法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「うひぃぃ、死んじまうっ! いやだぁぁ!」
「っ」
やかましい。死ね。
武器を放り出して頭を抱えて
「この、クソ虫が!」
手にしたダガーで巨体の端を削る。
リグラーダにできることはそれだけ。できることをやって、やり抜いて、生き延びる。
アユミチの攻撃は確かに痛打になっていたのだ。
この巨人も無敵ではない。間違いなくダメージはある。切っていれば反撃もしてくるのだから、無駄ではない。
飛び跳ねる移動を見て、次があるかもしれないと思った。
真上に落ちてこられたらたまらない。距離を空けて動きを見て、次の跳躍の落下地点で攻撃に入った。
強敵と戦う時、いつも攻勢を仕掛けられるわけではない。ファニアほどの力があれば可能かもしれないが、リグラーダは違う。
「そのっ腹を! 晒せ!」
リグラーダの持つダガーは一級品だ。
腹ばいになった巨人の左わき腹を、つむじ風のような連撃で斬る。削る。
その奥に弱点があるはず。弱点が見つかったと知って隠すとは、この化け物にはいくらか知恵がある。
古き神アニラービーだと。
つまり予言は、これの復活の可能性を示唆していたのか。
アユミチのことではなくて。
よかった。
心のつかえがとれた気がして、ひどい状況なのに体が動く。
投げつけられた肉塊を浴びて、体中血なまぐさいしあちこち擦り傷や打撲を負っているけれど。
このダガーがあのお人好しを斬る必要はないのだと。
「神にしては軽い、な!」
一度は滅びた神。
捨て森で死肉を食らって復活しようとしていたあさましい存在。
その復活も半端であれば手立てはある。刃も魔法も通じる。
魔法は……次にもしビッテスが使うのなら、おそらく最大の力で、周囲のことなど考えず放つだろう。
リグラーダはビッテスのことを正しく信じている。あれは目的のためなら犠牲を厭わない。
使わせない方がいい。
腹ばいになって隠したのだから、間違いなく弱点はそこにある。そこに辿り着くためにリグラーダが少しずつでも切り開くだけ。この脇腹の肉を削って。
「やぁぁぁ!」
さらに鋭く、速く。
やれる。きっと倒せる。生きて帰ることも――
「は」
視野が狭くなっていたのだと思う。
攻撃に集中しすぎて、周囲への警戒が途切れた。
巨人の左わき腹を斬りつけていたリグラーダを、突然何かが叩き払った。
「あぐぅぅっ!?」
ダガーは宙に舞い、リグラーダの体は洗われるイモのように地面に十数回転がされ、打たれた背中の痛みで立ち上がることもできない。
「ぐ、ぁ……なん……なに……?」
左側で戦っていたのだ。
手足のない巨人の左側で、うつぶせに倒れ込んだその左のわき腹で。
よほど体勢を変えなければ右手が届くはずが……
「……ひだり、手……」
大地に縫い留められ、千切れた左腕。左足。
そうではない。
明らかに右腕よりは細いけれど、左腕が伸びていた。
千切れた二の腕の傷痕から、そこだけ別のものをとりあえず接いだように。
右腕の半分程度の太さの細い腕を、足も同様に。
子供が作った粘土細工のような、ひどく
そして、細いとは言ってもそれは巨人の体に対してのこと。
人間の手足からすれば十分に太い。
とりあえず、間に合わせに。そんな感じで新たに生やした左腕で打ち払われた。
ふざけた生き物。
生き物ですらない。こんな醜くでたらめな。
「……」
立ち上がる。
その異様にバランスの悪いバカげた作り物の手足を伸ばして、立ち上がる。
弱点があるはずのヘソは遥か上に逃げて、腹ばいになっている間に吸っていたのだろう人間の血肉を、行儀悪く下腹に垂らしながら。
ただ弱点を隠していただけではない。
そこで死んでいた人間の血肉を食って、とりあえずの手足を生やしたのだ。
「……邪神、め」
くらくらする頭で、妙にはっきりと理解した。
この醜悪さを表す言葉が、冒涜というのだろう。
◆ ◇ ◆
巨人が立つ。
立ち上がる。
なんて大きさ。
なんて醜悪さ。
首が痛くなるほど顎を上げて、そのヘソから垂れる血肉を見て、ぞわりと
ビッテスのヘソの奥も、ぞわりと。
これが神。悪しき神。
人をはるかに超え、ずっと昔に人々を支配していた神の姿。
ぞくぞくする。
立つとは思わなかった。
手足があるのだから立つこともあるだろうけれど、半分は封じられたままで。こんな見苦しい手段を使って。
なりふり構わず地に腹を隠して、そこらにあった死体をすすってどうにか手足をこしらえるなんて。
乞食のような行いをする神。悪神アニラービー。
「ここまで、ですねぇ」
できれば使いたくなったのだけれど。
ことここに至れば仕方がない。他に手がない。
神様も手段を選んでいないのだ。人であるビッテスがお行儀よく選ぶ必要もない。
一番重い、黄色の宝石を強く握って頷いた。
「アユミチくんたちを。もう時間はありませんから」
「……ええ」
話した通りに、奥の手を使う。
「リグラーダさぁん! 生きていたらこっちにぃ!」
「アユミチ! 他の者も、すぐにわたくしの傍へ集まりなさい!」
呼びかける。
立ち上がり、まだふらりとするアニラービーに圧倒されている人々を呼ぶ。
集まれる限りは。
アユミチは、できれば死なせたくない。
予言で言われた古い神の気配とは違ったかもしれないが、彼は彼で興味深い点が多い。
他の者はともかく、アユミチだけは生かしておきたい。
まあそれも、できれば、だけれど。
ビッテスにはビッテスの事情がある。目的がある。使命がある。
その為に命を落とすこともあるだろうと思うが、このまま見ていたら何も果たせない。
ゼラの魔法は、彼女の特異な土魔法は極めて有用だ。偶然でもここにいてくれたのは都合がいい。偶然。
「真なる神の御前に、こんなのはお呼びじゃありませんから」
◆ ◇ ◆
神ではない。
こんなものが神であるはずがない。
ジルボンが五十年信じ、尊んだ神界。末席とはいえそこに名を連ねるアニラービーが、このような姿であるはずがない。
傷だらけで意識を
彼らの目にも映っているだろう。
腹の口で人を食らい、その血肉を垂らしながら立つ悪神の醜悪な姿。
木の枝を切って適当に繋げたように、人の血肉で仮初の手足を造った。
食い汚いし、生き汚い。
よくもこんな様相で恥ずかしげもなくおられるものだ。
「なんと……許しがたき冒涜……命に対する不敬でおじゃる……」
まぎれもなく誰もが多くの命を食して生きている。
だがそれを、このような形で、なんの感謝も慈しみもなくするのは、邪悪としか言いようがない。
許しておけない。
しかし、ジルボンには戦う術がない。
口惜しい。口惜しい。
仮に戦う術があったとして。
「だめだ……届かねえ……」
ムンジィが唸った。
立ち上がったアニラービーの姿は、ただ醜いだけでは済まない。
大きい。でかい。届かない。
アユミチが潰した奴の股間でさえ、今は大樹の梢ほどの高さにある。攻撃が届く高さではない。
仮に矢でも打ったとしても、今は両手がある。
弱点と目するヘソの辺りは、徹底的に守られるだろう。
――アユミチ! 他の者も、すぐにわたくしの傍へ集まりなさい!
アユミチの妻、ゼラの声が響いた。
何か手があるのか。
神の使いアユミチの妻、ゼラ。
美しい。まさに女神と信ずるに足る堂々たる姿で彼を支える。
皆が彼女に従う。
岩壁に隠れ息を潜めていた住民たちが、立ち上がったアニラービーに怯えながらおずおずと這い出し、そこからは我先にとゼラの後ろを目指して走り出した。
「小坊、しっかりするでおじゃる!」
「う……しさいさ、ま……」
ジルボンも行きたい。自分の足の遅さは知っている。
だが、大樹から落ちたナーリヒの様子は悪く、それをどうにか受け止めたムンジィも走れるような状態ではない。
二人を置いて、ジルボンだけで……そのようなこと、神に仕える者のすることではない。
ジルボンは聖人ではなくとも、この悪神のように恥を知らぬことはまっぴらごめんだ。
他者の醜い行いを目にして、その見苦しさがよくわかる。
「ジルボン師、ムンジィ!」
「なぜ戻ったでおじゃるか!」
まだ慣れない手足で足元を踏み均しながら、逃げ惑う人間のどこから手をつけるか見回す巨体。
そんな中、集まれと言われたゼラとは逆に、身動きの取れないジルボンたちの所に真っ先に駆けつけるアユミチ。
そうだ。彼はそのような人間で、だからこそジルボンも若かりし頃の気持ちを思い出したのだ。鮮やかに。
わずかな粥を、誰かと分け合って笑っていた下積みの頃の気持ちを。
「ファニア、ナーリヒを頼む。ムンジィ、肩に掴まれ!」
「あっしのことは……」
「時間がない! 聞け!」
言い合っている時間がないという、アユミチの言い分は正しい。
だが、既に彼は間違っている。
ナーリヒとムンジィを抱え、ゼラ達の方に向かう足は遅く、アニラービーの方は次の挙動を始めていた。
ゼラの近くに集まっていく人間を、御立派な右手でまとめて掴み取り、その後はどうするのか……食うのか。
アニラービーにとってこれは攻撃ではないのだ。ただ、人間が食物を採取したり蠅を払ったりするのと変わらない。
「アユミチ!」
「旦那、あっしを置いて」
右腕が大きく振り上げられ、巨体による暴虐が始まる。
ゼラがアユミチを巻き込むような魔法を使うはずがない。アユミチが着くまで、他の誰が犠牲になろうとも、それがたとえ自分の身を危険に晒そうとも彼女は――
「――間に合わないのは、まあ仕方がないですねぇ」
「お前!」
「時間切れです、残念ですけど」
町から来た女魔法使い。
ビッテスが空に掲げた黄色の宝石が、輝きを放つ。
ジルボンの記憶を呼び起こすその輝き。
陽灯司として【指】を授かる時に主光ゲニーメの放った輝きに似た。
「焼き尽くします」
燦々たる猛暑の太陽のごとき膨大な力が、その手の中から――
「っ!」
森が、世界が、猛火もかくやと言わんばかりの輝きに飲み込まれた。
ジルボンもアユミチも、確かに。
◆ ◇ ◆