法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
穢れと宝の氾濫。
ひどい有り様。
この神域をこんな風にされたことはない。
レーマ・ルジアが生まれてからただの一度も、これほどふざけた暴挙を受けたことはない。一度も、断じて。
レーマ・ルジアを踏みにじる者などいなかった。
レーマ・ルジアを侵す者などいたはずがない。
いない。そんなものは存在したことがない。
目をかけてやったのに。
それなりに気も配ってやった。
あいつはバカで弱っちいから、そう思って気遣った。加減した。容赦した。なんなら譲歩だってしてやった。なのに。
「あのバカが……っ!」
苛立つ。
腹が煮え立つ。
どうして思い通りにならない。どうして言う通りにしない。
「ああぁっ! く、のぉぉぉ!」
苛立つ。
少し前からやたらと全身がむずがゆい。
腹の内側から何かが湧くように、目は覚めているのに起きなければと急かされる焦燥感。
自分が自分でなくなるような味わったことのない感触。
抑えきれない正体不明の衝動。情動。
「なんだってんだ、くそっ」
塔の部屋を埋め尽くしたアユミチの体毛は全て焼き消した。
螺旋の盤上には少年たちの想いが立ち並ぶ。
居室の方にばらまかれた物を片付ける気にもならず、踏み越えて部屋中央の床に
「あたしは……なんだって、こんな……」
「……」
何がなんだかわからない。
制御不能の情動に身を任せてしまった方が楽なのではないか。
夢の中の自分に後は任せて、何もかもに目を背けて。
そんな気持ちも湧きおこり、それがまた腹立たしい。
「……」
「ふざけんな、どいつも、こいつも……」
なぜ自分はこんな場所にずっと独りでいたのだったか。
そんな必要はないはず。
いつから。
今まで疑問にも思わなかったものが浮かびあがる。
「挙げ句に残ってんのがお前だってのは……どんな嫌がらせだ、あぁ?」
ふざけやがって。
馬鹿にして。
お前を殺したらまた独りぼっちだとか、ふざけるな。
そんなこと考えたこともない。
「今ぁお前のおふざけに付き合う気分じゃねえ。余計なこと言ったら殺すぞ」
「女神様」
小さな体を床に這わせて顔を上げず。
「どうかお許し下さい」
許しを乞う。
命を乞う。
それが正解だろう。忌々しい小娘が。
「アユミチさんを。どうぞお許し下さい」
「……」
忌々しい小娘。それは間違い。
ふざけたことを言った、余計なことを言った。
だから――
「……ふざけてんのか」
「アユミチさんの命をお救い下さい。どうかお願いいたします」
見てもいなかった、
両手をついてわずかにも動かず、ただ願う。
「あいつが何したのかわかってんのか」
「女神様にご無礼を」
「ああ、とんだご無礼だ。許してやれると思うか、あァ?」
「甘えです」
「……ぁン?」
「女神様の優しさに、御慈愛に、甘えてのことです。どうか女神様、アユミチさんをお許し下さい」
甘え。
ああ、あいつは最初っから甘ったれだった。
特別な力をくれだとか役に立つ道具がほしいとか。
クソなめた要求をしてくれたもんだ。
「甘えでなくてどうして女神様に逆らいましょうか」
「……バカだからだろうが」
「はい、幼く小さなものだから甘えるのです。女神様に」
小さな虫ケラ程度の存在。
その気になれば力ずくでどうとでもなる。
上下関係は明白で、下だとわかっていながら歯向かった。
勝てるとかそういう考えはなく、ただ嫌だからと。何も考えずに。
「そんで、あたしがあいつの甘えを許してやる理由はねえ」
「謝らせます。女神様の前で謝るよういたします」
目の前に引きずってきて謝らせる。
だから許して下さい。
「放っておけばあいつは死ぬ」
「はい」
「あたしがくれてやった寿命は消した。残ってんのは月が一巡りしねえくらいの半端な残りカスだけだ」
この手で寿命を書き換えた時に繋がった糸は切れた。無意識かどうか、あっちが手を離した。
アユミチの体に残っている分の命は、どれだけ長いとしても一年未満。半年かもしれないし明日までで終わるかもしれない。
「あんな奴もう知るか。どうでもいい」
「女神様の偉大さを確かに示す為に必要なこととお考え下さい。どうか」
「どうでもいいって言ってんだろ」
「女神様の手を噛んで逃げた小鳥が戻り、罪を悔い伏して詫びる。その機会をお与えください」
「……」
「どうか寛大な御慈悲を」
ただひたすら、頭を下げて許しを請う。
アユミチの行いを許してほしいと。
「……お前の無礼はどうすんだ?」
「アユミチさんをお許しいただければそれだけで」
「死ねって言ったら死ぬのか?」
「アユミチさんをお許しいただけるのであれば、他は全て女神様の思う通りに」
「お前……」
少女の年齢など知らないが、そう大きくはない。
その女がアユミチの為だけにこうまで己の身を犠牲にする。
奇妙な気がした。
知らない感情。
「なんなんだ、お前……」
愛着とか執着とか、そういうものではない。
少年たちの中にあったものとも違う。
あれらはアユミチへの憧れ、恩義、希望めいた何か。
この少女からはそんなものはまるで感じない。
「私は」
顔を上げた。
それでも元の体格が違う。下から見上げる形で、強い瞳で真っ直ぐに。
「私はあの子の母になる」
明後日の方向に返答が飛ぶ。
「私がアユミチさんのママですから」
なに言ってんだ、これは。
「アユミチの為にならどんなことでも」
意味の通らない言葉を大真面目に。
「子供の明日を願うのはおかしなことですか」
「……」
開いた口から音が出てこない。
あまりに真剣で、正しいと信じる顔で言う。
知らない生き物。
「ママ……?」
やっとで喉から絞り出す。
ママ、母親。
誰が?
小娘がアユミチの母とか、そんなわけはない。
けれど嘘を言っている目ではない。
確たる真実として見ているこちらに焼き付ける。
「ママですから。なんでもします、できます」
「……できねえよ」
「やります」
「そんな御大層なもんかよ、何言ってんだお前」
理屈も何もあったもんじゃない。
なのに、どうしてか聞いてしまう。
迫力、圧力、凄味。
小さく弱い小娘でしかないはずが、やけに大きく。
これが、母か。
「女神様がお望みでしたら、私の命も、このからだも。全て捧げます」
この少女では男児の代わりにならない。
条件に合わない。
こちらが大事と思うだけの価値がない。重みがない。
また、塔で渦巻いている力の流れは、この少女の向いている流れと違う。異物になる。
「小娘のからだなん――」
「他の神々は人の肉に宿っていました。もし女神様がそれでアユミチさんを許して下さるなら」
「……」
いらない。
気色の悪い、得体の知れない、底知れぬ少女。
けれど、純粋。
汚いとは感じない。ただ、怖い。
「お前……おかしいだろ……?」
「はい」
「アユミチがほしいんじゃねえのか? 死んじまったら何も残らねえんだぞ」
「ほしいのとは違います。私はあの子の……アユミチのママです」
「……」
「ママとして当然のこと。そうして私はママになる。なれる」
「……」
純粋。
狂気。
なれるのか?
そうか、なれるのか。
「……連れて、こい」
なれるのか。
この少女の肉を得たら、自分だって。
「あのバカを連れてこい」
手を伸ばした。
「アユミチをここに連れてきて謝らせる。できない時はお前は死ぬ」
「はい」
見上げる少女の喉に指が触れ、繋ぐ。
アユミチにそうしたように、少女の魂に触れる。
「謝らせてみせろ。考えんのはそれから」
「ありがとうございます、レーマ・ルジア様」
「勘違いすんな、まだ許すって言ったわけじゃねえ」
「はい」
「あいつの態度が気に入らなければぶっ殺すかもしれねえからな」
「はい」
「……」
見上げる瞳は少しも揺れない。
少女より遥かに強大なものを映して、少しの疑いもないように真っ直ぐ。
何を信じられるのか理解に苦しむ。
「道具をお借りしても構いませんか?」
「あるもんなら好きにしろ」
「戦馬車をお借りします」
「なんでもいい、勝手にしろ」
「ありがとうございます」
飲み込まれそうな感覚が、腹の奥から湧いてくる何かと似ているような気がした。
舌打ちして少女の目から顔を背け、めちゃくちゃに散らかった室内にまた舌打ち。
「邪魔だ。全部持ってけ」
ついでに心の中のごちゃごちゃも全部片づけてくれればいい。
最近、目が醒めそうで醒めない、そんな感触に悩まされていた。
地上への道が開きかけたせいだろう。
悩むのは性分ではない。あれもこれも小娘に押し付けてしまえるならそれでもいい。
「……連れてこいよ」
「はい」
◆ ◇ ◆
この日の為に生まれた。命を授かった。
ママになる。
アユミチを守り、助け、彼の魂を救う。
ゼラにも、ファニアにもできない。他の誰にもできないこと。
アユミチが諦めて閉ざしてしまった扉をもう一度開き、彼の進む道を照らして背中を押す。
ママだから。
カヨウはアユミチのママだから。
全部許してあげる。
「全部は持って行けませんが」
女神様はもう聞いていない。
聞こえてはいるだろうけれど返答はない。
「必要なものだけお借りします」
女神様とのつながりを感じる。
契約の糸。
アユミチはなんとなく女神様の居場所がわかると言っていたが、とてもそんなものじゃない。
自分が地の底に落ちないよう繋がった一本の命綱のよう。
アユミチは魔法をまったく使えなかったから感じなかったのだろう。
「女神様の力」
逆に言えば、ものすごく強く世界の根幹と結びついているとも思う。
エクピキの司祭が異常な奇跡を扱ったように、今のカヨウなら。
意図して与えてくれたのか、そういうつもりもないのか。
女神レーマ・ルジアの使徒として地上に戻り、アユミチを連れて帰る。本当のママだから。
「……」
散らばる金銀財宝に興味はないけれど。
素敵なママのようなストールを撒いて、深い青色の首飾りで上から押さえて。
少しだけ大人びた雰囲気。
彼がいつまでも子供のように見るから、
「では、行って参ります」
「……あぁ」
顔を上げないままの女神様。
ええ、そう。
ママになるのを悩むのも女でしょうから。
戻るまでいっぱい悩んで、そうして一緒にあの子のママになりましょう。レーマ様。
◆ ◇ ◆
【読者様へ】
もうすぐ完結の予定です。
長編にお付き合いいただき本当に嬉しく思います。ありがとうございます。
読んで下さる人がいるから続けられています。
現在、カクヨムにてファンタジー長編のコンテストにエントリーしております。
カクヨムの仕様上、コンテスト期間中のフォロー、評価の伸びにより中間選考に進めることになります。
もし本作を気に入っていただけていたら、カクヨムの方でも応援いただけると喜びます。
不躾なお願いをしてしまい申し訳ございません。
ラストまで気を抜かず頑張っていきたいと思います。
最後までお付き合いいただけるよう微力を尽くして書き綴って参ります。
どうぞよろしくお願いいたします。