法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-85.野に暮らす

 

「なぁに?」

 

 宝物を抱いて散っていくのに。

 頭の中、夢の中に許しもなく現れるもの。

 

「今さら話すこともないでしょう。野暮ねぇ」

「よく言われるよ。野暮ついでに、あなたも気づいていないようだからさ」

 

 この存在の生来の性分なのだろう。

 言わずにいられない。

 余計なことでも何でも。

 天孔雀の中に残っていた魂の切れ端が勝手に喋る。

 

「この子に幸せな明日をって、そう約束したはずよ」

「ああ、僕はそれを用意したんだけどね。約束通り」

 

 空々しい態度でしゃあしゃあと。

 

「選ばなかったのさ、その子が」

「……」

「人間はいつもそう、用意した道を選ばない。幼いクムス王子にあなたは言っただろう。その先には非業の死しかないって。それでも彼は進んだ」

「そうだったかしら」

「利用させてもらったよ。僕たちをレーマルジアの軛(くびき)から解き放つためにね」

 

 何者かが指をくるくると回す。

 渦が生まれ、大小さまざまな球が、一番大きな球を中心にぐるぐると軌道を描き、近づいたり遠ざかったり。

 

「囚われていた。レーマルジアも、この世界に。世界の命は神という大きなものに」

「興味ないわね」

「あなただって、あなたの娘に囚われていただろう」

 

 囚われていた。

 そんなつもりはない。

 ただ、自分のその先に何か希望に繋がるものを見たかっただけ。

 生き物なのだから、子の明日を願うのは普通のこと。神にはわからないのかもしれない。

 

「あなたを解放したかったんだよ、その子は」

「……」

「あなたの罪を洗い流すために、今の世界に殉じた。誰もが認める尊い行為をもって、あなたがもう囚われないよう」

「わたしを……」

「その子が明日を選ばなかったのは、なにも彼のためだけじゃないのさ」

 

 お母さんのために。

 そんなことは言わなかった。

 言えるはずがない。この子が、母を想って命を使ったなんて。

 

 

「……ばかね」

 

 それじゃ、困るじゃない。

 あなたの明日のために、どれだけこの身を貶めても、どんなに手を汚しても構わないと思ってきたのに。

 自分が世界に呪われても、あなたが幸せを得られる明日を願った。そこに自分がいなくとも。

 

「ああ、僕は野暮なんだそうだ」

 

 言わなくてもいいことを。

 知らせなくてもいいことを、わざわざ言いにしゃしゃり出てきた。

 

「だけど、誰かに知っていてほしいだろう。どこかの誰かに」

「フォティゾ」

 

 大昔、フォティゾの信者は互いに疑心暗鬼になり相争ったと聞く。

 全てがつまびらかな透明な世界では人は生きていけない。

 フォティゾはそういう目で世界が見えていて、ずっと気が狂いそうだったのだと思う。その苦しみを周囲に押し付けるしかできなかった。

 

「初めて、あなたに感謝するわ」

「別にいいさ、そんなこと」

「この子の想いを教えてくれて、ありがとう」

 

 こんな母のために命を散らさないでほしかった。心からそう思う。

 けれど、アスパーサの想像が及ばないほどの優しい子だったのだと知って、胸を締め付ける切なさと――

 

「ありがとう、カヨウ……」

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 世界が、優しく輝いた。

 揺れた女神スカーアの顔を照らす月明かり。

 青白い月光が差し、まるでめくるように露わにする。

 その顔は、黒髪赤目のノクサリージュとは違う。金色の瞳を光らせるなにか。

 

「ノクサ、全部だ!」

「わかったわ」

 

 捨て森で何度も見た。

 アユミチが、あのなんでもない青年が、歯を食いしばり大地を踏みしめて敵に向かう姿を。

 普段の彼なら決して敵わないだろう相手でも、こうやって。

 

「はぁぁっ!」

 

 持ち手から割れた酒瓶を捨て、両手で宝刀星斬りを握りしめて振り抜く。

 全身全霊。

 ようやくその本性を見せた女神スカーアに向かって。

 

「やぁぁっ‼」

 

 力加減などできない。

 全身でぶつかっていく力と共に、輪郭がぼやけるスカーアの体を、左の脇腹から右肩まで断ち切りながら突き抜けた。

 

「ひっ」

 

 スカーアの小さな悲鳴が一瞬だけ耳に、そのままスカーアが眠っていた泉を跳び越えて対岸に着地する。

 

「く」

 

 ノクサリージュに命を捧げて放った一撃。

 アユミチから聞いた。一年単位で捧げ、自分に残っているのはもう一年に満たない時間だけだと。

 ファニアも同じく。

 我ながらとてつもない一撃だった。確かに神にも届いた感触。その勢いで星斬りは手から離れ、両手をついてどうにか着地はしたけれど。

 

 

「ぐ、ぎぃぃ……っ!」

 

 体を両断した。

 その体から、大量の黒い霧のような血が爆散した。

 遅れて降ってきたそれらがファニアに降りかかる。その周辺にも。

 

「う、ぐぅぅぅ……よくも、こんな……」

 

 頭の方に残っていた左手で顔を覆い、片方の金の瞳でファニアを睨みつける女神。

 斬りつけたことを言っているのか、そうではなくて素顔を晒したことを言っているのか。

 

「なんだ……」

 

 これでも死なないのか。

 両断されて死なない生き物もいる。虫やミミズなど。そんなものか。

 

「顔は、言うほど醜くないじゃないか」

「お前ぇ……」

 

 醜いのはその性根、心根だ。

 他の誰かの顔を偽って愛を得ようなどと。

 あさましい女神。

 

 

「おそい……」

 

 スカーアの黒い体液が巻き散らされた大地が喋った。

 いや、大地ではない。

 黒く焦げかけたような塊。かろうじて姿を保っている。

 

「マベラ?」

「……」

 

 もう喋る力も残っていなかったのだろう。

 ころりと、その体が抱えていた戟槍を転がした。

 

「……助かる」

「ん」

 

 これでダメならもうダメかと、そう思ったけれど。

 

「そんなもの、でぇ」

 

 マベラから託された。神雷の葬槍(ケラヴノス)。

 それでもスカーアは恐れない。

 神なのだからそういうものか。

 人間ごときに恐れを抱くようなら、神としての格が知れる。

 

「私を……?」

 

 断ち切られた部分にどろりと黒い霧が流れる。

 飛び散ったそれらも吸い直そうと、ファニアに向かって大きく体を広げるけれど。

 

「……なに?」

「お前の形、覚えた……」

 

 飛び散った黒い霧の粒がスカーアに集まらない。

 水が流れやすい方に流れていくように、マベラの方に集まっていく。ファニアの体に降りかかったそれらも。

 

「マベラの魂の形を、お前に似せた……器にした、から……」

「無事なのマベラ⁉」

「器を満たすのに足りなかった。だけど……」

 

 力尽きそうなほど搾り尽くし枯れ果てていたマベラが吸収する。

 スカーアから飛び散った力を。

 皆でスカーアの力を削いだ。少しずつでも、隙間をこじ開けるように。

 

 

「刺せ」

「ああ」

 

 ケラヴノスを握り、笑った。

 

「ありがとう、友よ」

 

 スカーアは退けない。

 背を向け、再起を図ればそれもできるだろうが。

 王が王の責任から逃げてはならないように。

 神は、神である場所から逃げられない。おそらくそういう存在。

 

「残さず受け取れ、スカーア」

 

 ノクサに捧げきれなかった残りの命を込めて。

 青い海の広がる空の下、一条の閃光となって哀れな女神を貫いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「マベラ、あぁっ……」

 

 戦える力は残っていなかった。

 けれど、マベアが生きていると知って足が動いた。

 精魂尽き果てファニアとスカーアを見守るだけだったレフカースを立たせ、走らせる。

 泉の向こうに倒れたままのマベラに。

 

「……レフカ、守る……から……」

「そんなの……」

 

 駆け寄り、黒ずみに濡れるマベラの体に恐る恐る手を伸ばした。

 崩れ落ちてしまうのではないか。

 不安なままマベラの体の下に手を差し込み、その身が確かに形があると感じて抱き寄せる。

 

「生きて、マベラ……あぁ、マベラ……」

 

 光の槍となって散ったファニア。貫かれたスカーアは黒い塵(ちり)に。

 いや、わずかに形を残している。

 レフカースたちが見てきたスカーアではない、別の顔が半分ほど。黒い塵の中に浮かんでいる。

 

 

「馬鹿なんだから」

 

 マベラはスカーアの残滓を吸っている。

 あれを吸い込んでしまったらマベラがどうなってしまうか。

 どうすればいいのかわからないレフカースたちの前で、小さな黒蝶が寂しそうな声を漏らした。

 

「のくさ、りい……じゅ……」

「ごめんね、ノクサが間違っていたんだわ」

 

 その手には割れた酒瓶がある。

 先ほどファニアがスカーアに叩きつけた酒瓶。その半分ほど。

 

「あなたたちに作ってもらうだけじゃだめだった。ノクサが生まないといけなかったのよ」

「わたし、は……」

「我がままなレーマに甘えて全部預けちゃった。ノクサの繭だったのに」

 

 手にした酒瓶の下半分で掬いとる。

 スカーアだったものを。

 

「今度は、ここで生まれてきて。この世界の生き物として生まれなさい」

「わたしは……」

「きっと、あなたが手にするべきものがちゃんとあるわ。皆で作ったんだもの」

「……れーま、るじあを……」

「そうね」

 

 不思議な酒瓶の中に飲まれていく。

 

「レーマにも、どこかで会えるわよ」

「あぁ……」

「お帰りなさい、スカーア」

 

 とぷん、と。

 決して大きな酒瓶ではないけれど。

 残っていたスカーアの残滓の全てがそこに吸い込まれて、飲み込まれた。

 

 

「あなたをのけ者になんかしないから」

 

 誰ももう応える者はいない。

 虚空に囁いて月を見上げる。

 マベラを抱いたレフカースも同じように。空が海に覆われていることに今さら気づいた。

 

「レーマも、きっと帰ってくるから」

 

 届くはずのない空の海の向こう側に、寂し気にもう一度囁いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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