法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-74.目と目

 

 絹のように美しいとよく言われた。

 生来、血色は薄い。しかし今は赤く汚れて。

 紙を折る自分の指先から血が滲み、白符も赤く色づく。

 

「は、ぁ……」

 

 痛みなどもう忘れた。

 感覚だけは異様なまでに研ぎ澄まされ、触れる空気の粒のひとつひとつまで感じ取れる。

 フローシュはもう下がらせた。

 いよいよ溢れだす黒い霧のごとき澱(よど)みを抑えきれなくなってきて、これ以上付き合わせることもない。

 

「探しに、出る……」

 

 カンナとクヌーイを器にしたように。

 もう一度、肉の体を得る為にそこから出てくる。

 肉体を失い、おそらく一定時間の眠りが必要だったのだろう。

 三日三晩。それに相当する程度の時間をおく必要があったのだと思う。

 

「どこまでできたでしょう、ね」

 

 最初から勝てると思ってはいなかった。

 目覚めるとしても、少しでも力を削いでおこうと。

 直接見た時は、とても人の身では何もできないと理解させられた。巨山のような存在感。

 あれに向かって拳をぶつけていった薬師アユミチ。信じられない、頭がおかしい。あるいは何も見えていない子供か。

 

 途方もない巨山に等しい。

 どう動くかもわからない。

 そんなものが目覚めて里を支配する。

 なら、せめて目覚める前に、少しでも削ってその頂の高さを下げてやろうと。

 空気を抜くように女神の力を抜いて世界に放出させた。

 レフカースは死ぬ。

 けれど、少しでも低くなっていれば、無軌道な横暴に対して抗うことも可能になるかもしれない。

 アハラマたちは残り里の者を守ってくれる。無駄死にではない。

 

 

「……来ましたか」

 

 黒い何かが、どろりとぬるりと折り紙を連ねた花冠から溢れる。

 風呂の中から何かが出てくる。

 

『……そう』

 

 姿は、写し取ったのだったか。

 指が縁にかかった。

 美しい。

 血が滲み荒れたレフカースの指とは比べ物にならない。とても美しくたおやかで、ぞっとするほど美しい指。見るだけで、その指で喉を、背を、全身を撫でてほしいと思わされる恐ろしさ。

 

『おまえ』

 

 全身に霜が降りたように。

 

「……」

 

 目が、合った。

 縁を掴む指と、その後ろの霧の中から光る眼。

 

『しろい、おまえ』

「っ……」

 

 息が詰まる。

 神を直視して、思い知る。

 レフカースはまだ見誤っていた。見くびっていた。理解が及んでいなかった。

 神の存在。

 先に見た時は、ただそこにあるだけだった。

 それだけでも十分に恐ろしいと感じたのに。

 

『見つけた』

 

 凶神の足元をただこそこそと歩いていただけのアリだった。

 けれど今は、そのアリの群れの中にある自分という個体を見て、目を合わせて。

 気が遠くなるほどの存在感に飲み込まれる。

 

『おまえ、レフカース』

 

 実体を持たぬままでも。

 その声に名を呼ばれ、黒い光の圧力でレフカースの意識は塩でも吹き払うようにばらばらに――

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「何ごとか……」

 

 牢から出てよいとは言われていない。

 何者かが放った紙鬼に呼ばれ牢を出て、ざわつく里の気配を感じつつ背天の泉を目指した。

 アハラマがすべきことがあるならそこだと。

 

 裏手にある牢から泉に向かう間。魔獣に壊された跡はまだあちこち残ったまま。

 途中、裏門前の広場がひどく騒がしい。

 かなりの数が集まっている。

 

 背天の泉は決して秘匿されているわけではない。里で生まれた子はみな一度は訪れるのだから。

 常ならば通れる門が閉ざされ、祭りの日でもないのに多くの者が集まり声を上げている。

 

 女神スカーアの目覚めを願い。

 外の者の滅びを願い。

 口々に声を上げている。

 

 フローシュから聞いていた話では、もっと理性的な方向だったのではなかったのか。

 少女の見立てが甘かったのか、何か状況が変わったか。

 

 

「いけません、リードゥ様は里の要」

 

 そのフローシュが声高に言って首を振るのが見えた。

 裏門正面に立ち、集まった女たちに何か言っていたのだろうリードゥに対して。

 

「リードゥ様は残り、皆の導きを」

「私は十分に生きました。後は鬼巫アハラマに託します」

「あんな、肝心な時に何もできない方に!」

 

 ぐ、と。

 腹を思いさま殴られたように突き刺さる。

 返す言葉もない。

 

「そのような――」

「私たちにはリードゥ様が必要です!」

「そうです! 里にはリードゥ様しかいない!」

「何を頼ればいいんですか! あんな未熟な……」

 

 リードゥの言葉を人々の声が押し流す。

 後事をアハラマに任せようと言うリードゥだけれど、アハラマの頼りなさは皆が知っている。

 おそらくリードゥは自らが依り代になると言ったのだろう。しかし、フローシュの反論は里の者たちの総意。

 

「……」

 

 頼りないアハラマなど残されても困る。

 リードゥは守女として長く里を見てきた。皆の信頼も厚い。

 

 

「私は他の誰も女神の依り代には選びません。聞き分けなさい」

「リードゥ様がそう仰るのだ。そのお気持ちがわからぬか!」

 

 パラーサがリードゥの隣で声を上げた。

 力づくでも話を通す迫力。

 しん、と。場が静まり返る。

 

「……」

 

 アハラマに何も言う資格はない。

 ただ唇を噛んで俯くだけ。

 それなら、自分が……

 

 

「他に、います」

 

 静かに。

 静寂の中、フローシュの鈴のような声が透き通る。

 真なる答えを示す。

 

「あ……」

 

 一斉に。

 皆の目が、向いた。

 こちらを。

 

「あ……」

 

 牢から出てきたアハラマの方に、全員の視線が。

 集まり、刺さり、突き抜ける。

 

「あ、あ……」

 

 突き抜けて、アハラマの後ろに届いた。

 

 

「わた……わた、し……」

「……クロロテッサ」

 

 やはり牢を出てきたのだろう。

 アハラマの背に声をかけることもなく、けれど縋りつくように追ってきたのだろう。

 アハラマより頭半分大きな体を小さく縮こまらせて、何も言えぬまま。

 

「あそこに」

「フローシュ、おやめ――」

「あそこに、責を負うべき者がいます」

 

 リードゥの声はかき消された。

 声にもならない声が人々の腹からあふれて、掻き消される。

 人々の総意。

 

「わたしは、あぁ……」

 

 皆、アハラマの情けなさを知っているのと同時に、クロロテッサの所業も知っている。

 この里が世界から厭われ疎まれ、引き返せなくなっている原因のひとつ。わかりやすい明らかな罪人。

 誰も知らないままならよかった。けれど皆が知っている。

 どんな目的であっても、死病を世界中に蔓延させた張本人。

 そんなやり方は誰も認めていないと、怒りと糾弾の声が沸き上がった。

 

 

「クロロ――」

「わたし、ただ……っ」

 

 逃げ出すクロロテッサ。

 里に恨まれるためにやったわけではない。

 女神の求めに応じてやった。手段を選ばず。

 そんな彼女をファニアは許すと言ってくれたけれど、誰もが許せるわけがない。

 外の世界からはもちろん、里の女たちだって苦く感じて。

 

「……」

 

 目が合った。

 背を向けるクロロテッサを追おうとする女たち。

 その後ろで、冷めた瞳でアハラマを眺める少女。

 

「フローシュ、おぬし……」

 

 誘導した。

 クロロテッサに憎しみが集まるよう。

 リードゥさえ利用されたに過ぎない。リードゥが言わなければ別の形でクロロテッサを追い詰めただけ。

 優秀な娘だとは聞いていた。確かに。

 

「ええいっ!」

 

 フローシュを責めている時間はない。

 クロロテッサの様子はおかしい。追い詰められて何をするか――

 

 

「っ!?」

 

 ――カッッッ‼

 

 光った。

 光が貫いた。

 裏門の奥、背天の方角。

 

 稲妻か。

 いや、あれは神雷の葬槍(ケラヴノス)。ならば。

 

 

「ファニア……」

 

 クロロテッサと、ファニア。

 比べたつもりはない。秤にかけたつもりなどなかった。

 しかし、逃げ出そうとしていたクロロテッサの耳に届いてしまった。

 アハラマが呼んだ名前。

 

「わたし、は……?」

 

 何の問いかけだったのか。

 震える声でそれだけ。

 

「待て! ろろね――」

「っ!」

 

 跳び越えた。

 花札の身体能力なら壁など容易い。

 背天に向かう壁を跳び越え、涙の粒を落としながら。

 

「よくも!」

「さあ?」

 

 もう一度振り返りフローシュを睨むけれど、少女はどこまでも澄んだ微笑みで。

 よくも我が花札を手折ってくれたなと。

 

「お急ぎになられた方がよろしいかと」

 

 力でなら、間違いなく格下の少女。

 しかしまんまと扱われた。

 何のためにか、問い質すこともできず。

 

「おのれ……っ」

 

 己のふがいなさを思い知る。

 小娘にまんまといいように踊らされる。

 こんなアハラマでは里の誰もついてきてくれるはずもないかと、その自覚が口惜しく。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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