法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
――善いものがあっち!
プレヴラが指差し、駆け出してしまった。
何か光ったと。続けて遠目にも触腕が千切れる様子が見えた。
今ここで誰かが触腕と戦っているのなら、きっとアユミチに違いない。
コニーとムンジィが続いたところで辺りの様子が変わる。
ざわざわと森が騒ぎ、こちらを叩き潰す意思を感じさせた。
「ゼラ様、後をお願いします」
アスパーサから化粧道具を受け取ってからのゼラの魔法は、国でも最高峰の魔法使いに匹敵するほど。
系統は違うけれど鬼巫アハラマにも見劣りしない。身体能力ではあちらが上だが。
今までなぜ杖などを使わなかったのかと訊けば、壊れてしまうからだそうだ。
魔法の触媒が壊れてしまう。
直接大地に触れて歌えば使えた。だからそうしてきたと言う。
アユミチがゼラのことを、霊的な圧力が強いと言っていた。
道具が壊れるのも、直接土に魔法を吹き込めたのも、その特性のせいだったのだろう。
アスパーサが渡した八千代刷毛は、その毛の一本ずつに魔力が散ってしまい普通の魔法使いでは使えないとか。
ゼラと相性が良かったらしい。
ファニアは靴を仕立ててもらった。
より柔軟に。駆ける時に大地を、木を、噛みしめるように。
職人に話しながら直接手を加えてもらうと、少しの調整でも格段に走りやすくなる。助かる。
「はぁぁっ!」
大木を蹴り、蹴り、蹴って。
樹上から襲ってくる触腕の胴体に届く。
ここ数日戦っていてわかる。この触腕は一定以上より高くは行けない。
おそらく魔獣ヘレボルゼはこの捨て森に囚われているのだ。森から出られないような制限がある。持ち出されたものは別としても。
基本的に人を襲うのは先端部分。本当に小さな口のようなものが先端にあった。
切断されるとそれは潰れ、本体側の傷口に新たに先端と口が形成される。
一番間近で戦い、観察してきたファニアだからわかる。
既に二本、剣は折れた。今はムンジィから受け取った剣を使っている。ムンジィは折れた剣しか持っていない。
「はっ!」
見ていて下さい、アユミチ殿。
そういう気持ちで剣を一閃した。
野盗の剣よりは切れ味がいい。切り抜く動作の途中で、視界の端にアユミチの姿を捉えた。よかった。無事でよかった。
けれどここは戦場。アユミチの剣として失態は許されない。
落下中を攻撃されぬよう、別の触腕の腹を蹴って半回転、綺麗に着地を決める。
アユミチは、たぶん見てくれていなかったけれど。
「何か手立てがあるのですよね。その前に、この枝を払っておきます」
切れば短くなるが、また伸びてくる触腕。
大本の虚穴までくればどうにかなると思ったが、具体的な方法はわかっていない。
けれどアユミチがいれば、彼ならきっと何か手段を知っている。
信じる心は力となり、ファニアの体をさらに熱く、強くしてくれた。
◆ ◇ ◆
「ああ、みんなは無事ですぜ。カヨウの嬢ちゃんだけちょ」
「カヨウに何が!」
「あ……いや、すんません。魔法を使ったせいで立てないんで、みんなで背負ってます。アスパーサの姉御は心配ないって」
「……わかった」
何かあったのかと声が荒くなってしまった。
魔法を使った。カヨウが。
使えるようになっていたのか。緊急事態で覚醒したのかもしれない。
「なんにしろ向こうの集落は無理っす。家もぶっ壊されちまって」
「アユミチ様、あのクソ野郎がまた来ますぜ!」
ボイターが叫んで上を指さす。彼の手には予備で持ってきた木盾がある。
先ほどビッテスの光の有刺鉄線のような魔法で傷つき引っ込んだ触腕が、体勢を整え直してまたこちらに。
「コニーさんたちはジルボン師と一緒に後ろに! まずはゼラたちと合流する!」
『アユミチ!』
なんだか久しぶりに聞く声。
思えばこの世界に来た初日の夜からずっと一緒だった。
愛らしい黒アゲハの妖精。
「ノクサ危ない!」
『わかって、るっ! んもぉっ!』
ずどんっずどん、と。
別の一本の触腕の攻撃を避けながら、どうにかこっちへ飛んでくるノクサ。
「ノクサ?」
「あの蝶か?」
と、ノクサに気を割いた瞬間に、こちらを狙っていた触腕が飛びかかってきた。
正面から、アユミチの顔を目掛けて。
触腕の先端を真正面から見ると、真ん中に小さな穴と焼けただれた小さな舌のようなものがあるのだな、なんて。
避けられない。
アユミチの後ろにはちょうどジルボン師に駆け寄ろうとしていたプレヴラ母子がいる。
しかしこの触腕の攻撃は、アユミチが正面からどうにかするには強すぎ――
「うどりゃぁぁ!」
間一髪で、ムンジィが両手で握り締めた剣束で触腕を殴りつけ、その勢いのままアユミチの脇に触腕と一緒になって転がる。
向きを変えても触腕が止まるわけではない。擦れて腕の皮を削られながら、体全部で触腕をアユミチから突き飛ばした。
「こっちゃぁ何度も見てんだ! ファニアの姉さんほどきれいにゃできねえけどなぁ!」
アユミチがいない間、彼らも戦っていた。
この敵との戦い方を学んでいる。
「助かった、ムンジィ!」
「これを!」
ほいっと宙に投げ出されたダガーを受け取り、リグラーダと入れ替わるようにムンジィが押さえつけた触腕の中ほどを切る。
完全に切断はできなかったが。千切れかけた触腕が暴れて、後は勝手に切れた。
「私はあの蝶を……」
ダガーを手放したリグラーダは、左手の小さな弓の弦を体重をかけて引いた。
そのまま腰を落とし、ノクサを襲う触腕に向けて……放つ。
「っ」
見事に触腕の頭あたりに刺さり、そのまま木に縫い留めた。
縫い留められた触腕が二度、三度、身をよじって抜けるまでの間にノクサがアユミチのところに来た。
『ごめんアユミチ』
お互い無事でよかった。
という話より先に、ノクサが手を合わせて謝った。
『これ早くやっつけないと全滅だわ、ノクサも一緒に』
ああ、そんな気はしてたよ。
嬉しくない運命共同体だ。
『ノクサの封印が空気穴だったみたいなのよね』
「なん?」
ぺろ、と可愛い舌を出して手を合わせるノクサは可愛いのだが。
『このわけわかんないのの、霊的な空気穴? 栓してたみたい、ノクサが』
わけわかんないの。ノクサも正体を知らないこれ。
千切れた触腕の傷口の下から新しい皮膚のようなものが泡立ち、その先端からやはり焼けただれた舌のようなものが垂れて。
こいつが暴れてるきっかけは、渇きの王蠍を倒してノクサを開放したから?
それなら、ノクサの封印を解いたアユミチに、少しくらい感謝の姿勢があってもいいんじゃないか。
触腕の先端の小さな口を見上げながらそう思った。
◆ ◇ ◆
「頼みがあるんだ、ノクサリージュ」
「ノクサがあんたの頼みを聞くわけないでしょ」
「だろうね。だから聞くだけでいい」
「いやよ。あんたのツケを誰が払ってるってわかって言ってる?」
「もちろん。それでも君にしか頼めないんだ」
「いやよ」
「君には永遠でいてほしい。たとえ僕らがいなくなっても」
「相変わらずの腐れポンチね、フォティゾ」
「ああ、もうとっくに腐ってるのさ。だからこそ君が必要だ、ノクサリージュ」
◆ ◇ ◆