死病についてはアユミチのおかげで心配無用だが、魔獣は別だ。
恐れていつも外の様子を窺っていた。ここを目指して降りてくる空駆ける天馬を見て大騒ぎ。
「まさに救世主ですな」
手綱を握っているのは思った通りアユミチの姿。
普通の名馬に比べ二回りは大きい。瞳には理知と優しさも感じる。良い馬だ。当たり前化もしれないが。
アユミチの手綱さばきは
それでも出迎えたイーペンたちを蹴飛ばすこともなく通り過ぎ、通り過ぎた先で方向転換して戻ってくる。
鞍はない。
手綱も乗馬用ではなく、馬車を引く時に着けていた馬具のようだ。
この緊急事態、女神より馬を
「よくぞお戻りに――」
大きな馬だ。やや格好は悪いが仕方がない、滑り落ちるように降りて、抱えていたクルサド少年を……?
「アユミチさん、僕は」
「黙っていろ」
珍しい。
やや荒々しくクルサドの言葉を遮り、出迎えたイーペンの顔を見て目を逸らす。
そのまま、逃げるようにクルサドの手を引き建物の中に。
「……はて、さて」
遺されてしまったイーペンと見事な神馬。
ひらひらと黒アゲハの羽を背にした小さな女神が舞う。
「……なるほど」
「……」
顔を見れば聞くまでもない。
よい報せはなさそうだ。
「聞かないの?」
「そうですな」
小さな女神の美声。
これもまた、地上で見聞きできるものとしては至上。アユミチがくれる美酒と同じく。
「……救いはございませんかな」
「……」
「お聞きするお許しがいただけるなら」
聞いても意味のない質問など空しいだけ。
イーペンにできることがあるのなら聞きたいが、アユミチのあの顔では何ともならない。
「この神馬、天馬に水と飼い葉を与えてもよろしいか? 天上のものとはまいりませんが」
「……いいんじゃない。別に」
小さな女神の視線に鼻を上下させた神馬。
できることだけしかできない。
イーペンが今できること。
「では、こちらに。これほどの名馬は吾輩も見たことがなく、窮屈やもしれませんが」
イーペンの誘導を理解し、歩を進める。
かとん、ごとん、と。蹄で大地を鳴らして。
「吾輩、馬には恵まれまして。いつも商いを助けていただいておりました」
「みたいね」
「大事にされた馬はよく応えてくれるものです。人もみな、そうあってくれればよいと思うところですな」
「……」
商いをやっていれば当然に人には裏切られる。政治でも何でもそうだろう。
馬はそうでもない。
面白いもので、馬屋番も馬を大事にする主人にはよく仕えてくれる。
馬と生計を共にする彼らも馬と似るのかもしれない。
「のんびりしていていいの?」
「はは、今さら焦っても吾輩に何ができることもないかと」
それに、と。
かつてどこかで馬屋番に聞いた言葉を思い出して笑う。
「速く駆けることばかりが良馬とは限らず。しかと土を踏みしめ行く先を見る。荒天でもどしりと据わるのも名馬のひとつかと」
「あなたのこと?」
「滅相もない。こちらの神馬の
慌てふためいても事態がよくなるわけでもない。
この世が神のなさりようでどうにかなるのであれば、人の身でできることなどない。
ならばせめて、不安や恐れに心を支配されるのではなく、違う方を向いていたいだけ。
「そう」
少し高い位置に跳び直した小さな女神。
「それなら、あなたも名馬だと思うわよ。ノクサは」
「それは嬉しい評価をちょうだいしたものです」
「嬉しいんだ」
「案外と、今までいただいた賞賛と比べても格別に」
「変なの」
「ですな」
ははっと。
笑うイーペンたちの後ろで、神馬も楽し気にいなないた。
◆ ◇ ◆