法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「だって、あなたと一緒なのだもの。ねえ、センセイ」
立ち上がり、どうにか伸ばそうとしていたアユミチの脊椎にヒビが入るような感覚。砕けてしまいそう。
全身から熱が失われ、汗の粒が肌に浮かぶ。
「俺と、一緒に……」
「そんなはず……誰もいなかった、僕たちだけ……」
「あの子に聞かれたものだから、ね」
アスパーサの指が、ゆるく着崩した彼女の胸元をなぞる。
わざと谷間を示すように動かしてから、くい、とアユミチを顎で指す。
アユミチの、胸元。
「……ない……いつから……」
胸に下げていたペンダント。
レーマ様からもらった。数秒間だけ、世界から認識されなくなる魔法の道具。
一日一回しか使えず効果は数秒。使いどころが難しく、スカーア相手には通用するかわからず用いなかった。
それが、胸元から消えている。
「どうして王都でイドラ・ディドラーに気づかれないまま近づけたのか。聞かれれば教えてあげるわ、そのくらい」
「イドラ……」
あの時アスパーサとムンジィは何もない場所から現れた。
抜け道はアスパーサが知っていたと言うが、それだけでは説明がつかない。
カヨウが使う幻影と同じように考えたけれど、ただの幻影でイドラ・ディドラーや邪悪な魔法使いビッテスを欺くなど。
「消える……魔法を……」
「あの道具の効果と同じだって教えてあげたの。あの子が知りたがったから」
存在を認識できなくなる魔法の道具。
道具ではなく、魔法として伝えた。
何も持っていないアスパーサの手が、教えた時に少女に手渡した様子を再現する。
「アスパーサ……っ!」
「そう、その顔。ここの外でセンセイがわたしに迫った時に」
クルサドと一緒にここを
あの時にすり取られていたのか。
アユミチはクルサドを迎えにいったん建物に入り、戻ってくるまでの間。
「イヤになるくらい優秀な子……ちょっと教えただけで、簡単にやってみせたわ。お手本の道具があったにしても」
短い時間で端的に、教わったまま使いこなしたのか。
姿を消して、出てきたアユミチ達は何も知らずにレーマ様の戦馬車を呼んで。
一緒に乗っていたことに気づかず神域に連れて行った。
逃げ出した帰り道にはいないまま。
「なんで……どうして、そんな……」
もう一度立ち上がりたいのに。立ち向かいたいのに。
なぜそんなひどいことをしたのか。
わからない。
何も、わからない。
「だって」
ふっと笑う。
なにがおかしい。
笑っていい話じゃないことくらいわかるだろうに。
どうして。
「最後くらい、一番好きな人の傍にいたいものでしょう」
女だもの、と。
さも理解者のごとき顔で呟くと、自嘲気味にふっと噴き出した。
過去にアスパーサにはそれが叶わなかった相手がいたのかもしれない。
「好きなようにさせてあげようと思ったの。あの子の好きなように」
「アスパーサ……」
責める気力すら湧いてこない。
イサヤたちだけではない。守りたいと、守らなければと思っていた大切な少女を。
アスパーサのせいで。
そうじゃない。
カヨウが望んだ。カヨウは賢く、アユミチが置いていこうとしていたことなどお見通しだったのだ。
話し合って留守番をさせたのではない。
黙ってこっそりと行こうとした。
浅薄なアユミチの判断と、危険を顧みないカヨウの判断が重なり、こんな……
「どうして……」
悪い方にばかり転がる。
考えたくない方にばかり、世界が傾いている。
世界がアユミチという異物を振るい落とそうとしているのかもしれない。
ならアユミチを殺してくれればいい。なぜそうしない。
それもこれもアユミチを苦しめる為だとでも。罪もない人を巻き込んで、そんな……
「お外が! お空が大変!」
プレヴラの声。
力なくにらみ合うアユミチとアスパーサを見比べ、イーペンもクルサドもどうしたものかと迷う。
外が、空が大変なことに。
この上まだ何があるというのか。
「誰か! 来て!」
「……っ」
切迫したプレヴラの声音。
プレヴラを助けなければとか、そんな能動的な気持ちではない。
もうこれ以上、アスパーサと向き合っていられなくて。
吐き気を堪えて外に飛び出した。
◆ ◇ ◆
「お空から光が降ってくる!」
「危ないからこっちに来なさい! プレヴラ!」
「星降る天気だ、見ろよ弟」
「冗談きついぜ。宝の雨さ」
星が降るように。
きらきらと、大小さまざまな宝物が降る。降り注ぐ。
強烈な速度ではないが、当然硬いものが多い。当たり所が悪ければ怪我をする。
「なんと、これはまた」
「これって、アユミチさん……?」
心当たりはある。
金銀財宝や上等な布、よくわからない道具や本か。
雑多にあれこれ、どれだけという数もまるでわからないほど落ちてくる。落ちると言うより空から湧いてくるような。
「レーマ様の宝箱……」
アユミチがひっくり返した。ばらまいた。
あの中身か。
ばさっと足もとに落ちた本。その表紙に見覚えがあるような気がする。
武器も混ざっていた。あの宝箱の中身ならそういうものもあるだろう。
すらりと美しい鞘に収まった細身の剣が足もとに転がる。
抜いてみると茶色くみすぼらしい刀身。風化したのか、錆びて使いものにならない。
遥か古代の、神代の宝物。
――あたしの宝箱を下界で開けると、世界の海の三割くれえ押し流す量があふれ出すはず。
全てをばらまいたわけではない。
レーマ様の居室にも相当な量をぶちまけた。
勢い余って外に投げた宝物が降ってきているのだろう。
「もうめちゃくちゃじゃない! なんでも詰め込むからこうなるのよ!」
厩舎の方から飛んできたノクサがぶうたれる。
言いたいことはわかる。
「……天馬だ」
そうだ、天馬がいる。
アユミチには絶望に浸っているような時間はない。
カヨウが戦馬車に隠れて乗り込んでいたというのなら、まだ隠れているのかもしれない。
レーマ様にも見つからず、あの神域で心細く助けを待っている。だとすればすぐに。
「天馬を!」
「天馬よ!」
アユミチが顔を向けた方と逆。
飛んできたノクサが指を差す。アユミチの後方の天空を。
「……」
天馬は、二頭いた。
一頭はおそらく厩舎にいるはず。アユミチを乗せて逃げてきた天馬。
そうじゃなくて。
そうでないものが、宝物降り注ぐ天の向こうから、アユミチを目掛けてきたのだと言うのなら。
「……レーマ、さま……」
振り向けない。
振り向けば終わってしまう気がして、振り返れない。
「アユミチ」
呼ばれた。
女の声が頭の上から。
頭頂部に女声を受けることなど久しく記憶にない。
小学生の頃の教師か。
そうでなければ、
「私が……ママが一緒に謝ってあげます」
「……」
「だから、ね」
優しく言い聞かせるように。
安心の香りで包むように、ふわりと。
「戻りましょう。ね、お兄ちゃん」
ママが聞き分けの無い男児に呼びかける。
優しい声で、撫でるように。
「大丈夫ですよ。大丈夫、ママが一緒ですから」
「……カヨウ」
きらきらと、星降る空に黄金の戦馬車を浮かべて。
無際限の優しさを湛える少女の微笑みは、まさに地上に降りた聖母のそれ。
◆ ◇ ◆