JBCクラシックが終わってから一夜明けて。トレーナー室の椅子に座り、どうしたものかと思考を巡らす。
現在、僕には頭を悩ませていることがある。原因はレース後にタルマエから懇願されたこと……チャンピオンズカップに出走させてほしい、というものだ。
(あんなタルマエは初めて見た……。皐月賞の時も取り乱しはしなかったし)
別にチャンピオンズカップに出走すること自体は構わない。元々出走を予定していたレースだし、タルマエが出たいというのだからなにも悩む必要はないんだ。普通ならば。
けど、今のタルマエは普通じゃない。何かを恐れているような、取り返すために必死になっているような……よく分からないけれど、このまま出走したらまずい気がする。僕にとっても、タルマエにとっても最悪になる可能性があるんだ。だからこそ、返事を先延ばしにした。我ながららしくないとは思うけど。
レースが終わった後も色々と考えて、タルマエが何を気に病んでいるのかは察しがついた。というか、これしかない。
(JBCクラシックで負けたことを気に病んでいる……だろうな。レースも勝ちたいって気持ちが伝わってきてたし)
特に最後の勝負どころでのタルマエの気迫は半端じゃなかった。思わず心配しそうなほどに。
負けたら勿論悔しい。次は勝ちたいって思うのは不思議なことじゃない。だからチャンピオンズカップでリベンジというのも納得できる。タルマエの言いたいことも、分かる。でも、僕にはどういうわけかハッキリと断言できる。
「今のタルマエがチャンピオンズカップに出走しても、絶対に勝てない……」
相手が強い?それは違う。そもそもタルマエだって今回2着なんだ。ステータスが格上の3人相手に2着。実力が同じ証拠だろう。次は勝てるかもしれない、と思っても不思議じゃない。そんな思いも覆すほどに、今のタルマエを出走させることを躊躇した。
「どうしたものかな……」
ただ、朝早くから催促されたのである。他ならないタルマエから。出走させることは決まりましたか?チャンピオンズカップに出走させてくれますか?とわざわざ朝早くに来て。まだ決まってないよ、と答えると沈んだ表情で出ていったし、早めに決めておかないと。
それから悩むこと数時間。空いた手でタルマエのニュース記事を確認しながらのこと。
「……あぁ、躊躇する理由が何となく分かった」
おぼろげながらも見えてきた。どうして躊躇したのか?その理由が。
皐月賞はまだよかった。敗因が明確に分かっていたし、次は修正するからと、勝つ自信があるからという思いを感じ取れた。だからこそダービーは出走させた。結果として彼女は勝ったわけだし。
でも、今回は違う。タルマエは敗因を明確にしないままに挑もうとしている。ただ負けたから、次は勝つからという根拠のない自信を抱いて挑もうとしている。
(あぁ、そりゃ出走させたくもなくなる。なんのためにもならない)
トライ&エラーのエラーを排除してトライだけするなんて意味のないことだ。失敗も分からないのに次は大丈夫なんて根拠のない自信を抱いても、同じような失敗を繰り返すだけ。またトランセンド達に負けるだけだ。しかも次のレースではフリオーソにエスポワールシチーも加わるからさらに状況は悪化するというのに。
「もし皐月賞と同じメンタルだったなら、出走させたんだろうな」
あるいは、前の僕だったら出走させたかもしれない。漠然とした違和感を抱きつつも次は勝たせるようにする、なんて励ますだけの言葉を並べて、タルマエをその気にさせて……そして負けさせて、自分が悪い私が悪いとお互いに自分のことを責め続けて、負のスパイラルに陥る。なんでこうも容易く想像できるんだろうか。
でも、今は違う。僕自身がまずいことだと判断して止めることができている。ちょっと希望があるような言い方をしちゃったけど、それはまぁ……今後に期待ということで。
「……これも天城さん達やバクシンオーのおかげだ」
ただウマ娘の言うままに行動してはいけない。彼女達の内に秘めてる思いを聞いて、その上で目標を決めなければならない、か。
こういう時は本音で語り合うのが大事なんだろう。でも……タルマエは多分、本心を語ってはくれないと思う。
(余計に心配させてしまった、だからもっと頑張らないと、心配させないようにしないと……何となくこの辺か)
だからこの作戦は使えない。というか、タルマエ自身が自分の目標を見失っている可能性を考慮しなければならない。これらを踏まえた上でやるべきことは……なんにせよ話し合い、か。
「現状の確認。僕がやるべきこと、タルマエがやるべきことを明確に。これだね」
そうと決まればタルマエにLANEを入れよう。お昼の時間を使って相談だ。
◇
僕とタルマエの一対一の相談。議題は勿論、次走について。
「それで、トレーナーさん。結論は出してくれましたか?」
身を乗り出して聞いてくるタルマエだけど、手で制する。焦らせてしまうようで悪いけど、まだ答えは決まってないから。
「その前に、まずは聞かせて欲しいことがあるんだ。それからでも遅くないんじゃないかな?」
「……分かりました」
どこか納得していない表情のタルマエに申し訳なさを覚えつつも、質問。JBCクラシックについて。
「まず、どうしてチャンピオンズカップに出走したいのかな?改めて、君の口から聞かせて欲しい」
「……トランセンドさん達に負けたくないからです。今回は2着ですし、次こそは勝ちますから」
まぁここは予想通り。ジャブみたいなものだ。
「そっか。ちなみにだけど、今回の敗因は何だと思う?」
「周囲への警戒が足りてなかったこと、動き出しが遅かったこと。後は……私自身の努力不足です」
……確かにステ的に足りないところはあるけど、努力不足は違うと思うけどな。いつも頑張ってるし、これ以上に努力したら怪我しそうなレベル。とはいっても、タルマエもこの言い分を譲らないだろうし、僕からそれは違うと言うのは簡単だけど今のタルマエは受け入れないだろう。なのでこの話は深掘りしない。
「ま、敗因についてはアレコレ言わないよ。不毛なことになるのは目に見えてるからね」
「……どうしてですか?」
「前みたいに自分が悪いの一点張りになるから」
心当たりがあるのか目を逸らすタルマエ。僕にも心当たりがあるからちょっと気まずいけど。
それからもいくつか簡単な質問をして、タルマエの状態を見極める。チャンピオンズカップに出走しても良いのか、ダメか。それを判断するために。
そして、肝心の質問を飛ばす。これが一番聞きたかったことだ。
「タルマエはさ、どうして勝ちたいのかな?」
目の前には困惑しているタルマエ。少しだけ怒りも見える。当然だ、こんな質問をしたらね。でも、危ない橋を渡ろう。タルマエのために。
「それ、は、どういう」
「そりゃレースだから負けたくないって思うのは当然だ。誰だって勝ちに来てるわけだし、それ自体を否定する気はさらさらない。でも、タルマエに聞きたいんだ……どうしてリベンジをしたいのか?なんでトランセンド達に勝ちたいのか?その理由を、ね」
「……」
沈黙。タルマエが口を開くのを待つ。時計が針を進める音だけが響く、静かな空間。とても長い時間が流れたようにも感じた。
どれだけの時間が経ったのか?やがて。
「……ミーティアのウマ娘として、恥ずかしくないようにしないといけませんから」
「……どういうこと?」
ポツリと、懺悔するように呟いた。ミーティアのウマ娘として恥ずかしくないように?……本当にどういうことだ?
「バクシンオーさんも、タキオンさんも。それにジェンティルさんも。みなさん凄い方々ばかりで。それにトレーナーさんも、私達のためにいつも一生懸命になってくれて」
「まぁ、それが僕のやりたいことだからね」
「だから、私はその頑張りに報いなきゃいけないんです。みんな頑張って結果を出しているのに、私は……JBCクラシックで負けちゃったので。だから、取り返さないといけないんです」
ぽつり、ぽつりと。僕が予想していたこととは裏腹に本音だろう言葉を語ってくれるタルマエ。ただ、表情は暗い。自責の念に駆られているような、そんな表情。唇を噛みしめ、必死に堪えている。
「みんな頑張ってる、だから私も頑張るのは当たり前で。ミーティアのために、勝たなきゃいけないから……だから、チャンピオンズカップで勝たなきゃいけませんので」
「……そう」
「お願いします、トレーナーさん!私を、チャンピオンズカップに出走させてください!次は勝ちますから、絶対絶対勝ちますから!だからお願いします!私に、挽回の機会をください!」
身を乗り出して僕に詰め寄るタルマエ。必死の形相で、なにかに追われているようで……痛々しい。
次は勝つ。別に悪いことじゃない。気持ちとしては持っておいた方がいい。挽回の機会をください?そもそも僕は、タルマエに失望したことなんてない。挽回も何もあったもんじゃない。その認識を正したいけど……今のタルマエには、なにを言っても受け入れないだろう。
自分で自分に嫌気が差す。こんなことを思わせてしまった自分に反吐が出る。
(……いや、僕の反省はまた後だ。今やるべきことじゃない)
やるべきなのはタルマエをどうにかして説得すること。今の彼女は自分を見失っている。ミーティアのウマ娘として相応しくあるために、ありもしない掟みたいなものに縛りつけられている。
結果を出すことが望ましいのは確かだ。勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。誰もが持ってる当然の感情。でも、それに縛り付けられるのはダメだ。負けたらダメだなんて思考に陥るのは良くない。今のタルマエの状態は……本当に良くない。
(かといってどうするべきか……。今のタルマエに必要なことは……ッ!)
待てよ?どうにも引っかかりを覚える。ミーティアのウマ娘として相応しくあろうとか、負けたから取り返さないといけないとか、そんなことの前に、何か重要なことを見落としているような気がする。
思い出せ。タルマエとのことを。彼女はどうしてレースを走っていた?なんのために今まで頑張ってきたんだ?しっかりと思い出せ。それがきっと、今のタルマエを救う手掛かりになるはずだ!そう信じて思考を巡らせろ!
「あの、どうなんですか?トレーナーさん。答えてくれませんか?」
タルマエが返事を催促してくる。それでも必死に頭を捻って……考えて、考えて。
(……見えてきた。今やるべきことが!)
これしかない。これでダメなら、また新しい手を考えよう。とにかく今すべきことは!
「……タルマエの気持ちは分かったよ」
「そうですか!だったらチャンピオンズカップに「いいよ。登録はしておく」ッ!ほ、本当ですかッ!?」
詰め寄ってくるタルマエ。頷いて答える。
「嘘は言わないよ。チャンピオンズカップに登録はする。でも、一つ条件がある」
「な、なんでしょうか?」
「それは……」
この時タルマエは、素っ頓狂な顔をしていた。なんでそんなことをするのか?って感じの表情を。でも、最終的には頷いた。それだけチャンピオンズカップに出走したいのだろう。
さて、と。僕もやるべきことをやらないとな。
◇
理事長室の扉がノックされる。中にいる秋川やよいと駿川たづなは顔を見合わせ、返事をする。
「歓迎ッ!入ってきてもいいぞ!」
やよいが入室を促すと、ノックの主が姿を現す。いつもの黒スーツに生気を感じさせない瞳、チーム・ミーティアのトレーナー、高村聖が理事長室へと入ってきた。
「失礼します、秋川理事長」
「うむっ!君も息災のようで何よりだ!」
深々と頭を下げ、高村は理事長室へと足を踏み入れる。どうしてここに来たのか?それはやよいとたづなが彼を呼び出したからだ。
積もる話はあるものの、彼にも用事があるだろうと早速本題を切り出す。やよいとたづなの表情は、嬉しさを隠し切れていなかった。
「感ッ激~!まさか、君が有給を取得するとはな!」
「えぇ。これまで何度言っても取得してこなかった高村トレーナーが、有給を取ってくれるなんて!」
「……そこまでですか?」
不思議そうに首を傾げる高村だが、この男基本的に有休をとらない。しかも、仕事が休みであっても働くような男だ。ちょっと前まで睡眠時間すら削って働くほどのワーカーホリック、そんな彼が有給を申請したのだから、やよいとたづなからしたら嬉しいことこの上ないだろう。
「それで、どれくらい取るつもりだ?1週間か?2週間か?もっとか!?」
「2日で大丈夫です」
「「……」」
「どうしてそんなに不満そうなのでしょうか」
これまた不思議そうに首を傾げる高村だが、やよいとたづなからしたらもっと休んでほしいと考えているのだろう。ただでさえこちらが言わないと無限に働くような男、この機会に休んでほしいというのがトップとしての考えである。
ただ、ここで語ることではないと判断したやよいは話を切り替える。どうして有休をとろうとしたのか、その理由を聞こうとした。別に詰めようという考えではない、純粋な興味からである。
「ちなみにだが、何故有給を?君が取るなんてよっぽどだと思うのだが」
「あぁ、まぁ……ちょっとした旅行に行く予定ですね」
「まぁ!それは良いですね!どこに旅行を?」
ワクワクを抑えきれないやよいとたづな。彼の口から出てきた言葉は。
「苫小牧に行く予定ですね」
「苫小牧ですか!良いですね!」
「お土産は勿論買ってきます。話は以上でしょうか?」
「うむっ!忙しいところ呼んですまないな!」
大丈夫です、と答えて高村は一礼した後部屋を退出する。やよいとたづなは笑顔だった。
「どうやら普通の旅行のようだな!安心ッ!」
「有給で仕事をしようなんてことはなかったみたいですね……確認は大事ですから」
「うむっ!これで大丈夫だな!」
信用0の高村聖である。
いざ、苫小牧へ!