法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
トローメ王国には暗部がある。
そんなことは誰でも知っている。噂レベルなら。
実態など知らずに生きるのが普通で穏当な人生だ。
エクピキ教団が治癒魔法を独占して多くの利益を得ているのは公に知られている。
トローメは男社会だ。若く美しい女を金品のように扱う傾向があり、エクピキ教団は女を使って有力者と繋がっているとか。
大貴族以上の金を持ち、その金で私設の暗殺集団を組織しているとも言われる。
だいたい本当のことだ。
根も葉もない噂ではない。だから畏れられる。
影潰しと呼ばれる非情な暗殺者集団。
エクピキ教団の裏の執行部隊。
現代ではそう滅多なこともないが、古くは貴族院幹部が暗殺されることもあったとか。
そういう事件が減ったのは、貴族院とエクピキ教団の利害が衝突しないことも一因だが、別の理由があった。
直接的なきっかけとして、鬼巫一派に手を出した反撃で影潰しが半壊したことがある。
連日、物静かなエクピキ教信徒の死体が王都のどこかに残された。
連続殺人として調査されるうち、死者の方に奇妙な点が見られた。
およそ善良な一般人とは思えない。
劇物、毒物の所持や売り買い。一般人なのに縁のない地域へ足を運ぶことが多かったり。
安全上の問題と何より経済的な事情で、行商人でもないのに無用に旅行などするわけがない。
遅れてエクピキ教団からの介入で捜査が打ち切りになる。
その後、噂が広まった。
花札の一枚が自決したこともあってかなり事態が悪化して、当時のトローメ国王が仲裁したと言われる。
鬼巫たちはしばらく北府ヴォラスに移され、エクピキ教団には何か罰則が科されたとか。
トローメ国王の王権については奇妙なところもある。
法で最上位と定められているとはいえ、王家が保有する武力は決して大きくない。
都で王族を守る近衛軍と、
精鋭ではあるが、有力貴族が手を結べば大差がついてしまう程度のもの。
だが、古くからの貴族が決して王に反旗を
トローメ王国には、まだ知られぬ暗部がある。
それらはきっと表に出ないことで平和を保つ一助となっているのだろう。
◆ ◇ ◆
カヨウはアユミチに言われた通り残りの衣類を住民に配った。
女神様からもらってきた衣類は、各々肌着一枚ずつ程だったけれど、集落の人たちは思いのほか喜ぶ。
死病に冒され着の身着のまま死を待つだけだったのに、真新しい上等な服をもらって、生きていけるのだと実感が湧いた。
ただ物をもらったというだけではない。意味のあること。
明るい様子で笑い合う住民たちから離れ、集落の外れまできた。
集落の周りには土塁が築かれている。カヨウの背丈くらいの高さ。
ゼラの魔法で、外側の土を掘って壁を作った。出入りする辺りは住民の手で整えたりして。
丸太小屋数棟の小さな集落だけど、周囲を覆うのに十日ほどかかった。
それでも人の手で掘っていたらもっと時間がかかっただろうし、人手もたくさん必要だったと思う。
何より、とても頑丈な土壁。その外側は掘られているから簡単に跳び越えられない。
ゼラが言うには、病気が治ってから前より力が増しつつあるとか。
アユミチは他の人には詳しく話さなかったけれど、カヨウには説明してくれた。カヨウと同じ病気だったと。
土壁に手を当ててみると脈動のようなものを感じる。波というか、風の流れみたいな。
実際に動いているわけではなくて、何かそういう力が波打っている様子が体の奥に伝わってくる。
目を閉じているのにまぶたを透けてくる光、というのが近い気がする。
魔力とか霊力とか、そう呼ばれる力。
襲撃の後アユミチに、ゼラから魔法の基礎を教わるよう言われた。
他の人にはあまり知られないようにということで、土塁を築くゼラの補助の形で傍にいることが多かった。
その頃はアユミチもひどく過敏になっていて、遠くから見守っていたりファニアが警戒についたりしていたけど。
ゼラの魔力で築かれた土塁。
人の手で固めたものではない。魔力が流れた熱がわかる。
わかるのは、カヨウには魔法の素質があるから。
魔法の力があればアユミチの助けになれる。
他の子たちにはできなかったこと。カヨウだけ。カヨウだけが。
すごく嬉しい。
こういう才能をカヨウにくれた親に初めて感謝の気持ちが浮かんだ。会ったこともないけれど。
女神レーマを見て桁外れの力も感じ取れた。
あれは人外。
アユミチの傍にいつもいる黒蝶にも何か不思議な力を感じるけれど、こちらはよくわからない。
なんとなく存在は感じられるのにカヨウの感覚では捉えられない。透明な魚とか、夏の羽虫みたいに。
とにかく少し不思議なものなのだろう。アユミチの関係者ならいろいろとあるのだと思う。
カヨウにとって重要なのは魔法の力を自分のものにすること。
最初は、まず魔力を知覚することから。それは既にできる。
世界には目に見えない、直接触れられない力が存在していて、それを扱うのが魔法。
扱うためには言葉がいる。
こういう方向に力を向かわせるよ、と示すための言葉。
世界を創った時にも、神様は初めに世界に言葉を与えたという。
多くの場合は言葉を口にして。呪符や宝石に刻んで扱う場合もあると聞いた。
ゼラは歌う。
土に手を触れて、土たちに言い聞かせるように、神様同士が競争で山河を作ったというおとぎ話を歌って魔法を使っていた。
聞かされた土たちが、自分たちが動けるのだと思い出したかのように動き出して土塁を築いていった。
同じようにすれば同じ魔法が使えるのか?
その疑問はゼラに否定された。
人によって適性が違う。使えるかもしれないし、まるで効果がないかもしれない。
試してみたら、と言われたけれど。
なんとなく、ゼラの後ろをなぞることに素直になれなくて。
「……」
イメージができない。自分がゼラと同じように魔法を使える姿が思い浮かばない。形にならない。
これが適正ということなのか、ただの反抗心なのか。
結局、ゼラの真似も他の何かも試していない。
「どうかされましたかな?」
少人数の狭い集落だ。
カヨウの姿が見えないと気づけばすぐに誰かが探しに来る。
アユミチにとって特別なカヨウだから、みんなに心配されるのは仕方がない。
「壁に何か? ゼラ殿の魔法のお力、見事なものですな」
イーペンはふむふむ言いながらカヨウの傍に来て、ポケットから取り出した道具をカヨウが触れていた壁に当てる。
丸い金具にはめ込まれたガラスなのか宝石なのか。
「これも魔法の道具で。都を追われた時に持ち出した数少ない物ですぞ」
「魔法の道具?」
「この内側のリングを回すと、髪の毛一本を腕より太く見せてくれるのです。私の財産を少しでも残してやるものかと持っていましたが、ここでは何の役にも立つようもない」
壁に当てた丸いガラスを片目で覗きながら、縁取りの金のリングをかちかちと回す。
髪の毛一本を腕より太く見せる道具。
今は、土の壁を大きく見せているのだろう。
「おお、これは」
「なにかありました?」
「何かうごめくものが見えます。もしや私にも魔力を見る才能があるかと」
男女比で、女の方が魔法使いが多いと聞いた。
男でも魔法を使える人はいる。数は少ない。
イーペンは、この年まで気づかなかっただけで魔法の才能があるのではないかと声に混じる。
「……」
ガラスから顔を離したイーペンが、ほらほらとカヨウにも見るように促す。
なんとなく、このおじさんにも魔法の才能があったらなんだか残念だな、と思ってしまうカヨウは悪い子だろうか。
「……」
「どうです? これが魔力の流れというものでは?」
「……とても小さな虫、ですね。これ」
わくわくと自慢げなイーペンに、申し訳ない気持ちとほっとした気持ち半々で告げると、頬の肉が上から下に落ちた。すん、と。
「でもこれ、すごい道具です。土の中にこんな小さな虫がいるなんて」
「ああ、まさに。世界でも数えるほどの宝物かと」
かわいそうになって褒めて見たら、イーペンの表情に明るさが戻る。
珍しい道具を持っているのだから本当に大商人だったのかもしれない。ただのホラ拭きじゃなくて。
でも、こんなに感情が表に出るようなら、商売人なんて向いていないんじゃないか。
聞かれたら失礼なことを考えつつ、顔には出さず微笑んで頷いた。
◆ ◇ ◆