法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「こいつらのせいだ!」
恐怖が人を押し潰す。
潰された人間は膝を折るか、あるいは激情に身を任せるか。
神が人に影響を受けるように。
人もまた人の影響を受ける。同じ流れに身を委ね、考えることを放棄する。
それが人の道を逸れていると心の片隅で思いながら、皆がそうしているのだから。
「こいつらのせいで町がめちゃくちゃだ!」
「疫病神だ! 見ろ!」
一人が声を上げる。
理屈ではない。やるせない不満をぶつけられるわかりやすい相手を見つけて。
「こんな奴らがいるから魔獣が襲ってきた!」
「こいつらのせいだ、そうだ!」
「エクピキの使徒め! 出ていけ!」
深手を負った兵士に異質な力を使う者を見つけて、自分たちと異なるこれが元凶だと叫んだ。
北府ヴォラスは崩壊した。
王都への遠征から戻った軍には、大魔獣王蠍に対抗する手段などなかった。
命を懸けた英雄に感化され立ち向かったものの、敵は鋼よりも硬い巨岩のごとき塊。
矢も魔法も小枝のように弾き返され、ただ通り過ぎるだけで数百人が死んだ。
そのまま町の中へ突き進んだ王蠍。
さらに続けて二体目。
空は薄暗いベールに覆われ、町中を恐慌に陥れた。
世界中で同じ光景が見られただろう。北府ヴォラスでも同じく。
女神の命を受けた魔獣は人が多く集まっているところを目指し、大鋏を振り回し建物を瓦礫に変えながら人々を潰していく。
家のような大きさで鋼より硬いものが、休まず、止まらず、人間の集まりを目掛けて走り続ける。
終わらない竜巻のような災厄。
逃げ惑う人間。
少しでも頑丈な建物に、もっと奥にと町の中心街に逃げ、まとめて轢き殺されていく。
昼も夜もない空で、どれほどの時間が経ったのかわからない。
町の外れにあった廃教会。
配置が中心側でなかったから外に逃げた。
逃げ出したよそ者たちは生き残りの兵士たちと声を掛け合い、町から逃げる人々を誘導に努めていた。
パニックになるな。
がむしゃらに逃げても魔獣の方が速い。
落ち着いて、四方に向かえ。
伝説の魔獣を倒す手段などそうあるはずもない。
生き延びる可能性を少しでも上げる為の判断だった。
「お前ら兵士が役立たずだからだ」
兵士の役割を責める声も上がる。
「どこに行けって言うんだ、こんな気味の悪い空のどこに!」
不安が怒りに変わる。
「町がこんなになってどうやって生きていられる!」
住処を失う。
今までの人生、基盤としていた全てを失う。
食い扶持も住むところもなくして生きていけるわけがないと。
暗い光を放つ不気味な空の下。
麦も育たないのではないか。こんな世界で生きられるか。
「エクピキの使徒だ!」
誰かが指差して叫ぶ。
怪我人に手を当てていた肥満気味の司祭を。
薄汚れ、裾がすり切れた法衣。
「何が神だ! ずっと偉そうにしておいて、どうにかしろ!」
自分ではどうにもならない。
誰かなんとかしろ。
兵士、領主、司祭でもなんでも。
自分が悪いんじゃない。別の誰かが悪い。
「やめんか!」
兵士の一人が怒鳴り返す。
仲間を助けてもらっている。この状況で有用な力を持つ者を責めて何になるのかと。
「うるせえ役立たず!」
「家を返してよ! あんなたちが都を攻めたりしなかったら!」
「お前らだけ助かるつもりだろ!」
浴びせた暴言にぶつかってきた相手を、また新しい壁として不平不満をぶつける。
意味のない行為。
本来憎むべき魔獣にぶつけることはできないから、鬱屈した感情のはけ口として。
「貴様らぁ!」
兵士たちだって人間だ。
住民と変わらない。抱えきれない不満と不安、絶望の中で、それでも仲間という繋がりでかろうじて自分たちの役割を忘れずにいられるだけ。
役立たず。
確かにそうだ。事実、何もできない。
避難誘導など負け戦の処理に過ぎない。
面と向かってそう言われてしまえばやるせない。苛立ちも憤りも湧く。
「言うとおりにしろ! 死にたくないなら命令に従え!」
強い言葉も口をつく。
黙って言うことを聞けと。
役立たずに言い返せないから余計に強く。
「偉そうに!」
「誰の命令だよ! さっさと逃げた領主さまか⁉」
罵詈雑言のボルテージも上がる。
根も葉もない思い込みも事実のように投げつけた。
「無礼者が!」
兵士たちは知っている。
領主や幹部はヴォラス中央で魔獣を迎え撃つべく備えていた。逃げてなどいない。
映像の中で見た英雄に魅せられて、というところもあったと思う。英雄的決戦を美と感じて。
それでも逃げていない。
ここの兵士たちは中央の命を受けて廃教会に住む薬師の仲間の避難を支援する為に来た。
その命令のおかげで今生きていることを、心のどこかで感謝さえしていた。
「軍は――」
「よすでおじゃる」
負傷した兵士や住民を癒していた司祭が言った。
武器を持つ手に力の入った兵士たちに、静かに。とても強く。
「そなたらの刃は人を守るもの。誇りを捨ててはならぬ」
「……」
しん、と。
言ってはなんだが、見栄えの悪い太り気味の、薄汚れた法衣の男。初老。
声だって透き通るようなものではない。やや甲高くひび割れた、場合によっては耳障りと感じるかもしれない。
なのに、騒いでいた住民たちも含めて、その場にいた者が思わず聞いてしまう。
「みな、不安なのでおじゃる。麻呂にはその不安を癒してやれぬ」
「……」
ぼわっと、弱々しい光で怪我人を癒していた。
エクピキの光。
それもこの空の下ではかつてのような輝きは失われたのか。
「そうだ……」
住民の中に
閉塞感に抑圧された暴力的な欲求。
「お前らがいなければ」
正常な判断力があれば、魔獣に向けるべき。
それができないから別方向に。
石を握り、言葉の代わりに投げつけた。
一瞬でも黙ってしまった自分が間違っていないと、悪いのは俺じゃないと示すために。
「っ!?」
「司祭様!」
丸顔の司祭の額から血が流れる。
少年が駆け寄り、兵士たちもいよいよ武器に手をかけて、
「よすでおじゃる!」
騒いでいる間に人々が集まってきている。
あっちで兵士が集まっている。
司祭が怪我人を治してくれている。そう聞きつけた者もいただろう。
弱い立場になってしまえば小動物と同じ、たくさんで群れたら他の誰かを盾に生き延びられる可能性を得られる。
そうして集まってきた人々が、対立する住民と兵士たちの構図に加わって。
「なん……」
異変。
おかしな方向への怒りがぶつかり合おうとしている中、違和感が不安を思い出させる。
怒鳴って忘れようと、目を背けようとしていた恐怖。絶望。
「いかん!」
人を殺す為に放たれた魔獣。
近くでより多く人が集まっているところに向かってくるのは自明の理。
「きたぁぁ!」
「なんでこんなっ!?」
「いやだっやめろぉぉ!」
泣き叫び逃げ惑う人々の群れに、地響きを上げながら無慈悲な死が再び襲い掛かった。
その中心にある司祭たち目掛けて、猛然と。
◆ ◇ ◆
「カヨウ、待ってくれ!」
アユミチの手を取ろうとせず、空に舞い上がり杖を掲げる。
力ずくで事態を収拾しようと。
「あなたが謝ってくれないなら、一緒に死にましょう」
レーマ様に命を握られていると言っていた。
アユミチが謝らないならカヨウは死ぬ。
強引にでもレーマ様の下に連れて行かれたら、アユミチはきっと謝ってしまう。
レーマ様のやったことは絶対に許せない。認められない。
けれどカヨウの命を天秤に乗せられたなら、間違っていてもアユミチは膝を屈する。
それが力がないということ。無力と言うこと。
力のない者に選べる道などない。
そんな世界が嫌だった。
レーマ様だって、そんな世界で真っ直ぐに子供が育たないのをつまらないと言っていたのに。
約束した。
子供が真っ直ぐに育てるような世界に変える。その手伝いをすると約束したのに。
アユミチが助けたかった子供を殺した女神に屈する。
その片棒を担いだ自分を許す日は来ないだろう。
女神との約束も守れず、ただ少女に守られて命を長らえる。
今まで言ってきた自分の気持ちを全て否定して。
「死なせたくない」
お前を。
他の誰でもない、カヨウに生きてほしい。
アユミチの矜持より何より大切だと思う。
それくらいカヨウを思っている。
「私もです」
気持ちは同じなのに。
選ぶ道はまるで違う。
「だから、もういい。アユミチさん、全部
カヨウの選んだ道を強制するから。
だからアユミチが悪いんじゃないと、責任まで負ってくれる。
背負ってくれる。
「お前は間違っている、カヨウ」
「知っています」
戦馬車の上でカヨウが微笑む。
「イサヤのお母さん、ノノさんを覚えていますか?」
「ああ」
「ノノさんは優しさで私を助けたわけじゃない。イサヤの支え棒、盾にするためでした」
「……」
「あの時、バズモズに襲われていたのは私だったかもしれない。その間にイサヤが逃げられるように」
病気のイサヤの心の支えとして少女を拾った。
悪漢に襲われた時の弾避けとして連れて行った。
見ず知らずのカヨウを善意ばかりで助けたわけじゃない。
打算的な考えもあったのだろう。
「正しいことではないでしょう。正しいと思いますか?」
「カヨウ、それは……」
「母親なら、ママならそうする。私だってそう」
孤児院で育ったというカヨウ。
イサヤをどうにか守ろうとしたノノの母性をどう感じたのか。
「正しいだけじゃ生きられないんです。アユミチさん」
「それが嫌なんだ」
「ええ、だから……」
正しくない、悪いことだとしても母親としては正解だと受け止めた。
それでも生きてほしい。命を繋いでほしいと。
「この失敗を、次に。女神様の世界でやり直しましょう」
この失敗。
今のこの世界を失敗例として、次に活かす。
失敗したから終わりじゃない。
なんと正しい言い分なのか。
カヨウとアユミチの世界なら、きっとそれが正しい道。
「次なんて、ないんだ」
身に染みる。
身につまされる。
「次なんてないんだ、カヨウ」
今を生きている人たち。その命は今限り。
だからこそ価値がある。だから貴い。
アユミチが言えることじゃない。
次をもらって、もう一度の機会を受け取っておいて。
アユミチだから言える。
命に次なんてない。
だから、自分も他人も粗末にしてはいけなかった。
恥ずかしいことに、今さら実感する。二度目でやっと実感するなんて、アユミチはやはり愚鈍なのだろう。
「死なせてしまったイサヤたちも、ここにいる誰も。次なんてないんだ」
「生きていれば次はあります。あなたが死ぬことはない」
「もう誰もレーマ様に捧げさせない。俺は」
自分は終わりでいい。
他の誰もレーマ様の捧げ物になどしない。永遠に。
「カヨウ、俺がなんとかするから」
「私がやります」
「俺の為だと思うなら、カヨウ」
「わからない子には」
カヨウのかんざしがぶわっと光った。
「
ぐわんと、カヨウの頭上に光が溢れる円が現れた。
「っとに、思い込んだらとんでもない子だわ」
「くそっ」
呆れつつアユミチにしがみついたノクサの様子で察する。
破壊的な魔法ではないが、避けられない。
「重曜の曙光!」
光が溢れた。
「きゃあっ!」
「わっ」
「おぉぉっ!」
爆音のように、光の波が周囲にはじける。
周囲にいた人々を無差別になぎ倒す。
なんというか、力で対抗できる種類の力ではない。どんな強者だろうと避けられず立っていられないだろうと感じる魔法。
アユミチも一緒に弾かれた。耐え切れず尻もちをついて転がる。
逃れ得ぬ光の夜明け。
「くぅっ」
「
皆をなぎ倒して、転んだアユミチを捕らえる不可視の魔法。
本気だ。
カヨウは無力なアユミチに少しの容赦もなく力を行使した。
そうすることでしかアユミチを得られないと信じて。
ぐるりと体に巻き付いた感触は、とてもアユミチが振りほどける力ではない。
「うわっ!?」
吊り上げられる。
釣られた魚のように空に放り上げられた。
カヨウの待つ戦馬車の上空に。
「ブルリュウゥッ!」
横から、天馬に掻っ攫われる。
アユミチを乗せて逃げてくれた天馬。馬具をつけ直してあった背に受け止められ、体を縛っていた不可視の力も消えた。
「この馬なんて言ってる?」
「もうわかんない! 力は貸してくれるみたい」
前は天馬と会話していたようだったノクサだが、もうわからない。
「追いなさい!」
『クヒヒィィンッ!』
「はぁっ!?」
カヨウの乗る方の天馬がいななき、ノクサも素っ頓狂な声をあげた。
「なんでそっちはアニラービーなのよ!」
「なんだって?」
「あーっ! 二頭目は自分を千切ったの! どっちもバカじゃない!」
こっちはランプシーだったか。
二頭目はアニラービーの分け身。
「揃ってたら気配が混じってわかんない。どうしてこうバカなことだけ考えつくのよ」
「問題は?」
「ない! あの子の魔法が強すぎるだけ!」
「ありがたいね」
双方、天馬を駆って空を舞う。
「あっちもランプシーだったら説得できたかもだけど」
「アニラービーは?」
「どうせ女の子の言うことしか聞かないわ」
「お前だって女の子だろ」
「比べてみなさいよ」
「悪い」
「悪いわねほんとに! ほんとに!」
二度も怒鳴られた。
今となってはノクサがアユミチの味方をしてくれる理由などないかもしれないが、それでも付き合ってくれるノクサに悪かった。
「お前はレディだからな、ノクサ」
「悪いわよ、それも」
「アユミチさん」
追ってくるカヨウの呟きが、すぐ後ろに聞こえた。
「悪い虫と楽しそうに」
「ほらみなさい」
「離れなさい」
迫るカヨウが杖を構えた。
向こうは戦馬車、手綱を握る必要があるアユミチより使える手が多い。
そもそもアユミチにまともな手などない。
だから――
「っ」
「な――⁉」
手綱を離した。
アユミチを再び捕えようと迫るカヨウに向けて、両手も足も天馬から離した。蹴った。
「お前を――」
カヨウがアユミチを捕まえたいように。
アユミチもカヨウを捕まえたかった。
戦馬車から下ろしてこの手で抱きしめたかった。
強力な魔法を使えるカヨウにアユミチにできることなどない。
ノクサとの会話で少しでも気を逸らし、カヨウの目を感情で曇らせただけ。
「迎えに」
戦馬車の縁を掴む。
反対の手でカヨウの肩を掴んで、
「ひっ」
必死だった。
強く握りすぎたかと、カヨウの表情でわずかに気持ちが
けれど離したりはしない。これを逃せば二度とカヨウを――
『ブルァァァッ!』
騎手が、少女が攻撃を受けたと判断したのだろう。
戦馬車を引く天馬が激しく揺れた。
アユミチを振り落とそうと、上下に、合わせて横に。
「あ」
ふわっと体が浮く。
空に投げ出される。
掴んでいたカヨウも一緒に――一緒にはできない。道ずれにはしたくない。
「あゆ……」
一緒に死にましょうと、さっき言われたせいだ。
その可能性を考えてしまって手を離した。
「……ん」
わずかに迷ったカヨウの瞳。
けれど瞬きの間に結び直して、かんざしに力をこめた。
「大丈夫ですよ、ママと一緒に――」
捕まえるのはアユミチではなくてカヨウ。
空に投げ出されたアユミチに向けて、もう一度束縛の魔法を。
「母親なんて」
ばさぁぁ!
艶やかな羽がアユミチの視界を覆い尽くした。
色鮮やかな、艶やかな色。
「そんな大層なものじゃないのに、ねえ」
ぐんっと、思わぬ方向に引っ張られる。
虹色の翼を羽ばたかせる天孔雀の背に乗る――
「夢見過ぎよ」
「……」
ずっと傍観者のように振る舞っていた彼女が、手にした宝石をひとつ放ってカヨウの魔法を打ち消した。
「……アスパーサ」
「見ていられないわね、おかしくって」
努めて冷ややかに言うけれど。
その奥の隠し切れない何かが、手にした貴石を
◆ ◇ ◆