法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
夢の中にいた。
いつから、どうして。
何をしていたのか考えてみて、それまでのことがまた夢のように頭に浮かぶ。
あやふやな記憶。
混沌の海の中をずっと泳いでいた。
他の何かとぶつかり、すれ違い、去来して。
ぶつかりあった相手から力を奪うこともあった。砕けた力が自分に集まっていく。
自分と一体にならなくとも、周囲を回りながら共に泳ぐものも現れた。
そうして進んだ先で何かを見つけて、そこに世界を開いた。
共に来たものたちと共に。
そうしてから、何をしていたのか。
雲が流れていく。
足もとの雲は流れ、形を変え、二度と同じ姿は見せない。
その雲の波間に映っては消えていく生き死にを見て、ぼんやりと時を過ごした。
ぼんやりと、雲が流れていくのを眺めながら。
不意に、妙に頭が冴えわたる。
腹が減る。
渇く。
飢える。
思い出して酒を食らい、外に出る。
空腹を満たすように、空虚を埋める何かを求めて天馬の手綱を引いて外に出た。
腹が膨れればまた眠くなり、霧の中でまどろみに沈む。
何度繰り返したのだろう。
何百年、何千年すぎたのだろうか。
うたたねは時を数えない。
また繰り返す。繰り返し、繰り返す。ずっと。
その時は違った。
欲しくもないものを持ち帰って、愚にもつかない言葉を交わす。
くだらなくて、どうでもよくて、けれど悪い気分じゃあない。
惰眠の時間は減り、忙しなく。
言葉を重ねる。会話が増える。
こんな時間を求めていたように思う。
こんな世界を求めていたように思う。
あれもこれも欲したけれど、手に入れたものに大して価値を感じない。
くれてやる。
別にいい、そんなもの惜しくない。
お前が持ち込む時間は悪くない。
お前の時間が止まってしまった。
お前の熱が消えてしまった。
なんだよ、面白くなってきたような気がしたのに。
何かを思い出せそうな気がするのに。
あたしは火をつけられない。
火の起こし方を知らない。
あたしがどれだけ輝いていたって、そのやり方を知っているわけじゃない。
だから。
お前が自分で火をつける方法を言い出したから。
できないことはできない。
でも、できることはできる。
ああ、そうか。
その為にあたしはもう一度登らないとならないらしい。
手が届かないから見ないようにしていた、井戸の出口を目指して。
手が届かない。
だから、確かな
世界を逆回しに進むための楔を手掛かりに、そっちへ行けたら。
お前の望みも聞いてやれるだろう。
死ぬほど面倒だけど。
意味もないくだらない時間をまた過ごすためなら。
もう一度生まれるくらいの苦労、してやってもいいよ。
◆ ◇ ◆
「謝る。謝るから」
「だから……だから、なんだって……っ!」
手をついて謝る相手に何ができるのか。
全身を
体裁もなにも
「お前が怒ってるのはわかった。お前を怒らせたのはわかった。あたしが悪かったんだ」
わかっていない。
わかっていないけれど、謝罪の意思は本当なのだ。
「あたしが間違っていたんだと思う。だから謝る、ごめん」
「……、……っ……」
なんと言えばいいのか。
何を言えばいいのか。
口を開きかけても言葉にならず、言うべき言葉が見つからず、息が詰まる。
「ごめん……ごめん、アユミチ」
反省が見られないだとか。
誠意がないだとか。
そういうのだったらどれだけよかったか。
上っ面だけで謝罪の言葉を並べてくれていたなら、いくらでも怒りをぶつけられた。
許せるものか。
あんたが悪い。
「レーマ、さま……」
揺るぎない奸悪であってほしかった。
疑う余地のない邪悪を示してくれていたなら簡単だったのに。
悪に立ち向かう善という立場を与えてもらえたら、正しい道は明らか。
物語の終わりに絶対悪に立ち向かう。
もう戻らない覚悟を決めてきた先で、どうしてわかりやすく道を示してくれないのか。
「どうして……イサヤたちを……」
「願ったんだ……願われたから、あたしはそれに応えた」
嘘じゃない。
神は人に嘘を言わない。
そういうことじゃなくて、レーマ様はアユミチに嘘をつかない。
「俺の……」
「全て差し出してもいい。そう言った。捧げられる価値が自分にあるならって、そう言ったんだ」
「俺の願いを叶えるために……」
「お前だって! 言っただろ、言ったんだ。何を犠牲にしてもいい、どんな苦しくてもいいって言った! 言ったじゃねえか!」
ゼラを生き返らせて下さい。
その為ならどんなことでもする。
確かに言った。嘘じゃない。その気持ちも嘘じゃなかった。本当だ。
「俺が……」
洗脳して利用した。
全てを失い絶望に包まれている少年たちに手を差し伸べて、まるで善き兄のような顔で接して。
庇護を与え、甘い飲み物で誘い、考える力を奪った。
精神支配。
そんなつもりがあったとかなかったとか、アユミチがどう考えていたなんて関係がない。
少年たちにとってはそうだった。
人を襲い、辱め、踏みにじり財や命を奪う。
そういう種類の罪ではないけれど。
何も持たない少年たちの目には、神の導き手のように映ったことだろう。
道具として扱い、命を投げ出させた。
奸悪も邪悪も全て自分のことだ。
エクピキ教団のよりも酷い。奴らは私欲を自覚してやっていたのだから。
「……俺が、殺した」
レーマ様が素直に謝るなんて思っていなかった。
責める言葉が行き先を失くして、本来向かうべき方向に突き刺さる。
水が流れるべき方向に向かうように、アユミチの胸に。
「……俺も死ぬ。当然なんだ」
既に残りは少ない命。
なんの報いにもならないけれど、このまま自分が生きていていいはずがない。
ちょうどよかった、なにも良くないけれどちょうどよかった。
「いや」
レーマ様が顔を上げる。
美しい瞳がぎらりと黄金色に輝いた。
「いやだ」
「……」
「お前は死なない。死ぬのは許さねえ、アユミチ」
「レーマ様……」
なぜなのだろう。
イサヤや少年たちを犠牲にしてまでアユミチが生きる理由などない。
レーマ様の方にないはずだ。何をこだわるのか。
「やっとなんか思い出せそうなんだ。だから」
立ち上がる。
レーマ様が立ち上がればアユミチより背が高い。
疑問と迷いと迫力に飲まれて遅れたアユミチをぐいっと掴んだ。
「お前は死なねえ。もうちょっとで目が覚める。よくわかんねえけどそうだ、だから」
「それは――」
レーマ・ルジアではなくレーマルジア。
スカーアが呼び起こそうとしているアユミチの知らないレーマ様。
目覚めれば世界の男が死滅すると聞いている。
気に入らないものを滅ぼして続くような世界にしたくない。レーマ様にそんなことをさせたくない。
そのつもりでここにきたけれど。
「なあ、アユミチ」
「うあっ」
押し倒された。
そのまま圧し掛かられて床に押し付けられて、
「ずっと生きてろよ。お前」
「レーマさま……やめ……っ!」
「これで」
そもそも力でアユミチがレーマ様に敵うはずもない。
敵意ではない姿勢で迫られてしまい、抵抗する機を逸した。
「ずっと生きてろ、なあアユミチ」
初めの日にここで受けたのと同じ。
レーマ様の指がアユミチの胸に触れて、アユミチの中の何かを書き換えた。
◆ ◇ ◆