法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
ディサイからの反撃に、王蠍は怯まなかった。
慣れたから、というわけでもないだろう。投石器も攻城弓も、何機か壊れていて整備が追い付いていない。
向かってくる王蠍に命中した大矢は、両腕の鋏で払われた。
そのまま勢いを挙げて大手門に激突する。
爆散し、崩れる城門。
承知の上だった。
王蠍とて、堅牢な城門にぶつかればさすがに足が止まる。
「いまだ!」
上から投げつける。
片側に大きな石を結び付けた縄を、何本も。
反対側は地面深くに杭を打っている。王蠍の体に絡みつかせて動きを止める。
「うだぁぁぁ!」
血気に逸る者もあった。
頭ほどの石を両手で掲げて、飛び降りながら王蠍に叩きつけた。
「どうだぁ!」
石が砕け、代わりに王蠍の背中の殻にもヒビが入る。
しかし、
「俺はディサイのシグぶっ!」
縄に絡まる無数の足と違い、尻尾は自由だった。
背中に乗った男の腹に鋭くぶすりと突き刺さり、投げつけるようにその死体を振り払った。
「うぉぁ!?」
「くそっがぁ!」
数人が巻き込まれた。
『ヒシャァァァっ! ギィィィィッ!』
「離れろ! 毒液だ!」
「ひぎゃぁぁっ!」
「あちぃ! うぎぃぃっ」
鋭い尾の先端をさらに振り回し、そこから汚い体液を巻き散らした。
液体だ。避け切れるわけもなくさらに何人か、毒液を浴びてのたうち回る。
腕にかかった者は熱いと叫び、顔に浴びたものは両手で顔を抑えて転がりながら。
城門を爆散させただけでも十数人は飲まれている。
近くで暴れるだけで簡単に、次々に死んでいく。このまま町に行かせれば手が付けられなくなる。
船を係留する縄を絡ませているが、いつまでここに繋ぎ止められるか。
「行く!」
今ここで倒すより他にない。ジナミナが突っ込んだ。
完治した両手に鉄球の拳をはめて、絡まっている王蠍の正面に向かい、
「んっ!」
激突する勢いで右拳を叩き込んだ。
『フヒィィッ‼』
二本の大鋏の間、王蠍の顔面に亀裂が入り、怒りの声を上げた。
「お嬢を守れぇぇ!」
「おぉぉ!」
ジナミナを潰そうと振り上げる大鋏を、左右から縄をかけて引っ張る兵士たち。
全力の拳を放ったジナミナは、次の一撃の為にだけ力を溜めて。
『シャァァァッッ!』
縄のかかる鋏とは別に、尻尾は自由。
膝を落として構えるジナミナに向けて、その鋭い切っ先を貫き、
「させねえよ!」
メムナーンが横から飛んだ。
盾を構え、ジナミナに突き刺さろうとする尻尾を横から弾き飛ばす。
「やぁぁっ!」
振り抜いた右拳の後の、渾身の力を込めた左。
先ほど亀裂の入った王蠍の顔面にぶち込む力は十分。
「んんっ‼」
突き刺さった。
渇きの王蠍の、左右の鋏の間。
顔面――ではなくて。
そこは、黒蝶の話によれば尻。
ブチ抜けば強烈な酸の毒液が噴き出す、尻の穴。
「
ノアカッセは魔法が得意なわけではない。男女差で、女ほど魔法の適性が高くない。
魔法を使うには特殊な薬液が必要で、ひょうたんに詰め込んでいるけれど。
地元ではないディサイでは補充が難しかった。
「退いて下さい!」
王蠍の体液が毒なのは既に知られている。
遠距離で倒せないとなれば、ジナミナに頼るしかない。
砕いた王蠍から毒液を浴びることになる。
かつてジナミナを包み窒息させようとした魔法の水で、飛び散る毒液を飲み込んだ。
「全員どけぇ!」
ジナミナの二撃は確かに王蠍を砕いたが、命には届いていない。
まだ生きている。
顔だと思って砕いたのが尻だったせいもあって、致命傷にはならなかった。だが。
「これなら外さねえよ!」
縄に絡まり、ケツを砕かれて。
その穴の開いた王蠍のケツに向けて、命中精度の悪い金属の大筒を向ける。アルゴ・ノーツ。
「ぶっ飛べ、クソ野郎!」
反乱の時に砕かれ、ようやく治ってきた手で大砲の跳ね返りを押さえつけながら。
にやりと笑った。
「兄貴に会ったらよろしくな」
鉄の弾が王蠍の体を突き抜け、先ほどそれが爆散させた城門に向かってその体液の大半を放射状に巻き散らした。
「……う、てぇ……」
「アルゴ、生きてる」
「あ……あ? あぁ……聞こえねえ……」
「ん」
トローメ海軍は大砲が嫌いだ。
火薬の保存は面倒だし、狙いは難しいし、撃つたびに耳も頭もぐわんぐわんと揺れる。
それなら大矢の方がいい。
しかし、そいつがクソな魔獣をぶっ倒してくれるなら感謝もする。
当てる為に決死の特攻が必要だったが、成功したならそれも報われるだろう。
「お見事です、アルゴ・ノーツ」
「また折れてんじゃねえか、あんた」
「なに言ってんのかわかんねえ……くそ、褒め称えてんだろうな……」
ノアカッセとメムナーンからの声も、大砲を抱えながらぶっ放したアルゴ・ノーツには聞こえない。
見れば、手の肌はひどい火傷を負っているし、片側の手はぷらんと手首から先が垂れている。
脱臼のようだ。どこか折れていても不思議はない。
エクピキの司祭がいれば、こんな怪我もあっさりなかったように治したのだろうが。
「……」
いや、あれが異常なのだ。
あんなもの、人の世にあれば歪みを産む。
怪我をしても気にしない。誰かを傷つけても気にならない。
それはきっと命を軽く扱うことに続いていく。エクピキ教団幹部がそうなっていたように。
この魔獣と同じく、世にない方がいいものなのだろう。
「……」
「アルゴ?」
大砲でぶち抜かれた王蠍の残骸と、その先の城門の残骸。
西港ディサイから、東に位置する王都に向かう表玄関の大手門。
王蠍の体液が嫌な臭いの煙を上げる、その先に。
「どうしろってんだよ……くそが……
王都の方角から。
三度、姿を現した銀色のクソ虫に、残っていた骨も砕けるようた気分でへたり込んだ。
◆ ◇ ◆
霧散した。
スカーアからはそう見えたようだ。
ファニアの姿が散り散りに砕け散ったように。
アユミチがファニアに渡したもの。
一日一度だけ、ゆっくり呼吸する程度の時間、世界から姿を隠す魔法の道具。
難敵と戦わなければならないだろうファニアに、いざという時に使うよう。
正々堂々と戦い勝てるのならそうしたい。
だが、自尊心にこだわり勝機を逃すのなら意味はない。
女神を相手に手段など選んでいられるものか。
「なに?」
戸惑い。
元々、戦いの神などではない。
人では及びもつかない力を持つだけの女。
理解できない状況に、瞬時に対応できるわけではない。動きが止まる。
「はぁぁっ!」
反対に、ファニアは
直感のまま刃を振る。
ファニアを見失っているスカーアに対して、一呼吸の間に。
喉を突き。
手首に斬り下ろし。
斬り返した刃で腹から胸を
スカーアの赤い瞳を、横薙ぎに振り抜いた。
いずれも必殺の力を込めての連撃。
切り裂いた感触も確かに。
しかし、直感が言う。
届いていない。
女神の命に届いていないと、ファニアの直感が。
「お前――」
時間切れ。
かくれんぼの時間は終わり。
ぬるっと回るように切り裂いた目が元通り。
スカーアの魂には届かない。
「許さない」
目に映すより先に、存在を隠す効果が切れたファニアの気配を察知し、振り抜いた先にいたファニアに向かって顔を向けた。
「ああ」
許されるなどと思っていない。最初から。
ここで全てを使う。
「それだ」
ファニアの力では、人間の力では逆立ちしても神には届かない。
だから、スカーアが振り向くその顔に――
「っ!?」
「はっ!」
酒瓶を叩きつけた。
「くぁ!」
ファニアの攻撃など、いかに伝説の名刀を使ったとしてもハエがぶつかる程度にしか感じなかったとしても。
誰だってそう。
自分が顔を上げた勢いで何かにぶつかれば、その痛みは無視できるものではない。
ぶつけた先が、世界の詰めこまれた神の酒瓶なら、女神にも十分に響く。
「ビストニダの……っ」
揺れる。
ゆらぐ。
女神スカーアの存在が、ぶつけた勢いで。明らかにぐらりと。
「ノクサ!」
妻だから。
伴侶として。
遠く離れていても、ファニアとアユミチの絆が途絶えることはない。繋がっている。
「全部だ‼」
アユミチがそうしたように、ファニアも。
◆ ◇ ◆
「ノクサ」
白金に紫陽珠のかんざしを握って、願う。
たしかに絆を結んだ伴侶として、夫が結んだ契約を、黒蝶の妖精に。
「私の全部です」
天馬で波の先を駆けながら掲げた。
アユミチの代わりに、世界を覆う病みを照らす。
彼はきっとどんな形でもカヨウに生きてほしかったのだと思う。
言うことを聞かない悪い子だから。
「端々に、明けの終いと暮れの初め」
輝く。
紫陽珠で指して回す空の境の縁に、一筋の帯のような光明が。
「果ては果てなく、遠ざかりゆく波間より。連なる糸を手繰り寄せ」
見ていても届かず、何もしなければどこまでも遠ざかるだけ。波の向こうに消えてしまう。
だから、糸車を回すように手繰り寄せる。
「仁道結ぶは満ちたる
大きく回した。
紫陽珠のかんざしで円を描く。
円環の光を集める。
空の端から端の光明を、頭上に。
「結びの盈月《えいげつ》」
世界の端に伸びていた光の糸が、カヨウのかざした紫陽珠を中心に集まる。
明かりの強さはそれほどではない。世界の縁から漏れていたくらいの光が、収束しながら空の海に波紋を立てながら集い、円を形作る。
丸く結ばれて、空の海から浮かび上がる満月のように。
「はあぁぁっ!」
本物の月ではないけれど。
今、きっと世界に必要なもの。
黒い太陽に覆われた照らし、人々の心に灯す。
「空にあって、当たり前のものです。だから……っ!」
特別な何かじゃない。
いつだって空にあって、夜の道を照らし、人々の日々を静かに見守るもの。
スカーアにより隠されてしまった月の代わりに、この幻を。
「届ける……私が、世界に……」
アユミチがくれた、当たり前の優しさのように。
これがカヨウの見つけた月だから。
◆ ◇ ◆