法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
世界が終わる。
何がどう転んだとしても、たとえ全て思惑通りに進んでも、もうアユミチが戻ることはないだろう。
カヨウの世界は終わる。今日が最後の日。
その最後の日に、まだアユミチの温もりが胸に残っている。
後悔はない。
「私は行かなければならない」
同じ想いを抱く人がいる。
「はい」
使命がある。
たとえ今日で終わるとしてもその前に果たすべきことがある。
「私も、です」
「大丈夫か?」
「ご心配なく」
アユミチを見送ってから身支度を整えた。
「ノクサもいるわよ」
「ファニア姉様をお願いします」
カヨウの目指す方向はファニアと違う。
アユミチのやり残し。相談したわけではないけれど、手分けしてやっておくのも家族らしい。
家族。
カヨウにずっとなかったもの。
「ノクサリージュ様」
「なあに?」
「今までのこと、謝ります。ごめんなさい」
深く美しい赤い瞳をぱちくりと、それからふっと優しく細めて、
「いいわよ、別に」
「ごめんなさい。カヨウは悪い子でした」
差し伸べた両手にふわりと乗ったノクサリージュに、口づけを。
他に何もないカヨウだけれどせめて親愛を示す。
「いいのよ、もう」
「……はい」
アユミチをずっと守ってくれた美しい黒蝶。
ずっと嫉妬して逆恨みしていた。
そんなカヨウを許してくれる優しい女神様。
「一人で大丈夫?」
「独りじゃありませんから」
蹄の音が後ろから。
手を伸ばして首の下を撫でた。
「ノクサリージュ様も気になる方がいるでしょう」
「このままだと、嫌だっていってもあれと長い付き合いになりそうだけど」
時間に囚われない存在。
スカーアもそう。
このままいけば……レーマルジアが降臨したら、ノクサリージュはここに留まれないのでは?
そうはならないと見ているのか。
女神様がそう見通しているのなら、カヨウのすることもきっと無駄にはならない。
「アユミチとの約束は
ファニアは軽く息を吐いてから微笑んだ。
「あっちの勝手も許したんだ。私たちも許してもらうさ」
「そうですね」
物分かりのいい妻の顔で見送ったのだから。
残った時間、自由に生きるカヨウたちを責めはしないだろう。
渋い顔はするかもしれない。
「じゃあ、向こうは任せるぞ。カヨウ」
「ファニア姉様も、御武運を」
「ああ」
額に唇をもらう。
屈んでもらったファニアにも、カヨウの唇を。
目線を合わせて頷いた。
「私は幸せ者だ」
「私もです」
幸せを知った。
満ち足りた。
もう一度頷き合い、離れて。
「それでは、行ってきます」
「ああ、行こう」
孤独ではない。
それだけで世界は色鮮やか。
◆ ◇ ◆
クロロテッサの背に追いすがり、その肩に手が届いて――
「く――っ!」
一条の光が影を貫いた。
王都でも見た。花札が神の雷とひとつとなって敵を討つ様を。
自らの身を犠牲にして。
「マベラ……」
女神の影に向かい
貫いた光の塊はマベラ。アハラマの半身。姉であり妹。
女神を貫き、泉を挟んで対岸に落ちた。黒く焦げた塊となり。
「なんて、ことを……」
アハラマが掴んだクロロテッサの肩から、力が抜けていく。
その場に崩れ落ちた。
これ以上馬鹿な真似をさせぬよう追いかけ、その先で女神が貫かれるのを見て。
ポスフォスの怒りが形を作った神槍。
思えば、エクピキを討つ為にクロロテッサが手に入れてきたのもポスフォスの遺物だった。
ポスフォス関連のものはスカーアとの相性が非常に悪い。
スカーアの影響を色濃く受けるアハラマたちには、とても扱いづらい力。
神に届く、神に刺さる力であるのは間違いない。
まだ確かな形を結ばないスカーアを貫いた。
「なんと……」
女神を倒したというのか。
いかに神の遺物があったとしても、とても敵うような存在ではなかった。
果てしない巨山に向けて槍を投げるようなもの。
表面を削ることはできるかもしれないが、まさか貫くなどあり得ない。
レフカースとマベラが、まさか。
『いた、いぃ……』
呻いた。
ポスフォスの怒りで頭を貫かれた女神の影が、嘆きの言葉を漏らす。
「……」
マベラが命をかけても、倒すには至らなかった。
痛打ではあっても存在を打ち消すまでではない。
どうするか。
いや、通用するというのならばもう一度、今度はアハラマの命を使えばいい。
しかしそれでは里はどうなる。
女神を永遠に失えば、里を守ることはできない。
外の世界はそう、この里を排除すべき敵と見なして襲ってくるのに。
今クロロテッサがそうであるように、味方など望むべくもない。
あの薬師は失敗したのだろう。空の様子がそう告げている。
「女神スカーア……」
クロロテッサが
他に何もなく、アハラマにも背を向けて、苦痛に呻く女神に手を伸ばして。
『おまえ、たちは……』
ぶわっと陰が吹きあがった。泉からあふれ出す。
受けた痛みを返そうと意志を孕み。
「あぁぁっ!」
黒鉄扇を抜き放った。
思いさま、腕も砕けよと力の限り。
「やぁぁぁ!」
重い。
この鉄扇はスカーアの宝具。スカーアの力より生まれ、ゆえにスカーアの力も受けられる。
しかし、重い。そもそもの密度が違う。
暴流の中を枝で抗うようなもの。
あふれ出し、レフカースやこちらを飲み込もうとした陰の波を払ったものの、粉々に砕け散った。
『おまえ……』
「女神スカーア、わたしを……」
クロロテッサが両手を広げる。
後ろからは女たちの声も聞こえてくる。
門を越え、里の者たちも押し寄せてくる。
誰もが女神スカーアを里の救いと信じて。
もはや止められない。
「空っぽのわたしを、どうぞお使い下さい。母スカーアに全てを」
『……そう』
実体のなかった不完全なスカーアに身を捧げると願い出る。
女神は誰でも無節操に器とできるわけではないのだと、ここに至って理解した。
マベラもレフカースも女神の器とならなかった。おそらく意志が邪魔をする。
「空っぽなどと……」
もう止められない。
マベラの残した神槍を拾っている時間はないだろう。
クロロテッサを無理やりでも引きずって逃げても、後ろから来る誰かが女神の器になってしまう。
「アハラマ様……」
「すまぬ」
震えるレフカースに首を振り、クロロテッサの背にあらためて手を置いた。
選べる道が他にないのなら、せめて。
「独りになんてしない、ねえね」
里の女たちに疎まれようとも。
世界中から悪と責められようと。
アハラマの大切な人を、孤独のまま行かせるなんてできない。
「ラハちゃん……」
「ずっと、一緒に」
手を繋いだ。
頬を寄せて、涙で湿る瞼をすり合わせて。
「ロロねえね」
「……あぁ」
二人で、女神の闇に飲まれる。
世界の全てが敵だとしても、孤独でさえなければそれだけで。
◆ ◇ ◆
最悪とは何か。
アユミチには想像もつかない。
死んでしまうことか。何もかもなくなってしまうことなのか。
凡人のアユミチに想像できるのはその程度。
だから、知らなかった。
本当にどうしようもないことが、答えのないものがあるのだ、ここに至ってさえまだ知らなかった。
「アユミチ……」
「レーマ様」
アユミチが散らかしたものが部屋の隅々に積まれたまま。
その真ん中で待つ、美しい女神。レーマ・ルジア。
何にも代えられないほど大恩ある女神。
「なあ、アユミチ」
問答無用で殺されることもあるかと思っていた。
その時はどうしようもない。アユミチがどう小細工したところで為す術はない。
スカーアの目論見通りレーマルジアが地上に降臨し、この世界はなるようになるだけ。
たとえば人間が滅びた後の地球のシミュレーションのように。
無責任かもしれないが、世界の命運などそもそもアユミチに背負えるものではなかった。
「レーマ様」
それでも、一言でも詫びたかった。
嫌いなどではない。
恩義も感じている。感謝している。
好きだと言っても嘘ではない。粗野で適当だけれど、決して悪神だとか邪神だと思ってはいない。
価値観や基準がアユミチと異なっていただけ。決定的に。致命的に。
「アユミチ」
呼んでくれる。
謝る機会がある。
許してほしいわけではない。許されても困る。
ただ、けじめとして一言。
「悪かった」
謝りたかった。
「ごめん」
許しなどもうどこにもない。
「あたしが悪かった」
「……」
謝りたかったのに。
何を。
誰が。
「あたしが悪かった。ごめん」
「……」
頭を下げられて。
「許してくれ、頼むから……」
「そんな……」
深く、両手をついて頭を下げる。
レーマ様が、アユミチに。
あまつさえ、許しを請う言葉まで。
「すまない。アユミチ。あたしが間違ってた」
「……」
たとえばRPGゲームで。
ラスボスが、己の非を認めて頭を下げて許しを願うのなら。
正しい道を信じたい主人公は、どうすればいいのだろうか。
「そんなこと……なんで……」
「ごめん……ごめんなさい……」
許すか、許さざるか。
正解があるなら誰か教えてくれ。
「俺は……」
誰か、教えてくれ。
◆ ◇ ◆