法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「なんで人間がっ!」
誰が言ったのか、誰もが同じ疑問。
捨て森の魔獣
恐ろしい魔獣がいると思ってきたのだ。
どんな姿をしているのか。想像もできないような想像をしながら。
それが人間の姿。
いや、かつて人の祖先が憧れた神の姿。アニラービーだと。
「でかいっ」
アユミチの数倍を越えそれ以上の大きさ。全体像がわからない。
印象とすれば二階建ての小規模なアパートくらい。一匹の生き物とすればデカすぎる。地上にこの大きさと比類する生物がいない。
そしてまた、やけにそれが美形な姿に見えるのだ。
針が外れ、地中から浮き上がってきたその姿から泥が落ちていくと、やたらと均整の取れた成人男性の背中を見せる。
腕も、腹も、肩幅も。
古代ギリシャやローマの彫刻にありそうな肉体美。
ガリバー旅行記の挿絵と明らかに異なるのは、四つん這いの姿勢でいることだ。
緩やかなウェーブの金髪も、あちこちに白い針で地面に縫い留められ。
四つん這いになって、頭を上げて南向きに固定された美しい巨人の男の姿をしていた。
そして、顔がない。
顔のところだけのっぺらぼう。無貌の神。
噴水の中で頭に刺さった針を抜いて、これが最後ではなかった。
浮かび上がった彼の体は、また無数の針で地面に縫い留められている。
『あのバカ、なに隠してんのかと思えば……最悪のクソバカフォティゾ!』
アニラービー。
かつてレーマ様をからかって天馬に食われたとかいう神様の、成れの果て。
「ノクサ! どうしたらいい!?」
『ああもうっ! こんなの生き物じゃないわ! ああぁそれで人間食べて復活ってほんっとにもう!』
生き物じゃない。
生きている者ではない。
そうだ、アニラービーは死んだはず。神は全て死んだと言っていた。
エクピキが人間を利用して復活しようとしていたように、アニラービーも捨て森に人間を集めて食らい、復活しようとしていた。
『文字通り最悪のうんこよ! 殺すとかどうとかじゃなくて――』
「アユミチ殿!」
地中から現れた巨体と地響きで動揺する中、ファニアが叫んだ。
地面に半分埋まり、白い針で縫い留められていると思っていたそれが、右手を地面から引き抜いたから。
六本の指を持つ手を、後ずさっていたアユミチに向けて振り払った。
振る!
そう思った時にはすでに目の前に、アユミチの胴体ほどもある腕が――
「うぉぁっ!?」
「ふぐぅ!」
咄嗟に棒で防いだユミチと、そのアユミチを後ろから抱くように小盾を構えたファニアをまとめて薙ぎ払う。
すさまじい力。
何が王蠍より弱い、だ。王蠍のぶちかましにも劣らない力と速さで。
「ふっ」
しかしアユミチもあの時とは違う。
一人じゃない。
後ろから抱きかかえてくれたファニアは、敵の攻撃を受けながら後ろに跳ぶ。アユミチを抱きあげて。
攻撃を受け流しながらの回避。
「助かるファニア」
「まともに打ち合えば持ちません」
棒と盾で受けた衝撃も後ろに跳んで逸らすが、正面から力比べで勝てるわけはない。
王蠍のような最硬の甲殻を持っていないのはいいとして、ただ手を振るだけで必殺の一撃。
今この場で肉弾戦最強のファニアでも、ダンプカー並みの力と打ち合えるわけもない。
腕の一振りで理解する。
人間が立ち向かうにはあまりに大きな力。ようは巨大戦闘ロボと生身で対峙している状態だ。
「みんな、離れ――」
言いかけたアユミチの目の前で、巨神アニラービーが右手を大地に着いた。
そして、まだ埋まっていた右足を引き抜くと、犬がフンを隠す時の砂かけのように、後ろに向かった思い切り地面を蹴り飛ばす。
ズジャァァァァ!!
「わぁぁっ!」
「うぎぃぃっ!」
蹴った土砂が扇状に、超大口径のショットガンのように放たれた。
悪いことに四つん這いになったアニラービーの背中側、集落から逃げてきた住民たちが密集する方向に、烈風とともにぐちゃぐちゃになった土砂が吹き抜ける。
慌てて身をかがめた住民たちに、避け切れない小石や土砂の嵐。当たれば体を貫通するような威力で。
悲鳴と、肉に刺さる音や骨が砕ける音も。
死んだ。何人か、何十人かわからない。誰かが。
土石流に飲み込まれるような攻撃で。
ただ後ろ足で地面を掻いただけなのに。
「くそっ!」
「
――ビギィィェェェェェあァァァッ!
ビッテスが放った宝石の欠片が、アニラービーの頭上で異様な音を立てた。
ガラスを引っ掻いた音に怨霊の声を混ぜて数十倍に増幅すればこんな感じだろう、という。
少し離れていたアユミチも眩暈がするような、耳元で聞かされたアニラービーはそれ以上だったらしく振り上げかけていた手で頭を覆って防御姿勢を取った。
「怨霊の声は染みますよねぇ? 王蠍対策でしたけどっ」
「助かった、ビッテス!」
「出し惜しみはなしですよぉっ」
「ええ」
ゼラが筆を振る。
「地に在りては
鉄よりも硬い土壁が、複数、いくつも、アユミチの背中に立ち上がる。
「壁を盾になさい! アユミチの邪魔にならぬよう!」
戦えない者も多い。
彼らが身を隠す壁を作り、これ以上の被害を減らす。
「ナイスだゼラ!」
人の姿の巨体に動揺して、体も心も硬直してしまっていた。アユミチだけではなく他の者も。
ファニア、ビッテスにゼラのおかげで頭が再起動する。
戦わなければ、動かなければ。
このままではみんな死ぬ。
「時間を稼ぎます! 何か手立てを!」
アユミチを置いたファニアが選んだのは、接近戦。
リーチも長ければ飛び道具もある巨体に対して距離を置いても有利はない。
「テノン! マーチス! 貴様らもだ!」
「あれの注意を引くくらいできますよねぇ? 生きて帰りたいなら、ですけどぉ」
「クソ女が!」
リグラーダも続き、兵士たちにも少しは働けと怒鳴った。
ビッテスの言い方はどうかと思うが、長身のテノンが下唇を噛んで従うのを見れば有効な脅しだったのだろう。
立場的にビッテスの方が上で、命令違反は処刑という規則でもあるのかもしれない。
「旦那ぁ! あれを!」
駆けてきたムンジィが、先ほど土砂つぶてを受けた北側、その上の方を指さす。
悲鳴、苦痛の声。それ以外に何か。
「ガキが旦那を呼んでる!」
「ナーリヒ!」
木登りの得意なナーリヒ。
土砂の洗礼を受けるより先に、皆が巨体が立ち上がるのに圧倒されている間に、少年は高い木に登っていたらしい。
「アユミチ様ぁ! 右側だけです!」
地中から現れたアニラービーの巨体を指して、
「左側は針がいっぱい! まだ繋がったままです!」
「右だけ……」
「ナーリヒ! 降りるでおじゃる!」
でかすぎて反対側がよく見えない。
攻撃を受けた右手と、右足。しかし左側は針がいっぱいで自由が利かないということか。
「みんな聞こえたか! 右手右足だ、そっちに注意しろ!」
動きが制限されているのなら、たとえ暴れまわる巨大戦車だとしても戦いようはあるはず。
「他の針を抜かせるな! 少しずつでいい、切り刻め!」
『アユミチ、口よ!』
ノクサが指差しながら叫ぶ。
のっぺらぼう、無貌の巨神を指さして、
『あいつの口! 正確には舌! 弱点! 思い出したの!』
ノクサも慌てている。単語を並べて、アユミチに伝えようと。
『悪戯が過ぎてポスフォスに焼かれた! 他はどうでもその傷は消えない! 今も残ってるはず!』
どこにあるのかわからない舌。
いや、そういえば触腕の先についていた小さな口と舌。あれがそうか。焼けただれたように見えていた。
『焼かれた舌はしまえない! レーマを騙した罪よ!』
だからちろりと出ていた。
その舌が、なんの因果かレーマ様を騙したクソ野郎の舌だというのならちょうどいい。
「どこにある!?」
『わかんないけどっ! あの指先についてたやつじゃない、絶対に本体にあるわ。ああもうっこいつ昔っから嘘つきの卑怯者だから!』
じたばたと両手を振り回して、本当ならノクサがやっつけたいというように訴える。
指先。
触腕だと思っていたのは、地中に封じられたアニラービーから伸びた指先だったのか。
その先端で地面を這い、人間の死体を吸って力を蓄えていた。
フォティゾの白針で縫い留められたまま。
『ああぁ! ノクサも食べて復活しようとしてたのね、このうんち!』
だからノクサ言葉を……いや、いい。
捨て森で人間を食い続け、レーマ様を騙して怒らせて、ノクサを食べようとしていた。
クソ野郎で間違いない。
「みんな、こいつの口を探してくれ! 舌ベロが出てるはずだ!」
卑怯者の嘘つき。
そんな神を復活させるわけにはいかない。
「こいつはアニラービーのクソだ! ここでぶっ殺す!」
◆ ◇ ◆