法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「なぁに?」
宝物を抱いて散っていくのに。
頭の中、夢の中に許しもなく現れるもの。
「今さら話すこともないでしょう。野暮ねぇ」
「よく言われるよ。野暮ついでに、あなたも気づいていないようだからさ」
この存在の生来の性分なのだろう。
言わずにいられない。
余計なことでも何でも。
天孔雀の中に残っていた魂の切れ端が勝手に喋る。
「この子に幸せな明日をって、そう約束したはずよ」
「ああ、僕はそれを用意したんだけどね。約束通り」
空々しい態度でしゃあしゃあと。
「選ばなかったのさ、その子が」
「……」
「人間はいつもそう、用意した道を選ばない。幼いクムス王子にあなたは言っただろう。その先には非業の死しかないって。それでも彼は進んだ」
「そうだったかしら」
「利用させてもらったよ。僕たちをレーマルジアの
何者かが指をくるくると回す。
渦が生まれ、大小さまざまな球が、一番大きな球を中心にぐるぐると軌道を描き、近づいたり遠ざかったり。
「囚われていた。レーマルジアも、この世界に。世界の命は神という大きなものに」
「興味ないわね」
「あなただって、あなたの娘に囚われていただろう」
囚われていた。
そんなつもりはない。
ただ、自分のその先に何か希望に繋がるものを見たかっただけ。
生き物なのだから、子の明日を願うのは普通のこと。神にはわからないのかもしれない。
「あなたを解放したかったんだよ、その子は」
「……」
「あなたの罪を洗い流すために、今の世界に殉じた。誰もが認める尊い行為をもって、あなたがもう囚われないよう」
「わたしを……」
「その子が明日を選ばなかったのは、なにも彼のためだけじゃないのさ」
お母さんのために。
そんなことは言わなかった。
言えるはずがない。この子が、母を想って命を使ったなんて。
「……ばかね」
それじゃ、困るじゃない。
あなたの明日のために、どれだけこの身を貶めても、どんなに手を汚しても構わないと思ってきたのに。
自分が世界に呪われても、あなたが幸せを得られる明日を願った。そこに自分がいなくとも。
「ああ、僕は野暮なんだそうだ」
言わなくてもいいことを。
知らせなくてもいいことを、わざわざ言いにしゃしゃり出てきた。
「だけど、誰かに知っていてほしいだろう。どこかの誰かに」
「フォティゾ」
大昔、フォティゾの信者は互いに疑心暗鬼になり相争ったと聞く。
全てがつまびらかな透明な世界では人は生きていけない。
フォティゾはそういう目で世界が見えていて、ずっと気が狂いそうだったのだと思う。その苦しみを周囲に押し付けるしかできなかった。
「初めて、あなたに感謝するわ」
「別にいいさ、そんなこと」
「この子の想いを教えてくれて、ありがとう」
こんな母のために命を散らさないでほしかった。心からそう思う。
けれど、アスパーサの想像が及ばないほどの優しい子だったのだと知って、胸を締め付ける切なさと――
「ありがとう、カヨウ……」
◆ ◇ ◆
世界が、優しく輝いた。
揺れた女神スカーアの顔を照らす月明かり。
青白い月光が差し、まるでめくるように露わにする。
その顔は、黒髪赤目のノクサリージュとは違う。金色の瞳を光らせるなにか。
「ノクサ、全部だ!」
「わかったわ」
捨て森で何度も見た。
アユミチが、あのなんでもない青年が、歯を食いしばり大地を踏みしめて敵に向かう姿を。
普段の彼なら決して敵わないだろう相手でも、こうやって。
「はぁぁっ!」
持ち手から割れた酒瓶を捨て、両手で宝刀星斬りを握りしめて振り抜く。
全身全霊。
ようやくその本性を見せた女神スカーアに向かって。
「やぁぁっ‼」
力加減などできない。
全身でぶつかっていく力と共に、輪郭がぼやけるスカーアの体を、左の脇腹から右肩まで断ち切りながら突き抜けた。
「ひっ」
スカーアの小さな悲鳴が一瞬だけ耳に、そのままスカーアが眠っていた泉を跳び越えて対岸に着地する。
「く」
ノクサリージュに命を捧げて放った一撃。
アユミチから聞いた。一年単位で捧げ、自分に残っているのはもう一年に満たない時間だけだと。
ファニアも同じく。
我ながらとてつもない一撃だった。確かに神にも届いた感触。その勢いで星斬りは手から離れ、両手をついてどうにか着地はしたけれど。
「ぐ、ぎぃぃ……っ!」
体を両断した。
その体から、大量の黒い霧のような血が爆散した。
遅れて降ってきたそれらがファニアに降りかかる。その周辺にも。
「う、ぐぅぅぅ……よくも、こんな……」
頭の方に残っていた左手で顔を覆い、片方の金の瞳でファニアを睨みつける女神。
斬りつけたことを言っているのか、そうではなくて素顔を晒したことを言っているのか。
「なんだ……」
これでも死なないのか。
両断されて死なない生き物もいる。虫やミミズなど。そんなものか。
「顔は、言うほど醜くないじゃないか」
「お前ぇ……」
醜いのはその性根、心根だ。
他の誰かの顔を偽って愛を得ようなどと。
あさましい女神。
「おそい……」
スカーアの黒い体液が巻き散らされた大地が喋った。
いや、大地ではない。
黒く焦げかけたような塊。かろうじて姿を保っている。
「マベラ?」
「……」
もう喋る力も残っていなかったのだろう。
ころりと、その体が抱えていた戟槍を転がした。
「……助かる」
「ん」
これでダメならもうダメかと、そう思ったけれど。
「そんなもの、でぇ」
マベラから託された。
それでもスカーアは恐れない。
神なのだからそういうものか。
人間ごときに恐れを抱くようなら、神としての格が知れる。
「私を……?」
断ち切られた部分にどろりと黒い霧が流れる。
飛び散ったそれらも吸い直そうと、ファニアに向かって大きく体を広げるけれど。
「……なに?」
「お前の形、覚えた……」
飛び散った黒い霧の粒がスカーアに集まらない。
水が流れやすい方に流れていくように、マベラの方に集まっていく。ファニアの体に降りかかったそれらも。
「マベラの魂の形を、お前に似せた……器にした、から……」
「無事なのマベラ⁉」
「器を満たすのに足りなかった。だけど……」
力尽きそうなほど搾り尽くし枯れ果てていたマベラが吸収する。
スカーアから飛び散った力を。
皆でスカーアの力を削いだ。少しずつでも、隙間をこじ開けるように。
「刺せ」
「ああ」
ケラヴノスを握り、笑った。
「ありがとう、友よ」
スカーアは退けない。
背を向け、再起を図ればそれもできるだろうが。
王が王の責任から逃げてはならないように。
神は、神である場所から逃げられない。おそらくそういう存在。
「残さず受け取れ、スカーア」
ノクサに捧げきれなかった残りの命を込めて。
青い海の広がる空の下、一条の閃光となって哀れな女神を貫いた。
◆ ◇ ◆
「マベラ、あぁっ……」
戦える力は残っていなかった。
けれど、マベアが生きていると知って足が動いた。
精魂尽き果てファニアとスカーアを見守るだけだったレフカースを立たせ、走らせる。
泉の向こうに倒れたままのマベラに。
「……レフカ、守る……から……」
「そんなの……」
駆け寄り、黒ずみに濡れるマベラの体に恐る恐る手を伸ばした。
崩れ落ちてしまうのではないか。
不安なままマベラの体の下に手を差し込み、その身が確かに形があると感じて抱き寄せる。
「生きて、マベラ……あぁ、マベラ……」
光の槍となって散ったファニア。貫かれたスカーアは黒い
いや、わずかに形を残している。
レフカースたちが見てきたスカーアではない、別の顔が半分ほど。黒い塵の中に浮かんでいる。
「馬鹿なんだから」
マベラはスカーアの残滓を吸っている。
あれを吸い込んでしまったらマベラがどうなってしまうか。
どうすればいいのかわからないレフカースたちの前で、小さな黒蝶が寂しそうな声を漏らした。
「のくさ、りい……じゅ……」
「ごめんね、ノクサが間違っていたんだわ」
その手には割れた酒瓶がある。
先ほどファニアがスカーアに叩きつけた酒瓶。その半分ほど。
「あなたたちに作ってもらうだけじゃだめだった。ノクサが生まないといけなかったのよ」
「わたし、は……」
「我がままなレーマに甘えて全部預けちゃった。ノクサの繭だったのに」
手にした酒瓶の下半分で掬いとる。
スカーアだったものを。
「今度は、ここで生まれてきて。この世界の生き物として生まれなさい」
「わたしは……」
「きっと、あなたが手にするべきものがちゃんとあるわ。皆で作ったんだもの」
「……れーま、るじあを……」
「そうね」
不思議な酒瓶の中に飲まれていく。
「レーマにも、どこかで会えるわよ」
「あぁ……」
「お帰りなさい、スカーア」
とぷん、と。
決して大きな酒瓶ではないけれど。
残っていたスカーアの残滓の全てがそこに吸い込まれて、飲み込まれた。
「あなたをのけ者になんかしないから」
誰ももう応える者はいない。
虚空に囁いて月を見上げる。
マベラを抱いたレフカースも同じように。空が海に覆われていることに今さら気づいた。
「レーマも、きっと帰ってくるから」
届くはずのない空の海の向こう側に、寂し気にもう一度囁いた。
◆ ◇ ◆