凱旋門賞、オルフェーヴルは後方でレースを俯瞰していた。
(……成程、想定より速いペースで動いている。その原因はおそらく)
「やはり惑わすか、魔王め」
悪態をつきながらもどこか嬉しそうに笑みを零す。まもなくコーナーの下り坂に入ろうかという場面、レースは速いペースで進んでいた。この事から魔王──ホッコータルマエの仕掛けについて考えを巡らす。
(今回のバ場は重バ場、スタミナの消耗も相応にかかる。仕掛けたのは消耗戦、か)
スタミナの消費が激しい重バ場に加えて上り坂。さらには勢いづかせたままコーナーを曲がらせることで、外へと振らす。落ち着いてレースを展開しようにも、現在2番手で走るホッコータルマエがそれを許さない。後続を揺さぶり続け、正常な思考を奪い、まともな判断をできなくさせている。先頭を走っているのはオジュルデュイだが、実質的なペースメーカーはホッコータルマエだ。芝の頂点の1つでもある凱旋門賞に集ったメンバーすらも幻惑させる走り、オルフェーヴルは心の中で賞賛する。
ペースを作っている本人にもかなりの消耗を強いられるが、ホッコータルマエのスタミナは並ではない上に普段の戦場が戦場だ。タフなレースなど慣れっこだろう……それでも、想定以上に削られている。それがオルフェーヴルの予想だった。
(ただ、これは余の希望的観測に過ぎぬ。そんなものは捨てて動いた方が良いだろうな)
相手が弱っているなどという希望は抱かない。常に十全の状態で走っていると思いレースを俯瞰する。全ては勝利を手繰り寄せるために、連覇の偉業を成し遂げるために。前のペースに惑わされず、かつ振り切られないようにしっかりとついていく。
まもなくコーナーに入るレース。オルフェーヴルは、内へ進路を取る。
(すでに他のウマ娘どもは外へ膨らみつつある。故に、内の進路は空く。当然の理だ)
オルフェーヴルの予想した通り、内側の進路が空いた。その隙をついてオルフェーヴルは内へと切り込む。
ただ、内へ来たのはオルフェーヴルだけではない。
(フン、余についてくるか……ヴェニュスパーク)
《コーナーへと入ります、ここで脚を溜めたい各ウマ娘、ペースはっ、落ち着いていない。まだちょっと速いペースだ外に振らされています。先頭を走るのはオジュルデュイ、彼女がペースメーカーとなっていますがっ、下り坂でも少しペースを早めていますね。1バ身後ろにはホッコータルマエ、ホッコータルマエがこの位置だ。2番手から離れて3から4バ身程、この位置に先行勢がつけています》
《ジェンティルドンナがこの位置ですね。おっと、後方でも動きがありました》
《これは、最内を突いてオルフェーヴルが上がって行きます。続くようにヴェニュスパーク、後ろから4番手に控えていた彼女達が最内を突いて上がって行きますね。中団との差を詰めにかかります、これには少し焦り気味か?中団もペースは落とさない》
オルフェーヴルに続くようにヴェニュスパークも最内を上がってくる。外に振らされている結果、空いたスペースを走ることができる2人が内から中団、さらには先行集団へと襲い掛かる。
後ろへと視線を送りつつ、ヴェニュスパークの意図を探るオルフェーヴル。ある程度の予測はすぐについた。
(他が焦っているのを察し、余だけが普段通りに動けていることに勘づいたか。厄介な奴だ)
ヴェニュスパークは周りに踊らされることなく、この状況でもレースを俯瞰しているオルフェーヴルに目をつけた。意図は、オルフェーヴルについていき最小限のリスクでレースを展開することだろう。
オルフェーヴルは──今はこのままのペースを維持することを選択。無意味に何かをする必要はないと判断した。
(下り坂で脚を溜めたいこの状況、奴も何かするつもりはない。誰が相手であっても、なにかの行動を起こすのはあまりにもリスキーな場所だ)
オルフェーヴルの考え通りに、ヴェニュスパークはただオルフェーヴルの後をついていくだけ。こじ開けた進路を使って、最内から進軍していくだけだ。
(ならば、良い。余も無理に体力を使う必要はない。最後の戦いに向けて力を溜めつつ好位置へ、今はそれだけで構わん)
下りのコーナーを曲がり、まもなくフォルスストレートに入る。オルフェーヴルは現在前から10番手の位置……先行集団を4バ身先に捉えた。
◇
先行集団の真ん中を走るジェンティルドンナ。視界の先にはホッコータルマエがいる。
(相も、かわらずっ!厄介なっ、方だことッ!)
視界の先にいる相手は常にこちらを揺さぶり続けている。スタミナを削り、思考を奪い、まともな判断を下せなくする。後ろからはオルフェーヴルが上がってきていることも確認している現状、ジェンティルドンナはじわりじわりと削られつつあった。
しかし、ジェンティルドンナは笑う。
(ですが、それでこそ倒し甲斐があるというもの!貴方を下し、暴君をねじ伏せ、フランスの彼女を屈服させて!私は頂点へと君臨する!)
誰が相手でも変わらない、あらゆる策を真っ向から粉砕し、己の
焦りは、前を走るホッコータルマエにもあった。
(やっぱり、厄介ですねジェンティルさんは。これだけ手を尽くしてもちょっとしか削れてない)
本来であればもっとペースを乱す予定だったが、相手のペースはさほど乱れていない。スタミナの消耗も抑えられているだろう。ホッコータルマエは舌打ちをしそうになる。
ただ、思考は冷静に。まもなくフォルスストレートを超えて最後の直線。勝者を決める最後の戦いが始まる。
(オジュルデュイさんを内から抜く。今の彼女はいっぱいいっぱい、呼吸も走りも乱れつつある)
「『くっ、そ……っ!』」
《先頭オジュルデュイこれは苦しい状況、後ろからホッコータルマエが圧をかけ続けている。1バ身のリードを保っていますがオジュルデュイこれは苦しい展開!粘ることはできるか?》
《序盤からずっとマークされてましたからね。あの徹底マークの恐ろしさはドバイワールドカップで証明されてますから》
《もうすぐ最後の直線だ。最後の直線に入ろうとしているオジュルデュイ、そしてここでホッコータルマエが襲い掛かる!ホッコータルマエがオジュルデュイに並ぼうとしている!粘ることはできるか!》
オジュルデュイを内から躱すホッコータルマエ。フォルスストレートの終盤で並び、最後の直線を迎える頃には──先頭を奪った。
(後はこのまま、進むだけ!)
《最後の直線、先頭はホッコータルマエだ!ホッコータルマエが先頭、オジュルデュイはなんとか粘る!しかし力尽きたか先行集団に飲まれてきたぞ!先行集団とホッコータルマエの差は4バ身差、ここでジェンティルドンナも伸びてきた!ジェンティルドンナ現在5番手、内からはオルフェーヴルが上がってきました!》
残り533m。ホッコータルマエとジェンティルドンナの差はざっと5バ身程。オルフェーヴルも同じくらいであり、その後ろにはヴェニュスパークがいる。中団のウマ娘も続々と上がってきており、会場の熱気も最高潮になりつつあった。
内から上がるオルフェーヴル。ホッコータルマエの圧に僅かに驚いたが、彼女は自分のペースを崩さなかった。
(ハッ、前を走ればあの圧に飲まれる、ということか……さらには中団の焦りも誘発させる。余も危うかったが、どうにか留まれた)
「だが、ここからはもう紛れはない。余の前に壁はなく、ただ道が続くのみッ!」
オルフェーヴルが地面を踏みしめる。フォルスストレートを使い、加速は十分に済ませていた。先にあるゴールを目指して、暴君が凄まじい速さで上がって行く。他のウマ娘と比べても抜けたスピード、追いつくのは容易ではない──一人を除いて。
「珍しく壁もありません。ここからは……私の舞台でしてよッッッ!!」
ジェンティルドンナも同じタイミングで前へと進軍する。地面が抉れ、轟音を響かせてロンシャンを疾走する。オルフェーヴルと遜色ない、いや、彼女すら超えるのではないか?という末脚を発揮していた。
オルフェーヴルの後ろを走るヴェニュスパークは、歯を食いしばって走る。
(はや、い……!私なんかより、ずっとっ!)
オルフェーヴルとジェンティルドンナのペースはヴェニュスパークを超えている。なんとか食らいつこうとしても、少しずつ離されていく。必死になって足掻いても、無意味だとばかりに差をつけられる。
(……知ってる。そんなこと、知ってる!けど!)
「『諦めません……!最後の一秒まで、勝利を模索し続けますッ!』」
だが、ヴェニュスパークの目は死んでいない。必死に走り、どうにか食らいついて。最後の最後まで勝利を手繰り寄せるために奮闘する。
《先頭はホッコータルマエ、ホッコータルマエだ!ジェンティルドンナとオルフェーヴルが抜け出した、その差は3バ身!残り300を切って先頭ホッコータルマエ3バ身のリードを保ちます!ですがジェンティルドンナとオルフェーヴルも凄まじい末脚だ!さらにはヴェニュスパーク、フランスのトリプルティアラウマ娘が追走する!》
《有利なのはホッコータルマエですが、この末脚なら!》
《ホッコータルマエ逃げる逃げる!ジェンティルドンナとオルフェーヴルが追走する!その差を少しずつ詰めていく!ヴェニュスパークも追走だ!》
──ただ、ヴェニュスパークに突きつけられたのは残酷なまでの現実だ。
(さらに、速く……!)
ジェンティルドンナとオルフェーヴルが、領域を切った。ヴェニュスパークとの差を、さらに広げようとする。
負けじと領域を切ろうとするヴェニュスパークだが、その差は縮まるどころか開くばかり。これが示すところはつまり──ヴェニュスパークの地力はオルフェーヴル達に劣っているという事実。
(私は……負け、たく……っ!)
「う、あ、うあああぁぁぁッッ!!」
咆哮。普段の彼女からは想像もつかない叫び。どうにかしたくて、もがいて、足掻いて。それでも届かない現実を突きつけられて。その原因が……実力不足なことが分かっていて。どうにもならないことを悟り、感情がぐちゃぐちゃになった結果……叫ぶしかなかった。
ジェンティルドンナとオルフェーヴルは依然として競り合う。前を走るホッコータルマエめがけて、勝利を勝ち取るためにお互いを振り落そうと躍起になる。
前を走るホッコータルマエは後ろからの圧が増していることを感じながらも、頭だけは冷静に働かせていた。
(……問題はありません。2人の領域も織り込み済み、後は私も領域を切れば、このレースは──私の勝ちで終わる)
レースを支配し、君臨する魔王。どこまでも徹底し、勝利を勝ち取る。
最後に領域を切ろうとするホッコータルマエ。だが。
「これで、おわ……りっ?」
脚が、思うように動かない。領域を切ろうにも、上手く歯車がかみ合わない。
何故?どうして?……そんな考えすらも浮かぶ間もなく、答えに辿り着く。
(スタミナっ、切れッ!?)
それは、あまりにも初歩的なミスだった。
レースの序盤からペースを握るために重バ場の中ペースアップ。加えて、先行勢を揺さぶるために色々な手を尽くしていた。相手はジェンティルドンナ、生半可な揺さぶりは全く効かない。そんな彼女が冷や汗を流すような揺さぶりを、レースの序盤からずっと続けていたのだ。スタミナが尽きていてもおかしくないだろう。
それでも、気持ちが切れていなければどうにか最後の一滴まで搾り取って走ることはできた。しかし、余計な雑念を生んでしまった。このままいけばレースに勝てる、最後の最後に勝ちを確信した……そんな余計な思考が、ホッコータルマエの歯車を狂わせた。
なんとか逃げ粘るホッコータルマエ。残り200を切ってジェンティルドンナ達との差は2バ身。追いつかれるのには、十分な距離。
《ホッコータルマエ粘るが、これはさすがに苦しくなってきた!残り200を切ってホッコータルマエ、ホッコータルマエだ!後ろからジェンティルドンナとオルフェーヴルが猛追する!グングン詰めていく2人、ホッコータルマエがどうにか粘る!少しずつ、少しずつ差が縮まっていく!》
粘るホッコータルマエ。猛追するジェンティルドンナとオルフェーヴル。旗色は、追う2人に向いていた。
◇
ジェンティルドンナは至福の時を感じていた。強敵達と競い、勝利のために誰もが突き進むこの瞬間。限界ギリギリ、最後の一滴まで振り絞るこのレースに歓喜を覚える。
(ですが、負けません。私は頂点に君臨する、この場にいるすべてのウマ娘を下して、私こそが最強だと証明するッ!)
残り100m。ホッコータルマエに並ぶ。
「三度目はない……否!貴様らには絶対に負けん!」
オルフェーヴルも、普段の態度からは想像もつかないような言葉を吐いていた。己のプライドではない、王としての矜持でもない。ただ、負けたくない感情だけが、オルフェーヴルを支配する。
《ホッコータルマエに並んだ並んだ!しかしそこから先は躱させない!ホッコータルマエ驚異の粘りだ!ホッコータルマエ抜かせない!さぁ日本の3人がぶつかり合う!2バ身後ろにヴェニュスパークが追ってきた!》
この場にいる全員が、負けたくないという意地で走り続けている。
「……あ゙ぁ゙ッッ!」
全員が領域を切った。3人の意地がぶつかり合う。
《ホッコータルマエかジェンティルドンナかオルフェーヴルか!?魔王が君臨するのか!貴婦人が全てをねじ伏せるのか!暴君が偉業を成し遂げるのか!まだ並んだまま、まだ並んだままだ!3人が並んだまま突き進む!》
誰が勝つのか予想がつかない展開。最後に勝ったのは──
《ジェンティルドンナ!ジェンティルドンナだッ!最後は貴婦人の意地が勝ったジェンティルドンナ1着ゥゥゥ!!魔王と貴婦人と暴君の意地、最後の最後に貴婦人が抜け出したッ!凱旋門賞を制したのはジェンティルドンナァァァ!!王道の走りは崩れない、王道の走りこそが最強だ!見事に証明してみせたジェンティルドンナ!2着はオルフェーヴル、3着はホッコータルマエ!》
【剛毅なる貴婦人】ジェンティルドンナ
決着ゥゥゥ!