法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
今さらお母さんだなんて言えなかった。
あなたが生きている姿を見て、溢れる涙を堪え切れなくて。
煙草の咳でごまかすのが精いっぱいだった。
◆ ◇ ◆
「向こうに二人とも無事だって伝えてくるわ」
「アスパーサ、だけど……」
「話しておきたい人がいるの」
イーペンの家に戻るというアスパーサ。
向こうに状況を伝えておきたいのはアユミチもそうだけれど、一緒に戻ると言えない。
地上にその理由を見つけてしまったから。
「困るでしょう。なんて話せばいいのかわからないのよ」
アスパーサの腕の中でカヨウは顔を上げない。戸惑っている。
天孔雀を寄せて、何か魔法の力でふわっとカヨウをアユミチに預けると、アスパーサも困り顔で苦笑した。
「センセイに任せるわ。大事にしてくれるでしょうから」
「……」
なんと言っていいかわからない。
アユミチを見上げたカヨウは、小さく頷いてまた
急に母と告げられて整理できていない。暴れる様子はもうないけれど。
「ノクサリージュ、あなたの見立てを教えてくれる? さっきの手を見てどう思うかしら」
「レーマ・ルジアの手だった」
カヨウを握り潰そうとした女神の手。
レーマルジアではなく、レーマ様。
「意識してのことじゃない。たぶんあれはこの子が約束を諦めたから現れたのよ。自動的に発動した制裁だったけど、顔はなかったし見ていなかったからでしょうね。同じ匂いの幻を捕まえて潰したみたい」
「女神の復活とは無関係?」
「レーマ・ルジアが一部でも顕現したから、レーマルジアの覚醒は読みやすくなったわ。ちょうど一日後になると思う」
「そう」
「寝返りをうった感じ。もうすぐ起きる」
目覚めの前。
レーマ様の裏面とも言えるレーマルジアの覚醒までの刻限。
ノクサがそう言うのならそうなのだろう。
「ついでに貴石をもう一度集めてくるわ。東港の方も回るから安心して。ちょっと当てはあるのよね」
「それは助かるけど」
「その子をお願いね、センセイ」
「俺は……」
「野暮なこと言わせないで。ちょうど、そこに」
切れ長のアスパーサの目がすっと下を指す。
山小屋。温泉のある休憩所。
天馬も天孔雀も高い飛行能力がある。争っている間にこんなところまで来てしまった。
「他にも待っている人もいるみたいだから」
「……あぁ」
「じゃあ」
「あの……」
アユミチに抱えられて小さくなっていたカヨウが声を上げる。
おずおずと。
「……また……」
「……迎えに来るわ」
「っ……ん、はい……」
ぎゅうっと、鞍を握るカヨウの手に力がこめられ、小さな体が震えた。
迎えに来る。
孤児院で育ったカヨウにとって特別な感情を呼び起こす言葉だったのだろう。
約束の言葉を残して、アスパーサは南東に向かって飛び去って行った。
「少し休もう、カヨウ」
「……はい」
強く思い込み、誰の言葉にも耳を貸さなかった少女。
アユミチを救うたった一つの方法だと信じて、自らを犠牲にしてでも女神に願いを叶えてもらおうとした。
アユミチには
がんじがらめになって固く結ばれていたカヨウの気持ちを解いてくれた。
母だと名乗り出るつもりはなかったのだと思う。
そう心に決めていた。
アスパーサもまた、思い込みでがんじがらめになっていたのだ。
何がきっかけだったのか、やはり我が子を想う気持ちが勝っただけなのかもしれない。
天馬の手綱を引いて下に向かう。
山小屋の脇で待つファニアの所へ。
アユミチが何の成果も持ち帰れなかったことも含めて話しておかなければならない。
「……」
他にも、伝えなければならないこともある。
どんな顔をされるかを思うと怖くて、世界の終わりより怖いものがあったと自分の小ささを思い出して苦笑した。
◆ ◇ ◆
「失敗はお互い様だ」
ゆっくりと首を振るファニア。
「こちらも、スカーアを望む声を抑えきれそうにない。あんな女神でも、外から来る敵よりも頼りたいと」
「そうか……」
スカーアを間近で見た鬼巫たちは女神への信仰を曇らせていた。
彼女たちとファニアがいても、里の住民の意思は女神を望む方向へ流れる。
里の女たちにとって敵は外の人間。女神だけが里の救いだと。
レーマ様の助力を失ったアユミチと合わせて、どちらも失敗。
「明日、か」
ノクサは山小屋の屋根で空を見ている。
異変があったら教えると、心配ないとも言っていた。
「レーマルジアが目覚めれば男は死滅するんだったな」
「ああ、残った女子供も王蠍に追われることになる」
「地獄だな」
「ファニア」
この流れが止められないのなら。
選ぶしかない。
アユミチが選べる道など限られている。
「カヨウと、里で生きてほしい」
「……」
「女神と争わなくていい。スカーアも里の女を無意味に殺すこともないはずだ」
「降れ、と」
「そうだ」
負けられないと、そう思ってきたけれど。
どうあがいても勝てないこともある。
気持ちだけではどうにもならない。
敗北を受け入れる。
過去の歴史の中には必ず敗者となった者たちがいる。
教科書や歴史書には描かれていなくとも、その決断の中にきっとあったのだろう。自身が敗者となり滅びても守りたい、残したい何かの為の選択が。
全てを守れる力なんてアユミチにはなかった。
「アユミチ」
ファニアは責めない。
ゼラを取り戻すことを諦めた。子供たちをみすみす犠牲にした。この現状の解決策を失敗した。
そんなアユミチを責めることもなく。
「他に、何か言いたいことがあるんだろう」
「……ファニア」
促す。
アユミチの横で、俯き加減に裾を掴んで離さないカヨウとアユミチを見て、静かに。
「カヨウを、妻に迎えたい」
「……」
「この子を大切にしたい。君やゼラと同じように」
「そうか」
「ファニア」
ファニアの表情は変わらない。静かで、最初からわかっていたと。
ゆっくりと目を閉じて、数秒。
開いて。
「それで?」
「そ……いや、だからその……」
「許可がほしいと?」
他のことは責めなかったファニアだけれど、アユミチの甘えを突く。
わかってほしい、わかってくれるだろうという甘え。
「私の? あるいはゼラ様の許しがほしい。なら、私は許可しない」
「ファニア、俺は……」
「ゼラ様も許さないだろう。拒絶する権利は私たちにないのか?」
「それは……」
「アユミチ、あなたは私を愛すると誓った。あの言葉は嘘か? 軽々しい上っ面の囁きだったのか?」
言われて当然のこと。
ファニアにはその権利がある。
「最後の一日だと言うのなら、アユミチ。私は夫に、その一日を私にくれと言うことも許されないのか? 私の夫は、最後の日に他の女を愛する許しをくれと言う」
「……」
「私を了見の狭い女と思うのならそれもいい。けれど私は、あなたの愛が軽薄なものだったなんて思いたくない」
返す言葉がない。
ゼラもファニアも、アユミチにはもったいない女性だ。その愛を得て、愛を誓っておいて、世界の終わる日に別の少女を加えようとする。
そんな恥知らずな行いを黙って許せと迫ったに等しい。
「ファニア様」
アユミチから手を離してカヨウが一歩進み出る。
「申し訳ありません。私は……」
「君が謝ることではない」
カヨウの謝罪に、やはりファニアの表情は動かず、そっと首を振る。
「私の夫と私の問題だ。君に謝られる筋ではない」
「……ですけど……」
「アユミチ」
一歩、ファニアも距離を詰めた。
真っ直ぐにアユミチの目を射貫く瞳。
「私は許さない。ゼラ様も許すことはない」
「……」
「話が終わりなら、これで」
「ファニア」
手を掴んだ。
これで終わりだと、離れていってしまいそうで。
「我がままだってわかってる。ひどいことを言っている、最低だと思われても仕方ない」
もう一方の手でカヨウの手も掴む。
「君も、この子も。大好きだ、愛している。ゼラに誓った気持ちも嘘じゃない。自分でもどうしようもないけど本心だ」
「……」
「ゼラも、君も、許してくれないかもしれない。許可してほしいなんて甘えだった。それでも俺はカヨウを愛している。ファニア、あなたを愛する気持ちと同じくらいに」
「なら、私は去る」
「いやだ」
ぎゅうっと手を握り、首を振る。
情けない、なんてひどい有り様だ。
「いやだ……」
「……」
「殺されたってこの手は離さない。俺は……」
わがまま。
心のまま欲求のまま。
理屈も何もない。子供だってもっと分別がある。
「ゼラも、ファニアも、カヨウも。他のどこにもいってほしくない。どこにもいかせない」
「……そうか」
傍目で見ていればどれほどクズなことを言っているか、考えるだけで自分を殺したくなる。
それでも本心で、本気で、正直な気持ち。
「ゼラ様の怒りを買っても変わらないのだな」
「……謝る。他に何もできない」
「……カヨウ」
ファニアが呼ぶ。
「はい、ファニア様」
「だ、そうだ」
「ありがとうございます、ファニア様……」
空いている方の手と手。
アユミチが握っていない方の手をファニアが伸ばして、カヨウの手がそれを握る。
「ファニア……?」
「ゼラ様が許すから。私が許すから、この子を妻に迎える。そんな無礼は許してやれないさ」
諭すように呟くファニアに、涙を浮かべたカヨウが顔を寄せた。
背丈が違う。ファニアの胸に顔を埋めて頷く。
震えて、泣いて。
「私が許さなくても妻にしたい。誰に許してもらえなくても手放さない。そういう気持ちで言ってくれなければ、この子が惨めだろう。残念ながら女心がわからない人だとは知っている」
「ありがとう、ございます……ファニア様……」
「……」
アユミチは馬鹿だ。
知っているが、痛烈に思い知らされる。
世界最後の日に、最後の日だから。
気づいて、言葉が出てこなくて、気づかされて恥ずかしい。
「……ごめん」
「遅い」
ファニアは決してカヨウに対する意地や敵意で反対したのではない。
アユミチの姿勢を正す為に。
半端な気持ちで、腰の引けた態度で、カヨウを妻に迎える許可をくれとファニアに言った。そのように見えた。
そうじゃない。
本気で、心から愛する女性として、どんな反対があっても貫きたいと示さなければならなかった。
ゼラが許してくれたからあなたを愛するのではなくて。
たとえゼラが許してくれなくても、あなたを愛しているのだと。
誰が許してくれなくとも、本気で愛する心を言葉に。
「ファニア様、わたし……ずっと、悪い子で……ファニアさまに……」
「そんなことはない」
アユミチの姿勢を正し、カヨウの不安を拭い去った。
おまけとして妻にしたいと言ったのではない。愛して、欲するのだと。
「私も、君を畏れていた。きつく当たったと思う。悪かった」
「いえ……いいえ、そんな……」
「可愛い顔が台無しだぞ、カヨウ」
涙が溢れるカヨウの頭に頬を擦り付けて、優しく囁く。
目の前で妻が妻を口説いているような。
「風呂に行こう。女と女の話だ」
「……はい」
ファニアに促されて素直に頷くカヨウ。
すっと、二人の手が抜ける。
「鈍感な男は後だ。もう少し反省してもらう」
「……はい」
本当に返す言葉がない。
カヨウと同じように頷くしかできず、しゅんとしたアユミチに対してファニアは嘆息気味に、
「少々覚悟もしてもらわないといけないからな」
「覚悟……?」
「最後の日なら」
ふふっと流し目を残して、
「一生分の愛をもらわないと困る。二人分だ」
「……」
「嫌だとは言ってくれるなよ、我が夫」
「……はい」
ぽつねんと。
湯殿に消えていった妻たちを見送って、頭の中で
「……アホか、俺は」
情けない自分らしさがまさにすっかり自分しくて苦く笑う。
世界を救うとかなんだとかそんな人間じゃなかった。
けれど身に余る幸せを得て、こうして最後の日に向かえる。
「馬鹿だな……」
最初から最後まで。
それが自分。
理解してくれる妻たちの存在に感謝しつつ、自分が求めた結果の責任に応えられるか不安を覚えた。
身の丈に余るものを欲した。
最後くらいは格好つけたいものだけど。
「……がんばれよ、俺」
言ってみて、あまりの頼りなさにまた苦笑が漏れた。
◆ ◇ ◆