法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
夜が来ない。
どんよりとした空模様のまま変わらない。
スカーアが自分を隠していた
彼女の目からは世界がこんな風に見えていたのだろう。
「ブルルゥ」
「あのバカ、レーマのことしか見てなかったものね」
穏やかに鼻を鳴らした天馬を撫でてやる。
他の連中もレーマに引き寄せられて踊っていたけれど、スカーアは少し違った。
レーマにへばりつく影のようで、レーマの光に飲まれていた。
スカーアにとってはレーマルジアが全てだった。
「……ああ、こっちにも」
空から何かが降り注ぐ。
流れ星のように瞬き、綿毛のようにふわりと。
レーマの宝物。量はそこまで多くはないが、ぽつりぽつりと。
天馬はノクサの手を離れて、散歩でもするように歩いていった。
呼べば戻ってくるだろう。
「レーマルジアが戻ったら、ノクサはここにいられない」
力関係ではなくて存在として。
この繭の中に同時にいることはできない。
「この中の生き物がどう変わっていくかなんて、ノクサはどっちでもいいんだけど」
神の姿を真似た人間たちが繁栄する世界。
ポスフォスたちもまた原始の息吹に残っていた記憶から形作っただけで、その姿が絶対というわけでもない。
人間が滅んだとして、馬でも狼でも、蝶でも海豹でも蜘蛛や貝だって構わない。
繭の中で色とりどりの花が咲き草が芽吹いて命が巡るのなら、それを見ているだけでも楽しい。
お話しできればもっと楽しいけれど。
「スカーアの思い通りっていうのは、ちょっとムカつくわね」
ノクサに特別な力はない。
契約した相手から、その意思によって刻をもらって、少しだけ一瞬に凝縮して返す。
アユミチから受け取れるものはもうない。
無い袖は振れない。
「あのバカの理想の退屈を延々見せられるのもうんざりしそう」
何も知らない頃だったならよかった。
永遠に変わらない。死よりも質が悪い。
とはいえ、何ができるものか。
「……うん?」
天馬が戻ってきた。
呆けていたノクサのもとに、何か短い紐……棒だろうか、そんなようなものをくわえて。
びよんびよんと、天馬の歩きに合わせて上下にぶるぶると。
馬具のような何か。どこかに落ちていたのか。
「ムチ……馬上鞭?」
元はランプシーの魂を千切って作られた天馬だが、女神の庇護を外れて今はただの獣。魔獣。
馬具を見つけて嬉しくなってしまったのか。
いや、自分の尻をぶつだろう鞭を見つけて嬉しくなるのはどうかと思う。いや、ランプシー……いや、それでも。
「鞭って……お尻?」
ランプシーの意志が消える直前に何か言っていた。
レーマのお尻を乗せたかったとか。魅惑的な丸みのお尻。ランプシーは尻に思い入れが強かったのかも。
「ブルルゥッ」
得意げに。
ノクサの前に置いていなないた。
「叩けばいいのかしら?」
ノクサが持つには大きすぎる。
さて、これはなんだったか。
◆ ◇ ◆
「リードゥ様」
パラーサは先代ヨハルハの花札だ。
とうの昔に聞いている。スカーアの目覚めは外の世界の終わりと同義。
哀れだとは思うが、里を守る為には仕方がないと割り切っている。甘いひよっこ連中とは違う。
「もう抑えきれません。里の者たちはさらに集まってきます」
正直なところ、外の世界に恐れも感じていた。
里の中しか知らなければ、少し大きいくらいだろうと思っていたけれど。
実際の外の世界は想像が及ばぬほど広く、数が多い。
花札が何人いたところで、外の世界が本気になればこの里など数日かからず飲み込まれてしまう。
だから隠れ里。隠れ住んでいるから隠れ里だった。
「このままでは雪崩れ込み、誰が依り代になるとも知れません」
「わかっています」
里の者を守るのが花札と守女の役目。
隠れ里は開かれてしまい、外の脅威が襲ってくる。
先の第一波はどうやら撃退できたようだが、終わりではない。さらに襲撃があるかもしれない。
今は世界に放たれた魔獣と病の流行でそれどころではないだろうが。
「再考し、女神の下で進む道を選ぶべきかと考えます」
「……」
「里の者を守る為の判断です」
「それで、誰か依り代を選べと。言っておきますが花札のあなたはなりません。女神に慈悲がなかった時はパラーサ、あなたが最初の盾となるのですから」
「はい」
女神スカーアの様子はもちろんパラーサも見た。
気分次第、状況次第で里の女相手でも容赦などないだろう。
女神を戴いたとしても、里の者をまとめる為に、最悪の時は盾として死ぬべき役目。
「既に、依り代はおります」
新たに選べなどとは言わない。
里の者を守る花札が誰かを犠牲にしろなんて。
「女神の器として、あの娘たちには栄誉と言えます。女神も既にお選びでした」
「再びあの子たちに?」
「別に誰かを選ぶことはありません」
今も女神スカーアに必死で抗うレフカースの妹カンナと、その親友のクヌーイ。
心を取り戻す様子はない。
「不安に駆られ危うい心持ちの者よりよいでしょう」
「パラーサ」
リードゥと話すパラーサにシュキが口を挟んだ。
静かに、けれど強く抗議する目で。
「里を守るのを諦めるのならシュキはお前を許さない」
「誰が諦めているか。ならお前に他に方法があるのか言ってみろ」
「女神スカーアは恐ろしい。シュキは会った」
数日前まで怒りで我を失っていたシュキ。
女神スカーアを間近で見て、あの時は怒りとは別種の表情で男どもに斬りかかっていった。
恐怖に背中を押されて不用意に攻撃を仕掛け、隙だらけだった。
映像で見ていただけだが、付き合いの長いパラーサにはわからないはずもない。
「里のみんなに、あんな思いをさせるのは嫌」
「なら襲われて死ねと言うのか」
「守るのが花札。ヨハルハ様の花札」
「っ……」
綺麗事を。
苛々する。
「女神の復活を阻止してどうなる? 外の世界が持ち直せば、次に滅びるのはこの里だ。お前だって現実を知っているだろう」
「アデスタの仇だと思っていた」
急に話が飛ぶ。
薬師のことか。
「関係ない話だ」
「違った。逆恨みだった」
毒気を抜かれてしまった。
平常心を取り戻し、顧みて。
シュキはあの薬師に対する怒りを失い、迷っている。
「外にもまともな人間だっている。だが全てがそうじゃない」
「女神スカーアがいれば、その場所は重くて息苦しいところになる。この里がそうなる」
「いなければ外からくる敵に殺される。選択の余地はない」
「……」
シュキはそっと首を振り、リードゥが息を吐いた。
「まさにそこです。パラーサ」
「リードゥ様」
「選択の余地がない。選べる道がない」
「ですから」
「今、こうしてどうするか話し合っている。そんな悩みさえなくなってしまうのでしょうね。女神の下では」
もう一度深く息を吐いてからどこか遠くを見やる。
「私が花札だった頃の話です」
守女の長リードゥは、先々代鬼巫の花札だった。
見かけだけではわかりにくいが、寿命ももう長くはない。
そんなリードゥが、既に遠くへ旅立った当時の鬼巫や花札達を思い出して話す。
「外の世界も捨てたものばかりではない。無論、過去に里に迎えた者もいて、わかっていたつもりでした」
「……」
「
何の昔話か。
時間の猶予があるわけではない。
だが、リードゥが自分の話をするのは珍しい。彼女の心の整理に必要な話のようで、妨げるのも
「ですが彼女は私たちの誘いに頷かなかった」
「それは……」
「理解も納得もできなかった。腹立たしいとさえ思いました」
いつも落ち着いた雰囲気のリードゥが感情を見せる。
怒りではなくて、自嘲。
当時の自身の幼さに。
「だいぶ経ってからサノミアが彼女からの手紙を届けてくれました。都の小貴族に嫁ぎ、孫娘も生まれたと」
「その話、先代の鬼巫様にと
「世話になったのはこちらもでしたが……あの時、里へ来なかった彼女が彼女なりの幸せを得た。それを聞いてようやく胸のつかえがとれた気がしたものです」
ヨハルハが鬼巫を務めていた頃、当然パラーサたちも王都にいた。
小貴族が鬼巫と接する機会などそうそうなかったが、手紙を託された。珍しいことだったのでパラーサも覚えている。
「女神の下ではそんな選択もない。そんな世界を孫たちに残す」
「何も残らないよりもいい。私はそう思います」
「あなたが正しい。これは私の感傷です」
パラーサの意見を否定する為に話したのかと思っていた。
身構えていたが、リードゥも現実はわかっている。
スカーアを否定してみたところで、その先は里の滅び。
たとえ自由を失っても、里の者の命を思えば選べる道は限られる。
そして何より、里の者の多くがその道を望んでいる。
恐怖に追われてのことだけれど。
「皆に話しましょう。身を削って耐えてくれているレフカースには申し訳ありませんが」
スカーアの再度の目覚めを望む声が大きいのだから。
それが里の決断。
感傷はある。誰だって、パラーサだって、正しく明るい明日を選択できるのならその方がいいのはわかっている。
でも、できない。
里を守る為に、恐ろしい面を有する女神に
「ですが、パラーサ」
押し寄せ嘆きの声を上げる人々の群れに向かいながら、リードゥは振り向かずに言う。
強く。
「あの娘たちを再び器にすることは許しません」
「……」
「使うのはこの身。里の誰も、犠牲になどさせません」
「……は」
「枯れかけた身です。渇いた女神と馴染むとよいのですが」
「……」
冗談だったのかもしれない。
笑うわけにもいかず、シュキと視線を交わして。
守女の長として里を守る責任と覚悟を示すリードゥの背に、黙って頭を下げた。
◆ ◇ ◆
迎えが来る。
約束の、だったのか。
約束はしていなかったはず。けれど約束通りのようにも思う。
「……あぁ」
時機を窺っていたかのように。
山小屋の前に降りてきた。
空っぽの戦馬車を引く天馬が。
「アユミチ……」
「アユミチさん」
二人の呼びかけに頷いて、その頬にもう一度ずつ唇を当てた。
「行ってくるよ」
なんだか、待っているような気がしていた。
会わなければならない誰かが待っている。
そんな予感はあった。
「うん」
「はい」
止めない。
けじめを着ける為に、最後にすべきことの為に発つアユミチを。
左右の頬に柔らかく返された唇の温かさ。
「ノクサも行こうか?」
「ずっと助けてくれた。ありがとうノクサ」
「別に……」
「俺はもうお前に何も返してやれないけど」
借り物の寿命は全部使ってしまった。
残りかすだけのアユミチには何も与えられない。
「こっちを頼む。大切な奥さんなんだ」
「聞く義理はないのよ」
「ああ、わかってる」
「わかってないでしょ」
「そうだな」
「そうよ」
意味の通らない会話。
ノクサの気持ちはわからない。
けれど、これでいいと思う。
「じゃあ、行ってくる」
黙って待っていた天馬の戦馬車に足をかけ、乗り込んだ。
「行ってらっしゃい」
一頭だけが引く戦馬車がゆっくりと動き出して、背中にかけられた言葉が尾を引いた。
◆ ◇ ◆