「はい、これ今回の給料ね。」
「ありがとう…ございます」
1週間の泊まり込みの仕事が終わり、手渡された封筒の中身を確認する。金の受け取りと中身の確認は依頼者のいるその場ですべし、これは私がブラックマーケットで仕事をするにあたって学んだ処世術だ。
慣れた手つきで素早く札を数える。指は無意識的に札を撫で、片手に収めていく。こういう時には昔に入った銀行でのバイトが役に立つ。
この手は銃を握り敵を殲滅することにしか使えないと思っていたのに、アリウスという世界がいかに狭かったのか。それが今では恐ろしく思うし、それに気づかせてくれた先生にも恩義を感じている。
「確かに。額面通り受け取った」
「当然だ。結果にはちゃんと払うべきものを払う。また頼むぞ」
「…ああ、こちらこそよろしく頼む」
封筒の中身をポケットにねじ込み、依頼者に背を向けて歩き出す。依頼が終わったからには今までの寝床は使わせてもらえない。それに今夜は雨が降るから、早く屋根のついた寝床を探さなければならない。
空は暗い雲がかかり始めていて、すでに小雨が降りだしそうな気配がした。
***
『いらっしゃいませー』
軽快な電子音と店員の挨拶に出迎えられた私だが、ただ雨宿りとして入っただけなのにきちんと出迎えられるのは少し居づらさを感じた。店内は空調が強めに設定されているのか、外のむわりとした湿度が急に冷めるものだから思わず身震いした。
(…何か買っていくか)
コンビニはいくらか割高ではあるが、どこにでもあるのが強みだ。日と曜日をずらせば顔を覚えられることもない。
背負ったバックパック大の中には必要最低限の服と、緊急用の薬、それに銃弾と爆薬、水を入れる専用の水筒に、日持ちする食料があと少し。切り詰めればあと2日は持つかどうかと言ったところ。
とりあえず食料の類いが必要だ。乾物であるとなお良い。味は二の次、移動の都合上かさばらないものをーー。
食品コーナーへと足を向かわせると、端は雑誌コーナーが横並びにしている。目に写ったビビッドな色合いの雑誌は、昔にヒヨリが拾ってきたものに似ていた。
今は離れた私の家族が頭をよぎる。
アツコ、ミサキ、ヒヨリ。
この雨の中で凍えていないだろうか。夏に降るゲリラ的な豪雨。それは見聞きする以上に体の芯を震わせることは、みな体で知っている。
この間ビーチで出会ったきり連絡は取っていない。自分が何者であるのか、それを探し終えるまでは自分から会いにはいけない。
くしゃりと札で膨らんだポケットと逆の方を撫でる。失くさないよう縫い付けた1枚の写真。このラミネート加工された一枚の写真の裏には走り書きで番号が記載されている。
『寂しくなったら何時でも連絡してきてね、さっちゃん』
『まあ、気が向いたときにかければいいんじゃない。勝手にしなよ』
『ま、また会えますよ ね...?』
外の雨はさらに勢いを増して、ガラスに反射する自分の姿が見える。雨で叩かれて、歪んだ自分の姿。この手で犯した爪痕の数々が自分に振りかかるかのように、雨は容赦なく私の姿を撃ち抜き続ける。
濡れた手で雑誌を手に取るわけにはいかない。
「あの、すみません...」
声をかけられてはっと振り替えると、小太りな犬顔の男性がびくびくとしながら立っていた。
「す、すまない...!」
かごを抱えるようにして道を譲る。バックパックはどうしても幅を取ってしまうので、男性が通りすぎてから邪魔にならないように担ぎ直す。汗で濡れたバックパックの背面がびたりと張り付いた。
今日は雨なので公園で衣服を洗うことはできない。今日は報酬があるのでコインランドリーという手もあるが、私が利用できるような所は相応に治安が悪い。すでに枚数もギリギリで、トラブルに巻き込まれたり盗まれては困る。
いくつかの下着をかごに入れて早く雨がやまないかと願いながら棚をぐるりと回ると、お菓子の類いとカップ麺がズラリと鎮座していた。そのうちの一つを手に取る。
カップ麺。お湯を入れて数分待てば麺がお湯を吸い膨張することで食べられるようになるもの。少ない手間で味の付いた柔らかいものが食える。
初めて食したときは味もさながら、手順の簡易さに驚嘆した。料理のような複雑な手順を必要せず、誰でも均一の味を再現することができる。それはアリウスから離れた私たちにとっては大きな大きな一歩だった。お湯が必要なこと、それを入れるための器が必要な点を除けば理想的な食事だと言えるだろう。
栄養が偏ると思われがちだが、カップ麺の進歩は凄まじい。これなんか全ての栄養素がこのひとつに詰まっているという!
曇っていた表情が段々と目を輝かせていく。その中で、下段の方に見慣れない形のものがある。円筒状でなく、角の丸い四角い箱状だった。しゃがんで覗いてみるとカップ麺であるらしいことは確からしい。持ったときの感触に揺れたときのかやくの音で分かる。しかし
(これは...焼きそば、か?)
いや、焼きそばとは熱した鉄板で野菜や肉を炒め、そのまま麺と水を追加し、ほぐれたところでソースをかけて味を整え、好みで紅しょうがと青のりをトッピングするメニューだった筈だ。この間までそこでバイトをしていたのだ。間違えようもない。
しかしパッケージには大きな文字で『がっつり盛り 塩焼そば』の文字が揺れるように印字されている。
どういうことだ?作り方には『お湯を注ぐ』と書いてあるのにやきそば?それに塩?
屋台でのバイトでは常にソース味を提供していた。野菜炒めの時点で下味を付けるために塩コショウを振りこそすれど、それがメインで味付けされるのがどうにも想像が付かない。
今までの人生では出会わなかった、完全に未知の存在に私は考えを巡らせた。もしかしたら野菜と肉は別売りで、焼きそば専用の麺なのかもしれない。しかしそれでは『塩』という言葉と結び付かない。値段は他のカップ麺と同じかそれよりも低いくらい、であれば「塩ひとかけで食べろ」と言う意味だろうか。いやいや、それならもう少し値段が高くともこっちのカップ麺を買うだろう。何かがある筈だ。無意味に売られているものはないのだから。
あまりに深みに嵌まっていた私は、右肩を二度叩かれるまで後ろに立っていた人に気付きもしなかった。
「っ...!」
ゆっくりと首を回すと、銃口が頬を突き上げる。
私は悟った。赦されはしても、私を許さないものは沢山いるだろう。覚悟は常に出来ていたつもりだが、やはり肌がひりつくのは最後まで慣れないものだったな、と諦めにも近い考えが浮かぶ。思ったよりも冷静な自分に、どこか悔しさがあった。
しかしこんな場所で銃口を顔に沿えてくるとは、いや、逆にこんな場所だからこそか。現に私は周りを忘れるほど没頭していた。こんな四角の箱のことで。きっとそれもお見通しなのだとしたら相当に優秀なやつだ。
半分ほど振り返ったにも関わらずそいつは何もしてこない。目を伏せて無抵抗であることを暗に示す。早くその撃鉄を撃ち下ろせばいいものを。
「サ、サオリ...だよね?」
鉛玉の代わりに打ち出されたのは、思ってもみなかった先生の指だった。
****
「やっぱりサオリだった。こんばんわ。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「こ、こんばんわ先生。どうしてこんなところに…」
私は茫然として先生を見つめた。この間のフェスで会ったばかりだというのに、久しぶりという感覚がぬぐえなかった。
「私?私はほら、これ」
先生が私と同じカゴを差し出すと、理由はすぐにわかった。コーヒーにミントガム、無糖の強炭酸飲料にビターチョコレート。どれも刺激が強く、眠気を覚ますものばかり。
「仕事か?」
「大正解。まあ厳密にいうと仕事の帰りなんだけどね。昨日から出張で来てて、帰りに眠くなったら困るからコンビニ寄ったってわけ。そしたらサオリの姿が見えたからちょっとイタズラ心が芽生えてね。なのにサオリったらもうこの世の終わりみたいな顔してるから焦ったよ」
そういうと先生はもう一度頬をつつき、私はそれを甘んじて受け入れた。先ほどまで銃口のように冷たかった指も、今では温かく可愛らしいものだ。
「す、すまない。少し考え事をしていて」
「考え事ってそれのこと?」
私が手に持っていたカップ焼そばと同じものを手にした先生が不思議そうに眉をひそめた。先生にとってはコレはそんなに珍しいものではないらしい。私は先ほどまでの疑問を先生に投げかける。
「先生はこれを見てもなんとも思わないのか?」
「うーん。私が学生だった頃よりも少しだけ値上げしてるかもだけど…ちょうどいいや。シャーレに戻ってから夜食も欲しかったところなんだ。ついでに買っていこうかな」
ひょいひょいとかごの中へと吸い込まれる。
「サオリも一個いる?多分これが最後だけど」
「先生の勧めとあれば、頂こう」
そうして味気のないかごの中身は、だんだんと色を混ぜていく。
***
「結構な量になってるけど大丈夫?」
先生と話しながら回るうちに、私のかごは当初の想定よりも大きく増加し、その半分はコスメ用品で占めている。普段このような買い方はしないのだが、先生の前では少しでもよく見られたくて、つい手が伸びてしまった。
「問題ない。給金が出たからこれくらいなら払えるさ」
実際にこの買い物を済ませるには十分なだけの金は持ち合わせていた。少し出費が増えることにはなるが明日以降の食事代や宿泊代は次のアルバイトを探せばどうにかなる。それよりも今この時間を、先生と出会えた時間を有意義に過ごすほうが私にとっては重要だ。
先生のレジ清算が終わりそうなところで、外を見ていた先生が私に振り返った。
「サオリ、悪いんだけど傘4本取ってきてくれないかな。まだ雨降ってるみたいだし。かごは預かるからさ。」
「4本?…4本でいいのか?」
「うん。4本」
「わかった。少し待っていてくれ」
先生にかごを預け、傘の置いてある場所へと向かった。広告の隙間から見えるガラスには変わらず雨が打ち付けている。それにしたって4本も余分に買うだろうか。きっと先生のことだから、私の分の傘もあると思う。しかし先生の分を合わせても2本で事足りるところ、2本余ってしまう。何かあるのだろうか。
考えながら歩いたせいか、足早に売り場に到着したが、先ほどまでの強い雨のせいか傘の数は3本しか見当たらない。あたりの店員を訪ねようにも、ワンマンなのかレジ打ちが終わらない限りは出てこられないようだった。
仕方ない。とりあえず3本をレジにいる先生のもとへとへと運ぶ
「すまない先生。傘は3本しかなかった」
「OK。すぐ済ませるからちょっと待ってて」
手渡されたのはビニール袋、荷物持ちということならお安い御用だ。
「先生、私のかごは…」
「払っといたよ。こっちがサオリの分」
「…ありがとう。代金はあとで」
「代金はいらないよ。その代わりこっちも持ってくれるかな」
「傘か。もちろんだ」
「それじゃ外にいる子に渡しておいで」
「アツコ、ミサキ、それにヒヨリまで…」
「やっほ、さっちゃん」
「…」
「お、お久しぶりですサオリさん…」
な、なんでここに
「偶然だよ偶然。」
「…そうだね。こればっかりは本当。リーダーがいるのは本当に知らなかったし」
「ていうか先生なんですかそのおいしそうなご飯は…!」
「これ?夜食用のカップ焼そばだけど…」
「カップ焼きそば??あの海の家で食べた焼きそばが食べられるんですか!?ありがとうございます先生!!」
「もうヒヨリってば。ごめん先生、気にしないで」
「いいよいいよ。みんなの分も買おうか」
「そういえば今日は泊まるところはあるの?」
「ううん、まだ決まってないんだ」
「移動中に降られたもんだから。今から火を扱える廃屋を探そうにもこの天気じゃきついし」
「も、もう野宿しかないですかね、へへ…」
「サオリは?」
「私も今夜の宿はまだ探していない」
「うぅ、でもお湯がなきゃカップ焼そばは食べられません!やっぱり先生は目の前にごちそうをぶら下げてその様子を観察するのがが好きな鬼畜なんですね!うわぁぁんどうせならデザートとお菓子と雑誌も買ってくださいぃ!」
「わかったわかった!買ってあげるから!それにお湯ぐらいシャーレに行けば用意できるよ」
「それにしてもカップ焼そばって、どういう味なんでしょう。屋台のメニューよりもおいしいのでしょうか」
「前にミサキが作った野菜炒めくらいなのかな?」
「ちょっと、あれはノーカンでしょ…!」
ミラーに映る後部座席のみながやいやいと話し込んでは笑っている。本来は先生の眠気覚ましにと購入された品々は彼女達の手ですでに開封されている。そんな空間がいやに懐かしくて、微笑ましくて、嬉しくて、我慢できずに視線を外した。窓の外はオレンジ色の灯がビュンビュンと通過していく。
先生が静かに呟いた。
「あとで、傘代だけ貰おうかな」