生塩ノアが先生に関する記憶だけを毎日リセットしてしまうお話です。

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久しぶりにハーメルンに投稿です。時間があったので。
純愛好きなのに曇らせ概念ばっかり思いつくの病気かもしれん。
楽しんで頂けたら幸いです。


第1話

「初めまして、先生。生塩ノアです。以後お見知りおきを」

 

「……うん、初めまして、ノア。今日はよろしくね」

 

今日は初めての当番。シャーレの先生は、聞いていた通り人懐っこそうな外見の男性。

ユウカちゃんやコユキちゃんばかり当番に呼ばれているので、もしや私は嫌われているのではないかと思っていましたが……先生の態度を見る限り、杞憂だったようですね。

 

「では、早速ですが書類をいただけますか?」

 

「じゃあ……この辺をお願いできる?確か普段から担当してくれてる書類だと思うんだけど」

 

先生から差し出されたのは、新規技術の開発に関する支援金要請書類の束。なぜ業務の内容を……ユウカちゃんから聞いていたのでしょうか?

 

「分かりました。えっと、どちらの席を借りればいいですか?」

 

「前は……あ、いつもユウカはあそこ使ってるよ」

 

「そうですか。では、そこにしますね」

 

どこか見覚えのあるようなフォーマットの書類を進める。時計の針の進む音と、ペンが走る音。初対面のはずなのに、先生とは呼吸のリズムが合うようで、心地よい時間は過ぎるのが早い。

 

「ん〜……!ちょっと休憩〜!コーヒー淹れてくるけど、ノアも飲む?」

 

「あら、いいのですか?」

 

「うん、頑張ってくれてるし、これくらいはさせて」

 

「嬉しいです。お願いします」

 

「おっけ〜♪」

 

……天然の人たらしなのでしょうか。作為的な雰囲気は一切感じない、気づけば心を開かせてしまうような……そんな空気。

人が良いんでしょう。よく笑う人にしかつかない位置の表情筋。確かにこれは……ユウカちゃんが夢中になるのも頷けるかもしれません。

 

「で〜きた♪はいどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

「書類にこぼさないようにね」

 

「もちろんです」

 

淹れたてのコーヒーを啜る。

 

「……美味しい」

 

これは……お砂糖が入ってますね。しかも丁度私が好きな加減。

 

「なんで……」

 

思わず先生を見つめてしまう。特殊能力?他人の好みの味が分かる……とか。コユキちゃんみたいな例もあるし、無いとは言いきれませんが。

 

「ん?どうかした?」

 

「……いえ、コーヒー、美味しいです」

 

「そりゃよかったよ。ただのインスタントだけどね」

 

「コーヒー自体というより、あ、コーヒーも美味しいのですが。砂糖の量が絶妙ですね」

 

「……あー」

 

「なにか、コツが?」

 

「……んー、あはは、なんとなく?うん、女の子だから少し甘い方がいいかなって」

 

「ええ、丁度いいです。普段飲んでいるものと本当に……同じくらいで」

 

「…………」

 

「ごめんなさい、業務の手を止めてしまって」

 

「……ううん!生徒とこうやって話すのも、私の仕事というか……うーん、違うか。ノアと話すの楽しいから、いいんだよ。もし話したかったら、たくさん声掛けて。私もいっぱい……ノアの声が聞きたい」

 

朗らかに笑う先生。優しい目。そんな、まるで、大切な人を見ているかのような――

 

「そう、ですか」

 

――とく、とく、とく、とく

 

私はこんなにちょろかっただろうか。この記憶力は、瞬間的に出る表情も見逃さない。だから、見間違える筈がないのだ。

初対面。そのはずだ。私の記憶に、こんなに優しい表情で私を見る人間は残っていない。なら、どうして、こんなに……私の心まで揺さぶるような。

 

……まるで、私の事を、好きみたいではありませんか。

 

――――――

 

「初めまして、先生。生塩ノアです。当番に参りました」

 

「はじめまして。セミナーも忙しいのにごめんね」

 

今日は初めての当番。シャーレの先生は、聞いていた通り人懐っこそうな外見の男性。

あどけない表情にうっすらと刻まれた隈。シャーレの先生がとてつもない激務だというのは噂に違わないのでしょう。

 

「いえ、私も一度シャーレの当番をやってみたかったんです。お会いできて光栄ですよ?」

 

「……うん、いつもユウカとコユキにばっかりお願いしてるもんね。変に気を遣わせてたらごめん」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。こうして今日呼んで頂けましたから」

 

「頼りにしてるね、ノア」

 

「はい♪」

 

先生から書類を受け取り、適当な席に座る。

いつもやっている書類と殆ど同じ。ただ、やはりシャーレに提出するものということで、少しお堅いものが多いかもしれませんね。

 

「んー……ノア」

 

「はい、なんですか?」

 

「そっちにさ、新素材開発部の申請書類ある?」

 

「ありますよ」

 

「お、しめしめ」

 

先生が嬉しそうにこちらに歩いてくる。

 

「化学物質使用に伴う申請書で合ってますか?」

 

「それだ。見せてもらえる?」

 

――ふわっ……

 

先生から漂うのは、ほろ苦く、少し甘い、素敵な香り。

 

――ズキッ

 

「っ……!」

 

「ふんふん。なるほど。だから立ち会いが必要なのか……」

 

頭が……割れそうです。嗅いだことのない香水。それが何のトリガーとなったのでしょうか。過剰な血液を受け取って、脳が内側から頭蓋骨を砕こうとしているかのような痛み。ギリギリまで張った弦が、今にも弾けそうな、嫌な感覚。

 

「ぅ……」

 

「ノア?」

 

――バチッ

 

先生と目が合った瞬間、弦が弾けて、痛みがすっかり消える。

 

「大丈夫?」

 

「は、はい」

 

「疲れちゃった?今日はこれくらいにしておこうか?」

 

少し寂しそうな表情。その瞳には、私を心配する感情とは別のなにかが潜んでいる。

 

「……いえ、少し目眩がしただけですので。それに、まだ書類の山があるようですし」

 

「あー……まぁ、大丈夫なら……手伝って貰えると助かるんだけどね。それでも、心配だよ」

 

真っ直ぐ向けられる視線。

 

――とくん

 

「そんなに熱心な目で見つめられると、少し照れてしまいますよ?」

 

「……それくらい元気なら心配ないね」

 

「はい♪」

 

先生がデスクに戻る後ろ姿を見ながら、頬を手で扇いだ。

 

――――――

 

「初めまして、先生」

 

「はじめまして」

 

――――――

 

「初めまして、先生」

 

「うん、はじめまして」

 

――――――

 

「初めまして」

 

――――

 

「初めまして」

 

――

 

「初めまして」

 

――――――

 

 

「ユウカちゃん、当番記録の確認お願いします」

 

「はーい。えー……っと、うん。大丈夫ね」

 

「よかった。ユウカちゃんはまだお仕事?」

 

「え、ええ。もう少しやってから帰るわ」

 

「根詰め過ぎないで下さいね」

 

「うん、ノアも当番お疲れ様。気をつけて帰って」

 

「ありがとうございます」

 

「……ねぇ、ノア」

 

「なんです?」

 

「当番さ……どうだった?」

 

「どう、というのは先生の事ですか?」

 

「……まぁ、そう?」

 

「素敵な人でしたね。ユウカちゃんがお熱なのも頷けます♪少し……妬いちゃうくらい」

 

「わ、私のことはいいの!でも……そっか、その表情。楽しかったなら良かった」

 

「ええ、おかげさまで」

 

「引き留めてごめんね、また明日」

 

「ではまた♪」

 

ノアが校舎の外に出たのを窓から確認してから、重い息を吐いて、呼びかける。

 

「コユキ」

 

「……帰りました?」

 

「うん」

 

「ふー……じゃあ今日もやります?」

 

「嫌な役押し付けてごめんなさいね、コユキ」

 

「……仕方ないですよ。ノア先輩、しょっちゅうパスコード変えますし。ほらまた変わってる」

 

当然のようにロックを突破するコユキ。

 

「バックアップは取った?」

 

「もう取りました」

 

「そう。じゃあ、消すわね」

 

ノアの書いた当番記録を、PCの中から完全に削除する。復元不可能にするために、消した履歴さえもクリアして、証拠を隠滅する。

 

「……ノア先輩のためとはいえ、キツいですねぇ……」

 

「……仕方ないのよ」

 

「にはは……治るんですかね」

 

「治るわ」

 

「治るといいですね」

 

「……治るわよ」

 

AI研究部の爆弾。視察に向かった先でその爆発に巻き込まれた時、先生がノアを庇った。2人とも、全治一週間の軽症で済んだものの、ノアは頭を強くぶつけ、先生は背中に大きな火傷を負った。

 

「どういう理屈なんですかね」

 

「……知らないわよ、そんなの」

 

昏睡状態から目覚めたノアは、先生の事を覚えていなかった。先生に関与する記憶が全て無くなっていたのだ。あのノアの記憶が。

先生に会う機会は何度もある。けれど、一晩経つと、必ず先生の事だけを綺麗に忘れてしまっている。ミレニアム最新の検査機器でも、特に異常は見つからないそうだ。

 

「やっぱり、消すのやめませんか」

 

「また、ノアが発狂するのを見たいの?」

 

「……そうですよね。消します」

 

自分が知らない自分がいる。普通の人間でも相当な恐怖だと思う。それを受けるのが、何も忘れないはずの人間だとしたら、どれほどの混乱なのだろうか。

自身が書いたシャーレの当番記録を読んだ時、ノアは数日間寝込んだ。寝込んだと言っても、先生に関する記憶はすぐに無くなったから、後遺症のようにうなされていただけだと、私は知っているのだけれど。

 

「……ノア」

 

「……ノア先輩」

 

私たちは、ノアを哀れんでいたのかもしれない。だから、気づけなかったんだ。ノアの変化に。

 

――――――

 

『ノア!』

 

『あはは……ノアには敵わないなぁ』

 

『ノア……大丈夫?顔、赤いよ?』

 

『えっと……その、告白……でいいのかな?』

 

『私なんかで……そっか、ふふ。じゃあ、そうだね。私も好きだよ、ノア』

 

――ぽたっ……

 

目が覚めてすぐ、瞳から無色の液体が零れる。

 

「……涙……どうして」

 

この感覚は、なんだろう。胸の中にあるはずの、大きなピース。足りないんだ。そこに無くてはならないのに。

頭蓋骨の内側を、ムカデが這っている。痒い、苦しい、痛い……辛い。

夢に出てきた声。聞いた事がない、優しい声。私の名前を呼んでくれた、声。

 

――

 

「初めまして、先生。本日はよろしくお願いします」

 

「初めまして、ノア。私しかいないし、気楽にお願いね」

 

「…………」

 

「……ノア?」

 

私は……()()()()()。この、声を。

 

――ぽたっ……

 

「えっ……」

 

「あれ……なんで……ご、ごめんなさい、違うんです……その……分からなくて……」

 

涙を拭っても、次から次へと溢れ出してきて、袖を灰色に染める。困惑する私と先生。

 

「ど、どうしたの……?」

 

「声っ……怖いです。なんで知ってるんですか……知らないのに、先生、貴方は……!」

 

「っ……!ノア、ごめん、少し我慢してね」

 

――ぎゅっ

 

「……落ち着いて」

 

意味も分からず震えてしまう手を、そっと先生の背中に回して抱き返す。

 

「せん……せい」

 

「ノア……ゆっくり、深呼吸して。私の心臓の音を聞いて。そうすれば……落ち着けるから」

「は、はい……っ……」

 

しゃくり上げようとする横隔膜を抑えるように、荒い息を吐き出す。先生の鼓動を頭に感じながら、静かに肺へと空気を取り込んだ。

知っている。この匂い。私は……先生を、知っています。

 

――ズキッ

 

「ぅっ……!」

 

頭が、痛い。まるで……その存在を否定するように。知っているという事実を、消滅させるために。

 

「……当番は中止。今日は休んで」

 

「……嫌、嫌です……先生っ!」

 

駄々をこねる子供のように、必死に先生にしがみつく。今手を離したら、何もかも失いそうで。

先生の指が、私の頭を優しく撫でた。

 

「……傍にいるから。ノア、仮眠室行こう」

 

「は、はい……」

 

先生に手を引かれて、薄暗い仮眠室に入る。

 

「……ノア」

 

「はい」

 

――ぽすっ

 

先生の手を掴んだまま、ベッドに倒れ込んだ。

 

「……寝たくない?」

 

「……はい」

 

「そっか。じゃあ……そうだなぁ、目だけ瞑って。それでも休憩になるから」

 

「……そこにいてください」

 

「こんなに強く手を掴まれたら、逃げるに逃げられないよ」

 

「痛かったですか?」

 

「ううん。ノアの体温感じられて……いい感じ。布団掛けるね」

 

「……ありがとうございます」

 

暖かい布団から手だけを出して、先生と繋ぐ。節が太くて、指が長い、男性らしい手。初対面の人をこんなに求めてしまうことなんて、ありえない。異常だ。おかしい。

……どうして、緊張よりも安寧が優るのか。

 

小さなピースが、パチパチと頭の中で形を成していく。不可思議な仮説が複数の証拠を伴って、波のように押し寄せてくる。

 

「しばらく、こうしていようか」

 

「…………はい」

 

知りたい。この仮説が正しいなら。もしかしたら。夢で見た貴方は。

 

「……先生」

 

「なに?」

 

「……変な質問をしても、いいですか?」

 

「うん、もちろん」

 

「何回目……ですか」

 

「……どういう意味かな」

 

「私と会ったのは、何回目ですか」

 

「……さあね」

 

「……初めてではないんですね」

 

「そうだって言って、信じられる?」

 

――ぎゅ〜っ

 

一枚、ピースが埋まった。知らない感情が胸を渦まき、繋いだ手を思わず握りしめる。

 

「信じます」

 

「そっか。じゃあ……久しぶり、ノア」

 

「……っ……はい」

 

何故かまた涙が零れそうになる。忘れている。私が、先生の事を。心臓が締まって、息が苦しい。これが、忘れるということ。

なんて……なんて悲しいんだろう。

 

「先生……先生は……その、私と仲が、良かったのですか」

 

「うーん、どうだろ。よくからかわれてたかな。それも親愛の現れだって思うなら、仲は良かったよ」

 

先生のもう片方の手が伸びてきて、優しく私の手を包む。布団の中よりも温かくて、感情が指先から染み込んでくるようです。

 

「私と……出かけたり、とか、した事はありましたか」

 

「……うん、何度もね。2人で出かけたな」

 

「夢で……見たんです。もし違ったら否定してください。温情は要りません」

 

「うん、聞かせて」

 

私も両手で先生の手を握り、嘘は絶対に許さないつもりで、瞳を覗き込む。

 

「先生は……私の事が好きでしたか……?」

 

「好きだったわけじゃないよ」

 

「そう――」

 

「今も好き」

 

「っ!」

 

――嘘じゃない。

 

身体が破裂しそうな程の感情が脳から分泌される。先生との思い出なんて、ひとつも無いのに、嬉しい。この人に好かれている事が、幸せだ。

記憶は、脳以外にも存在するという説がある。肉体の主要機関を移植すると、レシピエントにドナーの記憶の一部が宿るという事例が多数存在する。

 

これは、反射だ。幾度となく、この感情を受け取ってきたから、この感情を先生に抱いていたから。忘れても、脳の記憶がなくても、身体が憶えている。

 

「わ、わたしは……」

 

なんて情けない声だろう。弱々しく震えて、過剰に緊張して喉が絞まり、呼吸すらも不規則。とめどなく溢れる涙をそのままにして、先生を必死に見つめる。

 

「私は……先生の事が、好き……でしたか?」

 

「……記憶力が悪い私が今でも忘れられないくらい、何度も好きって言ってくれたね」

 

「どう……して……」

 

それから、先生は私に教えてくれました。事故のこと、怪我のこと、その後の私のこと。

先生の腕に大きく残る火傷の痕は痛々しくて、それと同時に、そこまでして私を守ろうとしてくれたことに、えもいわれぬ幸福感が生まれました。

 

「……先生」

 

「……ん?」

 

「私、怖いです」

 

「……嫌な話聞かせてごめんね」

 

「違うんです。私は……先生を忘れたくないんです」

 

どのタイミングで忘れるのか。それは誰も知らない。だからこそ、怖い。トリガーは、睡眠か、自宅に帰ることか、食事などの可能性もなくはない。ただ、ベッドに入ることという可能性だけは消えている。

 

「ですから……お願いします。忘れるまで、一緒にいて頂けませんか」

 

先生の手を布団に引き込み、ぎゅっと胸に抱き込んだ。

 

「……うん、そうしようか」

 

――

 

私は、先生と話しました。別に、そんな特別でもない、ただの子供と大人の会話。

 

先生を愛した私が、先生の前ではどんな少女だったのか。私を愛した先生が、どんな風に私に接してくれたのか。どんなデートをして、どんなプレゼントをして、どんな時間を2人で共有したのか。

 

そこで語られる私は、枕に顔を埋めたくなるほど乙女で。先生に100%は伝わっていなかったけれど、私なりに全力の愛情表現をしていたと、私だから分かってしまいます。

 

……そう、こんなに先生にぞっこん。羨ましい。

今の私には知ることのできない感情。記憶が保てさえすれば。すぐ、また、好きになれるんだろうに。

 

忘れたくない。貴方を覚えていたい。こんなに何も知らないのに、貴方が欲しい。

貴方と愛し合えた、過去の自分が、妬ましい。

 

「……せんせ……」

 

「……ん?」

 

「……もっと……はなしましょう……」

 

「うん、話そう」

 

「……わたし……せんせいを……またすきになります……だから……」

 

悲しそうな顔。やめて。そんな顔、しないでください。私……そんなつもりじゃ……本当に……

 

「……ノア、そろそろ寝ようか」

 

「いやです……まだ……ねたく……」

 

どれだけの時間が過ぎたのでしょう。カーテンの閉まった仮眠室では、夜であることしか分かりません。とはいえ、規則正しい生活を心掛けている私にとって、夜更かしというのはとても難しくて。

 

「……や……」

 

「大丈夫。私がノアを、絶対に忘れないよ」

 

「……あかしを……ください」

 

不思議と、理解できた。寝たら全て……今の記憶を全て失う。どうして……と言われても、分かってしまうものは仕方ない。感覚的に、そうなんだと、知った。

 

「証?」

 

だから、欲しいんです。

貴方と過ごした時間の証左を。

たとえ消えてしまうとしても。

一度でいいから、貴方を記憶に刻みたい。

 

「キスくらい……したことありますよね」

 

「……はは、大胆だね……あるけど」

 

「……今の私とは……したくないですか?」

 

「だって……私と初めて会ったんだから」

 

「さっきまでの話を聞いて……その愛を疑う人がいますか?」

 

「…………分かった。明日のノアには内緒だよ?」

 

「ええ、もちろんです。私、ファーストキスなので……しっかり教えてください」

 

椅子から立ち上がった先生が、ベッドに膝をつく。

後頭部に差し込まれた手に優しく持ち上げられて、先生との距離が潰されていく。

 

――ちゅっ……

 

柔らかい。温かい。わたし……これ……

 

――バチッ!ビリビリッ!!

 

「っ〜!?」

 

――()()()()

 

頭の中に突然、走馬燈のようにフラッシュバックする大量の映像。瞬く間に脳の許容量をオーバーして、それでも過剰に噴き出す記憶を無理やり脳に焼き付ける。

目の前がモノクロにチカチカと光って、処理落ちする脳が最後に捉えたのは、私を愛しそうに見つめる先生の瞳。

 

「……ノア?」

 

「…………」

 

「寝ちゃった……かな」

 

「…………」

 

「……おやすみ、ノア。うん……ずっと、好きだよ」

 

――――

 

見慣れない天井。いえ、仮眠室です。シャーレの、仮眠室。分かります。ちゃんと、分かります。

 

「覚えて……っ!」

 

――ガチャッ!!

 

「先生!!」

 

……いない。時計の針は朝の7時を指しています。帰ってしまったのでしょう。

 

少し落ち込んだ心を慰めるように、先生の椅子に座る。腕を枕にしてデスクに突っ伏したところで、あることに気づいた。

 

「……まだ、温かい?」

 

――ウィーン

 

「……ノア?」

 

弾けるように立ち上がり、視界に先生を収めた瞬間に駆け出す。

 

――ばふっ!

 

「えっ!?ノアっ!?」

 

涙を湛える瞳で先生を見上げ、ずっと言いたかったこの言葉をぶつける。

 

「お久しぶりです、先生!」

 


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