法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-37.人と神の再幕

 

 帰る場所を失う。居場所を失くす。愛する人と別れる。

 それがどれほどの絶望なのか。

 アユミチは本当の意味で知らなかったのだと知った。思い知った。思い知らされた。

 

「あ……なん、で……あ、あ……」

 

 森を焼き尽くす炎に、心が焼けただれていくのを感じた。

 ぷすぷすと、みんなの為に、ゼラのためにファニアのために選んだ服が(くすぶ)り、森と一緒に塵になっていく音を聞きながら。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 俺は大丈夫。大丈夫なはずだ。

 かゆいのは傷を負ったから。化け物と戦って怪我をしたから。かさぶたがかゆいだけ。

 ロクに戦いもしないでこんな怪我を治癒してくれなんて言えず、放っておけば治ると思っていた。

 

 薬を飲んだ。

 小娘がくれたんだ。

 信じられないような美酒。確かに神の酒だどんな病気だって治る。

 気のせいだ。何でもない。何でもない。

 だってあの森の連中は一人も病に苦しんでいなかったじゃないか。少しだけまだ斑点が残っていた奴もいたが治りかけだった。

 俺が治らないわけがない。

 

 薬を飲んだ。

 捨て森の小娘が俺にくれたんだ。

 薬だと言っていた。

 

 

「動くな、マーチス」

「おれぁ――うぎぃぃっ!」

 

 石造りの独房でうずくまっていたマーチス。

 同僚の声に縋りつこうとして、短弓で足を射貫かれた。

 

「近寄るんじゃねえ馬鹿野郎が」

「お前のせいでどれだけ被害が……若様まで発症したんだ。このクズ!」

 

 ざばぁっと水をかけられた。

 ぬめる、水。

 水じゃない。

 

「帰ってきたお前と飲み歩いた奴、寄った店、全部同じ処理だ。くそったれ」

「俺は薬を飲んだんだ! 捨て森の小娘がくれた、何かの間違いだ……そんな……」

「最悪だぜ。テノンの奴と一緒に死んでくりゃあよかったのによ!」

 

 テノン。

 頭上で捻り潰されたテノンの死にざまを思い出す。

 あの死に方と、俺の死に方とどっちが……

 

「わざわざ感染中期以降で帰ってきてくれたお前に、俺らから特別にくれてやる」

「次の行き先は地獄だぜ、決定だ」

「や、やべ――」

 

 油まみれになった独房に火のついた松明が投げ込まれる。

 真っ暗な夜に見る送り火のような赤が、俺の目に最後に焼き付いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「マーチスの隊舎、行き付けの酒場、他疑わしい場所は焼きました。一緒にいた者も隔離後、発症した者は……」

「……」

「全て、ご指示通りに『処理』を……」

「あァ」

 

 西港ディサイの総督、右流伯コスタス・マクリアスが唸るように喉を鳴らした。

 椅子に座り目を閉じたまま、顎を引いて微動だにせず。

 

「……心中、お察しします」

「いらん」

「は」

 

 報告以上の情報は必要ない。

 目をかけていた優秀な次男が、斑徂症を発症して焼却処理されたなど説明不要。

 

 塩臭い室内。消毒の為に塩と毒蔓の搾り汁を混ぜたものを散布した。

 奴の血がどこに残っているかわからない。

 

 

 七日前、ここで魔獣との大立ち回りを身振りを交えて語っていたポーラ隊マーチス。

 戦いの負傷と言っていた体中の傷は、今思えば斑徂症中期の症状と似ていた。

 

 本人があまりに快活に振る舞うから疑うことを忘れた。

 それだけではない。過去に死病で追放した者が何人も完治して帰っているのが確認されていた。

 死病が治るという希望に目が曇り、マーチスの与太話を聞いてしまう。

 

 捨て森の死病患者は確かに治っていた。

 魔獣ヘレボルゼは退治された。

 同行したテノンは死に、院仕隊の二人は王都の方に同じ報告を持っていったと。

 

 一日過ぎて、何か様子がおかしいことに気づく。

 二日目、マーチスを捕らえて独房に入れた。

 その後から斑徂症の初期症状がぽつぽつと発症する者が。どれもマーチスと近く接触した者ばかり。

 初期状態であれば周囲への感染は少ないと言われる。だが治す手段がない。

 

 

 治す手段。

 それがあると言うから調査にいったのだ。様子を見て、感染の疑いがあるようなら近づくなと言った。

 慎重なテノンが一緒ならそう馬鹿なことにはならないだろう。

 どちらにしても星光のビッテスは行くつもりだ。何か確信がある。出遅れるのは大きな損になる。

 

 その結果がこれだ。

 マーチスの話では捨て森で娘から薬をもらったと言う。捨て森にいた人間の誰も病で苦しんでいなかったとも。

 まやかしか。

 伝説の魔獣が悪神アニラービーでそれを倒したなどというのも、とんだ作り話。

 

 すぐさま王都にも伝令を走らせた。院仕隊が王都に死病を持ち込んでいたなら、それを知らせるマクリアスに有利に働く。

 そうなればいい。広がればいい。

 このディサイの町だけがこんな被害を出すなど、まったくもって割りに合わない。

 

 

「討伐隊の編成、思うように進みません」

「急がせろ」

「直近でこの騒ぎです。誰もが死病を恐れ、脱走兵も増えております」

「見せしめに吊るせ」

「その憲兵さえ逃げ出す始末です」

「やれと言っておる!」

 

 コスタス・マクリアスの怒号が部屋を響かせた。

 彼もまた船乗り。五十を過ぎても声の張りは若い頃と変わらない。

 

「人心を惑わし得体のしれぬまやかしを使う連中が! この町から歩いて行ける場所にいるのだ! いつでも死病患者を送り込めるところに!」

「はっ」

「今日は町に誰も入れなんだか! 見知らぬ者はこのディサイにおらぬか!」

「いえ」

「次に死病にかかるのはお前の妻か子か! 奴らは簡単にそれができるのだぞ!」

「……」

 

 

 我が子を失ったコスタスの私情もある。

 だが恐ろしいのも事実。

 実際にどうやっているのか見当もつかないが、捨て森で暮らす連中は死病を操れるのだろう。

 治すも治さないも自由。

 

 捨て森の霧や一部の植物には麻痺作用がある。

 調査に来た兵士にわけのわからない幻覚を見せ、死病と共に送り返した。

 危険な集団。

 

「すぐに隊を揃えて焼き払え。森から出る者は誰一人逃がすな。海からも向かわせろ」

「はっ」

「全てだ」

 

 コスタスが握り拳を震わせ、ぎりりと歯を噛みしめて唸った。

 

「あの忌まわしい森の何もかもを焼き払え」

「承知しました」

「町の者にも儂の口から聞かせる。中央広場に支度せい」

「はっ」

 

 死病の息子を焼き殺した男の怒りは、恐怖は伝播し、編成の終わるころに大量の油も住民から寄せ集められた。

 これで死病に呪われた者どもを骨も残らず焼き尽くしてくれ、と。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「西港ディサイは大混乱で、マクリアス伯は即座に討伐隊を編成。既に捨て森に向かわせたかと」

「浮足立ちおって」

「我らも肝を冷やしたところでございますからね。ひひ」

 

 院仕隊からの報告を持ってきた陽灯司に、太光師三名が各々苦い顔で唸ったり頷いたり。

 筋肉質の巨漢オルミはマクリアスの動きを非難し、細長いザイドロスは皮肉気に笑う。

 小柄なアパティが報告の続きを促す。

 

「貴族院、タシモ・ティッダーン大公たちはどのように?」

「死病患者がこちらに逃げてきても困るとお考えのようです。国軍第二隊、第四隊二千に召集命令をかけました」

「そうなりますか」

「それと」

 

 付け加える陽灯司に、三名の太光師の視線が集まる。

 

「鬼巫アハラマは動く気配がありません。先代ヨハルハと面会したその後は」

「引き続き監視を。捨て森に花札を送ったのが偶然とは考えられません」

「はい、承知いたしました。黄道の導きのまま」

 

 

 陽灯司が立ち去り、広い室内に三人だけ。

 卓に置かれた指は全部で三十六本。

 

「鬼巫の考え、読めませぬな」

「私が鬼巫であれば、あの二人に病の種を仕込んで我々に送り込んだところですが」

 

 両手に聖印を焼きつけた太光師であっても死病からは逃れられない。

 灰息病、斑徂症。

 手厚い看護と運が味方すれば回復の可能性もあるが、それまでに周囲に感染が広がる。

 

 仮に他の二人の太光師が感染したとしたら、アパティなら見捨てる。切り捨てる。

 とはいえ厄介な二人。簡単に処分はさせてくれないだろう。

 どこかに隔離、死んでも構わない信者に看病させて後は運任せというところか。

 立場が逆でも同じこと。

 

 

「ディサイの動きも性急ですが、気が(はや)ったのは我らも同じです。悪神討滅と聞き、直に審問したいと」

「全てを包み隠さず話していただく必要がございました。この耳で、この【手】で」

「……」

 

 院仕隊に混ぜている影潰し――エクピキ教団の私兵が、黄道の導きに従い捨て森で神の遺物と対峙した。

 直接聞きだしたいと思い、接触した。

 死病の蔓延する捨て森から帰ったばかりの者に、つい。

 より深く聞き出す為に指を使い、より深く深くまで女二人に太光師三人で念入りに確認した。体の芯、脳の奥までほじくるように。

 

 影潰しがエクピキ教幹部に嘘偽りを言うはずはない。

 彼女らはつま先から髪の端まで洗礼に(ひた)されている。女の体の髄まで。

 念入りになったのは、アパティたちも興奮していたからだ。心が躍った。

 これが本当ならエクピキの黄道がさらに近づく。黄道に至れば本物の【指】をいただける望みがある。主光ゲニーメと同じく。

 

 あやうく廃人にしかねないほど入念に聞き取り、神の愛をたっぷりと注ぎ、とろとろと溢れさせた。

 アユミチ。

 神の使いを名乗り死病を癒す者。

 正体はわからないが少なくともエクピキの系統ではない。陽灯小司に治癒を受けた時の様子から確信がある。

 ポスフォスか、ランプシーか。あるは別の?

 アニラービーが捨て森に潜んで復活を目論んでいたのだ。あらゆる可能性がある。

 

 

「――っ」

 

 広間の空気が変わった。

 広間の最奥にある螺旋階段からの気配を受け、三人の太光師が立ち上がり膝を着く。

 深く叩頭し、一声も漏らさず気配の主を待った。

 

 

「ああ、かしこまらなくていい」

 

 柔らかく、高く透き通る声がかけられる。

 

「今日はとても気分がいいんだ。皆の働きのおかげだね、感謝する」

 

 腹の底から嬉しそうに言って、皆に顔を上げるよう促した。

 小柄なアパティよりさらに小柄。巨漢のオルミ太光師の半分もない背丈の、エクピキ教団主光ゲニーメ。

 染みひとつない肌。法衣に溢れる黒々とした闇色の髪の隙間から、黄金の瞳が極星のごとく輝く。

 

 

「ビッテス、リグラーダ。彼女たちの奉公にも今一度感謝と敬意を。エクピキがこれほどお歓びになられたことは、先の終末以降なかったことだ」

「おぉ」

 

 神々がこの地より消えてから初めてのこと。

 まさに、新しい世界の夜明け。その前触れ。

 

 

「見てごらん」

 

 あらためて言われなくても、その場にいる皆の目が見ている。

 

「エクピキの威光が取り戻されんとしている姿を」

「遥かな黄道、確かに……」

「なんと素晴らしいことでございましょう」

「まさしくエクピキの御威光、雄々しく」

 

 エクピキの神威。

 ゲニーメ主光の小さな法衣をめくり上げ、ヘソの付近から隆起する【指】の偉大さ、力強さに、皆があらためて深く(こうべ)を垂れた。

 

 エクピキの復活の日は近い。

 その為に使える手段は何でも使う。

 邪魔なものは何者でも排除する。

 この国の利用価値も、そろそろ終わりか。

 さて。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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