法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
もう終わりだと思った。
どうやってレーマ様を出し抜こうがなんだろうが、アユミチにできることなど知れている。
レーマ様が許すと言えば許されるし、許さないと言えば許されない。
この先に進むことはできない。
イサヤたちに謝ることもできない。
道は塞がれた。
最初からアユミチの手は届かなかった。
「ノクサ……」
尻を叩いて激励してくれたのに、届かなかった。
申し訳ない。
ごめんなさい。
「伝えてくれ、俺の全部を……」
もう何も残っていないのに。
せめて気持ちだけ、伝えてほしい。岩で塞がれた向こうに、ここにいないみんなに伝えてほしい。知ってほしい。わかってほしい。
あさましい願い。
言うだけの自由くらいしか残されていなくて。
「好きだ」
誰を想って言っているのか、自分でもわからない。
この世界に来てから、短い間だったけれど大切に思えることがいくつもあった。
みんな、好きだ。
愛しく尊く、得難いたからもの。
「大好きだ……」
レーマ様のことだって、嫌いなんかじゃない。大好きだ。
だから、アユミチなんかのために自らを
いつまでもレーマ様のままで輝いていてほしい。
その為に、殺すつもりで。
けれど、それも叶わない。
しょせんアユミチ程度の男に、何を為すことも――
「はい」
アユミチの行く手を遮っていた岩が消えた。
通路を塞ぐ岩の戸が、幻のように霧散した。
固く冷たい岩が消えて、たたらを踏んだアユミチの手を取る優しい手。
「はい、
ずっと求めていた。
失くして、迷って、諦めきれなくて。
葛藤しながらもずっと追っていた。
「あ、あぁ……」
レーマ様との約束を破ると覚悟を決めても、それでも捨てきれなかった。
アユミチの迷いの根元で、アユミチの意志の根元。
もう会えないとしても、彼女に恥じない死に方をしようと思って、ここまで。
「……ゼラ」
「はい」
倒れそうになったアユミチの手を取り、立ち直らせ、静かに見つめて頷く。
「ゼラが参りました、
「あぁ……ゼラ……ゼラ」
どういう奇跡なのか、アユミチにはわからない。
ここは生と死の狭間。こんなこともあるのかもしれない。
なんでもいい。
アユミチの手を取り、アユミチの帰り路を示すように、行く先を照らすように、ゼラの魔法が岩を蛍石の道しるべに変えて並べた。
「ゼラ、俺は……」
「構いません」
謝らなければいけないことがある。
話さなければいけないことがある。
どれだけ言葉を尽くしても足りないものが、両目から涙になって溢れ出す。
「何があったのかは存じませんが、気に病むことなどありません。アユミチ、
静かに、けれど堂々と。
事情など語らなくてもよいのだと、アユミチのこれまでを肯定する。
「
失敗したことも含めて承知して、包み込むように。
「わたくしは、
「……ありがとう、ゼラ」
正しかったとか間違っていたとか、そんな慰めはない。
ただ共に行く。
その約束だけで満たされる。救われる。
「愛している……君がいてくれて……会えて、よかった……」
「はい」
最初から、アユミチ一人でできることなんて何もなかった。
いつも誰かが助けてくれた。
何よりも掴みたかった手を取り、しっかりと頷いた。
「わたくし、アユミチの妻なのですから」
そんな肩書に大した価値なんてないだろうに。
誇らしげに微笑むゼラに、もう一度深く頷く。
「ありがとう、ゼラ」
「さあ」
手を引かれる。
先へ進むのだと、力を込めて。
「お……おい、待て――」
「水を差すのはおよしになって」
呆気に取られていたレーマ様が思い出したように声を発するが、ゼラが言葉と合わせて遮った。
先ほど通路を塞いでいたような岩が立ち上がり、アユミチとレーマ様の間を遮る。
「惚れた男の背、見送るのも良い女というものです。女神様」
「ふ……ふざ――」
レーマ様の怒りが爆発するより先に駆け出した。
ゼラの手を取り、少年たちの魂の墓標が立つ奥へと走る。
「ふざけんな!」
「ええ」
爆発的破壊音。
立てた岩が安々と砕かれるが、ゼラの踏んだところにまた岩の壁が立つ。
「お
「くそ、待てっつってんだよ!」
「女神様まで虜にする我が夫、誇ってもよろしいのかしら」
「どうだろうなっ」
条件、相性がよかった。
レーマ様は、その気になれば全て破壊することも可能だったと思う。
しかし、ここはレーマ様にとっても壊したくない場所で、ついでに今もまだアユミチを殺したくないと思ってくれているらしい。
狭い通路に、レーマ様が呼び出した大岩。
岩で通路を塞ぐという現象が空間に記憶されたのか、ゼラにとって扱いやすい条件が整っていた。
地形効果が実力差を補う。
「そいつを死なせんなって言ってんだよぉ‼」
「……」
ぎゅ、と。
アユミチの手を取るゼラの指に力が入った。
相容れないレーマ様とアユミチの関係だけど。
憎み合っているわけではないのだと思うと、やはりやるせない気持ちは拭いきれなかった。
「出るぞ!」
「、はい」
ゼラが優れた魔法使いだとしても相手は女神。
すぐ背中まで迫る気配を感じながら、通路の終わりに辿り着く。
その先の部屋。青く光りを放って林立する少年たちのものだった魂。
その部屋に飛び込むと同時に、最後に立てた岩戸が打ち破られた。
「させねえって言ってんだろうが!」
「くっ」
力を尽くしてもなお、レーマ様の方が上だ。
伸びた手がアユミチの襟首を掴み、引きずり倒そうと――
「いや」
弾かれた。
「その手は離してもらう、女神レーマ・ルジア」
「なぁっ?」
アユミチを掴もうとしたレーマ様の手を払い飛ばして、
「好きだと、呼ばれたんだ」
「ファニア……」
「そうだろう、アユミチ?」
地上にいるはずのファニアが、どうしてここに。
聞くのも野暮な話。
アユミチの声をノクサが届けてくれた。万感の思いが奇跡を呼んだ。
「邪魔すんじゃねえよ!」
レーマ様がぎりっとファニアを睨むと、その姿がノイズのようにブレた。
霊魂だけの存在。肉体がない。
神の気にまともに当たれば姿を保てない。
「こんな、目茶苦茶で――」
「女神様」
霊体のファニアにかまけている必要はないと、アユミチに目を向け直すレーマ様に声がかかる。
もしそれが、まるで何とも思ってもいない声だったのなら、無視できたのだと思う。
この期に及んでまだアユミチに連なる有象無象として、無視してアユミチを捕らえられた。
聞き覚えのある、多少なりとも何者かとレーマ様が認めた相手でなければ。
「感謝をお伝えします。女神様への感謝を」
「お、ま……っ」
見知った少女で。
場合によってはアユミチのことより評価していた相手で。
なんなら好意さえ感じていたかもしれない。
会話を楽しみ、褒美を与え、力を貸すまでした少女が呼び掛ける。
「ありがとうございます、女神様。あなたのおかげでカヨウは幸せを知りました」
ファニアと同じく、霊魂だけの姿になって。
その上で、恨み言などではなく謝意を伝える。敵意なら即応された。
「けれど女神様」
少しだけ小首を傾げて、諭すように続ける。
まるで姉が妹に教えるような笑顔。
「あなたの思う好きは女神様のものではありません。カヨウの好きです」
「なに……言って」
「アユミチさんを好きなのはカヨウです。女神様の目に映ったカヨウの心です」
同調偏向。バンドワゴン効果、ハロー効果。
周りのみんなが良いって言ってるから、人気があるから、価値を感じる。
そんな現象がある。ありふれてよくある。
神は人の影響を受ける。
カヨウの心の向きを見たレーマ様が、アユミチに好意めいた気持ちを錯覚した。
そう言われると理解できた。
レーマ様がなぜ急にアユミチに体を許すなどと言ったのか。
「その気持ちを利用した私が言うのもなんですが」
「……うるせえ、勝手に決めんな」
カヨウから目を逸らし、あらためてアユミチに目を向けた。
二重の円を描いて立っていた少年たちの魂、その中心に立つアユミチに。
「……やめろ」
「レーマ様」
「やめろ、アユミチ」
小さなナイフ。
最初の日にもらった、刺すと血がどばどば出ると言っていた刃物。
それを心臓の上に構えるアユミチを見つめ、ゆっくりと首を振る。
「すみません、レーマ様」
「うるせえ黙れ」
「耳からクソを流し込むと死ぬ。そう書いてあったんだ」
「……」
神殺しの魔法書。
これも最初の日にここで見たもの。
神を殺す方法のひとつとして。
「ここは、レーマ様の魂と繋がってる場所なんでしょう。だから」
「だったら、なんだよ」
「俺は……あなたと、一緒に死んでやるくらいしかできない……すみません……」
「よせ」
レーマルジアを世界に降ろすわけにはいかない。
レーマ・ルジアも。少年たちの魂を糧に世界に放つのが、よいはずがない。
あの世界にもう神は必要ない。神の存在は人の世を歪ませる。
みんな死んだ。滅びた。
残された神が進むべき道は、身勝手な支配者として君臨することじゃない。
眠りの時間が必要なのだと思った。
「……」
「よせ、アユミチやめら」
ぶすりと、ナイフが胸に刺さる。
切っ先の、ほんの少し。薄皮くらい。
逆手に握った手が震える。
「
「アユミチ」
「アユミチさん……」
震える手に、寄り添った三人の大切な人たちの手が重なる。
「やめろ、お前らも……頼むから……」
「……」
「やり直そう、なあ……みんなでやり直すんだ」
レーマ様の声の向きが変わる。
アユミチに対しての呼びかけではない。
ゼラ、ファニア、カヨウに向けて。
「元通りにする。お前たちも生き返って、みんなでやり直すんだ。なんでも願いは聞く、あたしが」
「……」
「殺さないでくれ……そいつを、殺さないで……頼む……」
弱々しい声音。
弱くて、哀れで、切ない。
さっきのレーマ様とカヨウの会話と同様に、敵意や悪意ではなくて、だから無視できない。
「……」
怖くなった。
いざ刃物を自分の体に突き立ててみて、怖くて動かなくなった。
こんな時まで、こんなところまできても、やはりアユミチは特別な英雄などではない。ただの男。
最愛の妻たちの手を借りなければ自分の決意さえ果たせない、情けない男なのだと。
「……」
ゼラが唇を結ぶ。
ファニアが眉間を険しくする。
カヨウが目を伏せる。
やり直そう。
みんなで、やり直そう。
望まないはずがない。
女神からの提案を聞いて、アユミチを殺すかもう一度やり直す機会があるか。
迷わないわけがない。
それが叶うのなら、と。
ゼラを失ったアユミチが願ったように、もう一度幸せな時を取り戻す手立てがあるのなら。
「な……お前らだって、そいつを殺したいはずがねえ……いっしょに生きて、もう一度……」
「……イサヤたちは……戻らない、だろ……?」
「……」
少年たちを犠牲にして、自分たちだけ幸せを取り戻す機会を得る。
そんなことが許されるはずもない。
「お前が死んだって同じだ、アユミチ……そいつらはお前のために死んでもいいって、そう言ったんだ。それを……」
無駄死ににするのか。
ふいにして、何もかも台無しにして。
「……レーマ様」
「お前が死んでもなんにもなんねえ、アユミチ……何のために死ぬって、意味もねえだろ……なあ」
意味がない。
神の復活をどうにかする、アユミチにできる唯一の方法だけど。
拾えるもの、掴めるものも全て捨ててどうするのかと。
やっと手にした最愛の妻たちの顔を見て、胸が詰まって息もできない。
◆ ◇ ◆
――ほくろかのう?
――違いますよ、きっと。
エクピキの【指】は人を癒す。
癒すごとに、【指】の周りに刻まれていく黒い紋様。
小さな小さな小さな文字で書かれた名前。
異物に引っかかるように最後に残った、ほんの微かな気まぐれのような気持ち。
◆ ◇ ◆