法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「旦那! 無理だ!」
「離せ!」
「頭を冷やせって言ってんですよ! 聞け!」
川が増水していた。
捨て森の東、川の水源になる山の方で大雨があったのだろう。雨季の終わりの。
整備された河川ではない。水が増えれば川幅も広がる。
ゼラが掛けてくれた橋がどこにあるのかも見えないほどの水量。流されてしまったのかもしれない。
村に戻ろうとしたが二日ほど足止めを食った。
アユミチだけなら、ノクサの力でジャンプすることも可能だったかもしれない。
かもしれないが、ジャンプしたことなどない。
高く上がり過ぎれば落下死する可能性も低くない。どれくらいジャンプできるのかもわからないので、激流に落ちることも考えられる。
激流に飲まれればノクサの力があっても間違いなく死ぬ。海まで流されて魚の餌だ。
現実、無理だった。
ようやく水流が落ち着き、体の半分ほど濡らしながら川を渡ったのはいい。
カヨウが流されないよう二人で支えながらどうにか。
二か月前にもそうしたように、ムンジィとカヨウと一緒に森の西側に迂回していったら、何か様子がおかしい。
大勢の人間の気配。物音も話し声も。
北の方角から、さらに西の海の方からも集まってきている。
捨て森西の集落への入り口付近に。
様子がおかしいと感じたのは、ただ人が集まっているからというのではない。
雰囲気が、話し声が、殺伐としている。狂気に酔っているような気さえするほど。
そう察して身を隠した。
何が始まるのか。見ただけで千人以上の兵士。
大きなどよめきが起きて、入り口近くで並んでいた兵士たちが一斉に引いた。
村の住民の誰かが森から出てくる。
何か兵士たちに言っているようだが、その声は遠くて聞き取れない。
――止まれ!
――動くな呪われた者!
悲鳴のような怒声が浴びせられる。
人が集まっていたから、何事か聞こうとしたのだと思う。
おそらく、アユミチたちの帰りを確認しようと出てきていたのだろうとも。
ゼラやファニアではない。遠目にもそれはわかる。男だ。
彼は怒号を受けて確かに立ち止まった。言われた通りに。
そして、話しかけてはいけない相手だったと遅まきながら理解し、背中を向けた。
森に逃げ込もうとした男に矢が浴びせられ、続けて火も放たれた。
燃え広がる炎。油も合わせて。
何をやっているのか、無抵抗な相手に武装した兵士の集団が、こんなことを。
アユミチがかっとなったところをムンジィが羽交い絞めにした。
「聞け旦那! なんかの間違いじゃねえ、ありゃあディサイの軍だ。この森を焼き払いにきやがった」
「だったら!」
「ここでどうにもできるわけねえ! 嬢ちゃんもいる、頭を冷やしてくれって言ってんだ!」
ムンジィも必死だ。
身を隠していた木陰から飛び出そうとしたアユミチを捕まえ、血走った目でアユミチを睨んで首を振る。
カヨウもいる。
今ここで飛び出して何になる。
「あいつらは命令でやってんだ、話し合いなんざ無理だ」
「……」
「力でどうこうできんならいい。あいつら蹴散らしてくれる力が旦那にあるってぇなら……」
『アユミチ……』
ノクサの声音も弱い。ダメだと諭すよう。
数千の軍隊を蹴散らせる力があるなら。
「アユミチさん……私が」
「……だめだ、カヨウ」
カヨウの幻術は確かに数千だろうが数万だろうが動揺させられるだろうが、そこまでだ。
直接的な攻撃力はない。
動揺させ、引き下がってくれるならいい。だが相手は命令を受けて出動してきた正規軍。
状況が好転する可能性が高いとは考えにくい。カヨウの疲労を思えば分が悪すぎる。
「だけど、これじゃ……」
「見たとこ連中、病気を怖がってやがる。だから火ぃつけてんだろうが……雨季の後でそうそう簡単に火が広がるとも思えねぇ。たぶん」
そうだ、一日二日ほど前まで雨が降り続き、森の木々の水分も多い。
油を撒いて火をかけても燃え広がりにくい。と思う。
――火をかけていけ! 森から出る奴は殺せ!
――追加の油はあるが無駄にするな! 風下からだ!
風下。海側から非常にゆるい風が吹いている。
ここから火をかけ、大きくなった火がその隣の水分を散らして燃え移っていくのだろう。
そうなる前に……
――一匹でも漏らせば町を襲う! お前たちの家族が次の犠牲だ! 心してかかれ!
隊長らしい男の号令がここまで聞こえた。メガホンらしいものを手に声を張り上げて、勝手な思い込みを。
そんなことはしない。そう言いたいが、言っても無駄か。
「なんにしろあっちと合流が最優先だってぇのに……くそ」
「兵士がこっちに来ます、アユミチさん」
森の奥に行きたいが、地形が悪い。
もともと迂回するはずの場所。被さってくるような崖の斜面に水が流れ、とても登れない。登ろうと手をかけたところが崩れてくる。
このまま西に進めば兵士たちに見つかり、おそらく矢の雨。当たらないと祈って進むわけにもいかない。
「いったん戻るしかねえ。旦那」
「……わかった」
考えている時間がない。
どうしようもなく来た道を引き返した。
◆ ◇ ◆
アントニー・マクリアス。右流伯コスタス・マクリアスの長男だ。
父の命で捨て森を焼きに来た。
死んだ弟の仇といえばそうだが、弟のことについて復讐心を燃やしているわけでもない。
成人してからは貴族の男子として比べられることの多かった兄弟。
西港の船乗りとしても、リーダーとしても、弟は多くの賞賛を集めていた。
長男のアントニーを差し置いて彼を後継者に、という声も耳に入る。
その目がなくなったことに安堵してから、血を分けた弟の死を悼んだ。殺すほどの恨みはないが死んでくれてよかった。
「火の扱い、間違えるな! 燃えやすいところから火が回るようにつけていけ!」
ディサイに常駐する兵士の半数二千五百を指揮するなど初めてのこと。
約半数は補給や北西側に逃げ出さないよう見張り。そちらからも火をかけていく。
実務に長けた他の者に諸事は任せているが、指揮官としてアントニーが大きく声を上げる。
大部隊を率いるのはこのアントニー・マクリアスだと示す。
歩兵だけでなく海軍も。すぐ近くの海岸から矢や食料の補給。兵士の輸送。
ここ数十年でディサイの軍としては最大規模の軍事行動になる。失敗するわけにはいかない。
捨て森を焼く。
今までどうしてそうしてこなかったのかと言えば、死病患者の送り先だったからだが。
トローメ建国以前からここに存在し、ずっと死病を飲み込み続けてきた場所。ゴミ捨て場。
ただ飲み続けるだけの穴だと誰もが思っていた。流行り病にかかったものはここに追放すればいいと。
溢れ出てくるなら話は変わる。
トローメにとっての脅威。厄災。敵。
「一匹でも漏らせば町を襲う! お前たちの家族が次の犠牲だ! 心してかかれ!」
細かい指示より気持ちを鼓舞するのが指揮官の役目。
もっと強い言葉で。もっと相応しい言葉で。
死病の人間など人間ではない。より悪し様に、低劣な呼び方をしなければなるまい。
「害虫駆除だ! 呪われた毒虫どもを一匹残らず殺せ!」
「おぉぉ!」
「亡者どもを地獄に送り返すのだ!」
相手が人間だと思えばいかに兵士でもためらいは生じる。
ここに住むのは人間ではない。害虫。毒虫。死にぞこないの亡者の群れ。排除しなければならない。
しかしまあ、全部が駆除できないこともあるだろう。
トローメ王国の為の軍事行動は右流伯に許された権限だ。
新たな右流伯アントニー・マクリアスの名を確かなものとするために、さらに声を上げた。
◆ ◇ ◆