法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-69.澱む空

 

 ギオオダは最強ではない。

 だが大抵の相手は殺せる。スロローペであっても殺そうと思えば殺せる。

 硬く鋭利なもので致命的な部位を壊せば生き物は死ぬ。

 その為に人並み外れた剛力を使うのも別にいいだろうが、それではただの力比べ。

 工夫をすれば力では劣っていても殺せる。

 

 ギオオダは小回りに特化して磨いてきた。

 相手の虚をつく。最小限の動きで、相手の動きに合わせて鋭い爪を滑らせ、突き刺し。

 一撃で殺せるのならそれでいい。気づかれずに殺すのも得意だ。

 仕留めるのが難しそうなら、まず動きを鈍らせる。

 足を止める。

 

 

「ばぁ」

 

 飛び込んできた。

 面白そうな女。ただ泣き叫ぶだけではない、ギオオダより背の高い女。

 異常な回復力で傷が治ってしまうスロローペが、刃を受けながら弾き飛ばした。

 

 ファニア・イア・イオルテ。

 健康的で活力に満ちた極上の女戦士。

 正面切って戦えばギオオダが勝てる相手ではない。

 まかり間違って惚れて言い寄ったとしても、短躯でみすぼらしいギオオダなど相手にもされない。

 極上の女がギオオダの待ち構えるところに転がってきて、嬉しくないはずがない。

 

「ままのあしぃ」

 

 いい匂いが鼻をくすぐる。

 吹っ飛ばされた態勢を堪えようと踏み込んだ左足。

 太腿の腱を裂いたらどんな声を上げるだろうか。

 すぐ反撃がくる。

 武器はスロローペに刺さったまま。

 無理やり体を捻って拳でギオオダを打つ。

 それとも、痛みに驚いて逃げようとするか。

 頭の中にファニアの次の行動を描きながら、黒装束をまとう太腿にギオオダの爪を差し込んだ。

 

 

「あ」

 

 ずぶぅぅっと、名刀よりも鋭いギオオダの爪が容易く彼女の足に吸い込まれて――

 

「い?」

 

 何の抵抗もなく、あまりに抵抗がなさすぎてギオオダの腕が伸びる。

 ギオオダの爪の上を、黒い布が撫でるように滑った。

 

 しまった。避けられた。

 踏みとどまろうとして見せたのは違う。偽装。

 吹き飛ばされた勢いをほとんど殺さず跳んだ。

 反撃がくる。

 左の裏拳か、やはり体を捻って右の拳か。

 

「うぇっ」

 

 爪はもう一方の手にもあるのだ。

 ギオオダの小さな体に叩き込まれるその拳に向けて揃えた。

 足がダメなら手を壊す。

 最終的に動けなくすればいいのだから。

 

 

「くだらない」

 

 ひどく冷たい声。

 なんだ、スロローペの挑発で怒りに任せて仕掛けたはず。

 なぜそんな、つまらない仕事をこなす暗殺者のような声音で。

 

「おあ?」

 

 横殴りでくるのだと。

 裏拳でもそうでなくとも、不意を突いて現れた正体不明のギオオダを払いのけようと、横に払うはずだ。普通。

 

「猿が」

 

 子猿。

 ギオオダを見る者は小さな体躯をそんな風に笑う。

 なぜこの女が知っているのか。

 

「死ね」

「ぎっ!?」

 

 上から。

 ギオオダの突き刺しを旋風のように躱した左足と、逆に高く舞い上がった右足。

 卑小なギオオダの頭上から叩き落された。

 見上げようとしたギオオダの眉間に凄まじい勢いで足の甲が落ちてきて、頭蓋骨にびきりとヒビが入り、そのまま首がもげそうな勢いで後ろ頭を地面に思い切り叩きつけられた。

 

「びゃぶっ……」

 

 目玉が飛び出るのを感じた。

 出てはいけない、それ以上出てはいけないくらいのところまで両の目玉が抜けて。

 ぶちゅっと何かが途切れて、真っ暗に。

 

「うべゃぁぁっ!」

 

 目玉がなくなるっ!

 これ以上潰されたら目玉がこぼれてなくなってしまう。

 女の足を振り払おうと咄嗟に掻き毟った両手。

 その爪が女の足を裂くことはなく、顔の上にぶらんと残っていた丸い何かを弾き飛ばした。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「なん――」

 

 激昂して殺そうと襲い掛かってきたはず。

 腕に自信がある女戦士であればあるほど女であることを揶揄されることを嫌う。

 この女の夫のことも合わせて嘲笑してみせたのだ。

 斬りかかってきた時の殺気は偽物ではなかった。裂帛の気合だった。

 

「――だと」

「遅い」

 

 スロローペは一族でも異常な体質だ。肉体の傷が見る間に繋がり、なんなら削り取られても修復してしまう。

 さすがに瞬時とはいかないが、戦闘中に手傷が治っていくのだ。

 かなりの強敵と見たファニアに対し、一撃もらうのを覚悟してぶちかました。

 直線的なファニアの攻撃に、ギオオダはまんまと後ろを取ったはず。

 

「っ」

「クズの思いつきなど」

 

 読まれていた。

 伏兵の存在を読まれていたのか。

 ギオオダの姿は視認していなくとも、吹き飛ばした方に何かいるとあらかじめ。

 

「ぎぁ!」

 

 一撃は受けるつもりだった。

 腕の肉で、ファニアから奪った刀。

 ギオオダをあっさり迎撃されてしまい、迷った次の瞬間には突き刺さっていた刀を抜かれた。奪い返された。

 耐えるつもりのない痛み、ずるっと抜かれた鉄の感触に声が漏れた。

 

「だいたい知れている」

 

 傷ついた腕をぶん回した。

 叩きつけるついでに血を巻き散らす。

 お綺麗な顔にスロローメの血を浴びせて、ついでに目潰しにもなる。

 

「らぁっ!」

「取るに足らん愚物」

 

 振り回した腕は空振り。既にそこにファニアの顔はなかった。消えた。

 低く、スロローペの膝よりも低く構え、

 

「悔いろ」

 

 ぐらっと揺れた。

 踏ん張りが利かない。

 踏ん張る足が、(すね)から下がない。

 骨がズレてこすれて、足から腹、心臓の奥をのぼる激痛が脳天をつんざき、それでも足りない痛みが猛烈な熱に皮って目玉の裏からあふれ出す。

 

「うぎぃぃぃぃっ!?」

 

 転ぶ。

 無様に地面に転がりながら、痛みが怒りに置き換わった。

 

 なぜこのスロローペ様がこんな目に遭う。

 この女、女ごときが女のくせに、ひょろい男にほいほい股を開く売女なんぞがスロローペ様の腕と足を斬って地面に転がした。

 ぶち殺す。

 腕も足もどうせ治る、生えてくるが、許せない。

 今斬られた足の骨を血肉ごと女の口にぶち込み、ケツの穴から引き裂いてやる。

 

「がぁぁ!」

 

 崩れ落ちながら、無事だった方の手と足で地面を掻いた。

 怒り狂う牙で、刀を振った姿勢の女の肩口に食らいついて押し倒そうと――

 

「汚い」

 

 ふっと、女が消えた。

 スロローペのよだれと血にまみれた牙が届く寸前で、瞬間移動のように。

 低く構えていた姿勢から、今度はスロローペの上。

 

「二度と生まれてくるな」

 

 少しゆったりとした黒装束が蝶のように翻る。

 なんだこの女、スロローペ様よりずっと強い相手と戦ったことでもあるのか。

 そんな奴がいるわけが……

 

「おめ」

「ふっ」

 

 重く鋭い一閃が、スロローメの背中から脇腹を通り抜けた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「うぎ、ひぃぃっ!」

「逃がさない」

 

 まだ息があった小兵の男。ギオオダとか呼ばれていた。

 両方の目玉を失い、頭も半分潰れかけているがまだ動く。

 ファニアの気配からとにかく遠ざかろうと明後日の方向へ四つん這いで逃げようとしていた。

 

「クズめ」

「ふぐぅ」

 

 常人より強くとも、武人でもなんでもない。

 暴力で人を(しいた)げ、それを武勇として誇るよう品性の無いゴミ。

 とどめと思い踏み込み、違和感。

 

「?」

 

 殺した感触だったスロローペだが、なんだ。

 断末魔ではない、まだ生きているうめき声をあげていた。

 

「呆れる生き汚さだ」

 

 殺したつもりでギオオダの方に跳んでしまった。

 空中からの一撃。浅かったとは思わないが足りなかったか。

 

 

「兄弟を置き去りにするな」

 

 同じゴミならまとめておけ。

 苛立ちも一緒におたおた逃げ回るギオオダを蹴り飛ばした。

 思い切り、反対方向へ逃げようと手足をばたつかせるスロローペの巨体に向けて。

 

「ぶぎっ」

 

 ファニアの容赦のない蹴りだ。

 ただでさえ小柄な体を縮めていたギオオダが、砲弾のような勢いでスロローペに跳ぶ。

 さらに身をすくめたギオオダの爪、複数のその先端が、

 

「ぐぎぁぁぁぁぁっ!?」

 

 這いずってばたつかせていたスロローペの股座(またぐら)に突き刺さり、捻じ込まれた。

 

「……下品だったか。わざとではないがまあいい」

 

 狙ったわけではない。

 だが、およそ男にとって大事と思う部位だろう。

 兄妹の爪で裂かれて潰れて、スロローペの腐った誇りも一緒に潰れたのではないか。

 これまでの所業を考えればまだ甘い。

 

 

「……なるほど、呆れた生命力だ」

 

 今度こそ死んだかと思ったが、近づいてみてまだ息があるのを見て納得した。

 腕の傷が塞がりかけている。繋がりかけている。

 切り落とした片足の先から肉が盛り上がってきてる。また生えようと。

 

「うぎ、ぎひぃぃぃぃ」

 

 突き刺さったまま絶命しているギオオダの爪。

 スロローペの股に、ケツに、手首近くまで埋まっている。

 その傷口もぶちゅぶちゅと血を溢れさせながら、やはり治癒しようとしているようだ。

 魔獣と人間の血を合わせた異常な生き物。生命力は驚嘆に値する。

 

「あれこれ言ってくれたが、お前を好く女などいない。世界のどこにも」

 

 アユミチをバカにした。こんな下衆が。

 思い出して、あらためて腹が立つ。

 さっきはアユミチを思い出して冷静になり、奇襲に対応できたけれど。

 

「家族で地獄に行け」

 

 女神に不死身を願っていた。

 つまりこれは不死身ではない。

 

「一緒に、な」

 

 もう一度。

 こんどは足裏で、ギオオダの死体を蹴り込んだ。

 

「ぶぐふぅぅっ!?」

「ふんっ」

 

 二度、三度。

 

「あぐっんぎぃっ‼ だす、たすげっ……」

 

 何が助けてだ。

 お前は一度でもその願いを聞いたことがあるのか。あったところで許さないが。

 

 ギオオダだった肉塊が全くわからなくなり、腹の中ほどまでぶち込まれて体がほぼ半分に裂けたスロローペ。

 

「ぶじゅぅぅ……」

 

 最後に空気が抜けるような弱々しい声を上げて、息絶えた。

 

 

「……」

 

 ふん、と息を吐く。

 存在自体が不快な敵についムキになってしまった。

 他にも理由はある。

 

「これで……」

 

 終わりだ。

 最悪な方向に流れていくだろう。

 そういう苛立ち、諦めにも近いものを覚え、余計に殺気立った。

 

 

 外の世界の反応は、まるで理解できないわけではない。

 世界に害をなすスカーアをどうにかしようと、隠れ里を襲撃するのもわかる。

 それを受けた里の女たちは、どうするのか。

 

「……」

 

 空の色がいっそう妖しく。

 なんとなくわかる。

 スカーアが目覚めは止められない。

 

「……」

 

 どうにか少しでも時間を稼ぎたかったけれど。

 どれくらい時間が立ったのだろうか。

 天の幕をひっくり返されてから、昼も夜もない空で時間がよくわからない。

 日が昇ることも月を見ることもない。スカーアの世界。

 

 

「……汚れてしまったな」

 

 央里に戻ってスカーアに立ち向かう覚悟はできている。

 その前に少しだけ、血肉に汚れた身を流しておこう。

 血に汚れ死臭をまとうファニアが歩けば、人々の不安をさらに加速させてしまう。

 

「……」

 

 アユミチと別れた湯殿の小屋は遠くはない。

 最後の湯浴みくらい許してくれるだろう。

 それとも。

 良い知らせを届けてくれるかもしれない。そんな期待もある。

 

「アユミチ」

 

 ずっと薄明るい空を見上げ、待ち人の名を呟いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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