法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「よくもまあ持ちこたえているもんだ。奇跡だろ」
メムナーンは努めて明るく言って馬鹿笑い。
「相手ぁ伝説の大魔獣。渇きの王蠍だぜ。信じられねえなぁおい」
「わからない」
「おめえのことだよチビっこ海将。っとにすげえ奴だ」
表情はほとんどない。
腹を空かした時の不機嫌と好物を食べた時の満足以外、このチビッ子の表情が読みにくい。
「おめえが足止めしてなけりゃとっくにぶち抜かれてたぜ」
「石をぶつけただけ」
「岩だろ」
猛烈な勢いで町に迫ってくる家よりでかい化け物に岩を叩きつけた。
異常な怪力。
「ジナミナは投げてない」
「当たり前だ、投石器なしで投げられてたまるかんなもん」
いくら怪力でも岩を放り投げるまでではない。
城壁から投石器で空中に放たれた無数の岩塊を、王蠍は異様な俊敏さで回避した。
最大船側で前進していた船が、いきなり真横に跳ぶような動き。
伝説の大魔獣。圧倒的な速度と旋回能力を見せる。
強靭な巨体でそんな動きをするのでは、討伐隊などいくら組んでも敵わないだろう。
「傾いた方に蹴っただけ」
回避して、片側の足に重心が偏る。
岩塊と合わせて飛んでいたジナミナが、そこに向けて岩を蹴落とした。
小さなサソリであればさらに跳んで回避したかもしれないが、巨体なりに重い。岩にぶつかりひしゃげた一本の前足から汁が飛び散り、周囲の草木を焼いた。
毒の血液。
噂で聞いた通りの化け物。
「おめえの活躍がなけりゃ俺も今頃潰れてただろうさ」
バランスを崩し、うまく走れなくなった。
そこに向けて一斉攻撃。
「違う」
傾きかけた太陽を見上げ、それから城壁回りを見渡す。
投石器、攻城弓と、材料を運ぶ人々。
「ジナミナは最初だけ。あとはあれに近づけてない」
「近づいたら溶けちまうんだ。やめとけって」
「ん」
あまり納得した顔ではない。
町の外、大船を係留するのに使う太縄を何本も絡みつかせた王蠍と、その後ろで残骸のように沈んだ王蠍。二体を見やる。
「その最初が肝心だったのですよ」
迎撃の指揮を取っていたノアカッセが、どこから聞いていたのか声をかける。
「伝説の魔獣とて無敵ではない。倒せない敵ではないと皆に示してくれました。だからこうして戦い続けていられる」
「だな」
反対から歩いてきたアルゴ・ノーツがぽんと左手でジナミナの頭を撫でた。
「一発いいのをかましてくれた。助かったぜ」
「ん」
当たり所、角度もよかったのだろう。一本でも足の節を折って手傷を負わせた。
動きが鈍った王蠍に、アルゴ・ノーツの適格な指揮による投石。命中。
効果があるとわかれば士気も上がる。
自分たちの町を守るため、兵士たちも住民も一丸となり。
頃合いもよく、月が出た。
日中は王蠍の足を止める程度だった攻撃だが、月光を浴びた王蠍の殻が少しずつ柔くなっていくようで。
朝方まで続けた投石と、とどめに大矢が突き刺さった。
それが二日前のこと。
その日の午後に二体目が現れた。張り巡らせた大縄にひっかけ、動きを制限しながら夜には足を3本千切った。
石も矢も無限ではない。前の攻防でかなり使ってしまったこともあり準備が追いつかない。
昼になると王蠍の足がまた生えてきて、大縄を千切って進もうと。
外に出て仕留めようと功を焦った一団を踏み潰し、しかし城壁には近づけずまた一晩。
「いちばん最初はジナミナじゃない」
一晩中、城壁から拳より大きな石を投げ続けたジナミナ。
王蠍の方も自分の損壊を嫌い町から離れ、今度は逃がすまいと大縄を引っ張り。
それでも逃げられ、朝方はジナミナも睡眠を取っていた。
「ジナミナじゃない。ムンジィ」
「……そうだな」
メムナーンは知らない男だ。
ジナミナだって知り合いというわけではないはず。
ディサイ攻防の際、兵隊長を倒すところを見たと言っていた。
それほどの男が無名だったとは。
「町の方々も言っています。ムンジィがやったことだからと」
ノアカッセの耳にも入っている。
西港ディサイ生まれの男ムンジィ。
前政権コスタス・マクリアスに逆らいポーラ隊と争った。
そうして町を追われた彼が、なんと神の降臨の場に姿を見せて伝説の魔獣を倒したのだ。
おとぎ話、伝承歌の英雄のごとき活躍。
彼本人を知る者も少なくない。
かっこいい死に方をしやがって、と。今ディサイの町でムンジィの名を聞かない日はない。
「大した野郎だよ、っとに」
メムナーンは正直羨ましく思う。
武を頼みに生きてきた男の一人として、あれほどの栄誉は他にない。
世界の終末に抗った男の生きざま。心震えぬわけがない。
その理由がまた、てめえの嫁と子供を守るためだというのだから、かっこいいにも程があるだろうに。
「語り残したいと思います。彼の名を」
「世界が終わっちまったらそれもできんからな」
「全部片づけて町中の酒場で歌うか? 奴さんの武勇伝を」
「んっ」
「お前は飲めないぞ、ジナミナ」
「う?」
とはいえ。
最初の夜は三本千切った王蠍の足が、昨夜は二本まで。
状況は悪く、今夜の満月で勝負が決められるかどうか。
そもそも夜まで持ちこたえられるかどうか、メムナーンにもわからない。
日中の王蠍は足止めだけで精一杯なのだ。今、遠めに位置を取っているのは足の回復を待っているからだろう。
攻められる決め手もなく、せめてジナミナの休息と石と矢の補充に時間を充てているが。
「トリーゾとコッポは飲ませてくれた」
「あのバカどもとおんなじバカになっちまうぞ」
「ん、おなじでいい」
「ダメだ」
「アルゴ」
「ダメだっつってんだろうが。どこをほっつき歩いてんのかと思やぁあのバカども」
くそみそ双子も、ちゃっかりムンジィと一緒にいた。
それも合わせて、世界を救うのは西港ディサイの勇者様だと妙な機運も高まっている。
「帰ったら聞くからいい。アルゴはダメ」
「ダメじゃねえ、俺の言うこと聞けよこら」
「はちみつミルク、ジナミナも飲む」
「あ?」
「アルゴはダメって言う。アルゴ嫌い。アルゴダメ」
「あ、いやおい、そうじゃなくて、いや」
「アルゴはダメ。聞かない」
むうっと口を尖らせて歩いていく小さな海将とその副将。
残されたメムナーンとノアカッセは顔を合わせて苦笑い。
奇妙なものだ。
去年の今頃、海の上で殺し合いをしていた相手と、世界の終わりに肩を並べて。
まあ空模様も波目も変わらぬものはない。
なら、世界が終わるまで楽しそうな方へ向かって帆を張るのも悪くはないか。
「で、勝ち目は?」
「わかりませんが」
ぽんと叩く。
昨日までなかったひょうたんが腰にふたつ。
「手は準備しましたよ。私もうまい酒を飲みたいですから」
「じゃあ、俺ぁあんたに賭けるさ。ノア」
「賭け、ですか」
再びノアカッセが苦笑いを浮かべる。
「メムナーンが勝つなら世界がひっくり返るんじゃないかと」
「そこまでじゃねえだろ」
苦笑いを返してから、ふっと二人で噴き出す。
よく晴れた空の下で、世界の終わりに向けてからからと笑った。
◆ ◇ ◆
「どぉだ見やがったかこんちくしょう!」
逃げていきやがった。
神が見せた幻影の中で薬師が言った通りだ。渇きの王蠍は月の光に弱い。
夜まで持ちこたえて、月が出てきたら逃げていった。
「おとといきやがれってんだ、クソ魔獣!」
「来なけりゃその方がいいんだが」
キデ・マノスがナフタンの後ろで息を吐く。
王都での戦闘後、東港アナトーリに戻ったらこの騒ぎ。
消息を絶った父カッダ・マノスの捜索もままならない。
幸いだったのは、先行して渇きの王蠍対策準備に取り掛かっていたこと。
王都イオドキッサに出現した渇きの王蠍。
王都から軍を退き、対策を練っていた。
同時期、各地で流行の兆しをみせた死病に対しては、商人イーペンが公表してくれた薬で対応も急いだ。
おかげで混乱を最小限に王蠍対策に向かえた。
王都に現れた魔獣がこちらに向かってくるかもしれない。
過去の討伐隊の記録が正しければ、やつに魔法は効果が薄い。
魔法の種類によるのかもしれないが、一般的によく使われる炎や風の魔法は有効ではないらしい。
体を覆う殻は鋼のように硬く、並みの武器では傷ひとつつかないとか。
動きは早い。馬が全力で走るような速さで、瞬間的にバッタのごとき動きもする。
アホか。そんなもんと戦えるか。
その上、どうにか足の一本でも落としてみたら噴き出した血は猛毒で、触れたものを焼き溶かす。
どうしろと?
対策をあれこれ話し合い、しかしどうやったって決定打はない。
王都の王蠍がこちらに向かってくることがないように祈る。
もし迫ってきた時は海に逃げるしかない。そんな消極的な意見で終わろうとしていた時。
ナフタンは見た。
ナフタンだけではなく東港中の皆が。おそらく世界中どこでも。
神が見せる。降臨した女神スカーアと薬師たちのやり取りを。
そこにいたのだ。星の王子様がいた。
ナフタンは世話をしてやったのだ。海から拾い上げてやった。
流星に乗って飛来し海に落ちたムンジィを、ナフタンが拾った。
星王の使い、星の王子様。口の悪いただのおっさんだったが。
キデ・マノスに引き合わせ、西港の政変に嫌がらせ参加した時も一緒だった。
あのムンジィか。
あのムンジィだ。
おいおい、星の王子様。マジで何やってんだ。
東港に女房がいるって。
知ってるさ、お前にゃもったいない器量良し。
赤ん坊が腹に? そいつはめでたい、だったら帰ってこいよこのクソバカ野郎が。
王蠍対策の会議に部外者が怒鳴り込んできた。
フィリオ。西港の兵士でムンジィの義兄弟。
会議の空気が変わった。
あんなカッコいい絵見せられて、東港の男衆として黙ってられるか。
薬師さんにゃあ悪ぃがあんたの出る幕じゃねえ。
東港で預かってんだ。
クソ魔獣なんぞに指一本触れさせねえよ。東港なめんな。
月の光に弱い。
王蠍は倒せる。
そいつはいい情報だ、助かるぜ。
対策会議の方針が変わる。
まずはとにかく足止めだ。真昼間にあんなのが突っ込んできたら手の打ちようがねえ。
でかい図体を使った突進。
なんでも踏み潰して突き進む。
っても、空が飛べるわけじゃねえ。
歴史的に、東港周辺は河川の氾濫に悩まされ、また川の利用に知恵を割いてきた。
王都から、あるいは北府方面からここを目指してくるなら、自然とルートは定まってくる。
王蠍の巨体は軽くはなさそうだ。迂回路などを考える知能もなく、自然に走ればここに来るだろうと。
地籍、地形を調べる管理官らが分析してルートを割り出す。
通り道がわかれば罠を仕掛けられる。
時間が少なく、決して万全とは言えなかったが、間に合った。
王都の王蠍ではない。別方面から迫ってきた王蠍。
崩れてきた土石から逃れたところに、東港中の魔法使いを集めた水流の魔法。魔法そのものの効果は薄くとも、水流が消えるわけではない。集めた膨大な水が高所から低所に向けて流れ落ちるだけ。
範囲を絞った大波のような激流で巨体を押し流し、そこに向けてさらに落石。
今度は逃げられず、いくらか足が折れた。大ばさみのような片腕も千切れた。
「明日までに町の方の仕掛けをどうにかするぞ」
夜になり、王蠍は逃げていった。
だが諦めたわけではないだろう。
過去の討伐隊の記録で、夜に王蠍が襲ってくることはなかったという理由は、それこそが王蠍の弱点だったのだ。
「おうよ」
アナトーリの町でも準備中だ。
王蠍が襲ってくるのなら返り討ちにする。
ムンジィが見せた男気に、東港の男が負けているわけにはいかない。
「世界を救うのは薬師の兄さんに任せて、やれることやらねえとな」
まずは一仕事を終えたキデ・マノスが深く息を吐いた。
よそ者のフィリオも町の方で準備を手伝っている。町中が一体となって。
外の人間を殺してくるよう命じられた王蠍。
それはこっちでどうにかするから、神様の方は薬師がなんとかしてくれと。
「みんな若大将についてくさ」
「もう若くはねえだろ」
王都に向かった左潮伯カッダ・マノスは死んだのだろう。
考えたくはないが、おそらく国王ニーモも。
だがそれで世界が終わるわけではない。
ナフタンたちが若大将と呼んできたキデ・マノスの肩には責任が乗っている。東港を治める責任。
「ああ、大将についてくよ」
「……」
ムンジィに感謝する。
町の皆の気持ちが折れないのは、ムンジィが見せてくれた背中のおかげ。
そして、キデ・マノスには泣き言を口にしてる暇もなく、大将として立つ姿をナフタンたちに見せてくれた。
「頼むぜナフタン。あの世で星の王子様に文句言われんのは癪だからな」
「はっ、そりゃあ同感だ」
やっぱりあいつ、星王の使いだったんじゃねえか。
世界が大変だってのに、誰も彼もムンジィムンジィって。
その王子様を海で拾い上げたのがこの俺だと、全部終わったら絶対に自慢してやろう。
任せとけ、ムンジィさんよ。
◆ ◇ ◆