法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-10.夫婦(めおと

 

「遠慮しなくていいんですよぉ」

「ここまでしたんだ。今さら別に気にすることもないだろう」

 

 森の出入り口付近に、霧が立ち込めていた。

 捨て森を覆う霧。朝夕に多少濃くなるのだが、いつもの比ではない。

 

 虚穴に集中しているくらいの霧が、白く、捨て森と外の境界を遮っている。

 誰もここから出さないよう、とでも言わんばかりに。

 今までこんなことはなかった。濃霧を外の明かりと勘違いしたアユミチがぶっ倒れた。

 

 早く森を出たい、状況を変えたいという焦り。

 歩き疲れて注意力が落ちていたし、日が暮れかけていたせいで余計に外が明るく見えたような気がした。

 その場に倒れたアユミチを、すぐさま引き戻してくれた彼女たちには感謝しかない。

 

 触腕は、襲ってこない。

 霧だけ。

 虚穴とは違う。まあ襲ってきたのならアユミチの命がなかった。霧を吸い込むまでもなく。

 

 

 霧の中にいたのは数秒程度だったそうだが、ものすごい汗を掻いていた、と。

 体温が下がり危険と判断した。

 アユミチと違って野営の準備もしていた彼女らは、丈夫で水を通さない敷物を持っていて、寝かせたアユミチに体温を分けてくれていたらしい。

 素肌で。

 

「あの……ほんと、ごめん……」

「構わない。意識を失っている間に少し周りを見てきたが、やはり外に出られそうになかった」

「どうせ夜は歩けませんしぃ、このまま死なれても困るじゃないですかぁ」

 

 だからって、若い女性がアユミチを素肌で温めてくれる理由にはならない。

 アユミチが絶世の美男子だったりすればともかく、平凡なだけの男だ。

 捨て森にいる人間が、よもやとんでもない資産家ということもない。彼女たちにメリットが何もない。

 

「ほんとに珍しいタイプの人ですねぇ、あなた」

「もっと喜んでくれてもいいと思うんだがな。あれか、男にしかいかない口か?」

「やっ、ちが……すごく、いいんだけど……いや、だめじゃないか、と……」

 

 身動きが取れない。

 吸い込んだ霧の影響もあるし、右半身と左半身にそれぞれビッテスとリグラーダの肌を感じて、動けない。

 アユミチの汗は拭いてくれたらしい。

 裸にして。そりゃあ裸にしなければ拭きにくいだろう。

 

 触れ合った肌の温度がだいたい同じに。けど、きめ細かなリグラーダの肌は極上の布みたいで、柔らかなビッテスの肌はしっとりと濡れていて。

 信じられない状況に硬直して動けない。

 

 やわらかい。あたたかい。気持ちいい。

 無駄な肉のないリグラーダでさえ、女の子の肌ってこんなに柔らかいんだと思う。

 いい匂いもする。きっと野営続きで風呂なんてろくに入れたはずがないのに。

 匂い。女の子の匂い。

 

 いい香りと言えば、アスパーサにもするっと密着されると動揺して硬直してしまう。彼女の距離の詰め方は巧みで避けようがない。

 今回は寝ている間だったからどうしようもない。

 妙な目的ではなく救命措置だったのもわかった。淫らな行為ではなくて。

 

 

「別にいいんですよぉ。男の人ってそういうものでしょう?」

「ここまでしたんだ。入れても入れなくても大差ない」

 

 アユミチに都合がよすぎる。うまい話すぎて怖い。

 ファニアも言っていたか。軍人はわりと性的に奔放な人が多いとかなんとか。

 

 女に幻想を抱きすぎだと、童貞はよく言われる。

 女にも性欲はあるし、若いうちにいろいろと愉しみたいと考えるタイプもいる。

 救命措置とはいえここまでしたんだから、続けてもいい、と。

 続きがある。

 この先、何があるのか。

 

 

「筋肉の感じからだとぉ、もう動けるんじゃぁないですかぁ?」

「たぶん、だいじょう……ひっ」

「こうまで反応がないと、女としては複雑だな」

「元気になりませんねぇ?」

 

 掴まれた。

 魂に近い場所を。左右から、ぞわぞわと。

 

「病気のせい……じゃないですよねぇ? あなたは」

「その……俺、は……」

 

 元気にならない。

 こうしてみてあらためて確認して、わかる。自覚する。

 ずっとそうなのだ。とてもおいしい状況で、普通ならきっと無用に元気になりそうなアユミチの股間に力が入らない。

 

 ゼラやファニアを見てもそうだった。

 カヨウには、相手が幼過ぎたからかとも考えたけれど、そうじゃない。

 

 河原でイサヤの母ノノを襲っていたバズモズを見てからだ。

 あるいはあの男の生々しいモノを見てからだったのかもしれない。

 強い嫌悪感と吐き気と同じ男だというやるせなさとか、女を好き勝手にするバズモズに対する童貞の敗北感だとか、色々全部。

 脳が拒絶してしまう。

 いやだ。怖い。

 

 つまり、立たない。

 

 

「俺には……奥さんがいる、から……」

 

 何か言葉にしようとして、アユミチの背中を支えてくれるように出てきた言葉がそれだった。

 

 ――わたくし、アユミチの妻なのですから。

 

 ゼラの顔が浮かび、耳の奥に言葉が響いて、声に出る。

 いままで認めてこなかったくせに、こんな時には言い訳に。

 

 

「別に言うことでもないだろう?」

「内緒にしてあげますからぁ」

 

 ナイショに。

 今度はカヨウの顔が浮かび、さらにお腹がぎゅうっと縮こまる気分。

 目を閉じて小さく首を振ると、しばらく体を擦りつけていたビッテスがはぁと息を吐いた。

 

 

「そんなに怯えなくていいですよぉ、奥さんのこと大好きなんですねぇ」

「本当に珍しいタイプの男だな。お前」

 

 つまらなさそうなリグラーダの声音と、すっと離れるビッテスの肌。

 重みが消えた右側に、リグラーダから左半身を抜いて寝返りを打った。背中を向けて。

 

「じゃあ私たちは楽しんでるんでぇ、気が向いたら言って下さいね。アユミチくん」

「たまには優男もいいと思ったんだがな」

 

 おいおいおいおい。

 捨て森には凶悪な肉食獣などはいないし、彼女らが準備していた敷物は地面の虫やらもほぼ全て遮断してくれているようだけれど。

 まさか二人で始めてしまうとは思わなかった。アユミチの背中で。

 同行していた兵士たちにエッチな目で見られて嫌だったとか言っていたくせに、その兵士たちもしょうがなかったのではないか。

 

 

 彼女らの吐息を聞きながら、腹の上で両手を握りしめて。

 

「ゼラ……ファニア。カヨウ……ノクサ……」

 

 助けて、と助かった、と。

 祈りと謝罪と入り混じった声で名前を呼びながら、繰り返し。なんでノクサだよと苦笑も浮かぶくらいには落ち着き、気が付いたら朝を迎えていた。

 朝には二人はすっきりとした顔で、昨夜のことなどまるで気にした様子もなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「わたくしはアユミチの妻なのですから」

『だからなんでそうなるのよ』

 

 はぁぁ、というノクサの溜め息なんて聞こえないだろうけど。

 暗がりの中、虚穴に向かうゼラと追いかけるノクサ。

 非難するように飛ぶノクサに、ゼラは言う。アユミチの妻だから、と。

 

良人(おっと)が迷わず帰れるよう支度をしておくのは当然です」

蛍俘石(けいふせき)なんてどこに……作れるんだったわね、この子』

 

 地域によっては珍しくもない、昼の光を集めて夜にぼんやりと光る石。

 捨て森では見ないが、土系統の魔法が得意なゼラには作れるらしい。

 ゼラの手から離れれ十も数えるうちに効果を失うけれど、大地と繋がっていれば残る。集落の土壁のように。

 強固な土壁を広範囲に作るのと比べれば、小さな石を作って足元に置いていくのは負担も少ないだろう。

 

 帰り道の道しるべとして。

 足元を照らす為に。

 

『照らす、ね……』

 

 色々と見えるから争いになる事例も知っているノクサは、嫌なことも思い出すけれど。

 森で迷っているとしたら、ゼラの行為は的外れではない。

 

 

 今日のところはアユミチを探しに行くことはしない。

 明日は明日で考えよう。

 そう話がついて、それでも入り口付近でかがり火を焚いて交代でアユミチを待ちながら。

 

 深夜にゼラがそこに立った。

 ファニアは朝方の交代番。ムンジィが立っていた見張りの代わりにゼラが。

 男と二人は困る。自分もアユミチが心配なのだからとムンジィを下がらせ、一人になったらあっさりと壁を離れた。

 悪びれもせず。しゃあしゃあと。

 

 所々に蛍俘石を転がして、暗くても道がわかるように。

 確かに、夫の帰りを心配する妻としていじましい姿。

 探しに行かないと決めた時、ずいぶんと物分かりがいいと思ったのだが、内心はまるで違った。

 

 

「わたくしのすることに文句があるようですが、黒蝶」

『聞こえないでしょうし、聞いても聞くような性格じゃないでしょ』

「なぜアユミチが不吉な黒蝶を特別に扱うのか……アユミチの女神様と密接な関係があるのでしょう」

『今のノクサはレーマと繋がりなんてないわよ、バカ』

「わたくしからもお前に言っておきます」

 

 ノクサの声は聞こえていないが、ゼラの言葉だけはノクサに聞こえる。

 一方通行で不公平なやり取り。

 

「アユミチの妻はわたくしです。永遠にそれは譲りません。女神様にもそうお伝えなさい」

『永遠……ね』

 

 はばたきもせずゼラの顔の前に止まり、また溜息を吐く。

 簡単に言ってくれるものだと。

 

『はいはい、レーマにも言っておくわよ。機会があればね』

 

 そんな機会は永遠にないだろうけど。

 生返事をして、ひらりと身をひるがえし――

 

 

『あぶな――』

「ここですか」

 

 集落からどれくらい進んだのだろうか。

 闇の奥からしゅるるっと伸びてくる音と共に、巨大な荒縄を叩きつけるような一撃が。

 

「地に在りては巌棲(がんせい)の、舌震う(したぶる)岩戸が峻拒(しゅんきょ)(きょう)(かく)り夜の孤閨(こけい)

 

 ノクサの反応とほぼ同時に、ゼラが地面に右手を着き謳い上げた。

 煩わしさを嫌った女神が、自らの寝所を固く閉ざした昔話。

 魔法の力が、世界に染みついた物語をなぞるように発現する。

 ざっと数人は身を隠せそうな魔法の土壁。高さも大人の背丈を大きく越えるほど。

 

 樹木を砕くような触腕の一撃も、鉄よりも硬いゼラの土壁を砕くことはなかった。

 打ち弾かれ、ぐだりと垂れてからずるずると戻っていく。暗い森の奥へ。

 

 

「ここまでは届く、と」

『……灯りを()くだけのつもりじゃなかったのね』

 

 最初から、ヘレボルゼを調べるつもりで来ていた。

 他の者には内緒で、自分だけで。

 

「アユミチから預かった民を危険に晒すわけにもいかないでしょう。どこまで脅威が迫っているか程度は知っておかなければなりません」

 

 ノクサの声は聞こえていないはずなのに、まるで聞こえているかのように誇らしげな顔で。

 

「わたくし、アユミチの妻なのですから」

 

 

  ◆   ◇   ◆

 





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