法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「アユミチさん、僕なら構いません」
「やめるんだ」
「僕は……」
「そんなことは考えなくていい」
「でも」
「やめてくれ……」
クルサドの言葉を聞くたびに突き刺さる。抉られる。
同じことを、きっと彼らも言ったのだろうと。
――アユミチ兄ちゃんの為ならなんだってする。
奥歯が砕けるくらいに噛みしめ、震える。
イーペンの家の一番奥の小さな物置部屋にクルサドを連れ込み、少年の襟を捕まえたまま。
そうしてずっと。どれくらいか。
「アユミチ君」
呼びかけ。
「……」
「飲まず食わずでは体がもたぬもの。アユミチ君はよくともクルサドまで」
「……」
イーペンの言う通りだ。
掴んでいた襟の力を緩め、顔を伏せる。
手の平に残る爪痕がじんじんと痛む。圧迫されていた血管が脈打ち、皮の下を血が流れる。
「……はい」
「まずは水を」
クルサドが物置の戸を開けるとイーペンが一人、籠と水差しをもっていた。
籠にはパンと木の実。
コップを受け取ったクルサドに水を与え、続けてアユミチにも渡すようもう一杯。
「俺は……」
「まず口にするものですぞ。屋敷の主からの振る舞いは」
「……いただきます」
世話になっているのは間違いない。
他にどこに行くあてもない。合わせる顔がない。
逃げ込んだ身で屋敷の主人の言葉に逆らえる資格もない。アユミチには何の権利も、力も、気力もない。
言われる通り、一口水を喉に通した。
「……」
喉を冷たい感触が流れ落ちる。
涙も、零れ落ちる。
情けない。情けない。
「……謝らねばなりませんな、吾輩」
謝らなければならないのはアユミチだ。
何もできなかった。
もっと悪い。子供を犠牲にしておいて自分はヒーロー気取り。
最低だ。
最悪だ。
これならまだエクピキの司祭たちの方がマシだったとさえ思う。
「年若いアユミチ君に全てを押し付け、アユミチ君ならばなんとかしてくれるのだろうと」
「……」
「情けない。ふがいない我が身が恥ずかしい」
「そんなこと……違うんだ……」
誰かのせいにしてしまえるのならどれほど楽か。
全て忘れてしまいたい。
取り返しがつかない。
命に取り返しなんてない。ない。ないものを望んだ。
「俺は……俺の、ために……」
イサヤを、ナーリヒを、カハロを。
ゼラの生き返りを約束した時、カハロには母親の生き返りを諦めさせた。道を閉ざし口を塞いだ。
その後ろめたさで顔を合わせられなかった。
カハロに会いたくなくて、イサヤやナーリヒにも軽蔑されたのではないかと怖くて、あれ以来ずっと神域に行かなかった。
エクピキに憑りつかれたニーモを連れて久しぶりにレーマ様の下に行った時。
やはり、怖かった。
離れの塔の窓の向こう、元気にしている少年たちを見た。見たと思った。
見たかった。見たがったから、見たいものを見る。
幻想を見て、レーマ様に入るなと言われて心のどこかで安堵した。元気でいるならそれでいい、会わないですむならそれで。
本当だと思った。
本当なのだと思いたかった。
送り出した少年たちはレーマ様の下で幸せな時間を過ごしているのだと。
「……俺は、なんにも……っ!」
「アユミチさん」
クルサドはおかしい。おかしくなってしまった。
アユミチに妙な言葉を吹き込む。
まるでアユミチが間違っていないというように。
子供を狂わせ都合よく扱ってきたアユミチは、スカーアと同じ。
スカーアは人の感謝など毛ほども気にしていなかった。あれの方がまだ潔い。
「僕なら、大丈夫です」
「言うな」
「僕の命でみんなが助かるなら」
「やめろ」
「聞いてください!」
「黙れ!」
怒鳴る。
お前にそんなことを言わせたいんじゃない。
「……そんなことの、ために……やったんじゃないんだ……違うんだよ……違うんだ」
首を振る。
泣きながら頭を抱えてうずくまる。
「死なせるために助けたんじゃない。道具みたいに使うために生かしたんじゃない。少しでも、マシな未来を……ほんの少しでも、笑って……生きて、ほしかったから……違うんだ、俺は……俺は、そんなつもりじゃ……」
「アユミチさん……」
言い訳だ。
知らなかったから。
レーマ様が勝手にやったこと。
それで許される話じゃない。
「僕は、自分が何もできないと思っていました」
「……」
「父さんや母さんのこと。戦争。姉さんのことも、何もできない。僕はなんにもできなかった」
「お前は、子供だ……できるわけない」
「だけど今、女神様には僕が必要なんでしょう」
「……」
「世界が壊れちゃうかどうかって時に。僕がすごい役目をできるなら」
「俺は絶対にお前にそんなことはさせない」
「じゃあどうするんです?」
「っ……」
他に何か手があるのか、と。
放っておけばスカーアとレーマルジアの復活で世界は終わる。
残るのは隠れ里の女たちだけになる。
「俺が……俺が、やらなきゃいけないことだ。お前には関係ない」
「世界のことなんですよ。関係ないはずないです」
「それでも」
「神にでもなったつもりですかな、アユミチ君」
クルサドとアユミチのやりとりを黙って聞いていたイーペンが、静かに言葉を挟んだ。
「かみ……」
「神でさえ思うままにならぬ世界で、アユミチ君は自分の思うままに何かができると?」
「……」
「そう思いあがらせてしまったのが吾輩たちの罪ですな」
持ち上げられ、持て
ただの凡庸な男が神様気取り。
滑稽な。
「吾輩が知るアユミチ君は、そう。一人では何もできぬのに、どうにか目の前の難題をどうにかしようと足掻く青年。そういうものでしたぞ」
「……」
「見ず知らずの我らに手を差し伸べ、なんとか現状を打破しようと。見ていると、荒事など縁のない吾輩などでも力を貸したくなる。捨て森で助けられた者はそんなアユミチ君にほだされてきたわけですが」
アユミチは何もできない。
最初からそう。今だって大差ない。
お前に何ができると言われて、何も思いつかない。
だから周りのみんなに助けてもらってきた。
「事情はおよそわかり申した。少年の意気込みには感じ入るところはあれど、まさに。アユミチ君の言う通り、いたいけな子供を捧げて生き永らえるなど恥じるべき行い。認めたくはありませんな」
「でも……」
「他にないのであれば、クルサド少年。吾輩からお願い申す」
「イーペンさん!」
「だからこそ! 立ちなさいアユミチ君! しゃんと立つのです‼」
はっと。
顔を上げた。
イーペンの強い叱責に叩かれ、情けない顔を上に。
「吾輩にそのような願いをさせぬと言うのであらば、アユミチ君」
「……」
「うずくまり顔を背けている時間はもう終わりなさい。泣いて許されたいのならそれも仕方がない。そこで泣いておられて構いませんぞ」
「俺は……」
「誰にもアユミチ君を責める資格はありませぬ。奥方くらいでしょうな」
情けない男だと。
ゼラに、ファニアに、こんな姿を見られれば。責められて仕方がない。
けれど他の誰にも責めさせはしないから、泣きたいなら泣いていていいと。
「だけど、俺が……」
「恐れたほど暴徒が流れてこない。かろうじて皆、人としての矜持を保っているのでしょうな。保っていられる理由が何か、おわかりか?」
「……いえ」
「己の姿は見えぬものですな」
ははっと笑って。
「あなたの姿を見たのです。みなが、誰も」
「俺の……?」
「王蠍は月の光に弱い。あれは倒せる、でしたかな」
言ったような気がする。
渇きの王蠍が無数に世界に放たれ、怯えるクルサドの絶望を打ち消そうと。
「アスパーサ殿が言うにはフォティゾの奇跡だとか。まるでその場にいるように」
「あそこに……」
「女神スカーアの異様さは、影に映ったあの場の姿を見ているだけで伝わっておいました。アユミチ君が立ち向かう様子も」
「あの時は……ただ、必死で……」
「その後の、吾輩などには到底できぬと考えた鬼巫殿への歩み寄り。そもそもが自身の嫁を守るためという話。人ならば当然に思う家族を守ろうとする意思で大それたことをされた」
「……」
「王蠍に立ち向かったムンジィ殿の勇姿も、しかと」
「ムンジィ……」
フォティゾが世界中に届けたというあの場の出来事。リアルタイム配信。
その様子が、異常事態に怯える人々の心の決壊を押しとどめているのか。
「アユミチ君もムンジィ殿も、失礼ながら一見特別なにか秀でた人物とは見えないもので。実際、見ていた限りあまり格好のいい戦い方とは言いにくく。そんな男が神に抗いどうにかする姿を見せてくれた」
「……」
「ならば自分たちも家族を守ろうと。負けてはいられぬと思うのも道理」
何もできないアユミチ。ムンジィも似たようなもの。
不格好に、不器用に足掻いて。抗って。
ただ必死だった。
それだけ。
「……そう、か」
息が溢れる。
腹の奥から、溜め込まれた思い息が。
「きっかけは確かに奇跡の薬があってのことでしたが」
「……」
「それをどう使い、どんな生き方を見せてきたのか。それこそがアユミチ君、君という男でしょう」
「……イーペンさん」
震える拳を握り直す。
抱えこんでいた膝から顔を上げて、一度大きく上を向き、唇を引き締め直して。
拳で顔を拭った。涙と鼻水でひどい顔を乱暴に拭い、立ち上がる。
「ありがとう……ありがとうございます、イーペンさん」
「なんの」
アユミチは大した男じゃない。
特別な力を持っているわけでもなく、人より頭が回ることもない。
それでも。
約束したのだ。ムンジィと。ムンジィに託された約束がある。
「ごめんな、クルサド」
「アユミチさん」
「ああ……お前の気持ちは、わかった」
自分が犠牲になって世界が救われるなら。
そう申し出るクルサドと、そのクルサドの背を押すと言ったイーペン。
嫌なことを誰かに押し付けて、何もかも諦めてうずくまったままでは。
そんな男をゼラが愛したはずがない。
そんな男をファニアが信じたわけがない。
そんな情けない男に未来を託したとなれば、ムンジィは悔やみきれないだろう。
「でも、お前にそんなことはさせない。クルサド」
「……」
「どっちにしてもあれだ。レーマ様を怒らせた。クルサドが命を張るもなにもないんだ、そんなことは考えなくていい」
レーマ様を怒らせた。
怒らせたなんてものじゃない。敵対した。
それで全てお終いだと、そう思ったけれど。
終わりなのはアユミチの問題。アユミチの願い。
ゼラを生き返らせる。
その為にやってきた。争いなんて苦手でも嫌でも怖くても、しょうがないんだと言い聞かせて。
自分のやってきたことが全て無駄になる。
ゼラともう一度会いたい。
ゼラに、許してほしかった。なんでも、全部。アユミチの抱えているあれもこれも全部許してほしかった。甘えたかった。
さんざん失敗して、後悔して、最後には全てが間違いだったのかと絶望したけれど。
アユミチはまだ生きている。
どうしてだか、アユミチにはまだ命がある。
命があって、親友との約束が残されているのなら。
せめてその為に、敵わなくても最後まで進まなければ。
誰にも顔向けできない。
ムンジィにも、ゼラにも、ファニアにも、クルサドの姉リグラーダにだって。
イサヤたちに詫びることはできない。
けれどあの子たちがもしアユミチの為に本気で命をかけたいと思ったのだとしたら、それはいじけて俯き立ち止まっているアユミチにではない。
イドラ・ディドラーに言った。
ネロは、あんたのような男になりたかったのだと。
今さら自分の言葉が胸に刺さる。
こんな男に夢を見させて犠牲にしたのか。
彼らの気持ちをすべて無意味にしてしまう。このままうずくまっていれば、間違いなく。
「……別の道を見つける」
イーペンの言う通り、泣くのも悔やむのも後。
この現状を打破する方法を考え、なんとかしなければならない。
暴風で倒れた稲穂、踏まれた麦が頭を上げるように。
顔を上げなければ何もできない。
「双子とアスパーサを呼んでほしい。俺は顔洗ってくる」
「それがよい、女性に見せられる顔ではありませんからな」
「ええ」
考えると言ってもアユミチに大した知恵はない。
思うところはあるが、アスパーサの知見は神に通ずるように感じる。非常に重要。
トリーゾとコッポ、やや奇抜な魔法を扱う双子の力も借りたい。
ノクサは、ここまで話を聞く限り、人間が神に打ち勝つ術に心当たりがない様子だった。あらためて知恵を借りるとしても期待は薄い。
他には――
「……カヨウはどうしている?」
黙って置いていってしまった。
怒っているだろうか。
けれど結果的にはよかった。カヨウとクルサド二人を抱えて逃げ出せたかと考えれば、とても。
「はて、いや……その……」
「?」
イーペンが目を瞬かせ、視線を泳がせた。
「てっきりアユミチ君と一緒かと……」
「な……ん、で……」
「あの子のことは心配ない、そうお聞きしたものでして……今聞かれるまで、そうだとばかり……」
カヨウの姿がない。
アユミチが戻ってきたことは建物内外の物音で気づくだろうに、出てくる様子もない。
怒って拗ねているのかと、そう思ったアユミチ。
アユミチと一緒だと思っていたから気にしていなかったイーペン。
イーペンに失念させるほど、一言で信用させたのは誰……?
「アユミチ君が出て行かれてすぐに、アスパーサ殿がそのように……」
「あす……」
「ええ、言ったわ」
悪びれも何もなく、アユミチの逃げ込んだ物置部屋のすぐ外で。
壁を背に、
「だって、あなたと一緒なのだもの。ねえ、センセイ」
◆ ◇ ◆