オークスの開催前。とある噂が世間を騒がせていた。その噂というのが。
「もしかしてジェンティルドンナは、狙った着差で勝っているのではないか?」
というものである。
何をバカなことを、冗談は程々にしておけ、と思うかもしれないが、そうでないと説明がつかない状態にまでなっている。
ホープフルステークスと桜花賞は相手が相手だったが、問題なのはメイクデビューとシンザン記念だ。この2つはジェンティルドンナ以外に有力なウマ娘は出走しておらず、ダントツの1番人気に抜けた実力を誇っていた。レース内容も好位追走からの王道的勝利。本来ならば、もっと着差をつけていてもおかしくないレースだったのだ。
しかし、蓋を開けてみれば5バ身差勝利……確かに着差はついているが、もっとついてても良いのでは?観客は疑問符を頭に浮かべる。
だが、実力を証明したので特に気にすることはなく。
「やっぱジェンティルドンナすげぇよ!これはティアラの主役は決まったな!」
「やー、クラシックでも通用するだろあの走りは。でもティアラで輝く姿もまたよし!」
そんなこともあるだろう、程度に留めていた。勝ったのだからよし、内容も文句のつけようがないからいいだろう。桜花賞までは着差のことなど誰も話題にしなかったのである。
しかし、桜花賞までをも5バ身差で制した。その結果、彼女の戦績は──メイクデビューから桜花賞まで、全て5バ身差で勝ってきたということが明るみに出た。
さすがに偶然では片づけられない事象だ。1レースや2レースまでなら偶然で済むかもしれないが、4レースとも同じ着差になるなど普通はありえない。狙って引き出しているとしか思えないのである。
「でも、狙ってるんだとしたらヤバくねぇか?」
「あぁ……ヤバいなんてもんじゃない。1人だけ実力が違い過ぎる……!」
結果、ジェンティルドンナは狙った着差で勝っているという噂が立つようになる。この真実を確かめるため、【月刊トゥインクル】を筆頭に何人かが取材したが、ジェンティルドンナ達の回答は決まっていた。
「見たまま、感じたままの結果が全てですわ」
「手加減などはしていません。全てのレースで全力を尽くしています。それだけはお伝えしましょう」
肯定もしなければ否定もしない……好きなように解釈してくれて構わない。暗にそう答えているようだった。
もし、これが本当のことだった場合。ジェンティルドンナの実力は飛び抜けていると言わざるを得ない。大差で勝つのもまた強さの証明になるが、狙った着差で勝つとなると……難易度は跳ね上がる。レースの展開も、駆け引きも、実力も、何もかもが飛び抜けていなければ成立しないこと。
しかし、それでも信じられないファンはいるもの。そんなことはない、偶然だと声を上げる。もしくは、信じたくないのかもしれないが。
「でも、分かりやすいレースがあるよな?」
「あぁ……次のレース、オークスでも、もし5バ身差だったら……」
「ジェンティルドンナは狙って5バ身差で勝っている……そう言わざるを得ない」
あまりの強さに喜び震える者、桁違いの実力に恐怖し震える者、反応は様々だ。彼ら彼女らの気持ちは一致している。
──今年のオークスは、間違いなく盛り上がると
◇
東京レース場、芝2400m良バ場。晴れ空が広がる中での出走を迎え、18人の乙女達が樫の女王を目指して駆け抜ける。
逃げウマ娘2人がレースを引っ張る展開。向こう正面の半分を過ぎた段階で2番人気ヴィルシーナは先頭から3バ身離れた先行集団の位置。ジェンティルドンナはというと……大きく離れた最後方のウマ娘を除いて、密集している中団の後ろ、後方4番手の位置につけていた。先頭からは12バ身も離れている位置につけている。
《先頭はまもなく第3コーナーへと入ります。最初の1000mは59秒1とやや早いペースで進みますオークス。快調に飛ばす逃げウマ娘、先行集団がじわりじわりと差を詰めてくるか?しかしこの集団には1番人気ジェンティルドンナの姿はありません。これは珍しい後ろからのレース》
《これまでの4走全てが先行からの好位抜け出しでしたからね。これも作戦の内かどうか、注目したいところです》
《ジェンティルドンナは後ろからのレース。そして先頭2番のエレクトリファイドが飛ばして逃げます!快調に逃げるエレクトリファイド、そしてインディゴシュシュ!桜花賞でもレースを引っ張ったこの2人がオークスでもまた引っ張る!第3コーナー、そろそろレースが動きます!》
声援を飛ばすファンの中には固唾を呑んで静かに見守る姿がチラホラと見受けられる。彼らは真偽を確かめに来たのだろう……ジェンティルドンナが、本当に狙った着差で勝っているのか?
「これでオークスも5バ身差で勝ったら……」
「あぁ、狙ってるってことだよな?」
「マジでやべー……やっぱミーティアのトレーナー、化物だろ」
口々にジェンティルドンナの強さとミーティアのトレーナー、高村の手腕を語るファン。すでにレースの勝者はジェンティルドンナで決まっているかのような口ぶりだった。
無論、それをよく思わない人はいる。ヴィルシーナのトレーナーであり、高村をライバル視している倉科もその一人だ。賞賛の声を聞き、悔しさからこぶしを握り締め、唇をかみしめている。
(確かに、ジェンティルドンナも高村もすげぇよ。結果を出しているし、賞賛されるのも当たり前だ)
「でも……それでも!」
勝ちたい。ヴィルシーナを勝たせたい。その一心で倉科はオークスまで調整を続けてきた。
「負けるなぁぁぁぁ!ヴィルシーナぁぁぁ!」
力の限り応援する。担当ウマ娘の勝利を願い、栄光を手にするために。
ヴィルシーナもまた、懸命に走り駆け抜けている。
(もう油断しない、もう呆けたりしない!まだ樫の女王に秋の華、ダブルティアラの道が残されているんだから!)
第3コーナーを越えて第4コーナー。隊列が徐々に纏まり始め、最後の直線に向けてポジションを確保している段階だ。ヴィルシーナはというと──絶好のポジションをキープしている。
(すぐにでも抜け出せる位置……後は、直線の力比べで勝つだけッ!)
逃げウマ娘はまだ粘れそうな雰囲気を出しているが躱す分には問題ない。ヴィルシーナはそう分析する。
《第4コーナーを逃げるエレクトリファイド、後を追うインディゴシュシュ!先行集団が差を詰めてきた、ここから粘れるかエレクトリファイド!まもなく最後の直線に入ります、依然先頭はエレクトリファイド!》
ヴィルシーナは先行集団から抜け出す準備を始める。コーナーから徐々に加速し、位置を押し上げて3番手の位置に着いた。
(残り2人!インディゴシュシュとエレクトリファイド……この2人を躱せば!)
勝利はぐっと近づく。ジェンティルドンナの姿が見えないことが気掛かりなため、一切気を緩めず勝利に向かって駆ける。
「樫の女王は私が戴くのよ……ッ!ハァァァァッ!」
内から猛烈な勢いで上がって行くヴィルシーナ。瞬く間に2バ身離れていたインディゴシュシュに追いつき、先頭を走るエレクトリファイドを射程に捉えた。さぁ、後は躱すだけ──その瞬間。
(っ、この、威圧感……!)
聞こえてくる。大地を轟かせ、外側からやってくる。
(来る……彼女が)
18人ものウマ娘が出走しているオークス。それでもなお分かる、鮮明に聞こえる。
(彼女が……彼女がッ!)
ただ1人、傑出している稀代の怪物。ヴィルシーナが誰よりも勝ちたい相手が。
「ジェンティルドンナァァァッッッ!!」
「──随分と吠えますのねぇ。さぁ、楽しませてくださる?」
大外をぶん回して、
《最後の直線に入ります!先頭はっ、内のヴィルシーナだヴィルシーナだ!ヴィルシーナがわずかにエレクトリファイドを躱して先頭に立つッ!しかしここで外からジェンティルドンナ!いつの間に上がってきたのかジェンティルドンナ!?ジェンティルドンナが外から猛烈な勢いで上がってきたぞぉぉぉ!》
東京レース場の熱気が最高潮まで高まる。後は最後の直線を駆け抜けるだけ。
(桜花賞では追いつけなかった……!でも、ここは違う!)
「五分の位置……正真正銘の力比べ!負けない……絶対に負けないんだからっ!」
懸命に駆け抜ける。脚は十分に残してある、自分は大丈夫だと鼓舞し、ジェンティルドンナに並び立とうとする。
──だが、現実は非情だ
《ジェンティルドンナが外から抜け出した!大外ジェンティルドンナ先頭ジェンティルドンナ先頭!最内ヴィルシーナとの差をつけていく!さぁジェンティルドンナが抜け出したぞ!これは強い、これは強い!ヴィルシーナ必死に追いすがるがジェンティルドンナは抜けない躱せない!》
《いやはや……これはもう圧巻の走りですね。ジェンティルドンナが速すぎる……!》
ジェンティルドンナとヴィルシーナの差は徐々に開いていく。1バ身、2バ身……東京の坂を上り終わる頃には、すでに3バ身近い差が開いていた。
(なんで……なんで……っ!?)
「負けたくない……譲りたくないっ!この舞台で、負けるわけにはいかないの!」
懸命に脚を動かす。もっと動けと身体に訴える。しかし、これ以上は上げられないと、身体が主張する。それでも速く走れと叱責する。だが……ジェンティルドンナとの差は縮まらない。
《東京レース場を優雅に駆け抜けるジェンティルドンナ!残り200m、これはもう完全に抜け出した!ジェンティルドンナ独走独走!ヴィルシーナが懸命に追いかける!しかし差は縮まらない!抜けているのはこの2人!そして、ヴィルシーナすらも凌駕するジェンティルドンナの走り!》
「嫌……嫌……っ!」
ヴィルシーナの脳裏によぎるのは、とある噂。ファンの間で広まっている、屈辱極まりない噂だ。
(させるものですか……!あなたに勝つために頑張ってきた!努力を重ねてきた!女王に相応しいのは私、もう負けるのはたくさん!)
5バ身差を狙った勝利。そんなことはさせまいと、勝つのは自分だと懸命に駆け抜ける。
「負けるな……負けるなっ、ヴィルシーナッッッ!!」
倉科が懸命に声を上げる。ヴィルシーナに勝って欲しいと願いを込めて、ありったけの声援を送る。
《ヴィルシーナ懸命の走り!しかしっ、これはあまりにも!》
「負けるな……っ!負けないでくれ……っ!」
だが。貴婦人の走りは。
《ジェンティルドンナ!ジェンティルドンナだ!残り100m!ジェンティルドンナが駆け抜ける!》
「負けたくない……これ以上、もう……!」
彼らの思いを。願いを。
《そして今ッ!ジェンティルドンナが駆け抜けたぁぁぁぁ!勝ったのはジェンティルドンナァァァッッ!!やはり恐ろしい!このウマ娘はどこまで強いのか!?最後の直線に立った段階では五分の位置、しかしヴィルシーナをあっという間に躱して先頭に立った!これが貴婦人の強さだ!まさしく圧巻ッッ!そして着差は──5バ身差!やはり刻んだ5バ身差圧勝!》
容易く粉砕した。
◇
勝者であるジェンティルドンナは優雅に佇む。観客席の反応は。
「すっっっごぉ……」
「やっぱ勝ったよ……てか、これで!」
「あぁ。今回
「ジェンティルドンナは狙って5バ身差で勝ってるんだ……っ!」
驚きの声。噂は真実だったと、本当に狙った着差をつけているのだと言葉を失う。ジェンティルドンナというウマ娘の傑出した強さに、畏怖の感情を抱いていた。
賞賛の声を上げながらも驚きに満ちた表情、言葉を失い息を呑むファンを見て、ジェンティルドンナは──不敵に笑う。
「──これで、相応しい光景になりましたわね」
観客席へと一礼し、優雅に立ち去る。オークスは、ただジェンティルドンナというウマ娘の強さを再認識させる結果となった。
他に出走していたウマ娘達は全員が俯いている。誰もが悲嘆にくれ、絶望していた。
「なんなのよ……あの化物……!」
「正攻法も何もない、マークしてもすぐに振り切られる……」
「力比べに持ち込まれたらほぼ終わり……っ」
どれだけマークしようが容易く振り切られる。虚をつくことすらも難しい。そして純粋な力比べになれば……彼女に勝てるウマ娘はいない。このオークスで、改めて刻まれる結果となった。
2着となったヴィルシーナ。彼女もまた俯いている。ジェンティルドンナのあまりの強さに、俯くしかなかった。
(5バ身……5、バ身。噂を決定づかせる、5バ身)
ヴィルシーナも持てる力を振り絞って走った。過去一の走りだったと自負している。自信だってあった、勝つために戦略だって練った。
だが、ジェンティルドンナはその全てを粉砕した。五分の勝負になった時点で負けなのだと、純粋な力比べでは勝てないのだと印象付けられた。
桜花賞からオークスまでは短い。その間にできることは全部やった。それでも、勝てなかった。
(ごめんなさい、トレーナーくん……!あんなに頑張ってくれたのに……!)
ヴィルシーナのトレーナーである倉科も、勝つためにと必死に頑張っていた。毎日寝る間も惜しんでヴィルシーナのためにメニューを組んでいたのを知っている。ジェンティルドンナのレース映像を穴が空くほど見ていたのを知っている。必死に努力していたことを、ヴィルシーナは知っている。
「ごめんなさいトレーナーくん……!また、勝てなかった……っ!」
悔しさで身体を震わせるヴィルシーナ。自分達が挑んでいる相手があまりにも強大であることを、改めて実感していた。
そんな彼女の様子を見て、悔しいのだろうと察したヴィルシーナのファンは応援の声を送る。
「よく頑張ったぞー!ヴィルシーナー!」
(よく、頑張った?あの人相手に?)
「……違う」
拳を強く握り、震える。ファンに悪意はない、ただ、次も頑張ってくれと応援しただけだ。
それでも、ヴィルシーナは許せなかった。己の不甲斐なさが。
(あの人相手によく頑張った……違う!だからこそ、勝たなきゃいけなかった!)
ジェンティルドンナ相手によく頑張った、ファンにそんな印象を抱かせてしまった自分の不甲斐なさが、ヴィルシーナは許せなかった。
「なんて屈辱……!樫の女王だけは、譲りたくなかったのに……!」
それならば、次こそは。ヴィルシーナの目にはまだ、諦めも絶望もない。未だなお、輝きを放っている。
「【秋華賞】……トリプルティアラ最後のレース。ここだけは、もう譲らないッ!」
決意を新たにターフを去る。彼女の心は、まだ折れていない。
トレーナーである倉科もまた、諦めていなかった。
「夏合宿……夏合宿だッ!もっともっと成長して、今度こそは!【秋華賞】こそは勝つんだッ!」
ヴィルシーナと同じ思いを抱く。秋華賞こそは譲らないと、トリプルティアラ最後の冠は自分達が戴くと決意を固める。
(結局、今回のオークスもまだ余力を残していた……だったら!)
「崩してやる……お前達の余裕を!俺とヴィルシーナが!勝って崩してやるっ!」
その目に迷いはなかった。
ジェンティルドンナの5バ身差勝利。噂は真実だったと決定づかせたオークス。今度こそは負けないと意気込むヴィルシーナと倉科。次の舞台はトリプルティアラ最後のレース──秋華賞へ。
すいません、ここからまだ曇る可能性があるって本当ですか?