『ありがとうございましたー』
コンビニを背にして空を仰ぐ。帳の降りた天上には月こそ眩しく輝いている。それが余りにも綺麗なので、肌にじとりと張り付くワイシャツが何時もより余計に心地が悪い。
払拭しようと背伸びをするも、もたりとした空気は粘土のように重苦しく肩にのし掛かる。たしか虫や鳥が空を羽ばたくとき、空気は水の塊のようなものだと訊いたことがあるが何と難儀なことか。
んぅーーーーはぁ....
仕事で凝り固まった身体は、筋をほぐされるよりも早くこの場から立ち去ってほしいらしい。額の汗がつつりと流れる。
アイスが溶ける前にエアコンの利いたシャーレに戻ろう。空を眺めるのもほどほどに、足取りを普段の1.2倍にして空気の海を泳いでいく。
今思えば、通りなれた道だからとスマホをいじりながら歩いていたのがいけなかった。
前から人が来るなら足音なり、斜め前に足元が見えたり気配を感じるので避けるのは容易だ。油断していてもここはキヴォトス。その程度の処世術はとっくに身に付けていた。
なのに何故ぶつかってしまったのだろう。それに尻餅を付いたのは私だけで、お相手は体幹がいいのか私が弱すぎるのか、ともかく男の大人に正面衝突したにも関わらずその場に留まっていた。
「大丈夫か」
「あ、ありがとうございます」
差しのべられた手を借りて立ち上がる。手はグローブをしているが、下の肌は所々に固いしこりがある。これが一つ目のヒント。
前に立ち並ぶとよく分かるが、身長は私より低いのにその風貌、纏う空気がそこらの生徒とは違う。ただ者じゃない。これが二つ目のヒント。そして三つ目はー
「すまない、遅くなってしまって急いでいたんだ。怪我はないだろうか」
ちゃんと謝れる上に相手の心配もできるようになったんだと、親でもないのに勝手に成長を感じて嬉しくなる。
「こっちこそぶつかっちゃってごめん。サオリも怪我はない?」
「....先生か?」
錠前サオリ、元アリウススクワッドリーダー、現在はバイトと自分探しに励む少女の姿だった。
「夕立が多かったから忘れてたけど、最近また暑くなってきたね」
近場の公園の椅子に腰かけて、買ったアイスを二つに折り片方を渡す。
「ああ。この時期のバイトは少し外に出ただけで参ってしまうな」
ありがとう そう受け取ったままのサオリに食べるように勧めると、おずおずとアイスに口を付けた。それを見て私も噛り付く。
「シャーレにでも来て涼んでいけばいいのに。なんなら内々で雇うこともできるけど」
「…ありがたい誘いだが遠慮しておこう。今の私にそんな価値も、資格もない」
あ、いけないな。こういう言い方をするサオリは少し自罰的すぎる。何かを言おうとして、でも、とサオリが続ける。
「それに、こうみえても最近は充実していると感じているんだ。契約書を読む癖もついたし、世の中は一癖も二癖もあるやつらがいると分かってきた。先生のおかげだ」
笑顔で応えるサオリを見て、余計な心配だったと反省した。
それからもアイスが解け終えるまで、二人で色々な話をした。最近のバイト、仕事の話、夏の話、給金強奪の話。とにかく会っていなかった分の時間を、月が見守る中で二人はそればかりを話していた。
…
「ところでさ、今更なんだけどぶつかったとき急いでたように見えたけど良かったの?」
さすがにいい時間だと先生が切り替え、もうシャーレに戻ろうかとしたときには月も少し傾いていた。これはちょっと長居しすぎたかもしれない。帰ったらアロナにどやされそうだ。
「ああ、寝床の確保に急いでいただけだ。なに、今日はこの辺りで野宿でもするさ」
時間を確認した携帯端末を思わず落としそうなところでキャッチした。
待った。いまさらりと何を言ったのか。野宿って言ったのか?ここはコテージでもなければキャンプ場でもないただの公園。しいて言えば普通の公園よりも広く、そして身を隠すのにちょうどいい茂みが多いくらいだ。なるほど、確かに季節は夏の盛りも衰えたころ。確かに外で寝るにも気温は問題ないだろう。
しかし「そう、じゃあまたね」と言ってバイバイするのはあまりにもーーー
…
「…サオリは明日もバイトかな?」
サオリはアイスのゴミを律儀にもダストボックスにしまい込むと、ついでにとあたりを見渡した。
「いや、明日は特に入れていないな。銃と装備のメンテナンスをして、それからまたブラックマーケットで日雇バイトを探そうと思っていた」
こちらには顔を向けずに、今日寝られそうな茂みを探している。目の前にもっと便利な寝床があるのに、なぜそれを利用しないかなこの子は。
「そう。じゃあ今日はシャーレに泊まっていくといい」
驚いたように彼女はこちらを向く。ああ、やっと目が合った。
「だが、それでは先生の迷惑に…」
よしよし、若干困った顔をしているのが見える。私はここぞとばかりに追撃を入れた。
「じゃあ逆に聞くけど、私の目の前で”野宿する”とか言って、私がそれを止めないと思った?」
「それは・・・・そう、だな」
「はい決まり。じゃあ移動しようか」
「ああ、よろしく頼む先生」
想定通り。咥えていたアイスのガラをビニール袋に入れて口を閉め、立ち上がって歩き出す。サオリは私の横について歩き始める。
「あ、それと」
「?」
「ついでに風呂も入っていくといい。汗かいてるでしょ」
「っ!!」
街灯に照らされた薄い影が、より一層濃くなった。
しまった、これは明らかに配慮が足りてなかった。私の落ち度だった。
言うが速いか、彼女は私の横を飛びのいた。私にとっては十分な距離を離したうえで、そして申し訳なさそうに鼻を鳴らして自身の服を嗅ぐ。
「…匂うか。やはり帽子だと頭が蒸れるからか」
案の定、彼女に勘違いをさせてしまう。ちがう、そうじゃないんだ。
「ごめん。そういう意味じゃなくて。私も汗かいて気持ち悪いから、もしかしたらサオリもそうなんじゃないかと思って」
「そういう、ことか。すまない。先生の厚意に対して私は…」
「いいから!私も言い方が悪かった。訂正する。シャーレにはトレーニング後の汗を流すシャワールームもあるし、洗濯もできる。今日一日はそこで休んでいくといい」
結局言葉を選ぼうにも意味合いが変わっていない。これでは訂正の意味がないじゃないか。てんぱっていたおかげで耳まで熱くなる。
それを見てか見ないふりか、一瞬だけふふっと笑うサオリの息遣いが聞こえた。
「あそうだな。ああ、ぜひ借りるとしよう。正直公園で水浴びをしようにも人目を気にすると時間が限られていてな…」
下げていた顔がすごい勢いで持ち上がった。なんだかさらに恐ろしい発言を聞いた気がする。
いや、分かってはいたことだったけどね?RABIT小隊の皆がシャワーを借りに来るくらいなのだから、居場所を転々とするサオリの事情は想像に難くない。人目を気にしているだけマシと思うことにする。
「....これからは連絡くれたら裏口のほうを開放しておくから、あとは施設を使うといい。人払いはしておくから」
「本当にいいのか!?」
「うん。だからもう公園とか人目のあるところでそういうのはやめてね」
「ああわかった。ありがとう先生」
「あはは、どういたしまして」
やはり何かしら考えておいた方がいいかもしれない。
おわり