法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
貴石の魔法。
トローメの貴族に伝わる強力な魔法。
トローメ王宮に秘されて続いてきた一族であれば使えるのは不思議ではない。
貴族でなければ使えないわけでもないが、貴石を消費するのだから一般に広く伝わることもない。
抜きんでて得意とした女がいた。
彼女の血筋はどうでもいい。たとえ心優しい少女時代があったとしても、歳月と狂気が心も形相も大きく変えてしまっていただろう。
使うこともないと思っていた。
都を離れてしばらく、身を守る為に何度か使って以来。
貴石はそれだけで価値を測られる。争いのもと。
美しい衣類は、それをまとう女も合わせて価値を見られやすい。
呪いのように周りを不幸にする女でも、外側から見る者はそんなものわからない。明日の不幸など思いもしない。
生きてきた。
そうやって生きてきた。
ただそれだけ。
――母として、言わせて下さい。
何の力もない、ただ流されるだけで生きてきた女が言った。
どう見たってその場に上がる役者ではない。絶望と恐怖に震え、力のある男に従い生きていくのが似合いの女が。
腹が立った。
激しく、強く、体中が燃えるよう。
怒り。
怒り。
憤り。
お前など出る幕じゃない。
わたしでさえ既に舞台を降りているのに、あんた程度の女がしゃしゃり出ていいはずがない。
腹が立った。
苛立ちが抑えきれなかった。
悔しくて。
情けなくて。
嫉妬した。
母である女をうらめしく。
空を駆けていく天馬と戦馬車。
残されたのはなんにもない、虚ろな自分と空から降ってきた無価値なたからもの。
もう全て終わったのに。
もう何も見えない。
フォティゾが約束してくれた未来は、見えなかった。
わたしに届くことのない明日。
「アスパーサさん」
女が声をかけてくる。
「……なあに?」
幼い娘の手を引いて、これ見よがしに。
馬鹿にして。
馬鹿にして。
母親だからって。
いい母親を演じて、さぞ気分がいいんでしょうね。
「助けてあげて下さい」
「……」
「事情はわかりません。だけど」
「……」
呪い子と
売女と蔑まれた。
世界に忌み嫌われた。
真っ直ぐに生きられるはずがない。彼のように正しい道を信じられるはずがない。
「あなたにはまだできることがある」
「今さら……」
「あなた自身の為に」
男たちはきょとんとしている。
飛び去ってしまった二頭の天馬を見送り、他にできることもなく。
真剣な眼差しでわたしに訴えるコニーの様子に口を挟めず。
「見ているのがつらいのですよね。だから目を逸らしている」
「占いの真似事かしら?」
「あなたの話をしています」
何がわかるというのか。
わたしにだってもう見えないこの先。
「わたしぃ? 世界の未来をどうにかするなんて――」
「世界なんてどうだっていい。そんな話はしていません」
「じゃあなに? センセイ達ならきっと心配ないわ。もう結果は決まっているのよ」
「自分のことをちゃんと見なさい!」
年齢はいくつだろう。
わたしより十歳は下の女が、知ったような口を叩く。
娘の手を引く母親だからって、とても強そうに。
「事情は知りません、聞くつもりもない! だけど!」
「……」
「あなたには今できることがある! やるべきことがあるでしょう!」
「……今さら」
「今から! 今しかできない! いつだって今から始めるしかない、誰だってそう!」
未来は見えていた。
物心ついた頃から、わたしには明日が見えていた。
その未来はもうわたしの手から離れて、約束の結末に向かうだけ。
「今さら……」
ずっと見ていた。
空の彼方に、明日のずっと先に、何かひとつくらいいいことがあるのだろうと。
遠くの空を。
「今からしか、できないんです。いつだって」
もう一度。
同じ言葉をもう一度。
「……今、から」
「見ていられないんですよね、きっと」
手を握られた。
理想的な母のような彼女が、薄汚れたわたしの手を取る。
「怖くて見ていられない」
「……違うわ」
「ええ」
ゆっくりと頷いて。
否定しているのに否定されない。
柔らかさ。
わたしには持ち合わせのないもの。
「怖いのは、あなただけじゃない。だから」
「……」
「あなた自身の為に、どうか」
「……勝手なことばっかり言ってくれるのね」
「はい」
貧しく物を知らず、自分も救えない無力な女のくせに。
わたしが欲しかったものを知っている。
悔しい。
羨ましい。
思わず溢れそうになった何かを見せたくなくて、手を離した。
「そう」
空から降ってきた宝物。きらきらの宝石が石ころのように転がっている。
こんなものだって何かの役に立つのか。
「一度くらいまともに力を貸しなさい、フォティゾ」
手招きの
「あなたの代わりに見てきた。わたしに」
ろくでもない絶望の神だと思っていた。今でもそうだと思う。
それでも一応は繋がりを持つ相手。
「予定にない幕を見たいんでしょう」
『クィィィッ!』
年下の女に立派な母親面をされてみて。
過去にいくらでも侮蔑の視線など受けてきて、そんなもの気にならないつもりだったのに。
いじけていた胸のどこかにまだ残っていた。
意地が、残っていたみたい。
「……私の負け、ね」
「いいえ」
空から降ってきた。
鮮やかな翼の巨鳥がわたしの呼びかけに応じて、どこかで待ち構えていたように。
その背に乗り、湿気っていたつまらない意地に火をつけた女に息が漏れる。
「強いのね、知らなかったわ」
「母親ですから」
そう。
理屈ではないけれど、だから納得できる。
それなら、わたしにもできるのかもしれない。
「ありがとう」
「はい」
天孔雀が翼を広げる。
世界の理から外れた馬鹿げた鳥の背に乗って、ふと思い出す。
まだ少女だった頃に、自由に空が飛べたらと夢見たことがあったと。
可能性を信じていた幼い頃。
「あなたはあなたの思う通りに」
「思い通りにならないことばかりだったわ」
どこまで見渡しても、何も。
全ての幕は終わった。知っている限り全て。
だから。
「新しい幕を開けてみるわ。わたしの手で」
翼をはためかせ、見知らぬ空へと舞いあがった。
◆ ◇ ◆
「アスパーサ、どうして……?」
「出る幕じゃあないわね、センセイ」
宙に投げ出されカヨウに囚われる寸前で、天孔雀を駆るアスパーサに拾われた。
そこから再び、ぽいっと捨てられる。
「うぁっ!?」
「ここはあなたの出る幕じゃないの」
やはり裏切り者、と頭を
すっこんでいろという意味だったらしい。
「なん、なんだよっ」
「どういうつもりか知らないけど」
鞍にしがみつきながら体勢を整えるアユミチと、目を瞬かせるノクサ。
アスパーサが見据える先、戦馬車を宙に止めて見つめ返すカヨウの表情は冷たい。
「邪魔です」
かんざしが光を放ち、アスパーサの貴石がその光を散らす。
貴石の魔法。
ビッテスの専売特許ではないのか。
惜しまず貴石を使うような人間がそうそういないだけで。
「出る幕じゃない。あなたなんかの出る幕じゃありません」
アスパーサの言葉をアスパーサにぶつける。
宙に止まった戦馬車の周囲を飛ぶ天孔雀に向けて、カヨウが魔法を放つ。
地上で受けた絶対に転ぶ光の魔法。この上空で受ければ落下して死ぬのではないか。
アスパーサの貴石が半球状の障壁が、押し寄せる光の波を受け流した。
「そうもいかないのよ、子供にはわからないでしょうけど」
「そうやって!」
アユミチには魔法がわからない。
アスパーサとカヨウがぶつけ合う魔法、輝きが散る光景だけ目に映る。
言葉と共にぶつかり、散って。
「見透かしたみたいに! いつも!」
「子供を不安にさせないためでしょう。大人なんだもの」
「馬鹿にして!」
「別に馬鹿にしているつもりはないのよ。だけど」
強い魔法はそう何度も連発できないと聞いていた。
だが、レーマ様の使徒であるカヨウにその常識は当てはまらないのだと思う。
アスパーサの方は、貴石という触媒があるからなのか。
「フォティゾが力を貸してるわ。あのひねくれ者が珍しい」
アユミチに二人の間に割って入る力はない。
力はなくても止めたいけれど。
出る幕じゃない。
アスパーサの声色には有無を言わせない何かがあった。
カヨウに危険が及ばないよう邪魔にならない位置で見守るだけ。
「珍しいのか?」
「自分が表に立つ奴じゃないのよ。どうせなるようにしかならないって感じで」
お互い神の助力を受けた魔法使い。
空の上でぶつけ合う。
力を。
言葉を。
「ママ、ママって、ね」
「黙りなさい!」
「母親なんてそんなたいそうなものじゃないのに、何も知らないものだから」
「それは――」
カヨウの怒気が膨れ上がる。
振り上げたかんざしが、かっと天を貫いた。
「あなたがそうなんでしょうっ‼」
ズガガァァァッ!
一瞬遅れて天から跳ね返ったように光が落ちた。
空を飛ぶ天孔雀とアスパーサを貫く。
「ええ」
「っ――!?」
アスパーサの頭上に出現した六角の水晶が、カヨウが落とした光を受け止めた。
水晶塊の中で光が乱れ、また収束して放たれる。
カヨウの乗る戦馬車の横原に。
「くぅっ」
「わたしはそう、こんな母親を望む子なんていないでしょうね」
光を跳ね返した水晶塊が砕け散った。
距離を取ろうと戦馬車が駆け出し、天孔雀がそれを追う。
「私は違う! あなたなんかとは!」
「だったらよかった、そう思っていたわ。本当よ」
カヨウがなおも放つ魔法を打ち払いながら、自嘲気味に呟くアスパーサ。
駄々っ子を追うように。
「ママ、ママって。ありもしない幻想を見て、相手に自分の夢を押し付けて」
「うるさい! うるさいっ!」
「大差ないでしょう。仕方ないとは思うけれど……違うわね」
ふふっと笑って。
「申し訳なく思うし、恥ずかしかったのね。わたしも」
「あなたに、関係ないっ!」
「だったらよかったのね。お互いに」
戦馬車が旋回して向き直る。
強く、強く、そうしていないと泣き出してしまいそうなカヨウの顔を正面に。
「たぶん十八年前だったかしら。そう言っておいた方がいいと思うの、勘ね」
「なにを……」
「都を出て、あなたを産んだ日のことよ」
………………
……………………
…………………………
「……」
「いつどこで生まれても、救えない人生を歩んで不幸な死を迎える未来しかなかった」
「……」
「何を変えても、環境も状況も違っても、堪え切れない絶望の中で死ぬ運命しかなかった」
「……」
「西部の村の孤児院で育つ。貧しい食事で背丈は伸びなくとも、それだけが繋がっていた」
「……」
「捨て森であなたを救ってくれる人と出会える唯一の道だった」
「……」
「それが私の娘。それが、他に何もできなかったあなたの母親」
「……」
…………………………………………………………
…………………………………………………………
…………………………………………………………
「なんでもしてあげれれば良かった。ただ手を引いてあげていられたらよかったんでしょうね」
「……嘘つき」
「そうね」
「嘘つき」
「そうよ」
「どうして嘘だって言わないの! どうして本当だって言わないんですか!」
「わたしじゃない方が嬉しいでしょう」
「嘘つき‼」
支離滅裂な会話。
戦馬車に乗ってかんざしを構えるカヨウと、最後に手に残った貴石を握るアスパーサ。
出る幕じゃない。
まさに、どこにも。
「幻滅したでしょう。ママなんて」
「私は……」
「だからあなたは、素直にセンセイに甘えなさい」
「私は」
「その方がきっと幸せなのよ。背伸びして母親になんかならなくても」
「私はっ!」
ぐわん、と。
空が歪む。
「なんだ!?」
「これは……っ!」
カヨウが光っている。
いや、カヨウの乗る戦馬車が輝きを放つ。
「レーマの力だわ! あの子と繋がってた!」
レーマ様の使徒となったカヨウ。
アユミチを連れ戻して謝らせると約束したと言っていた。
できなければ死。
「俺はなんともなかったのに!」
「つながりの強さが違うのよ! あれは」
空が歪むとしか言いようがない。
そもそもスカーアのせいで薄明るい異様な空模様だった。その一部が、まるでコンクリートのひび割れのように何か開いていく。
「私は……」
「心配いらないわ」
隙間から、巨大な腕が伸びた。
やや日焼けした健康的な印象の女の腕が、世界に割り込むように。
圧倒される。
あまりにも大きな存在。
身がすくむ。畏怖で動けない。
「
ふわりと香る。
アスパーサが砕いた紫の宝石が散り、彼女の香りを運ぶ。
「
「っ!」
空から落ちてきた腕がカヨウを掴んだ。
小人を掴む巨人の手。
そのまま掴み上げて、ぎゅっと。
粉々に。
光の粒にして。
隙間の中に戻っていった。
戦馬車もそれを追って消える。
「どう、して……」
「そうね」
アスパーサの腕の中に。
女神の手には匂いだけを掴ませて、彼女が世界よりも大事に思う娘はしっかりと。
「母親だもの、ね」
「……」
「なんだってできるのよ、きっと」
さっきはできないと言っていたのに。
支離滅裂。理屈も何も通らない。
「出る幕じゃなかったわね、ほんと」
「……あぁ」
ノクサの言う通り。
その通りで、それでよかったのだと思う。
巨朝の背の上でつながる母娘の手を見て息が漏れた。
◆ ◇ ◆