絶句。目の前で起こった出来事に言葉を失い、ファンは誰もが口を開けずにいる。
《なんと、なんと恐ろしい強さだジェンティルドンナ!絶体絶命の危機的状況、囲まれていたはずの貴婦人が横っ飛び!横っ飛びとしか言えない走りで!最後の最後に逆転した!これが貴婦人の走りだ、あらゆる策を無意味に帰してねじ伏せる強者の走り!王道こそが最強の証明!ジェンティルドンナがやりました!》
実況の言葉だけが響く阪神レース場。やがて状況を飲み込んだファンは──歓喜の咆哮を上げた。
「すっっっげぇ……!なんだよアレ!どうなってんの!?」
「マジで横に飛んだじゃねぇか!どういう体幹してんだよ!」
「それよりも脚よ!どうやったらあんなことが可能なわけ!?」
やったことに対する衝撃の声、絶体絶命、危機的状況を脱した喜びの声、それらを総括した、勝者を讃える声。誰も彼もがジェンティルドンナに祝福の言葉を贈っていた。
「すげぇぞぉぉぉ!ジェンティルドンナァァァ!」
「やっぱ最強は彼女だ!疑う余地なんてない!」
「トゥインクル・シリーズ最強は、ジェンティルドンナだぁぁぁ!」
その声をジェンティルドンナは──立つのもやっとの状態で聞いていた。
(ふ、ふふ。し、少々、無茶をし過ぎました、わね)
大粒の汗が流れる。いつもならすぐに整う息も、今回ばかりは整えることができない。すぐにでも芝に倒れ楽になりたい気持ちを抑え、意地でも身体を起こし続ける。自分はレースの勝者、勝者には相応しい立ち居振る舞いがある。だからこそ、ここで倒れるわけにはいかない。息を荒げ、噴き出る汗を拭うこともせずに立ち続けていた。
そんな彼女の様子など露知らず、観客は賞賛の声を上げ続ける。対戦相手のウマ娘達は、拍手を送りつつもどこか悔しさをにじませてジェンティルドンナを睨む。とりわけオルフェーヴルは周りが震えあがるほどの圧を発しながら睨んでいたが。
「……フン」
ジェンティルドンナの状態を察してか、彼女の下へと駆け寄り。気づけば身体を支えていた。ジェンティルドンナが立つのもやっとであることを悟らせないため。自然に、敗者が勝者を讃えるような光景がファンの目に映る。
目を見開くジェンティルドンナに、オルフェーヴルは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「王である余の施しである。ありがたく受け取るがよい」
「……あらあら。どういう風の吹き回しかしら?」
「抜かせ。余を二度も下した貴様が意地を貫き通しているのだ。ならば、その意地を最後まで貫かせてやる。貴様の主が来るまでな」
1着と2着が健闘を称え合う光景に、観客は更なる声援を飛ばす。
「オルフェーヴルも頑張ったぞー!」
「次は勝つぞー!」
声援を受けながらも支え続けるオルフェーヴル。それほどの時間を待たずして、やってきた。
「それ、貴様の主がお出ましだ。余程急いできたのであろうな」
愉快そうな笑みを浮かべるオルフェーヴルの視線の先に、彼はいる。ジェンティルドンナのトレーナー、彼女が信頼する相手──高村聖。立つのもやっとなことに気づいたのだろう。一秒でも早くこの場に辿り着くために走ってきたのだろう。額には汗が滲み、周りの目など関係ないとばかりにジェンティルドンナの下へとやってきた。
(ふふ、そんなに心配そうな表情を浮かべて……全く、可愛らしいこと)
「感謝いたしますわ暴君。ですが、努々忘れないことね。このレースの勝者は私であることを」
「……忘れるものか。余に二度も敗北を刻んだ貴様の姿を」
貴婦人の軽口に暴君は手を貸してやったことを後悔する。それでも彼女の気持ちは後ろを向いていない。
「フン、朝霞め。帰ったらまた練り直しだ。それに、貴婦人めがどうやって抜け出したのかも気になる。横っ飛び、は聞こえていたがな」
どこか上機嫌に己のトレーナーの名を口にしながら、暴君はターフを後にした。
ヴィルシーナは悔しさから歯噛みする。最後まで逃げ切ることができなかった己の不甲斐なさに。
(3着……3着ッ!私は、またあの人に勝てなかったッ!)
立派だ、よくやった。ファンは好意的な言葉を投げてくれるだろう。しかし、ヴィルシーナは勝ちたかった。ジェンティルドンナに勝ちたかった。ティアラ戦線で苦汁をなめさせられてきた相手に、一泡吹かせてやりたかった。それも今回できなかった。
必死に堪え、気持ちを高ぶらせ。
「……次よ!」
前を向いて歩き始める。不屈の女王は、未だ折れず。
また、ゴールドシップも地面に倒れ宝塚記念を回顧していた。
(……な~にやったんだろうなぁあの貴婦人。アタシは前にいたから分かんねーけど、多分トンデモねーことやったんだろーなー)
ゴールドシップの位置からではジェンティルドンナの走りは見えなかった。囲まれているのは知っていたし、最終的に勝ったということはあの包囲網を抜け出したのだろう。ただ、どうやって抜け出したのかは知らない。知っているのは、横っ飛びという言葉のみ。
「ゴルシちゃん以上に派手なことやっちゃってよ~。観客の視線を独り占めってか?あの貴婦人め~!」
訳の分からない怒りをぶつけるゴールドシップ。負けて悔しいのだろう。
「だったらゴルシちゃんも派手なことやってやらぁ!ゲートで立ち上がったりしてよぉ!」
「ぜっっっっったいに止めてくださいまし!」
物騒な言葉に、観客席から思わずツッコミをするメジロマックイーン。本当に実行しないことを祈るばかりである。
そして、ジェンティルドンナ。彼女は現在、高村の肩を借りて歩いている状態である。ウィナーズサークルでのインタビューは後日受ける形を取って早々に切り上げた。すでに場所は地下バ道、人の目はない。
「凄いね、あんな進路を取るなんて」
「えぇ、褒めてもよろしくてよ?」
「確かに凄かったけど、それ以上に肝が冷えたかな。正直、これっきりにしてほしいよ」
なお、肩を借りて歩いているジェンティルドンナだが、すでに普通に歩く分には問題ないくらいに回復している。高村には回復したことを言い出さずに今の状況を楽しんでいた。
「いや、そうだな。頑張ったのに小言みたいなことも言うのもおかしいか。それよりも……お疲れ様。よく頑張ったね」
「ふふ、陳腐な言葉。ありふれた誉め言葉ね。
「生憎と、得意じゃないから。ただ、これで国内最強は不動のものになった」
「えぇ。後は海外でも結果を残すだけ。凱旋門賞も、BCクラシックも私の手に収めましょう」
愉快そうに笑うジェンティルドンナ。その後のウイニングライブは欠席する?と高村から進言されたが、既に問題ないくらいには回復したとライブに出場。ただ、触診を受けることを条件に出された。なので、触診をすることになったのだが。
「……なんでタキオンさんなのかしら?」
「タキオンの方が詳しいだろうし」
「ふぅン……ま、問題はないね。多少の疲労はあるがライブに出る分には大丈夫だ。疲労回復のマッサージを受けたまえ」
「そう。ならトレ「あたしにお任せください!ジェンティルさんの疲れを癒しちゃいますよ~!」……」
触診はアグネスタキオンに、マッサージはキタサンブラックが行う。完全な善意からくる行動にジェンティルドンナは何も言えずにいたが。
「2人でやろうかキタサン。別に効率的になるわけでもないけど」
「ッ!ふふ、えぇ、よろしく頼みますわ」
高村の提案に、すぐさま上機嫌になった貴婦人だった。
◇
宝塚記念の衝撃から熱が冷める間もなく、帝王賞の日がやってくる。大井レース場の客入りは大盛況。帝王賞を見るために多くのファンが集まっていた。
最注目はやはり、ドバイワールドカップで誕生した【ダートの魔王】ホッコータルマエだろう。ジェンティルドンナと同じチームに所属し、ジェンティルドンナが剛ならば柔のレースを展開するウマ娘。作戦の巧妙さは【皇帝】シンボリルドルフを想起するほどであり、【砂のシンボリルドルフ】とも呼ばれていた。
「今回はどう走るんだろうな~ホッコータルマエ」
「またトランセンド達を封じ込めるさ。滅茶苦茶徹底するからな」
「にしたって、今回の帝王賞は戦国時代がフルメンバーだからね!流石に一筋縄じゃいかないでしょ!」
ダートの戦国時代を形成していた5人のウマ娘がフルメンバーで出走。ホッコータルマエを含めた6人での出走は今回が初である。
警戒されているのはこちらもホッコータルマエ。標的に定めた相手を徹底的にマークし、他の出走者に自分の走りをさせない魔王。ダートで走ったことのあるウマ娘達は、その恐ろしさを身をもって体感している。また、単純にレース技術が高い。彼女をマークするのは至難の業である。
ただ、策がないわけではない。トランセンドは身体をほぐしつつ、視界にホッコータルマエを捉える。
(調子は悪くなさそうだねん。今回は誰が餌になるのやら……ま、ウチの場合は餌にならんけど)
対ホッコータルマエに向けて対策を重ねてきた。作戦だけではない、基礎の技術も身体能力も上げてきた。油断も慢心もない、今度こそは勝ってやると意気込んでいる。
(ま、また先行策でしょ。逃げで走れんこともないけど、逃げウマ娘のファル子ちゃんかウチを見てレースを展開。後ろを惑わしつつレースを支配……ってとこかな?)
「……ま、プランはたくさん用意してある。問題はないね」
それほどまでに徹底している。これもまた、相手を警戒するが故だろう。
また、トランセンドだけではない。前回負けたエスポワールシチー達もまた、ホッコータルマエに視線を送っている。
(今日は負けねー。勝つのはあーしだ!)
(もう遅れは取りません。栄光を我が手に)
(タルマエちゃん、本当に強くなったねぇ。だけども、勝ちは簡単に譲らないよぉ)
気合を入れてレースへと臨む。今日こそは負けないと。
そして、スマートファルコン。帝王賞に乗り込んできた彼女は、ドバイワールドカップのようにはならないと心に誓う。
(タルマエちゃんの怖いところは自分の走りをさせてもらえないこと。ドバイワールドカップはそれでやられちゃった。だからこそ、最適解は)
「最後まで自分の走りを貫くこと、惑わされないこと!頑張れ、ファル子!」
グッと握り拳を作って鼓舞する。こちらも気合十分だ。
四方八方から注目されているホッコータルマエ。本人はというと。
「……よし。やりましょうか」
いつもと変わらない調子で、ウォーミングアップを終えていた。
開戦の時が近づく帝王賞。果たしてどのようなレースになるのか?ファンは期待に胸を高鳴らせ、出走の時を待っていた。
◇
トランセンドは困惑する。
(いやいやいや……ま~それもやるんじゃないか?とは思ってたけどさ!)
己の目を疑う。
(でも、ウチが思い描いていた展開とは違う!これまでのタルマエちゃんとは、明らかに違う!)
目の前で繰り広げられる光景に、焦りを覚える。それは、他のウマ娘も同様だ。
《さぁ帝王賞もいよいよ大詰め!しかし誰がこの展開を予想したでしょうか!?息もつかせぬデッドヒート、
必死についていくトランセンド達。なにを考えている?何が狙いだ?と疑心暗鬼になるが、置いていかれたら本末転倒。必死に喰らいついていく。
トランセンド達が驚愕している理由。それは。
《スマートファルコンとホッコータルマエ!先頭2人が序盤から終盤まで競り合い続けている!【砂のハヤブサ】の逃げを!【ダートの魔王】が自由を奪う!まもなく最後の直線、先頭で入ってきたのはスマートファルコンとホッコータルマエだぁぁぁ!!》
最重要で警戒していたホッコータルマエが、スマートファルコンと競り合い続けているからである。
何してんですかねこの魔王は。