法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「なんなんだありゃぁ」
泥まみれで帰ってきた兵士が納得いかないと首を振る。
マーチスと言ったはず。この人は声が大きく文句が多い。苦手。
食事の準備の為、日陰に吊るしていた豆を取りにきたカヨウを見つけ、嫌な目をする。全身を確認するような。
「お綺麗な顔して、あの女ナニモンだよ。バケモンか?」
「知りません」
「マーチス、子供に当たるな」
「どいつもこいつも……」
綺麗な顔と言われたのはカヨウのことじゃない。ファニアかゼラのことだろう。
一緒に虚穴に出かけていったから。
足手まといにでもなったか。
「向こうに小川があります。洗うなら桟橋より川下でどうぞ」
転んで泥まみれで苛立っているのではないか。
集落の水源になっている小川を指すと、マーチスはにやっと笑った。
「案内してくれよ、なあ」
「忙しいので」
「すぐ済むだろ。お駄賃もやるからよ」
「……」
どういうつもりか、なんて聞く必要もない。
カヨウが育った孤児院でもそんな話は聞いた。
大抵は奴隷同然の使用人として奉公に出される。中にはお金持ちの家にもらわれていく子もいるとか。
この子は素材がいいから、と。大人が話していたのを耳にしたことがある。
当時は意味がわからなかったが、十を過ぎても置かれたのは、その方が商品価値があると判断されたから。
そうこうしている間にカヨウは発病して、こうなったわけだけれど。
「いりません」
「町に行きゃもっとうまいもんを食わせてやるぜ。菓子だって、毎日だ」
しつこい。
マーチスの誘い文句に、背の高いテノンという兵士も何も言わない。
誘いに乗るならそれでいい、というような。
カヨウは可愛い。
アユミチにも他の人にもそう言われて、あらためて水面に映る自分を見て、なんとなく自覚してきた。
女神様からもらったワンピースも綺麗で、年齢以上の魅力がある。わかっている。
男は溜まるのだと、コニーが言っていた。
アスパーサの下に通い彼女の機嫌を取る男たちを不快に思うカヨウに、プレヴラの母コニーはなんとも微妙な表情で。
鬱憤だとか、なんだとか。色々と溜まってしまう。
それをアスパーサはうまく発散させてあげているのだから、あまり責めないで。そんな風に。
鬱憤だとかなんだとか、そんなの女だって積もっていくのに。
プレヴラが一人で留守番していることがあった。コニーは小用かと思ったけれど、その直前に誰か男と一緒にいたような。
聞いたら悪い気がして何も言わなかった。
コニーだって母役から離れたいこともある。そんな風に理解した。
「こんなとこじゃ他に愉しみもねえ。ああ、間違って危ねえ場所に迷い込んでもいけねえだろ?」
死ねばいいのに。
頭に浮かんだ言葉を飲み込み、身を庇うように手を胸元に当てた。
そのカヨウの姿が余計な刺激になったのか、マーチスが詰め寄り手を伸ばす。
「すぐに済むから一緒に――」
胸元に、アクセサリーのように差したかんざしを握り。
今ならできる気がする。
何かが。
「――」
「うちの子にお触りはやめてもらえるかしら」
ふぅぅぅって、横から紫煙が吹きかけられた。
カヨウとマーチスの間に、建物の陰から。
「この子、とっても可愛がられているのよねぇ。うちのセンセイに」
「あ、あぁ」
つかつかと歩いて紫煙をまき散らすアスパーサと、煙を払いながら後ずさるマーチス。
ふっともう一度吹きかけてから。
「兵士さんたち、小さな子供に用事なんてないはずでしょう?」
小さな子供じゃない。
別に助けてもらわなくてもやれたのに。
カヨウは一人でできる。
だけど、カヨウが何かするよりは穏便に、丸く、煙に巻くだろう。アスパーサなら。
「それとも、ファニアちゃんを見て大人の女が怖くなっちゃったかしら?」
「ぁん?」
思ったより丸くない言葉を選んだ。
アスパーサの横やりで戸惑っていたマーチスの表情が険しいものに変わる。
少しだけカヨウの気も晴れる。
一緒に虚穴の調査に行ったはずのファニア達はまだ戻らないで、泥まみれの兵士だけが戻ってきた。
ファニアもゼラも綺麗なだけではない。普通よりかなり強いのだと思う。
色々と溜まっていて、危険な魔獣を相手に堂々とした態度で向かうファニアたちの後ろを着いていって、おめおめと自分たちだけ戻ってきた。
そこにカヨウを見つけてさっきのやり取り。可愛らしいカヨウを見つけて。
情けない。
情けない男。
ふと笑みが零れた。
「売女がナマイキ言ってんじゃねえぞ」
「ええ、ここじゃ他にお愉しみもないものね。生きて出られる保証もないのだけど」
「なめた口きいてりゃそうだな」
「マーチス、行くぞ」
さすがに騒ぎ過ぎだ。
カヨウに声をかけていただけならともかく、小さな集落で言い合いをすればすぐに人の目が集まる。
捨て森から出られない状況で、ここの住民を敵に回せばロクな結果にならないことは明白。
テノンが歩き出し、ちっと舌打ちしながらマーチスも出ていった。
「……」
首を掻きながら小川の方に去る彼らを見て、さらにもう一度目を凝らして見る。
何か……
「一人にならないようにすれば平気よ。じゃあね」
アスパーサはカヨウが彼らに敵意や怯えを感じて凝視していたのかと思ったようだ。
違う。
「……そうですね」
生きて出られる保証のない捨て森。
そう、テノンの首にかすかに浮いていた赤い点は、捨て森ではずっと日常にあったものだから。
◆ ◇ ◆
「上落ちてくるぞ!」
「ゼラ様、後はお願いします」
「ええ」
駆けだすファニアの背中に静かに頷いた。
遊女から借りた化粧道具――
あらためてなるほど、と思う。無理やり歌で土を起こすより遥かに染み込みやすい。
「地に在りては
頭上まで覆う土壁が、西集落から逃げてきた皆を包んだ。
あっちで何か光ったと駆けだしたプレヴラと、それを追った者を除いて。そして前に踏み出したファニアも範囲外。
「ほんと、呆れるくらいの力ね」
「お前に借りた魔具があってこそです。誇りなさい」
「はぁい」
遊女の抜けた声と同時に、作った土壁に小山でも落ちてきたのかという衝撃がぶつかってきた。
どどぉという地響きと、中にいる住民たちの息を呑む悲鳴。
「ひっ」
「くそっ」
本来ならファニアと共に外で戦うべきだろう兵士たちも守ってやった形だが、仕方がない。
彼らではついていけないだろう領域なのだから。
「はっ!」
土壁の隙間から、ファニアが修繕した靴で大木を蹴って跳ぶ姿がかすかに見えた。
右に左に、登ったかと思えば、くるりと何かを蹴って――一瞬で触腕の一本を切り、残った触腕の腹を蹴って地面に戻る。
ぼとりと、土壁の上に力を失った長い触腕が垂れ落ちてくるのを感じた。
「バケモンが……」
先ほどアスパーサはゼラの魔法を褒めそやしたが、ゼラから見ればファニアの戦いこそ賞賛に値する。
靴は、少し前に集落にきた靴職人の手でできる限りの修繕をした。滑りにくいよう、ファニアの踏み足を損なわぬように。
足の怪我が治り、見違えるような動き。素晴らしい働き。
さすが鬼巫の花札……いや、アユミチの剣と名乗るだけのことはある。おそらく国でも十指に上げられるほどの戦士。
奴隷海将ジナミナ、王の守護ディドラー、黄帯の鋼と呼ばれる太光師オルミ。
魔法使いであれば院仕隊副長、星光のビッテス。あるいは鬼巫に迫る実力者。
鬼巫の側近に選ばれたのだから、それだけの素養があって不思議はない。
「……は、ぅ」
「わりいな、カヨウちゃん。俺なんかの背中で」
「いえ……」
ユィッヒの謝罪に、白い顔をしたカヨウが弱く首を振る。
「だいじょうぶ、です……」
「神獣を作るなんて大魔法、いきなり使ったからよ。あとはおとなしくしてなさい」
「そのおかげで皆が助かりました。あれこそ見事な働きです」
年端も行かない少女に助けられた。
ゼラの手落ち。
調査し、ファニアと共に少しずつ攻め進んでいた虚穴とは別に、集落に近い虚穴からも魔獣の手が伸びていたとは。
東ばかり見ていた。
近くに他にも虚穴があるという話は確かに聞いていたが、東の虚穴より遠いと思い込んでいた。
そうではない。
集落から南東方角に存在していた。
ただ、高低差が激しく這い上ったり滑り落ちるような地形の先にあったから、心理的に遠かっただけ。
直線の距離ではもっと近く、その触腕が集落の土壁を叩き始めてから気づいた。
二方向の虚穴から集落への攻撃。
どうするか。
こうなる事態を恐れて、東の触腕を斬り捨てながら虚穴を目指したのに、別方向から集落に攻撃を受けた。
土壁を高く補強する?
一時的にしのげても、攻撃が続いたら壁も持たない。そうしている間に東の虚穴からも攻撃されるかもしれない。
集落まで届いた触腕が、勢いを増して攻撃してくる。
逃げ惑う住民たち。アユミチから預かっているのに、こんな失態。
そこに、走った。
どこからか、天空から駆けてくるかのように、二頭の天馬が。
燃えるような
幻術だ。
強力な幻術で、今まで見た中で一番速そうなものを呼び出し、走らせた。
触腕はそれを追い掛け、ゼラは集落の放棄を決断した。
全員で東の虚穴を目指す。ファニアとゼラで皆を守りながらアユミチがいるはずの東の集落を目指す。
初めてで無茶な魔法を使ってへたりこんだカヨウ。彼女をユィッヒに背負わせて、他の者たちは持てるだけの荷物を手に。
判断は正しかった。
何度も迫ってきた六本の触腕のうち一本が、まるで別方向で暴れている。
そこに何か光った、と。
遅れて黒蝶も飛んでいったから、間違いない。アユミチが来てくれた。
「少々恰好が良すぎますわ、
胸の奥から暖かいものがこみ上げて、握る八千代刷毛の毛先からも燐光が溢れた。
◆ ◇ ◆