法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-39.森に道なく

 

 命綱などない。

 急斜面に掴まるムンジィの腰に結わえている布は、崖の上で大木に結んでもらうためのもの。下から登れるように。

 売り物、あるいは敷物にしようともらった布をいくつか繋ぎロープ代わりを作った。カーテンを結ぶよりは強度がある。

 

 川まで戻り、まだいくらか水量の多い川沿いに捨て森の南に回った。

 森に入れそうな場所はなかなかない。急斜面、崖。

 長い年月、ここを流れる水で削られたのだろう岩盤。その上が捨て森になる。

 登れそうな場所を見つけ、ムンジィが荷物を置いて登っていく。命綱も何もないロッククライミング。

 

 カヨウもいるのだ。置いてはいけない。

 アユミチだって傾斜八十度の壁を登れる自信はない。ムンジィが上まで登って布ロープを結んでくれるのを待った。

 途中、岩の隙間から飛び出した小動物にひやりとする場面もあったが、二十メートルほどの高さを登り切る。第一段階はクリア。

 

 

「よし、上げてくれ!」

「うっす」

 

 繋いだ布の末端に荷物を結わえてムンジィに引き上げてもらう。

 棒だけは長すぎてうまく結べない。アユミチの腰に挟んだ。

 

「次はカヨウだ。これを握って、俺は下で助けるから」

「はい」

 

 岩肌の斜面に足をかけ、布ロープを握って登り始めるカヨウ。

 上から心配そうにムンジィが見下ろす。アユミチも似たような顔だろう。

 カヨウの後にアユミチも続く。万一、カヨウが滑ってもすぐ支えられるように。

 

 

「ん、っく……」

 

 一生懸命、カヨウの苦しそうな声。

 落ちたら死ぬ。登るしかない。

 ムンジィやアユミチとカヨウのどうしようもない違いで、歩幅があった。

 カヨウがかけた小さな足場には苔が生えていて、ずるりと――

 

「あっ」

「カヨウ!」

 

 ずり落ちかけたカヨウの尻を咄嗟に支える。強く。

 アユミチとて十分な体勢ではない。ないけれど、カヨウを落下死などさせないと普通以上の瞬発力と馬鹿力で。

 

「っ」

 

 するり、と。

 抜けてしまったのはカヨウの体……ではなく、アユミチの。

 

「ち」

 

 腰に差していた木の棒が抜けて、下へ。

 しまった、と思うが木の棒の為に命はかけられない。

 カヨウを上げてから取りに戻ろうかと思ったが、川の流れに飲まれるのが見えた。

 

「ごめんなさい、アユミチさん」

「気にするな。もう少しだから頑張れカヨウ」

 

 あの棒に色々と世話になったのは確かだが、カヨウの命には代えられない。

 

「またレーマ様からもらうから大丈夫だ。次はもっといい物にしてもらうよ」

「……はい」

「嬢ちゃん、手を」

 

 上から伸ばされたムンジィの手と、アユミチが下から押し上げてカヨウを上まで届けられた。

 続けてアユミチも這い上り、上がってからどっと汗が噴き出す。

 木の棒を失った程度で済んでよかった。今はそう前向きに考えよう。

 

 

「この先も足場はわりい。俺が先歩くんで、足元には気を付けてくれよ、嬢ちゃん」

「わかりました」

 

 一刻も早く村に着きたい。

 ゼラが待っている。みんな不安なはず。こんなところで休んでいられない。

 気持ちは焦るが、今の時点で既に夕暮れ。

 

 片手に松明、片手の剣で足元の草を払いながら進むムンジィが急斜面を滑り落ちた時点で、それ以上進むのは無理と認めざるを得なかった。

 整備された道路でもなんでもないのだ。

 松明を握ったまま転がったムンジィ、大した怪我がなかったことを幸いと思うしかない。

 一歩間違えれば死ぬ。それを承知で先を歩いてくれたムンジィに文句など言えるはずもなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 足場も悪い。道順も違う。

 アユミチの感覚で村の位置を目指して進むが、どうしようもない裂け目に出くわして迂回して。

 さらに一日が過ぎる。

 

 急ぎたいのに。くそ、くそっ!

 苛立ちが募る。だけど夜中に歩いていたら誰かが落ちていた。裂け目の下を流れる水に飲まれて溺死していたと思う。

 選択肢を選び直すことができない以上、命に係わるリスクに無頓着ではいられない。

 

 

 森の中からでは広く見渡すことはできない。だがノクサは違う。

 まだ煙は見えないよ、とアユミチの気持ちを少しでも宥めようと頻繁に報告をくれた。

 ムンジィもカヨウもアユミチの気持ちを察し、二人も焦りながらも冷静さを失くさないよう諭す。

 

 アユミチだけだったならもっと酷かったはず。

 どこかで滑落して足を折って、進むも退くもできずその場で焼かれていたのが関の山だ。

 腹立たしいのは自分の力の無さ。

 何もかもが思い通りになる力があれば、こんな気持ちにはならないのに。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

『西からすごい煙が来てる』

「そうか」

『まだ村までは届いてないよ』

「わかった」

 

 村が近づいている実感と、ノクサの報告。

 やはり燃え広がるのに時間がかかっているのだろう。これが早いのか遅いのか試したこともないから知らないが、どうにか間に合いそうだ。

 

 気のせいなのかどうなのか左側に熱を感じる。火の手が迫っている音、気配、匂い。

 実際に熱はまだ届いていないはず。だけど気持ちは焦る。急がなければ。急がないと。もっと早く。

 もうすぐ村に辿り着く、と思ったところで――

 

 

「使徒様! あぁ!」

「無事だったか、よかった」

 

 西から迫る煙に追われて逃げ出したのか、カハロと母が木々の向こうから現れた。

 知った顔の無事な姿を目にして、多少なり気持ちが軽くなった。

 

「他のみんなは? ゼラたちはどうした?」

「一昨日から皆散り散りに……私たちは使徒様がきっと帰ってくると信じて……私たちが最後です」

「散り散りに?」

「ゼラ様のご命令です。まとまらないように逃げなさいと。一人でも生き延びるため、だそうです」

「……そうか」

 

 軍隊が殺しに来ている。集まって逃げるよりは少しでも生存確率上げる為、ばらばらに逃げろと指示した。

 集団行動して全員で助かるか全員が死ぬか、という選択をゼラは選ばなかった。

 

 アユミチがいれば選べなかっただろう道。

 苦いものが胸にこみ上げるが、ゼラの指示を間違いとは言えない。

 まとまっていれば足も鈍るし敵からも見つかりやすい。ゼラの判断が合理的だ。

 

 

「最後まで使徒様をお待ちすると私たちは残りましたが……少しでも使徒様のお近くにと、南に逃げた者もいます」

 

 ここまでで出くわさなかったのは、運が悪かったからなのかどうなのか。

 道のない森だ。偶然出会える可能性の方が低い。

 足元も見えない中、流れる川や崖に落ちた者もいたかもしれない。

 

 

「ゼラは?」

「使徒様が軍に囚われているかもしれないとおっしゃられ、今朝方出られてからは……」

「くそっ!」

 

 ゼラの位置から見ればそう考えるのも無理はない。

 村人たちまで巻き込むつもりはない。少しでも生き延びる道を示して、自分は西に向かったのか。

 おそらくファニアも一緒に。

 

 

「申し訳ありません。私も皆さまがどうなったかまでは……」

「ごめんなさい使徒様……」

 

 苛立つアユミチに謝るカハロとその母だが、彼女らに落ち度はない。

 最後までアユミチを信じて待ち、いよいよ危険が迫って村を出た。そのおかげでここでアユミチと出くわした。

 少しでも情報を得られただけありがたい。

 

「昨日の朝の話では、北側に兵士はいないと。多くの者は北へ向かったはずです」

「あぁ……わかった、ありがとう」

「坊主、母ちゃんの手を離すんじゃねえぞ」

「カハロ離さない」

 

 合流したカハロ母子と合わせて、どちらに向かうべきか。

 村にはもう誰も残っていない。

 ゼラはどこに。命がけで西の火の海に突っ込むしか……

 

 

「ゼラ様やファニア様が無意味に死ぬとは思えません。アユミチさん、しっかりしてください」

 

 西の空に立つ煙を睨むアユミチを見て、手を握りながらカヨウが囁く。

 不安というより叱咤するように。

 

「そうだぜ旦那。嬢ちゃんの言う通りだ」

「……あぁ」

 

 カヨウの言う通りだ。

 ゼラもファニアもアユミチのようなバカではない。

 アユミチが西の兵士に囚われているかもしれないと言うのなら、どうする?

 

 助け出すために……西港ディサイの軍隊だ。ここから北西の港町。

 一度火の手を避けて北に向かい、西港に帰ろうとする軍を強襲するのではないか。

 ここから西に向かえば、どんな力があったところで炎と煙に巻かれて死ぬ。無意味に死ぬような道を選ぶわけがない。

 住民たちには逃げるよう指示して、アユミチを助けようとしたのなら。

 

「急いで北に抜けよう。カハロ、頑張ってついてきてくれ」

「うん使徒様!」

 

 

 

 それでも一度村に向かった。ムンジィにカヨウたちを任せてアユミチだけ。

 

 誰もいない村。

 せっかく、やっと、安心できる場所だと思ったのに。

 わずかな間でも一緒に暮らした家、ゼラが望んだシャワールーム、歌って踊った広場。

 こんな簡単に失われてしまうのか。

 

 悔しい。情けない。

 ゼラの名を呼び、ファニアの名を呼んで。だけど誰もいない。

 

 

 カハロたちが最後と言っていた。逃げ遅れた者も……いなかったけれど。

 首を吊っている人はいた。

 少しでもマシな料理ができるようにと、調味料を作ってくれた女性。

 

 絶望したのだろう。

 やっと手に入れた居場所、取り戻した生活が奪われる。失われる。

 村を捨てて逃げろと言われた彼女が、どんな気持ちで蔓紐に首をかけたのか――

 

「ごめん……ごめんなさい……」

 

 冷たくなった体を下ろして、横たえて。

 他にできることなど何もなかった。

 アユミチにできることなんて、何もなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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