法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-15.信ずる温度

 

「リグラーダ!」

「げほっ」

 

 続けて咳き込んだ。

 顔の表面の付着のせいではなく、もっと腹の底から。むせかえるように。

 きっかけはその臭いだったのかもしれないが、もっと腹や胸の奥から。

 渇いた咳が、こらえきれないように再び。

 

 

「危ない!」

 

 咄嗟にアユミチが飛び出したのは、何か考えがあってのことではない。

 次の触腕が一本、咳き込んだリグラーダの飛沫を感じたのか、彼女の位置を正確に打ち抜こうとしていて。

 レーマ様からもらった折れない木の棒を握り、ただ思い切り突いた。必死で。

 

「だぁぁ!」

 

 河原で巨漢バズモズを貫いた時の突き。

 これだけは滑らかに、一流の戦士のようにできる。

 ノクサの助けがないから連打ではないが、命がけで三百回以上繰り返した突きのように、強く。

 

 

 どん、と。重い感触。

 ゴムの塊のような、昔どこかで殴ったサンドバッグのような感触で、リグラーダを狙った触腕を突き放した。

 

「逃げろ!」

 

 咳き込んだ後、離れようとしたリグラーダだが、バランスを崩して尻から倒れた。

 触腕はまだ届く。

 息を乱して倒れたリグラーダでは防ぎようがない。

 

 

「ええっとぉ、幽天(ゆうてん)より響け氷珠(ひょうじゅ)死吟香(しぎんきょう)

 

 ビッテスが唱えた。

 アユミチに向けて。渾身の突きで踏み込み過ぎた隙だらけのアユミチに迫る四本の触腕を遮るように。

 直前に砕いた透明な宝石を撒きながら、彼女の魔法がそれらを輝かせた。

 

 白い光の粒が無数に、アユミチと触腕の間に星のように輝く。瞬く。

 きんきんきらきらと、そんな高音を響かせながら。

 

 冷たい。

 照らされた肌がひやりと感じて、ぞくっと泡立つ。

 光の粒にぶつかった触腕はアユミチの鳥肌とは比べ物にならない。

 

 ぶちぶちぶちぃっと音を立てた後、当たった部分からじゅわっと火傷を負ったように(ただ)れながら表皮が剥がれ、痛みを感じるのかとにかく引っ込んだ。

 

 

「助かったビッテス!」

「続けて使えません、今のうちですぅ」

「全員逃げろ! 俺の命令だ!」

 

 触腕が再度襲ってくる前に離れる。

 強い言葉を選んだ。

 

「行けぇ!」

「みな、ナーリヒ! アユミチの言う通りでおじゃる!」

 

 一緒にいる誰かを死なせた記憶は新しい。もうごめんだ。

 珍しく強く命じたからだろう。ステンたちもナーリヒも、わずかに逡巡しただけで逃げを選んだ。

 残ったのは――

 

「リグラーダ!」

 

 尻もちをついたリグラーダは、そこでまた咳き込んでいて。

 駆け寄り、とにかく触腕の攻撃範囲から逃れる。

 咳き込むリグラーダの体を掴み、引きずるように離れた。

 

「くそっ!」

「げふっごほっ」

 

 一秒前までいた場所に触腕が突き刺さった。

 続けて次の触腕が、さっきより伸びてくる。

 こちらは背中側だということだが、伸びてこないわけではない。獲物のだいたいの位置しかわからないだけで。

 攻撃したことで敵と認識されている。

 

 

「リグラーダ我慢してくれ!」

「う、ぐっ」

 

 ゆっくり抱いてやれる余裕はない。

 咳き込んでつらそうなリグラーダを、無理やり掴めるところを掴んで引き寄せて逃げる。

 

「死にたく、ない! いやだ!」

「わかってる!」

 

 凛としたリグラーダからこんな声を聞くとは思わなかった。

 苦しそうで、泣きそうで、熱い。

 熱い。

 

 

「熱があるのか、くそっ」

 

 発熱している。

 いつからと考える間もなく、とにかく手近な大木の陰に転がり込んだ。

 他のメンバーは、ビッテスも含めて村の方に逃げていった。それでいい。リグラーダが落ち着いたらすぐアユミチも。

 

「死にたくない! 弟が待っているんだ、私は死にたくない!」

「落ち着け!」

「げほっ、っく……死病は嫌だ……いやぁ!」

 

 咳き込んだりくしゃみをすると飛沫が飛ぶ。

 触腕はどうやらそれで位置を感じているらしい。アユミチが隠れた大木に向けて猛烈な二連撃。

 大木を選んだおかげで貫かれなかったが、幹が砕け割れる音と衝撃に、リグラーダが女の子みたいな悲鳴を上げた。いや、普段の印象はどうだろうと女の子なのだ。

 

 

「いや……死にたくな、いっ……」

「くそっ!」

 

 リグラーダの熱い体を抱えて、次の木に移りながら(ほぞ)を噛む。

 昨夜、疲れたから休むと言っていた。

 その前から口数が減っていたし、今日もあまり何も言わなかった。食欲もないようで。

 

 さっさと片付けるなどと不用意に触腕に近づいたのも、自信があったのもあるのだろうが体調が悪かったのだ。

 弟が待つ家に早く帰りたい。帰れない。

 待っている家族がいるのに、捨て森で死病にかかって死ぬなんて嫌だ。当たり前のこと。

 

 どこまで症状の自覚があったのかわからない。

 焦りや疲れだと思い込んでいて、いざ死病――灰息病の初期症状だと気が付いた時には触腕で死ぬかと思う場面。

 自分の死を目の前に突き付けられた。

 パニックを引き起こした。

 

 

「大丈夫だリグラーダ!」

 

 彼女を抱え直し、背中を撫でる。つらい呼吸を助けるように。

 治せるんだ。大丈夫だ。

 アユミチがそう言ったところで、生まれてからずっと罹患したら死ぬ病気と聞かされていた灰息病。

 簡単にパニックは収まらない。

 

 どごぉっと音を立てて乱暴なノック。

 まだ追ってくる。触腕が伸びてくる。

 こちらの緊急事態も余計にリグラーダの不安を掻き立て、落ち着かせてくれない。

 

 

「俺が治す! お前の病気は大丈夫だ、弟にも会えるから!」

「ひぐっ」

 

 息を止めようとするリグラーダだが、引き攣ってしまって自分でも抑えがきかない。

 何かアユミチにできることを――

 

「ごめん、ちょっと冷たいぞ」

 

 リストバンドに願った。

 水を降らせてくれと。

 

 レーマ様からもらった水を操るリストバンド。攻撃的な何かに使えるわけではないけれど。

 アユミチとリグラーダの頭の上からシャワーのように降り注いだ。

 

 

「ひっ」

「大丈夫だから」

 

 水を掛けられて体が強張った。おかげでアユミチからすれば扱いやすい。

 顔についた触腕の体液や泥を拭い、リグラーダの泣き顔をシャワーの雨に濡らして。

 

「大丈夫だ、病気なんて平気だから」

「あ、あ……」

 

 彼女の唇に、強く唇を押し当てた。

 

「ん……」

「……」

 

 

 降り注ぐシャワーの中で、唇から熱を。

 強張り震えるリグラーダの口と熱を分け合い、伝えて。

 

「……大丈夫だ。病気は治る」

「あ……アユミチ……わた、し……」

「大丈夫だ。わかってる、平気だから」

 

 死病の患者と接触すれば感染する。

 口づけなどすれば確実に。

 水シャワーと強引なキスで受けたショックと、感染するはずの病気を恐れない態度。

 

「本当に平気だ。病気の心配はいらない」

 

 治る。治せる。

 信じるに値する行為のはず。

 

 消防士や救命士は、重篤な状態の要救助者に対して、不安を感じさせないよう心掛けると聞いた。

 死ぬ、死ぬと言っている人に対して、もう大丈夫ですよ、と声をかける。何も心配ない。

 まず落ち着かせる為に、助ける側が不安を見せていては進まない。

 

「あ……あぁ……」

 

 震えながら、自分の唇を指でなぞるリグラーダ。

 濡れているせいか、色っぽいし少し子供っぽい仕種。

 

 

「治る……ほんとう、なんだな……」

「ああその……俺の血とか、もしかしたらキスでも……たぶん、大丈夫だと……」

 

 すうっと冷静さを取り戻していくリグラーダの視線が真っ直ぐにアユミチを捕らえるから。

 今度は言い訳がましく助けるための行為だったと言葉を重ねた。

 

「弟のところに必ず帰れる。だから」

「ああ……そうか……」

 

 もう一度、近くを触腕が薙ぎ払った。

 その暴威から息を潜めるように、もう一度リグラーダの唇が、アユミチの唇を塞いだ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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