法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-41.煙渦

 

「空が黒い」

「今日も燃えてるぜ弟」

「そりゃあ燃やしてんだから燃えるだろうさ弟」

「アントニーの奴、操船も風読みもヘタクソのくせに燃やすのは得意らしい。篝火番でもやらせときゃよかったな」

 

 海からの視界は広い。

 地平線の彼方まで見えるわけではないが、右流伯閣下のご命令とあれば捨て森沿岸まで来るのは来る。

 ご命令通り、油や兵士を運んできたわけではない。

 

 奴隷海将隊の船に乗りたがる奴はいない。

 病気と同じくらい嫌われている。

 はぐれ者の集まり。

 

 船長殺し。

 ジナミナの罪状をうやむやにして新たな船長にしたて上げたのが、副長のアルゴ・ノーツ。一応は名家の出だ。

 トリーゾとコッポのくそみそ双子も面白がって同調し、こんな隊が出来上がった。

 軍の規律に素直じゃないが腕は立つ。独立部隊の奴隷海将隊。

 

 

「アントニーの野郎の浮かれ具合がこっからでもわかるな。俺らでもあそこまではやらないね」

「お嬢を泣かせりゃ弟はやるぜ」

「そん時ぁ森どころか城でもやるのが弟さ」

「火は好きじゃない」

「おっとごめんよお嬢。弟も反省してる」

「ああ、弟だってそんな馬鹿はやらないってさ」

 

 アルゴのぼやきに口を挟んだ双子だが、ジナミナが顔をしかめるのを見て手の平を返す。

 奴隷の焼き印のことを考えれば、ジナミナが火を嫌うのは当然。

 

 

「っても、やっちまっていいのかねぇ? あれだって国王陛下の土地にゃあ違いないってのに」

「おっと副長が真面目だ。今夜は嵐か?」

「雨季も過ぎたってのに勘弁だぜ副長」

「うるせえよ、バカ兄弟」

 

 どっちがどっちだか、見分けるのはもう諦めている。

 魔法以外で双子を見分ける方法は、自己申告かジナミナの鼻くらいだ。自己申告などまるで信用ならないが。

 

「ま、皆殺しにってマクリアス閣下のご命令だ。アントニーが珍しく真面目に仕事してんだから、こっちはのんびり見物でもさせてもらうかね」

「これ以上、なんの面白味もないんじゃないかな」

「亡者が森から溢れてアントニーが泣いて逃げてくりゃ見物(みもの)だろうよ」

「あの無様な泳ぎでか? そりゃあいい……おっと、そいつはいけねえなぁ」

 

 双子の邪悪な妄想につい同調してしまうアルゴだが、本当になったら笑えない。

 

 

「あいつなら地獄の船賃もたんまりだろ」

海底(うみそこ)でジャリジャリ鳴りやまねえさ。火だるま公アントニー閣下の悲鳴と合わせて」

 

 この辺りの海辺では、葬儀の時に硬貨を海に投げる風習がある。

 それがチャリンと音を鳴らせば、地獄の海を渡る船代に足りたということ。

 生者に地獄の音は聞こえないから、実際に足りたかどうかはわからない。まあ迷信の類。

 その為の音を鈴で鳴らす葬儀もある。それじゃ生者にも聞こえているわけだが。

 

 

「んでどうする副長? 南じゃ春果実の輸送の時期だ、いっちょ略奪でも行くかい?」

「そりゃいい、お嬢も好きだろ南海黄桃」

「ん……今はいい」

 

 滅多にない、たぶん二度はないだろう大事だろうと命令に従った(てい)でこの海域まで来てみたが、ここ数日何が変わるわけでもない。

 まさか本当に亡者が森から溢れてくることもないだろう。

 ふらふら漂い、このまま禁域近くの海に入ってしまうと暗礁が多く事故のもと。

 やることがなければ南ティルソの商船でも襲ってくるかと。

 

「もう少し見てたい」

「弟はお嬢の意見に賛成さ」

「いつだってそうだろ、弟よ」

 

 気まぐれなジナミナだ。

 ジナミナの気まぐれと船を揺らす波が、家を捨てた船乗りアルゴ・ノーツの羅針盤。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 火の手が迫れば誰も不安になる。ゼラとて変わらない。

 炎だけならゼラの魔法である程度防ぐこともできるだろうが、熱と煙に満たされれば焼き釜の中のようなもの。

 村を守ることはできない。

 

 住民たちにはそれぞれ役目を言い渡した。ただ逃げるでも、できるだけ敵の目を逸らしたい。アユミチの為に。

 敵は、この森に住む人間を焼き尽くしにきた。

 ただの山火事ではなく、目的と殺意が込められている。

 火の手から逃げても許されるわけではない。

 

 

 アユミチが戻るかもしれない。

 西側が封鎖され火が迫っているのだから現実的に不可能だとわかっていても、期待してしまうのはいけないだろうか。

 彼なら、何か……

 

 初めての夜の、アユミチの不安そうな瞳を思い出す。

 とても頼もしくて、優しくて、弱い人。

 住民を囮扱いしたことをアユミチは快く思わないだろう。けれど他に手がなかった。

 許しは乞わない。ゼラの指示で死んだ者を思えば誰にも許せはしないのだから。

 

 

 いよいよ今日にも火が届くだろう。燃え広がった火勢がさらに勢いを増している。

 大雨でも降らなければ勢いは止められない。葉に燃え移り、枝から幹に、隣の木々に。

 アユミチを待つのはやめた。

 彼が死んだとは思わない。西に布陣する軍に捕らえられたか、違うのか。確認しようもない。

 

 ディサイの軍以外にここを攻めるものはあるのか?

 考えて、思い至る。

 ディサイ軍の動きは他と連携していない。

 北側、東側に(いぶ)り出される。

 死病の患者をディサイから遠ざけようとする焼き討ち。

 

 王都側の軍はまだ来ていない。

 自分が彼女らの立場であれば、ここでアユミチやアユミチに対して有効な手札を確保しようとするだろう。

 

 人質として特に有効な誰か。

 ゼラ、ファニア……最も適した誰かの顔が浮かび、少しだけ皮肉な笑みが浮かんだ。あぁ。

 

 

 アユミチの意思を、誇りを、彼の身を踏みにじらせたりはしない。

 世界でたった一人、ゼラを愛しゼラが愛した人。

 相手が何者であろうとゼラがアユミチを守る。

 

「北へ」

 

 何があるとしてもまず生きなければ何もできない。

 ゼラは北に向かう。

 アユミチと再び会うためにならどんなことでも。

 

 

「っ!?」

 

 北に向かう途中で、猛烈な悪寒を感じた。

 虚穴の痕跡を越え、以前の集落に近づいた辺りで。

 

「……」

 

 悪寒、怖気。腐臭。耳鳴り。鈍痛。疼痛。眩暈。吐き気。ゼラの肌に数万の蛆虫が(うごめ)き這いずるよう。この世のありとあらゆる不快感。

 ゼラの瞳にちらりと映ったのは、白地に金の刺繍が施された法衣。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「ザイドロス様」

 

 ビッテスが声をかけると、(くすぶ)る森の奥を眺めていたザイドロス太光師が、首だけぎゅるりと回して振り返った。

 いや、森の方を見ていた姿勢が首を回した状態だったのか。正面に向き直る。

 細長い体。顔も長く目玉はぎょろりと。

 

「どうでございますか、彼らは?」

「他の者と同じくアユミチくんは村にいないと言っていました。嘘ではなさそうですねぇ」

「これだけの騒ぎに珍妙なことでありますな」

「女もおりました。もしよろしければザイドロス様の御手でご確認いただけましたら、彼女もよろこぶかと」

「ほ、そこまですることもないでしょう」

 

 つい先日、村を助けて戦ったビッテスだ。

 緊急時に救援に駆けつけて、そうでたらめを言われるとも思わない。

 けれど人間の本心などわからない。神の手で聞き出すのでもなければ。

 

 

あちら(・・・)は、いかがでございましたかな?」

「それはもう」

 

 ザイドロス太光師の御手を下らないことで煩わせてはいけない。他のことでも力を借りているのだから。

 ここまで足を運んでもらってよかった。

 あちら、の方が大事。

 

「見事な【仕込み】でした。すっかりと、もう」

 

 笑う。

 ビッテスの腹から悦びが湧きあがる。

 

「死の花嫁の身は、確かに。皆さんそれはもう悦んでくれました」

 

 保護した住民からもとても好評。とてもおかしい。

 神に忠実なる者には慈悲を。

 不届きな者には相応しい罰を。辱めを。真なる神の赦しを。

 

「ほほ、信徒の悦びはエクピキの悦びでございましょう」

「黄道の導きのままに」

 

 

 ビッテスはよく知っている。

 神の手の大きさ、温かさ、心地よさ。至上の甘美を与えてくれる手に抱かれ、身をゆだねる歓びを。

 影潰しなら皆知っている。体の芯までしっとりと染みわたり、脳まで痺れる幸福。他では得られない。

 失われれば気が狂う。黄道の導きに従いこれを守り、これをしゃぶる。

 知れば忘れられず、離れられず。

 

 忠実な者にエクピキは報いをくれる。

 アユミチが持っていた神の酒にも似た甘く蕩けるような力。誰も抗うことはできない。

 澄まし顔のリグラーダでさえ、恋に酔う女に似た顔をするのだ。可愛らしく、淫らに。

 彼女のそんな表と裏が好き。

 

 

「アユミチくんがいないのであれば、住民はなるべく多く保護しておきたいんですけど」

「敬虔なあなたが思う通りになさればよいかと」

「何か気になることでもありますぅ、ザイドロス様?」

「はて」

 

 先ほど見ていた森の奥の方に何かあっただろうか。

 ビッテスが問い、リグラーダがそちらを確認する。

 

「……」

 

 逃げてきた住民でもいるのかと思ったけれど、リグラーダが背中を向けたまま首を振る。

 その彼女の向こうを、大きめのリスのような何かが横切り、走り去った。

 焼け出されてきた動物か。

 

 

「火勢の強さ、油断はなりませぬな」

「まだ大丈夫だとは思いますけどぉ」

 

 火の強さ、懸念がないことはない。

 いろいろと。

 いや、今は地上にないから大丈夫だとは思う。普通の火なら。

 

「一度村の方をリグラーダさんと見てきますね」

 

 手札にはまだ不足を感じる。

 とても危険な状況だと知ってはいたけれど、最後に確認だけ。

 そこでアユミチと引き合うのは、黄道の導きがあればこそ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「違う」

 

 違和感が、がちりと嵌まった。

 見たかったゼラの微笑を目にして、煙に曇っていた頭の中がクリアに。

 

 

 ――向こうで待っている。

 

 ファニアが? この状況でファニアが、ビッテス達に捜索を任せて待っている?

 

 ――あちらに奥様です。

 

 見れば間違いなくゼラの姿。美しい銀糸に静かな微笑みを(たた)えて、アユミチを見つめる赤い瞳。

 

 ゼラが? この状況で、他人に先導されて避難してくるアユミチを微笑んで待っているはずがない。

 そんな穏やかな笑顔でいられるはず……

 

 

 ――お前たちだけか?

 ――逃げた方々はこの先で保護して……

 ――ご無事ですよぉ。

 ――見てくださいアユミチくん。

 

 

「嘘だ」

 

 アユミチよりも、誰よりも早く。

 リグラーダがダガーを抜いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 





あとがき
不安にさせてすみませんが、続きを待って下さい。
ゼラを雑に扱うことはありません。
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