法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「トローメがどんな国か知っているだろう? 女の扱いも」
携帯食を一緒に食べながら、リグラーダはドライな口ぶりで薄く笑う。
知っているだろう、と言われても。まあ知らないのだけれど。
「女の身でこの国で生きていくのは大変なんですよぉ。男の人にはわからないですかねぇ?」
「ごめん……あんまり考えたことなくて」
似たようなことは日本でも言われていた気がするが、こことは事情が違う。
身分制度があり、法はあまり守られず、弱者救済なんて考えはなさそうな世界。
ファニアも、女が家督を継ぐことはないようなことを言っていた。
「農村ならそこまでもないか。女が町で生きていくのは、結婚して家に入るか、頼れる男の下に入るかだ。女一人だと働いても金をもらえないことも珍しくない」
「女が生意気言うなって感じですねぇ」
「それはひどいな」
「女は男の言うことを聞いていろと。何かしたいなら明らかに男より秀でなければ認めてもらえないのさ」
ファニアが国軍にいたことを、ムンジィは男より数段上の実力だと言っていた。
実家の後ろ盾があったにしても、結局はそういうことなのだろう。
「悪かったな。女の私に敬意を払ってくれるお前に少し興味が湧いた。別に誰彼構わずするわけじゃない」
「助けてもらってるんだから当然だよ。ここじゃ身分も生まれも、男も女も関係ないから。死病の捨て森なんだし」
「なんだ女のくせに、とか言わないんですねぇ」
「それを言うなら俺こそ、男のくせに情けないだろ」
日本でも異性を下に見る人間はいる。
男ってダメね、とか。これだから女は、みたいに。
電器屋で、女性店員にあんたじゃわからんとか文句言っている男なんかも見る。
ああいう意識のもっとひどいものが、このトローメの常識として根付いているのだと思う。
誰の心にもいくらか偏った意識はあるのだろうが、蔓延していればそれが普通。
「やっぱり、トローメの人じゃないんですねぇ」
昨日と同様に、先行して茂みを払いのけながら進むアユミチの背中にかけられた言葉に、二つ呼吸を置いてから。
「ああ、そうだね」
「どこの生まれなんです?」
「詮索は無しで。捨て森にいるんだからロクなことじゃないよ」
「だろうな」
昨日のように迂闊なことは言わない。
下手な嘘もやめておく。
「歩きやすいように道を払ってもらうのは、なんだか偉いお嬢様になった気分ですねぇ」
「普段から奥さんにもこうしてやっているのか。幸せ者だな」
女性を尊重する習慣がない国だから、アユミチの行動ひとつひとつが不自然らしい。
ゼラには、何か気遣いをした覚えはない。なんだか罪悪感を覚える。
彼女は名家の生まれらしいから、気遣われるのが当たり前の育ちなのかもしれないが。
「また日が暮れちゃいそうですねぇ」
危険な猛獣など出てこない。
だが、ふとすればまた捨て森の境界に出て、立ち込める霧を避けて少しずつ進路を変える。
また日が暮れたら、彼女たちと野営。
昨夜のことを思い出して、変な期待をしてしまう自分が嫌になる。不安が増す。
「いや、もう少しで」
レーマ様に感謝だろう。
見知らぬ土地の森の中でも迷わない。
目的地に確実に近づいている感覚があった。
「このすぐ先に――」
「見よ! 神のお導きでおじゃる!」
西の集落より規模の大きな、村と呼んでもよさそうな体裁の建物たちが現れた。
その入り口付近で倒れているのはアスパーサの取り巻きの一人ステンで、他の住民たちがざわざわと。
「アユミチ! 我らが神が再びアユミチを遣わして下さったのじゃ!」
「ジルボン師……」
進路の選択肢がなく、どうしようもなく東の集落を目指し、辿り着いた先で。
森中に響くようなキンキン声で歓待してくれるジルボンに、申し訳ないやら情けないやら。
◆ ◇ ◆
「戻ろうと思ったらあの霧で。丸一日待ってもぜんぜん晴れないもんだからステンが」
「霧に入って倒れたってわけか」
「どうにか縄を引っ掻けて引きずって戻して、こうして」
ジルボンを送り届けたステンとマノウズ。彼らが西の集落に戻ろうとしたら、出口に濃い白霧がかかっていた。
翌日になっても霧が晴れない。
試しに、と近づいたステンが倒れ、ここまで戻ってきたものの困っていたら、そこに神の使いアユミチが登場。
困ったら現れる。まさに神の使いとジルボンが高らかに宣言したのは、アユミチからすればいい迷惑なのだが。
「治癒術でも治らぬのじゃ」
「ああ、うん」
「陽灯司が捨て森にいるとは驚いたな」
「ですねぇ」
とりあえず霧を吸い込んだステンは、しばらく寝かせておけば大丈夫だろう。
吸い込んだ直後は意識を失い筋肉が強張るが、そのうちやわらぎ、寝ているのと変わらなくなる。らしい。
「すんません、アユミチ様。こいつはほんと考え無しで」
「いやまぁ……」
人のことは言えない。
苦笑いしか出てこないアユミチに、ビッテスがくすくすと笑う。
「どうやってここに? 他に道が……それとも女神様の奇跡ですかい?」
「そうじゃない。あー、なんというか……虚穴を避けてきた」
森から出る道があるわけではない。見つけられない。
西の集落に帰る道がなく、ただ森を彷徨うわけにもいかず、距離的に近かったこの集落を目指しただけ。
戻る道を探すにしても、やみくもにぶつかっていって解決するとは思えない。一度落ち着ける場所として。
「彼女たちは町の兵士さん。ビッテスとリグラーダ。俺を助けてくれた恩人だ」
「使徒アユミチの恩人となれば我らの恩人と同義。もてなすのが本来ではあろうが」
「気にしなくていい。こっちも仕事だ」
「ふむぅ、はて……ところで、女神の使徒アユミチ。疲れておられるじゃろうが別に相談が……秘薬の酒瓶はいずこに?」
秘薬の瓶。
その言葉を聞いたリグラーダが息を止める様子を感じた。張りつめる。
ビッテスの方は変わらず、やわらかく。だけど口を結んで声を漏らさない。
この状況であれこれ隠すのは無理だろう。
「向こうの集落だ。あっちにはゼラ達がいるし、変なことは……ならないと思うから」
「そうでおじゃるか……」
しゅん、と項垂れるジルボンの顎が、首の肉にうずまる。
向こうは今、どういう状況だろうか。
ゼラが取り乱すことはなさそうだが、ムンジィあたりは戻らないアユミチをすぐにでも探しに、と無茶をしそうだ。
ファニアも、なんだかんだでアユミチを最優先に考える。危険な虚穴に近づいたりしていないか。
ノクサがうまく伝えていてくれることを願う。
カヨウはノクサに伝えたアユミチの意思をちゃんと守ってくれるはず。あの子はしっかり者だ。暴走しそうなムンジィやファニアの歯止めになってくれているのでは。
「こんな時に酒の心配は」
「違うでおじゃる。霧が立つより前に受け入れた灰息病の者がおるので……」
「こっちにはかなりの量、残していったはずだろ」
アユミチがいない間に病人が増えてもいいように、先月ここを去る前に
無駄に飲まないように、と言ったけれど。
まあ、飲んだか。
「麻呂ではないのでおじゃる。麻呂がおらぬ間に」
「いや、誰がどうとかはいい。やめよう」
今ここで犯人捜しなどしても何もならない。雰囲気が悪くなるだけ。
これから白霧や虚穴、ヘレボルゼにどう対処しなければいけないのか協力が必要なのに、いざこざが広がるのは勘弁だ。
「悪いのは俺だ。ジルボン師を向こうに呼んだのは俺だから」
「そりゃあ俺が……」
マノウズが傷の残る腕を押さえて言いかけるが、首を振る。
彼の怪我を治すために。それだけではなかった。
「その患者は?」
「母子でおじゃるな。村が焼かれて逃げてきたと」
「焼かれて?」
「ああ」
アユミチの疑問に後ろのリグラーダが答える。
なんで、と振り向けばビッテスも知っているようで、あいまいな顔で頷いた。
「たぶん王都と西港の間の農村ですねぇ。灰息病患者をかくまって、村に広がったとか聞きましたから」
「匿った?」
「おそらく村長や有力者の家族だったんだろう。結果、村ごと焼かれたと最近聞いた」
「村ごとなんて……」
「見せしめだな。だから各地に告知されている」
ひどい、と思うけれど。
治療法のない伝染病。国策として捨て森に隔離している。
病気を隠して周りに広げれば、もっと被害が拡大する。収拾がつかない。
ひとつの村を、病人もそうでない人も焼き払い、隠せばこうして罰が下ると知らしめる。
人権意識のないこの世界では現実に行われ、そうやって国を守ってきた。
「他にも斑徂症の男が一人いる。もっと奥で死のうとしていた奴だ。治るって知ってきたらしい」
別の住民が、村の奥側の小屋の影を指さしてアユミチに言う。
集団生活を避けて死ぬだけのつもりだったが、この村の活気を感じて出てきたようだ。
治してやろうにも、酒瓶はない。
「様子は?」
「灰息病の母親はよくないでおじゃる。もって数日かと……酒瓶がないのではどうにも」
「……」
酒瓶はない、けれど。
病気を治すのは、あの酒ではない。
「……一番清潔な調理場を使う。秘薬を作るから誰も近づけないでくれ」
こんなことをしている場合か、とも考えるけれど。
日が暮れてきた森で、今アユミチができることは何なのか。
結局今も、できることだけ。
できることだけは、まずやろう。
◆ ◇ ◆