法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-61.かたがみ

 

 カンナとクヌーイ。

 二人の少女の関係がどんなものだったのか、察しはつく。

 傷ついた二人を一緒にしてあげた方がいいのかもしれない。けれど。

 重ねれば、再びスカーアの依り代になるかもしれない。

 

 スカーアの行動は制御できない。女神の目的のために手段を選ばない。

 外の人間を踏み潰すように、必要なら里の者もためらいなく排除するだろう。

 天災を呼び覚ました。対処しようのない災厄。

 

 今、スカーアを再び呼び覚ますことは避けたい。

 放っておいても再度の目覚めは時間の問題。それまでに少しでも有効な手立てを見つけなければ。

 

 

「もう、やだ……いや……」

 

 クヌーイの嘆きをずっと聞いている。

 兵士に襲われ、女神に肉塊として利用されたクヌーイ。

 死んではいない肉。虚ろな魂の肉体。重なり合った影にスカーア自身を押し入れ、ねじ込み。

 

「……」

 

 マベラは鬼巫アハラマの影。代々鬼巫には対となる影がいる。

 影に通ずる力を扱う。

 里の歴史で最高の天才と呼ばれるレフカースにもない特異な能力。

 

「傷つけない。少しだけ許して」

 

 クヌーイの体を優しく拭う手と、少女の影に潜り込む反対の手。

 無遠慮に、クヌーイの意思も無関係に入り込む。

 承諾のある仲間にするのはいい。殺すべき敵にやるのも構わない。

 けれど傷つき泣いている少女の影の中に勝手に入るのは、悪い行い。誰だって見られたくないものがあるだろうに。

 

「ごめん」

 

 少女クヌーイの繊細な内側への侵入。

 できるだけ刺激を与えないよう、そっと。

 

「……ん」

 

 牢に隔離されたのは都合がいい。

 他の誰にも見られず、静かに遂行できる。

 

「これが……」

 

 無理やり押し込まれ、スカーアの形にさせられたクヌーイの影。

 少女の影の穴の中が覚えている。本来のクヌーイではない跡形。

 

「これが、女神の輪郭……」

 

 常ならば、決して人が知り得ないだろう神の形だ。

 大きすぎる。

 巨山、あるいは海の形のような圧倒的な痕跡に、潜ったマベラが飲み込まれてしまいそう。己を見失いそうだ。

 神を見るという畏れ多い行為に人は耐えられない。

 

「ん、は……っ!」

 

 声は、クヌーイのものだったのかマベラのものだったのか。

 意識が細切れに、魂が千切れてしまいそうだった。

 かろうじて戻る。

 

「は……ふ、うぁ……」

 

 忘れかけていた呼吸を、荒く。

 目を瞬かせ、両目から涙が零れる。

 ぶわっと額から汗が、続けて全身から溢れ、衣服がべったりと濡れて張り付く。肩にはりつき鎖骨のくぼみまではっきりと肌で感じる。

 大きく息を繰り返し、自分を取り戻す。思い出す。マベラの形を。

 

 

「ひどい……」

 

 少女の身に暴力的にこんなものを。

 正気に戻らないのも当然だ。

 魂を引き裂いて開いた影の穴から無理やり侵した、女神の蛮行。傷痕。

 

「……見えた……マベラは、わかった……」

 

 クヌーイを哀れに思うと同時に感謝もする。

 

「いや……ぜんぶ、いや……」

「……」

 

 このままではクヌーイは死んでしまうだろう。

 カンナも同じ状態。

 衰弱して死ぬか、あるいは自ら命を絶つか。

 二人の傷を癒せるとしたらお互いのみ。二人が手を取り、お互いの命を手繰り寄せることができれば。

 けれど二人が重なれば再びスカーアの器が出来上がってしまう。

 そうでなくともスカーアは新しい別の器を見つけるかもしれない。自ら進んでスカーアに身を捧げる者がいても不思議はない。

 その先でカンナとクヌーイが光を取り戻すような未来は、とても想像できない。

 

 

「レフカ……」

 

 助けなければ。

 マベラがやらなければ、きっとレフカースは自らを犠牲にしてでも解決しようとするはず。

 

 マベラはレフカースに負い目がある。

 騙して、嘘をついて、彼女の愛を求めた。

 アハラマの振りをしてレフカースと肌を重ねたことがある。

 お互いに幼かったし、呆れたアハラマがそれをきっかけにレフカースと愛を(むつ)んだこともあってうやむやになったけれど。

 

 だって。

 いつもいつもアハラマのもの。里の嬉しいものはみんなアハラマのもの。

 ひとつくらい、白くてきれいな一粒だけ、ほしかった。ほしがった。

 アハラマは許してくれて、レフカースはそんなに怒らなくて、良い形に収まった。

 とはいえ負い目がある。

 悪いことをした。本当なら許されてはいけないマベラの罪。

 

「レフカ、マベラが……」

 

 震える手を強く握りしめた。

 女神相手でも、もう恐れない。

 

「これで、半分……」

 

 女神の全容までわからないけれど、半分は知った。

 挑むには十分。

 

「……レフカ」

 

 握った手。

 この指の股、間と間に感じた彼女を思い出して、もう一度優しく握りしめた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「なんと、まさに神馬!」

 

 イーペンは商売人として多くの馬を見てきた。目は肥えていると自負がある。

 カヨウが作った幻影では見たことがあったが、まさに間近で息遣いを感じれば感動も覚える。

 

「神馬にまたがり迅速なご帰還とは」

 

 見た目は幻影の戦馬車と同じ。女神の戦馬車を引いていた天馬。神の馬。

 空を割って現れたそれを、使用人がいち早く見つけたのは偶然ではない。

 皆、怯えていた。いつここにも王蠍が襲ってくるかわからない。

 死病についてはアユミチのおかげで心配無用だが、魔獣は別だ。

 恐れていつも外の様子を窺っていた。ここを目指して降りてくる空駆ける天馬を見て大騒ぎ。

 

「まさに救世主ですな」

 

 手綱を握っているのは思った通りアユミチの姿。

 普通の名馬に比べ二回りは大きい。瞳には理知と優しさも感じる。良い馬だ。当たり前かもしれないが。

 アユミチの手綱さばきは(つたな)い。

 それでも出迎えたイーペンたちを蹴飛ばすこともなく通り過ぎ、通り過ぎた先で方向転換して戻ってくる。

 

 鞍はない。

 手綱も乗馬用ではなく、馬車を引く時に着けていた馬具のようだ。

 この緊急事態、女神より馬を(たまわ)り取り急ぎ戻ってきてくれたのだろう。

 

「よくぞお戻りに――」

 

 大きな馬だ。やや格好は悪いが仕方がない、滑り落ちるように降りて、抱えていたクルサド少年を……?

 

「アユミチさん、僕は」

「黙っていろ」

 

 珍しい。

 やや荒々しくクルサドの言葉を遮り、出迎えたイーペンの顔を見て目を逸らす。

 そのまま、逃げるようにクルサドの手を引き建物の中に。

 

 

「……はて、さて」

 

 残されてしまったイーペンと見事な神馬。

 ひらひらと黒アゲハの羽を背にした小さな女神が舞う。

 

「……なるほど」

「……」

 

 顔を見れば聞くまでもない。

 よい報せはなさそうだ。

 

「聞かないの?」

「そうですな」

 

 小さな女神の美声。

 これもまた、地上で見聞きできるものとしては至上。アユミチがくれる美酒と同じく。

 

「……救いはございませんかな」

「……」

「お聞きするお許しがいただけるなら」

 

 聞いても意味のない質問など空しいだけ。

 イーペンにできることがあるのなら聞きたいが、アユミチのあの顔では何ともならない。

 

「この神馬、天馬に水と飼い葉を与えてもよろしいか? 天上のものとはまいりませんが」

「……いいんじゃない。別に」

 

 小さな女神の視線に鼻を上下させた神馬。

 できることだけしかできない。

 イーペンが今できること。

 

「では、こちらに。これほどの名馬は吾輩も見たことがなく、窮屈やもしれませんが」

 

 イーペンの誘導を理解し、歩を進める。

 かとん、ごとん、と。蹄で大地を鳴らして。

 

「吾輩、馬には恵まれまして。いつも商いを助けていただいておりました」

「みたいね」

「大事にされた馬はよく応えてくれるものです。人もみな、そうあってくれればよいと思うところですな」

「……」

 

 商いをやっていれば当然に人には裏切られる。政治でも何でもそうだろう。

 馬はそうでもない。

 面白いもので、馬屋番も馬を大事にする主人にはよく仕えてくれる。

 馬と生計を共にする彼らも馬と似るのかもしれない。

 

「のんびりしていていいの?」

「はは、今さら焦っても吾輩に何ができることもないかと」

 

 それに、と。

 かつてどこかで馬屋番に聞いた言葉を思い出して笑う。

 

「速く駆けることばかりが良馬とは限らず。しかと土を踏みしめ行く先を見る。荒天でもどしりと据わるのも名馬のひとつかと」

「あなたのこと?」

「滅相もない。こちらの神馬の(たたず)まいに感ずるところを申したまで」

 

 慌てふためいても事態がよくなるわけでもない。

 この世が神のなさりようでどうにかなるのであれば、人の身でできることなどない。

 ならばせめて、不安や恐れに心を支配されるのではなく、違う方を向いていたいだけ。

 

 

「そう」

 

 少し高い位置に跳び直した小さな女神。

 

「それなら、あなたも名馬だと思うわよ。ノクサは」

「それは嬉しい評価をちょうだいしたものです」

「嬉しいんだ」

「案外と、今までいただいた賞賛と比べても格別に」

「変なの」

「ですな」

 

 ははっと。

 笑うイーペンたちの後ろで、神馬も楽し気にいなないた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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