法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
主と友の仇。
そして、この里では持て余す邪心と才覚。
殺したかったわけではない。けれど、この娘を裁ける者も御し得る誰かもいない。
殺すしかなかった。後のことを思えば、生かしてやれる道がなかった。
「……さあ」
息絶えた少女の体をそっと横たえる。
言い残した通り、ファニアは死ぬまでこの感触を忘れないだろう。死んでも忘れられないか。
全てフローシュの思い通り。
「私は里の女ではない」
全て、思い通りにはならない。
スカーアの支配する世界でファニアが生き続けるよう願ったのだろうが。
ファニアの生き方まで、フローシュの思った通りにはさせない。
「こちらを向け、スカーア」
「……」
「私はお前の敵だ」
里の少女を殺した。
血濡れた手で、あらためてスカーアに刃を向ける。
「なんという……」
「不敬な」
「なぜ殺した……殺さなくても……」
これまで場の雰囲気に押し潰されていた者たちが口々に言う。
フローシュの行いを肯定する言葉はないが、殺したファニアを責める。
「あの子の暴走は私の責です。おやめなさい」
「しかしリードゥ様」
「フローシュはアハラマ様を謀ったのです。誰かが罰せねばならなかった。それを……」
責を負うリードゥが
「だとしても……女神スカーアは私たちの母です。女神を失うなど……」
「お守りしなければ……」
女神に刃を向けるファニアを見過ごすことはできない。
表に立っていたフローシュが死んで、今になって自分たちがどうすべきかと主張し始める。
仕方がない。ただ穏やかに暮らしたいだけの者に、主体的な判断など簡単にできるものではない。流されるばかり。
「人間に負けちゃう女神なら必要ないでしょ」
どっちの味方なのか、ノクサリージュがぬけぬけと言ってみせる。
少し高めに舞って、里の女たちにも小さな姿がよく見えるよう。
「信じたい方を信じて見てなさい。手を出したら死ぬだけよ」
スカーアと同じ姿のノクサリージュの言葉に、リードゥが頭を下げ直す。
他の者も戸惑いつつ口を
力で黙らせたいわけではないが、実際ノクサリージュの言う通り。
ファニアの邪魔をするのなら排除する。
そうはしたくない。
「女たち、お前たちが減るのは面白くないわ」
スカーアの方からも制する言葉が発せられる。
女同士で愛を育むのが当たり前の世界を作りたいのだったか。
里の女が減るのは困る。慈愛や情けではなくただスカーアの都合として。
同じ顔をした二柱の女神の言葉を受け、それ以上の異議はなかった。
「女神スカーア」
「……」
「私はあなたを倒す。誓いに従い」
相手にされない。
こちらを向かない。
宣言するファニアを横目にも見ない。
「もう、アハラマ様もクロロテッサも戻らない。ならばあなたは私の敵だ」
アユミチと同じことはできない。
ファニアの剣では斬ることしか。
もしアユミチがここにいたら、前回のように不思議な力でスカーアの魂を引きはがしてくれたのかもしれないが。
いや。
なんとなく、できなかったのだろうと思う。
スカーアが同じ手を食うとも思えないし、あれは偶然の奇跡だったようにも。
だから――
「私のこの手であなたを送る」
フローシュの血が残る手で、強く握り。
「恩義に報い忠を貫く」
アユミチとは違う。
けれど、アハラマもまたファニアが主と仰いだ相手。
どこかで何かが違っていれば、この忠義は果たせなかった。
スカーアに取り込まれたアハラマに、ただ膝を着いて従うことしかできなかったかもしれない。
これは二人の主がファニアにくれたけじめの機会。
「あなたの意志を夜に
宝刀の刀身が宵闇のように輝く。
神を切り取った宝刀星斬り。
誓い、約束を果たす為に振るう。
「輝きの指切り」
スカーアの細首を目掛けて振り抜いた。
◆ ◇ ◆
愚かな人間。
地面の下で、空高くにいる鳥の首を斬ろうと棒を振る。
棒と呼ぶのは正しくない。
あれはエクピキの短刀。神が使うものなのだから神の体も切れる。
けれど、同じ場所にない者は切れない。
潰すことは簡単。
速さも力も、人間とすればそれなりなのだろうけれど、ただそれだけ。
その気になれば叩き潰せる。
けれど、やろうとすると肉が
目覚めの邪魔をしていた白いレフカースを片付けようかと思い、うまく動かなかった。
無理やりでも殺すかどうするか考え、別にいいと捨て置くことにした。
些末なこと。
人間などにこだわり肉体を痛めることもない。
存在する階層が違う。
相手にする必要はない。
大事なのはレーマルジアと私の世界。ただそれだけ。
レフカースへの殺意を手放したのと同じように、この女も捨て置く。それでいい。
届かないのだ。
同じ階層に立たない以上、決して届かない。
じゃれつくことさえできない隔絶した距離。
見向きもしない。
手も伸ばさない。
放っておけばもうじきレーマルジアが目覚める。
レーマルジアは私の手を取る。
それだけが全て。
そうならないのなら、その時は何もかもが無価値になるだけのこと。全部消えてしまえばいい。
愛し合うこと。
殺し合うこと。
それは向き合うこと。
同じ地表に立ち、同じ目線で、手が届く距離に。
神が人と同じ高さにあることはない。
「私のこの手であなたを送る」
肉が、震えた。
呼びかけを受けたように。
「恩義に報い忠を貫く」
ぐいと、引っ張られる。
聞き違いではない、まさに私に呼びかけているのだとしかと信じて。
呼ばれてもいないのに。
「あなたの意志を夜に
おかしい。
固く結んだ誓約に応じているのか。
この肉が。
「っ……」
引きずり出される。
振り向かされる。
見向きすることも拒んだ地表に、強制的に。
目が、ノクサリージュ以外のものを映すつもりもなかった目に、横入りするように割り込んできた。
鮮やかな華のような女。
「輝きの指切り」
器となった女。
お前が強く思っていたから、殺さなくても別にいいと捨て置いてやったのに。
「それなら――」
愚かな人間。
気まぐれに殺さないでおいただけ、それすらわからず噛みついてくるのなら。
「死になさい」
首を狙った剣閃は、人間なら極めた達人の領域なのだろうが。
神が、見て避けられぬものではない。
エクピキの短刀で斬られればさすがにスカーアとて何もないとは言えない。だから避けて、女の剣閃の倍する速度で手を押し出した。
「愚か」
ばちゅん、と。
虫を潰すように、斬りかかってきた女を張り手ひとつで消し飛ばした。
◆ ◇ ◆
「もう無理だ、若大将!」
「女子供は⁉」
「積めるだけ積んで海だ! 乗せられる船はもうねえよ」
東港アナトーリは既に壊滅状態と言えるほど。
魔獣王蠍。家よりでかく鋼のよりも硬い塊が町中を走り回れば、それだけでどうしようもない災害になる。
城壁も落とし穴も乗り越えられてしまっては打つ手がない。
黒い空に飲み込まれ、月が昇らない。
頼りにしていた満月は訪れなかった。
雲っているとかではなく、黒い太陽が沈まないのだ。
当然にあるはずと思っていた満月を失った。天変地異で敗北を喫するとは。
「例の奥方も無事か⁉」
「兄貴と一緒に特等船さ! まともに動かなくても浮かんでりゃいいだろ」
「ならいい!」
負け戦なら負け戦なりにできることをやった。
相手が神だと言うのなら負けるのも仕方がない。せめていくらかだけでも生き延びてくれれば。
あの英雄の奥方もどうにか守りたい。
預かった東港アナトーリの誇りにかけて。
「なら、あとはクソ魔獣に一発ぶち込むだけだ。やりたいバカだけでいい、花火会場に集合だ!」
「どでかい一発お見舞いしてやるぜ」
万策尽きた。
最後の一手は決まっている。
あの魔獣は人間の密集を感じて襲ってくるようだから、特設会場にご案内してやろうと。
歓迎のド派手なパーティを。
極限状態からの最後の命令を聞いたバカどもが、一斉に沸き立った。
「大将! 若大将!」
そんな中、水を差すように泡食って飛び込んでくる者もいる。
「なんだよ、これからいい所だぜ」
「これ以上慌てることもねえだろうよ」
「違う! 大変だ、若大将!」
町の崩壊を前に、それよりも大事だと言うのか。
人生最後くらいは、クソみたいな状況を笑い飛ばしてやりたいところだが。
「なんだぁ?」
「動いてる、動いてます……っ!」
外を指さして訴える。
海の方角。
そっちから王蠍がくるとでも言うのか。
ならさっさと火薬たんまりの倉庫に向かわなければ――
「
「……なにぃ?」
大海魔カルマリィの遺骸から作られた史上最強無敵の戦艦。
それを動かす鍵はもう――
「飛んでます!」
「はぁ?」
世界の終末だ。
ふざけた話はいくらでもあるだろうが。
「王船叉波王、飛翔! 飛翔!」
ふざけてんのか。どうなってんだ、この世界は。
◆ ◇ ◆