法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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 ※甘受
 現代では不本意でも受け入れる意味で用いられる。
 原意では、満足してこころよく受け入れるの意。


7-73.甘受 ※原意

 

「ファニアさま、すみません……」

「それをやめよう、カヨウ」

 

 不思議な湯殿。

 岩壁から溢れる熱い湯と冷たい水が交差して、岩を並べて作られた湯船を満たしている。

 どこか薄っすらと薬味のような匂いが漂う。涼やかで心が落ち着く。

 脇に生えていた香砥草(かおりとくさ)――歯磨き草として広く分布している――で口をゆすぎ、柔らかな手拭いで涙で濡れた顔を温め、拭って。

 そのままファニアが優しくカヨウを洗ってくれる。

 大切なものを慈しむ指使いで。

 

「謝らなくていい。お前は何も悪くない」

「ですが……」

「同じ人に惚れただけ。まあ、あっちには少し反省してほしいと思うが」

「……はい」

「私にだけ優しければよかったと思うよ」

「そんな人なら、きっと好きになっていません」

「それも困ったところだ」

「はい」

 

 女同士。

 今までずっと頑なだった心が、肌と肌で触れ合っているうちに柔らかく。

 

「やっぱり、ごめんなさい。今までずっとカヨウは悪い子でした」

「……もういいさ」

「ファニア様に意地悪をしようとして、いっぱい……ゼラ様にも」

「わかった」

 

 石鹸(しゃぼん)の泡で背中を撫でていたファニアの手が脇を通り、腹を登って喉に。

 背中には柔らかなファニアの感触が、温かい。

 お母さんの方が柔らかかった。

 

「もういい、お互い様だ。それにしても随分と素直になったものだ」

 

 ファニアの心音とカヨウの心音が響き合う。

 体温がおんなじになっていく。

 

「アスパーサさん……お母さん、だったんです……」

「そうか」

「……ご存じでしたか?」

「今思えば、君を見る目が時々。彼女は君を思って行動していたんだと思うと納得できる」

 

 女だからそう感じたのかもしれない。

 

「コニーさんにも、ひどいことを……妬んでいたんです、私」

「仕方がないさ」

 

 優しい。

 こんなに優しいファニアに、ずっとひどい態度を取っていた。意地の悪い嫉妬をぶつけて。

 後悔する。

 どうして過去の自分はファニアに冷たく当たっていたのか。

 もっと素直に接していたら、良い関係を築けていたのかもしれなかったのに。

 

「コニーは、そうだな。私より気づいていたのかもしれない」

「……はい」

 

 少し前のことを思い返す。

 母親として、何かできることはないかと手を伸ばしてくれた。

 あれはカヨウにではなくお母さんに見せたかったのかもしれない。

 

 

「ファニア様、あの……」

「くすぐったいか?」

「その……」

 

 泡で濡れたファニアの指がカヨウの首元まで滑る。

 くすぐったいし、心地好い。

 身を任せたくなってしまう安心感。

 

「私も素直に言わせてもらおう」

「……はい」

 

 少し声に緊張の色が混じる。真剣な声音。

 アユミチの三番目の妻に、二番目の妻から。

 正直な気持ちであれば面白くないはず。それは当然のことで、わかっている。

 

 

「私は、君を妹にしたかった」

「……はい?」

「お姉ちゃんになりたかったんだ。カヨウ、君の」

「……はい?」

 

 真面目な声で、後ろからカヨウを抱きすくめる形で。

 なんだか妙な感情を囁きかけられた。

 

「お前のお姉ちゃんだ。私が、お前のお姉ちゃんなんだ。あぁ」

「……」

 

 ファニアの指。

 鍛えられてはいるけれどとてもしなやかで、力はアユミチよりも強い。

 カヨウの華奢な体をしっかりと捕まえたまま泡のぬめりで隅々まで擦っていく。

 

「ファニア様、ちょっ……ん、落ち着いて……」

「妹になってくれ。私から君への頼みだ」

「わか、あっ……わかりました、から……」

 

 先ほど、ファニアはカヨウの気持ちを思いやってくれた。

 嬉しかった。

 女としてずっと魅力的なファニアと同じほど愛してくれていると、アユミチに言わせてくれたこと。

 気後れしながら愛のおこぼれをもらうのではなく、同じ高さまで抱き上げてくれたように感じた。

 感謝しているし、好きになってしまった。

 そのファニアからの頼みというのなら否やはない。

 けど、ちょっと、ファニアの指がいっぱい……

 

 

「だめ、ファニアさま……っ、ファニア姉さま……」

「それと」

 

 身をよじって震えるカヨウの頬に手を添えて、唇を押し当てられた。

 

「んっ……」

 

 目の前に、まつげが届くくらいの近さに、美しいファニアの顔。

 柔らかくて温かい唇の感触に、ぎゅっと体を縮こまらせて。それからゆるく力が抜けていく。

 全身から、震えと強張りが消えて。

 

 

「私も、ゼラ様から受け取った。アユミチの妻として」

「……はい」

「すまなかった。嫌だったか?」

 

 初めて。

 こんな風に誰かと唇と重ねたのは初めて。

 

「……いいえ」

 

 なんというか。

 ファニアに好意を感じているせいもあるけれど。

 

「本当に、許してもらえたって……安心、できて……嬉しいです……」

 

 女同士。アユミチを奪い合う関係ではなく。

 一緒の方を向いていてくれる味方。

 受け入れてくれたと思える。そう思うと余計にファニアの体温を優しく感じた。

 

「ファニア姉様……」

「カヨウ」

 

 もう一度、今度はカヨウの方からせがむように顔を寄せる。

 優しい人に愛されたい。

 この人と一緒なら安心できる。

 

「緊張は、ほぐれたようだな」

「……はい」

 

 ああ、この人はこんなにカヨウのことを気遣ってくれていたのか。

 緊張で硬くなっていたカヨウの体が、温かなお湯と優しさですっかり柔らかく蕩けている。

 口づけも、今みたいにすればいい。

 お姉ちゃんが教えてくれた。

 

「じゃあ、呼んでやろうか。私たちの旦那様を」

「……はい、ファニア姉様」

 

 お母さんも、ずっとカヨウを思っていてくれた。

 新しくお姉ちゃんもできて。

 世界が終わってしまう前に、この日を迎えられてよかった。

 今度こそ本当に、素直な気持ちでアユミチと向き合おう。

 息が詰まるような好きはもうおしまい。

 優しくて幸せな好きを全身で伝えて、全身で受け止めよう。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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