透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

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《ペロロ様からのお願い部屋を明るくして画面から顔を離して読むんだペロ》


「……これで、調印は完了した」

 その言葉が、古の聖堂の地下に重く沈んだ。天井の高い空洞に、反響するのは声ではなく、時の重みそのものである。灰色の石に囲まれた空間の中央、ひときわ異様な二つの存在が、静かに対峙していた。

 一体はアリウスの制服を纏った少女たち。もう一体は、木製の人形――だがその異形は、ただの「操り物」ではない。二つの頭部に罅(ひび)が入り、それぞれに描かれた眼と口は、まるで命を帯びたかの如く動いていた。

 その木人形に、漆黒のタキシードを纏った一人の人物――否、存在が寄り添う。彼の名は《マエストロ》。その動きは滑らかで、冷ややかな光を纏う指先が、丁寧に襟を正す仕草さえも、舞台の上の演者のようだった。

「……木の人形が、喋れるのか」

 ぽつりと漏らしたのは、アリウスのひとり。無意識の言葉が、空気を裂いた。

「――無作法だな」

 静謐を纏っていた声が、一転して苛立ちを含む。その声音には抑制された怒りと軽蔑が滲み、木の擦れるような軋みと共鳴して周囲を震わせる。

「私を呼ぶならば、芸術への敬意を込めて『マエストロ』と呼んでもらおうか」

 その声は、冷たくもあり、どこか陶酔した響きを持っていた。

 マエストロ――ゲマトリアの一柱。その装束、黒服の在り方はまるで舞台衣装。彼は、芸術の探求者であり、創造という名の審判者でもあった。彼の言葉は詩のようであり、声明(せいめい)のようであり、神託のようであった。

「……そなたらには、芸術の真髄を理解するには、些か早すぎたかもしれぬ。――済まぬな、だが私には、対話の相手たるに値する『知性』と『品格』、そして『信念』を求める性癖があってな」

 嘲るでもなく、憐れむでもなく。マエストロは、あくまで自らの信条に忠実であった。ただ、原石を斬り捨てることはしない。それはいつか磨かれ、煌めく宝石となるかもしれない。可能性――その尊さこそが、彼の審美眼を刺激する。

 彼が手を貸すのは、例外中の例外であった。

「……本来ならば、私がこの様な事に関わるのは本意ではない。されど、守護者たちの威厳、それを『複製=ミメシス』できるという点にだけは、心を惹かれた」

 彼の声はどこまでも静かでありながら、鋭く胸に突き刺さる。響きの残る言葉が、まるで聖句のようにその場を支配していた。

「ロイヤルブラッドの『戒命』が機能する様を、この目で確認できた……それはまことに、幸甚だったよ」

 実験は、成功した。彼の探究する「崇高」への一歩。アリウスの生徒たちは、その一言を受けて無言で頷いた。彼女たちがここへ来たのは、ただ一つの目的――戒律の守護者との契約。数百年の時を越え、再び動き出した不死の軍勢。その中核となる機構を再起動させるため。

 そしてその契約は、マエストロ――唯一、威厳を模倣し得る者の手によってのみ、成し得た。

「……ふむ。説明などというものは、得てして退屈なものだな。では、約束通り――この地下にある教義の基へと案内してもらおうか」

 両腕を大仰に広げ、芝居がかった所作と共に語るマエストロに、生徒たちは言葉少なに踵を返した。彼女たちの向かう先、古びた石壁に穿たれた秘密の通路。その奥に眠るは、かつて聖者が遺した教義、そして――

 マエストロはその背を見つめ、ゆっくりと足を踏み出す。頭上で揺れる燭光が、彼の影を歪ませながら伸ばしていく。

「さぁ、いざ往かん――」

 その声は、まるで舞台の幕が上がる瞬間の宣言のように響いた。

 ――我が芸術の、最果てへと。

ーーーーーーーーーーーー

            曇天

鉛の空 重く垂れ込み
真白に澱んだ太陽が砕けて
耳鳴りを尖らせる

ひゅるりひゅるり 低いツバメが
8の字なぞってビルの谷を翔る
もうじきに夕立が来る

曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ

あちらこちらあんよは上手
珈琲屋に寄って一休み極めたら
帰れない帰らない

曇天の道をぶらりぶらぶら
歩く二人は足軽のごとく
危険好きの誰かのふりをする小心物共
曇天の道を傘を忘れて

歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ


第百二訓 蹈常襲獄〜昔のやり方は生ぬるい?いや、現代にも繋がります。

『き、緊急事態です! 古聖堂が、正体不明の爆発によって炎に包まれ……! これは、一体!? せ、尖塔が崩れていますッ!』 

 

 その声は、機械の向こう側から、まるで悲鳴のように届いてきた。

 ミカの手元にある、小型の携帯端末。調印式の様子を特別に確認することを許された、彼女に支給された唯一の情報の窓だった。

 

 液晶画面には、灼熱に染まった古聖堂の周辺が映し出されていた。赤々と燃え上がる石造りの建築物、走り、転び、泣き叫ぶ生徒たち。その光景に、チャット欄は瞬時に埋め尽くされた。困惑と動揺、恐怖、友の安否を叫ぶ言葉が、目まぐるしく流れ続けている。

 

 ミカは、ただその画面を、まばたきも忘れたように見つめていた。握る指に力がこもる。だが言葉は出てこなかった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ――世界は、一瞬にして、その色を変えた。

 

 

 

 「な、何ですか、これは……」

 

 カフェの中で、小さな声が震えた。ヒフミの声だった。その呟きには、戦慄がこもっていた。

 

 その直後、大気を引き裂くような轟音。店内の窓ガラスが、一斉に粉々に砕け散る。鋭い破片が空を舞い、空気中に硝子のきらめきが散った。誰もが言葉を失い、顔を上げる。外には、怒号と悲鳴と、耐えがたい熱が満ちていた。

 

 補習授業部の面々は、思わずカフェを飛び出す。道に出た瞬間、視界に広がったのは、地獄絵図だった。

 地を覆う炎。逃げ惑う生徒たち。地に倒れ、担架に乗せられ運ばれていく負傷者。ドローンが警報を撒き散らしながら空を旋回し、さらにその先――遥か遠方には、黒煙の中で燃え続ける古聖堂があった。

 

 ほんの数分前。そこは希望と歓声に溢れた、未来への舞台だったはずなのに――。

 

 「っ……!」

 

 誰かの息が詰まった。

 

 「ア、アズサちゃん、どこにッ……!?」

 

 「なっ、危険です、アズサちゃん! 戻ってくださいッ!」

 

 だが、その声が届くよりも先に、アズサは動いていた。

 

 愛銃を手に、疾風のごとく走り出す。その目に宿るのは、明確な覚悟と、鋭い焦燥。背中の背嚢が揺れ、制服の裾が風に翻る。群衆の中へと、彼女の姿は飲み込まれていった。小柄な体はあっという間に視界から消え、誰の手も届かなくなる。

 

 最後に見えた横顔には、言葉にできないほどの不安と決意が滲んでいた。

 

 

 

 「こ、古聖堂が……!」

 

 

 

 コハルの声が、ほとんど掠れていた。震える指先で口元を押さえ、アズサの消えた方向を見つめていた。その視界の先――炎の向こうには、彼女の敬愛する先輩たちがいる。正義実現委員会。風紀委員会。先生――銀時もまた、あの場にいたはずだ。

 

 自然と、ヒフミとコハルの足が動いていた。混乱の只中に、一歩踏み出そうとしたその瞬間――

 

 

 

 「コハル殿に、ヒフミ殿。待つんだ。状況を把握出来るまで動くべきではない。」

 

 

 

 厳しくも理性的な声が、二人の腕を止めた。桂だった。

 

 

 

 「ですが、アズサちゃんが……!」

 

 

 

 叫ぶヒフミに、桂はすぐに応じる。

 

 

 

 「アズサ殿のことは俺とエリザベスに任せておけ。心配せずとも、アズサ殿なら自分の身は守れるだろうからな」

 

 そして、隣に立つハナコに振り返る。

 

 

 

 「ハナコ殿、二人のことを頼む。」

 

 

 

 「わかりました。」

 

 

 

 そう言って、ハナコは小さく頷いた。桂とエリザベスが駆け出す。エリザベスが奇妙な身振りで叫ぶ。

 

「行くぞエリザベス!」

 

 

 

 『ガッテン承知!』

 

 

 

 その背を見送りながら、ハナコはすぐさま動き始める。

 

 

 

 「さぁ、私たちはここで私たちに出来ることをしましょう」

 

 

 

 冷静に、しかし苛烈に。ハナコの目は周囲の状況を読み取っていた。空気の揺れ、炎の拡がり、遠方に見える倒壊した建物。古聖堂だけではない。周辺の建造物も半壊、もしくは全壊している。明らかに意図的な攻撃。範囲、威力、そのすべてが尋常ではなかった。

 

 もし、あの場に各陣営の幹部級が集っていたとすれば――もはや、ここが無事である保証などどこにもない。

 

 今、最も大切なのは、冷静さ。

 それを保てるのは、自分だけだとハナコは知っていた。

 

 桂とエリザベスは前線へ向かった。アズサは単独行動を選び、戦場に飛び込んだ。

 

 そして今、ヒフミとコハルの安全を守れるのは、自分しかいない。

 

 相手の戦力も、意図も、武装すら不明。そんな中で突入することは、無謀を通り越して自殺行為だ。

 

 

 

 「せ、せんせ……先生だって、あそこにッ!」

 

 

 

 コハルの声が涙に濡れかけていた。まるで、張り詰めた感情が今にも決壊しそうな音だった。

 

 

 

 「――っ!」

 

 

 

 ハナコは唇を強く噛んだ。感情に押し流されそうになる自分を抑える。滲んだ血の味が、思考を現実へと引き戻す。

 

 ――分かっている。理解している。

 

 銀時も、アズサも、そして先輩たちも、あの中にいる。

 

 それでも、ここで自分まで感情に流されたら、全てが崩れる。

 

 

 

 補習授業部の命を預かる立場として、今できる最善の判断は一つだけ。

 ――一度、トリニティ本校へ帰還し、状況を把握し、戦力を整えてから動く。

 

 その冷静な選択を、今の二人に伝える時間はない。目に涙を浮かべ、声を震わせ、全身で不安を叫ぶ彼女たちに――理屈は届かない。

 

 

 

 だから、ハナコは。

 

 無言のまま、二人の腕を強く掴み、全力で駆け出した。

 

 

 

 「ぎ、銀さ……――ッ!」

 

「や、やだッ、先生! 先生ッ!」

 

「っ、今はッ、耐えるんです……!」

 

 二人の腕を痛い位に掴みながら、ハナコは古聖堂へと背を向ける。

 

「銀さんっ――!」

 

 胸に燻る、絶望の予感から――顔を背けたまま。

ーーーーーー

 

 ――何が、起きたのか。

 

 焼け爛れた空気が頬を撫でた。熱波と煤煙が渦巻く中、ヒナは呻きながら身を起こす。崩れ落ちた天井の残骸が背中にのしかかっていた。軋む音と共に、彼女はそれを押し退け、膝をつきながら立ち上がる。鼻を突く焦げた臭いと、咳を誘う粉塵が肺に満ちた。

 

 ――ほんの、一瞬だった。

 

 警報のサイレンが唐突に響き渡り、古聖堂上空に鋭く走った閃光。次の瞬間、轟音が世界を引き裂いた。指揮系統に避難を指示し、部隊を展開しようとしたその瞬間に、意識は暗転していた。まるで記憶を刈り取られたかのように、彼女の思考は途切れている。

 

 一瞬、完全に気を失っていたのだと気づく。

 

 足元に転がる瓦礫の間から、呻き声が漏れていた。見ると、血と埃にまみれた風紀委員の少女が、崩れた柱の下で微かに動いている。ヒナは自らの額に流れる血を指先で拭い、顔をしかめながら瓦礫を蹴飛ばした。唇を噛み、呻きを上げる身体に鞭打つようにして、負傷者の少女を抱き起こす。幸い、意識はないものの命に別状はなさそうだった。

 

 目を上げれば――瓦礫と化した、古聖堂。

 

 堂々たるその尖塔は、もはや影も形もなく、崩れ落ちた西翼の奥から火の手が勢いよく天を焦がしていた。光ではなく、炎で照らされた景色は、地獄以外の何物でもない。断末魔のような悲鳴が四方から木霊し、煙と混じった風が戦場のような音を運んできた。

 

 風紀委員会の面々は、ほぼ全滅。

 恐らく誘導型の弾頭が使用された――それも、通常の対空システムでは対処不可能なほどの高速・高出力の兵器。迎撃のログは残っていたが、それでは到底防ぎきれなかったという事実だけが、無残に焼け残っている。

 

 ――防御設備は未知のものだった。あれは、トリニティ側の独自兵装なのか、それとも……。

 

 ヒナの胸に、冷たいものが走る。

 敵の正体は? 目的は? 罠はどこから始まっていた? この襲撃は、シスターフッドの自作自演か、それともトリニティ内のクーデターか。

 

「違う……ッ!」

 

 低く、息を吐くような声で、思考を断ち切る。今はそんなことよりも――遥かに重要なことがある。

 

 ――銀ちゃんは、無事か?

 

 意識を叩き起こすように名を呼び、ヒナは瓦礫を蹴り飛ばしながら駆け上がる。全身の骨が軋む。重く鈍い痛みが膝から腰にかけて這い上がる。けれど、止まれない。銃撃耐性も持たない、ただの人間である坂田銀時がこの攻撃に巻き込まれたとすれば――その結末は、想像に難くなかった。

 

 だが、その時だった。

 

 銃声――鋭く、耳を裂く破裂音が空気を引き裂き、彼女の耳元をかすめる。視界の隅で、髪のひと房が空に舞った。反射的に身体を捻り、愛銃《デストロイヤー》を構える。視線を銃声の方向に向けたその先――。

 

「――ま、まだ立っているんですねぇ、ヒナさん」

 

 その声は、異様なほど静かで、そして狂気を孕んでいた。

 

 現れたのは、見慣れぬ装備を身に着けた少女――その後ろには、ガスマスクと白い外套に身を包んだ生徒達が続く。黒帽を深く被り、腕章に刻まれたエンブレムは見覚えがあった。

 

 アリウス分校。

 

 ヒナの脳裏に、冷たい稲妻が走る。数十人に及ぶその集団の中心に立つ少女――ヒヨリと名乗った彼女は、ひどく歪んだ笑みを浮かべていた。

 

「どうしましょう、あれを受けてまだ立っているなんて、凄いですねぇ、強いですねぇ……どうして、痛い筈なのに、苦しい筈なのに――」

 

『――感傷は後にしろ。ヒナだけは、決して逃がすな』

 

 通信端末から流れた声は、無機質でありながら、確固たる殺意を帯びていた。それを受け、ヒヨリは小さく頷く。

 

「は、はい……っ」

 

 合図と共に、アリウスの生徒達が一斉に展開し、銃口を彼女に向ける。突きつけられた銃口の数、二十、三十、いや――それ以上。

 

 それでも、ヒナは怯まなかった。

 

「アリウス……分校」

 

 静かに呟く声には、怒りと警戒の色が滲んでいた。かつて自分達が踏み越えた火種、それが今、自分の前に銃を構えて立ち塞がっている。最悪の形で。

 

「そ、そういう事みたいでして、すみませんね……えへへっ」

 

「あなたを先に行かせないように云われているので、すみませんが、これも命令でして……」

 

 ヒヨリが地面に置いたガンケースの蓋を開く。中から取り出されたのは、総重量二十六キロの重火器《アイデンティティ》。それを片手で持ち上げ、難なく構えるその姿に、ヒナは唇を引き結ぶ。

 

 そして、静かに――一歩、前へと踏み出す。

 

 瓦礫の破片が足元で砕け、音もなく塵と化す。

 

 その瞬間、彼女の身体から放たれた威圧感は、まるで見えない鎖のように空間全体を締め付けた。圧倒的な重圧が場を支配する。敵対するアリウスの生徒達が、無意識のうちに一歩、後退した。

 

 ――万全ではない。傷もある。敵は数も装備も揃っている。

 

 だが、それでもなお――この場に立つ彼女の姿は、戦場を支配する存在そのものだった。

 

「――銀ちゃんが、危険なの」

 

 小さな声が、地を震わす雷鳴のように響いた。

 

「え、えへへっ、や、やっぱり、不幸な事ばっかりですよねぇ……」

 

 次の瞬間。

 

 ヒナの足元にあった瓦礫が粉砕され、デストロイヤーが火を噴く構えを見せる。長髪が熱風に揺れ、血と汗に濡れたその顔には、獣のような決意が宿っていた。

 

 炎の色に染まったその眼差しが、敵の列を貫く。

 

 そして彼女は、咆哮した。

 

「そこをどきなさい――ッ!」

 

 その叫びと共に、銃声が響いた。崩れ落ちた古聖堂の一角で、まるで運命を拒絶するかのように、ヒナの引き金が引かれた。

 

ーーーーーーーー

 

「――……ぅ……」

 

 意識が微かに浮上し始めたとき、まず感じたのは、焼け付くような熱だった。全身を包み込むそれは、まるで肉体が陽炎の中に投げ込まれたかのような錯覚をもたらす。肺が軋み、鼓動が遠く響いていた。

 

「――はっ……!」

 

 目を見開いた瞬間、銀時の視界に飛び込んできたのは――ひとつの巨大な影だった。

 

 瓦礫の山に佇むように立ち塞がる、その白くて大きな背中。全身から薄く光の膜を広げ、周囲の残骸を遮るように張り巡らされた見えない壁――結界。それを生み出していたのは、彼の相棒、定春だった。

 

 白銀の毛並みは煤にまみれ、所々に小さな傷を負っている。それでもなお、必死に踏ん張って、己の全身を盾として差し出すように守り続けていた。

 

「定春……お前……」

 

 銀時は思わず、かすれた声でその名を呼んだ。

 その瞬間、懐に忍ばせていた通信端末から微かな電子音が響く。機械音声と共に、どこか懐かしい声が耳に届いた。

 

『先生! 大丈夫ですか?』

 

 アロナの声だった。震えるような緊張と、どこか安堵が入り混じった声。

 

 銀時は、咳を一つこぼしながら、端末に答えた。

 

「……ああ。なんとかな。こっちはピンピン……ってわけにはいかねーがな」

 

『よかった……!』

 

 ホッとした息がそのまま声になって返ってくる。続いて、別の声が続いた。今度はケイだ。いつもの冷静で事務的な、だがどこか芯のある声色だった。

 

『しかし、危なかったですね。あなたの――ペットがいなければ、古聖堂全体にバリアを展開するなど到底不可能でした』

 

『私たちが張った防御結界のおかげで、内部にいた人々の被害も、かなり軽減できたと思います』

 

 銀時は端末を握りしめ、そして――定春を見やった。

 彼はもうバリアを解き、ゆっくりと彼のそばに歩み寄っていた。足取りは重く、それでもどこか誇らしげで。

 

 その瞬間――。

 

「先生!」

 

 聞き慣れた声が風に乗って飛び込んでくる。視線を上げれば、煙の向こうからヒナタの姿が現れた。制服は焦げ、片膝を引きずっているが、それでもしっかりと歩いていた。

 

「銀さんっ!」

 

 続いて駆け寄ってきたのはハスミだった。顔に泥がつき、額に小さな切り傷があるが、瞳は力強く前を見据えている。

 

 さらに後方からは、ツルギが血のにじむ銃を肩に担ぎ、そしてその後ろには――真選組の姿があった。近藤、土方、沖田、……誰もが戦いの傷を負いながらも、無事にその場に現れた。

 

「お前ら……無事…みてぇだな…」

 

 銀時の呟きは、どこか乾いた、それでも心の底からの安堵が滲んでいた。

 

 何よりの奇跡は、生きてここにいること。それぞれが深い傷と疲労を抱えていたが、誰も致命傷を負っていなかった。

 

「アロナ、ケイ……ありがとな。俺の代わりに、あいつらを守ってくれて」

 

 その言葉に、端末の向こうから返ってきたのは、いつもの調子だった。

 

『お安い御用です、先生!』

 

『ありがたく……その感謝、受け取っておきます』

 

 軽口に紛れた本心。それがどこかくすぐったくて、少しだけ笑みが漏れそうになった。

 

「くぅぅん……」

 

 定春が、低く甘えるように鳴いた。

 

 銀時はその頭をそっと撫でる。いつも通りの、乱暴そうで、どこか優しい手つきで。

 

「……ありがとな、定春。」

 

 その言葉に、定春はほんの少し誇らしげに尾を揺らした。

 

 吹きすさぶ風が、遠くの瓦礫の山を揺らし、崩れかけた古聖堂の尖塔が影だけを残して立っていた。

 

 それでも、誰かが生きていて、誰かのために身体を張って、誰かがその手を取って――そうして、この場は繋がれていた。

 

「先生!」

 

 瓦礫の彼方から、声が走った。煙をかき分けるように、傷だらけの制服姿のヒナタが駆け寄ってくる。頬には煤、額から一筋の血が流れていたが、その目には確かな光が宿っていた。

 

「ご無事そうで……本当に、よかったです」

 

 後に続いて現れたのはハスミだった。眼鏡の奥の瞳は鋭く、しかしどこか安堵に震えていた。

 

 やがて、全身を焦がすような焦臭の中、真選組の隊長・近藤が姿を見せた。髪に灰をかぶり、着衣の袖は破けている。それでも、その目は、何かを探るように周囲を見回していた。

 

「それにしても……いったい何が起きたんだ、こりゃ」

 

 呆然としたような口調だった。誰もが、未だ終わらぬ地獄の只中にいる。

 

 銀時はゆっくりと立ち上がり、深く息を吸い込んだ。定春の背に手を置いたまま、空を見上げる。

 

「……さあな。だが、流れ星が空から降ってきやがった」

 

 皮肉めいたその声に、ふ、とツルギが口を開いた。

 

「……あれは巡航ミサイルだ」

 

 低く、抑えた声。それは確信に満ちていた。

 

「方榴弾じゃ迎撃できない……そんなレベルじゃない。“撃ち落とす”って発想そのものが、もう意味をなさない威力だった」

 

 沈黙が落ちる。

 

 ――ガラッ。

 

 瓦礫が崩れ落ちる音。その微かな変化に、真選組の沖田と土方が即座に反応した。訓練された反射が二人を飛び退かせ、銀時らの前に立つようにして構える。

 

 炎の赤に照らされた影が、ゆら、と現れる。

 

 そこに立っていたのは、一人の少女――白いコートを羽織り、足元の火を物ともせず歩くその姿は、まるで生気のない機械のようだった。

 

「作戦地域に到着。正義実現委員会の残党……訂正。残党じゃない、真髄。それと――真選組、見廻組・信女を確認。兵力をこちらへ展開、これより交戦に移行」

 

 無機質に言葉を放つその少女――ミサキの背後で、炎を割って白い影が次々と現れる。顔をガスマスクで隠した、白コートの集団。手にした銃が一斉に構えられた。

 

 ハスミがその校章に目を留めた瞬間、口から息が漏れた。

 

「アリウス……分校……!」

 

 敵意と共に迫る影。その数、十や二十ではきかない。三十、四十、あるいはそれ以上。統制の取れた無表情な部隊が、まるで誰かの命令だけで動いているように迫ってくる。

 

「どこから……これほどの兵力が……! 周囲の警戒網は万全だったはず……!」

 

 ハスミが叫ぶ。戦場慣れした彼女ですら、理解の範疇を超えた戦力の出現に混乱を隠せなかった。

 

 ツルギは目を細め、地面の傾斜を見ながら呟く。

 

「まさか……地下か。古聖堂の地下にある、カタコンベから……?」

 

 その言葉に、皆が一瞬息を呑んだ。調印式に備えた改修作業の中で、手つかずだった地下。地図にも記載のない、どこへ繋がるか分からない迷路――そこから、奴らは現れたのか。

 

 つまり、これは偶然ではない。

 

 最初から、“計画されていた襲撃”だった。

 

 土方の口元から、細く煙が立ち上る。ゆっくりとタバコに火をつけ、吐き出した煙の向こうで、彼は冷えた瞳を細めた。

 

「……つまりこういうことか。上層部は、アリウスが動くと知っていて何かあったら俺たちに後を任せるつもりだったってわけか……」

 

 近藤が口を引き結ぶ。

 

「……トシ、動ける戦力は――」

 

「ああ。ここにいる、俺たちだけだ」

 

 その瞬間、銀時がゆっくりと前に出る。全身に傷を負いながらも、まるで風をまとったような気配で。

 

「……おい。何してやがる、くだらねぇこと考えてる暇はねぇぞ。」

 

 彼の声は、静かに、けれど確かに戦場に響いた。

 

「敵が誰かを見据えたなら、やることは一つだろうが」

 

 銀時は、定春を一瞥する。そして、真っ直ぐアリウスの軍勢を睨みつけ――言葉を続けた。

 

「……テメェら、俺の大事なペットに迷惑かけてくれがって。覚悟はできてんだろうな?」

 

 静かに、だが明確な殺気が、その場の空気を震わせる。

 

 ツルギが笑った。咆哮のように、腹の底から湧き上がる凶暴な笑い。

 

「ギャハハハ!! 私の、可愛い可愛い後輩にも手を出してくれたよなァ? ギャハハハヒハハハ!!死ねェェェ!!」

 

 彼女の肩に担がれた二丁の銃が、金属音と共に構えられる。その銃口が、アリウスの白い集団をまっすぐ指していた。

 

 火が唸り、銃が光る。

 そして、再び、戦場がその胎動を始めた――。

 

 ――戦場に響く、定春の咆哮。

 銀時はその背に跨がり、疾走する巨体のリズムに身を委ねながら、木刀を構えた。弾丸が雨のように降る中、彼は口の端を上げて笑う。

 

「お前ら、地面から這い出てからというもの地べた這いつくばってばっかだなァオイ」

 

 定春が吠えると同時、銀時は敵兵の肩を踏みつけて跳躍した。宙に浮いたその体は、空気を裂きながら飛び、真下にいたアリウスの生徒の脳天へ木刀を振り下ろす。

 ゴンッ!――乾いた衝撃音と共に、ヘルメットが粉砕され彼女が沈黙し、身体が崩れ落ちる。

 すかさず銀時は次の敵を掴んで盾にする。銃撃に耐性がない銀時にとっては耐性のある生徒を盾にするのは一種の戦略と呼べるだろう。

 彼の笑みに宿るのは、狂気でも殺意でもない。ただ、守るべき者のために戦場を駆け抜ける“覚悟”だった。

 ――その刃の舞に、遅れを取らぬ者たちがいた。

 沖田と信女。二人の殺気が交錯し、敵の包囲を切り裂いてゆく。

「先にどうぞどうせ、俺が多く相手を斬るんで」

 沖田がニヤリと笑うと同時に、刀が弧を描きを斬り裂いた。血が飛び、地に膝をつく前にもう一太刀。

 信女も黙ってはいない。くるりと身を翻し、膝をついたまま敵の脇腹に刃を突き刺す。淡々とした表情のまま、二人目、迷いなく斬り倒す。

「競ってるつもりはないけど……負けるのは癪ね」

 瞬く間に倒れていく敵兵の山。そのたび、彼らの間に交わる視線に火花が散る。

 一方、土方の刀が空を切り裂いた。迫る弾丸を読んで、正確に刃を走らせる。

 キィンッ!

 金属音が弾け、銃弾がはじかれる。そのまま土方は前へ踏み出し、敵の胸元に鋭く刃を滑らせた。返す刀で腹を斬り裂き、血飛沫が土方の顔を染める。

「弾が通じねぇなら、てめぇらには勝ち目はねぇって教えてやるよ」

 次の瞬間には、別の敵の銃を刀の柄で叩き落とし、ガスマスクもろとも断ち切っていた。

 近藤はその背後で咆哮するように叫び、豪快に刀を振るう。

「どけぇいッ!」

 地面を割る勢いの一撃が、敵兵を吹き飛ばす。パワーに任せた乱撃ではない、長年の修練が宿る“重み”だった。

 敵が三人でかかってきても構わず突き進み、ひと振りで二人、返しで三人目を地に伏せさせる。

 「俺たち侍が、簡単にやられると思うなァ!」

 その雄叫びが戦場の空気を震わせる。

 そして、ツルギ――

 

「キヒハハハハハアッ! ころすゥッ! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅッ!」

 

 跳躍。空中でひねりを加えて弾丸を躱し、着地と同時に二丁のショットガンが火を吹く。

 ドン! ドンッ!!

 敵兵が爆ぜるように吹き飛ぶ。ツルギの身体が次の位置に滑るように移動し、再び引き金が絞られる。

 遮蔽物も要らぬ。彼女自身が動く影であり、嵐だった。

 

 最後に、ハスミ。静かなる死神は、煙の向こうからその銃を構える。

 スコープはない。だが、迷いもなかった。彼女の目が射線を読み、息を殺し、ほんのわずかな動きで――

 パシュッ

 乾いた音と共に、遠距離の敵兵の額に小さな穴が開く。その身体は何が起きたかも分からぬまま崩れ落ちた。

「……次」

 ライフルを小さく動かし、目線を変える。銃声と共に、また一人。正確な直感と経験が融合したその射撃は、もはや技術というより、もはや“感覚”そのものだった。

 

銃撃と煙が支配する瓦礫の戦場で、誰かが震える声を漏らした。

 

「ミサキ、味方があいつらにどんどんやられていくぞ?」

 

 焦燥をにじませるアリウスの生徒に、ミサキはひとつ肩を竦めて小さく微笑む。

 

「大丈夫。だって――」

 

 次の瞬間、空気が一変する。

 

 銀時の頬を掠め、鋭く空気を裂いた銃弾が一閃。とっさに身を反らし、それを紙一重でかわした。

 

「――彼らが来たから」

 

 その言葉とともに、炎に照らされた崩れた瓦礫の上、ゆらりと青白い人影が立っていた。焔に焼かれる影がその輪郭を濃く塗りつぶし、逆光に浮かぶ姿はまるで実体のない幻のようにすら見える。

 

 しかし――その存在感はあまりに明瞭だった。

 

 ツルギが反射的に銃を抜き、連射。続いてハスミも、迷いなく狙撃。

 

 パン、パン、パンッ!

 

 銃声がこだまし、弾丸が青白い影へと吸い込まれていく――が、しかし。

 

 「!?」

 

 ハスミの目が見開かれる。

 

 「効果が……ない」

 

 そう口にしたツルギの表情もまた、困惑と警戒に染まっていた。

 

 その瞬間、別方向から鋭い銃声が跳ねた。新たな弾丸が飛来し、ハスミの肩を掠めて背後の瓦礫を粉砕する。

 

「っ――!」

 

 追撃を警戒しつつ、ヒナタが声を上げる。

 

「みなさん!」

 

 その呼びかけに、前線にいた全員が自然と後方へと退き、距離を取る。

 

 「オイ!なんだありゃ!?こっちの攻撃が通じねぇぞ!」

 

 近藤が叫びながら身構える。

 

 沖田は刀を構えたまま、目を細めて影を見据える。

 

 「通じねぇつーか、攻撃を受ける瞬間に消えてるような感じがするぜ……」

 

 その感覚は、確かに奇妙だった。実体を撃っている感触がない。目の前にあるのに、そこにはいない。

 

 唐突に現れ、唐突に掻き消える。まるで――

 

「そもそも、あれは人? まるで――」

 

 信女が言葉を紡ぐ、その刹那。

 

 ――幽霊の様。

 

 その形容を飲み込むよりも早く、新たな影が瓦礫の上に現れる。何の予兆もなく、音もなく、ぬるりと空間から現れたそれは、三体。衣装も装備も異なるが、共通していたのはその異質さだった。

 

 青白い光を纏い、引き裂かれたウィンプル、罅割れたヘイロー、ガスマスクで顔を覆い――まるで、人間の概念をなぞるような異形の存在。

 

 それを見上げ、ヒナタの瞳に走るのは記憶の残滓。

 

「ッ……! あの、衣装は――」

 

 焦りに近い驚きと共に、ヒナタの脳裏に浮かんだのは、古書の一節。かつて、何気なく手にした歴史書に記されていた“存在”の記憶。

 

「シスターヒナタ?」

 

 ハスミが怪訝に問いかける。

 

 「……あの装い、本で見た事があります……!」

 

 黒に統一された戦闘用の礼装。その中にはレオタード風のものもあれば、全身を覆う修道服風のものもある。共通するのは、全身を闇で包む色調、そして、何より存在の異常性だった。

 

「……あれは、『聖徒会』の服装です」

 

 「聖徒会――?」

 

 聞き返したハスミは、即座に現在の組織――生徒会を思い浮かべたが、すぐに違うと気づく。

 

 「まさか、ユスティナ聖徒会の事ですか!?」

 

 「はい……!」

 

 その名は、キヴォトスに伝わる――かつての戒律の番人たち。

 

 規律を破る者に制裁を、異端には鉄槌を。嘗てトリニティの闇に存在した組織――だが、あくまで過去のもの。数百年前に消えたはずの“亡霊”だった。

 

 「ユスティナ聖徒会、数百年前に消えた戒律の守護者……それが、どうして此処に!?」

 

 ハスミが目を凝らすと、さらに奥――瓦礫の先から、続々と人影が現れていくのが見えた。

 

 その数、数十ではない。数百規模の気配が、燃え盛る戦場に満ちていく。

 

 青白い光が、世界を侵食していく。

 

 

 

 ツルギが無言で弾倉を確認する。

 

「ハスミ、弾倉はいくらだ?」

 

「私は後二つですね。とてもこの時局を抜け出せるとは……」

 

 張り詰める空気を打ち破るように、近藤がどっしりと刀を構えた。

 

「仕方ない、ここは大人らしくかっこいいところを見せるか万事屋、トシ、ーー」

 

 ドサッ!

 

 乾いた音と共に、瓦礫に突っ込んで頭から突き刺さっている二人の男の姿。

 

 「と、トシィ?」

 

 「銀さん?……」

 

 沖田が驚いたように声を上げる。

 

「土方さん、旦那?一体何やってるんですかい?」

 

 二人は黙ったまま瓦礫にめり込んでいるが、その内心は暴風の如き混乱に包まれていた。

 

 銀時心の声:どどどどどうすんだコレェェェ!!

 

 土方心の声:おおおおお化けか!?お化けなのか!?

 

 銀時:んなわけあるか!?白昼堂々お化けなんて!ないない絶対な〜い!許さん絶対に許さん!

 

 信女がぼそりと呟いた。

 

「もしかして……怖いの?幽霊」

 

 「…………………」

 

 場が凍りつくような沈黙。皆が、銀時と土方を見る。敵すらも哀れみの視線を向けてきた。

 

「待て待て待て違う!こいつはそうかもしれんが俺は違うぞ!」

 

 銀時が必死に土方を指差す。

 

「ビビってんのはおめーだろ?俺はお前、胎内回帰願望があるだけだ!」

 

「……あなたたちこんな状況で幽霊なんて怖がってる場合ですか?」

 

 ハスミの冷静なツッコミが響く。

 

「だから違えって言ってんだろ!俺はーーアレだから戦場に落ちてる斬魄刀を集めてるだけだから……」

 

瓦礫に落ちている刀を拾って集めていた。

 

 土方が続く。

 

「いいかテメェら、みんなの卍解でこいつらをソウルソサイティに帰すぞ。」

 

「何をするつもりなんだトシ!?」

 

「土方さんに旦那ァ、俺たちは多くの人を斬りすぎた。卍解でも挽回できませんぜ。」

 

「ふざけんな、俺たちを裁けるのはーー」

 

「ソウルソサイティだけだ。」

 

 まるで茶番のように繰り広げられる彼らのやり取りに、戦場の空気すら困惑していた。

 

「そもそも、アレって本当にお化け?お化けってもっとアレだよ。白くて頭に三角巾つけてる料理人だろ?」

 

「銀さん、現実を見てください。現に私たちの攻撃を透けてるじゃないですか?」

 

「そうですよ旦那ァ、幽霊ってもんは半透明であればなんでも幽霊なんでさぁ……いい加減認めてくだせぇよ」

 

「ソウゴ、お前、幽霊なんているわけねぇだろ?今時はなマヨネーズの容器だって半透明の時代なんだよ。」

 

「ホントさぁお前らいい加減してんくない。半透明がなんだよ。今時なゴミ袋だって政治家だって半透明の時代だよ?いるよ半透明の人くらァァい」

 

 「………………」

 

「何ィ?お前らビビってんの?もしかしてお前らビビってる?」

 

「じゃあ撤退するか?俺たちはべ別に怖くねぇからな」

 

「俺たちは多角的にみんなの様子を観察してだなぁ……」

 

 

 

 その光景を見ていたアリウスの生徒が、ぽつりと零す。

 

「……あの、アイツらさっきから何やってるんですかね?」

 

 ミサキは溜息をつきながら小さく呟く。

 

「さっぱり。豊かなところで生きてきた人のことなんてわかるわけない。」

 

 「ガタガタガタガタ」

 

 震える銀時と土方。

 

 「いや、多角的に自分のこと観察出来ねえけど?」

 

 近藤の冷静なツッコミに続き、

 

 「撤退したがってるのはお前たちだけだ」

 

 ツルギの一言が、冷酷に突き刺さった。

 

銀時と土方は、互いに目を見交わす暇もなく、凍りついたように動きを止めた。

 

 そして次の瞬間――

 

「ウォォォォ!!!!」

 

 二人は唐突に吼え声を上げ、まるで世界の理に抗うかのように、己の額を瓦礫に叩きつけた。何度も、何度も、激しく、容赦なく。鈍い音と共に飛び散る石片、そして額から流れる血が地に滴り、鉄の匂いが立ち込める。

 

「トシィ!!」

「銀さん!!」

 

 近藤とハスミの声が、叫ぶように響く。だが彼らは止まらない。

 

「気絶しろォォォ!!」

 

「早く気絶しろォォォ!!」

 

 血を流しながらも叫ぶその姿は、正気を欠いた狂人にも、あるいは死をもって現実を拒もうとする者にも映った。

 

「お前らやめないか!」

「先生、気を確かに!」

 

 近藤の怒声と、ヒナタの必死の呼びかけも虚しく、二人はなおも瓦礫に頭を打ちつけ続けている。

 

「いやだぁ! 絶対しかりもたねえ! ぶらんとぶら下げる! ルーズまして腰に巻く!!」

 

 銀時の意味不明な叫びが、戦場の空気をさらに混沌とさせる。

 

「おい、ちょっと待て。よく見たらコイツら煙じゃねぇか?」

 

 額から血を流しながらも、土方が僅かに我を取り戻し、幽鬼のような敵影に視線を向ける。

 

「そんなわけないだろ。」

 

 ツルギがすかさず否定する。

 

「じゃあ湯気だよ。誰がなんと言おうと湯気だよ。ビビりまくって人の形に見えてるだけだよ。半透明だ…し?」

 

 銀時の言葉が終わると同時に、再び鋭い銃声。銀時の頬を掠めるように弾丸が飛び、背後の瓦礫を抉る。風を裂いたその一閃に、彼はようやく沈黙した。

 

 そのとき、静かに、しかし確かに足音が響いた。

 

「茶番劇はそこまで……いい加減に降伏して、さもないとーー」

 

 ミサキが冷然とした声で告げかけた、まさにその瞬間。

 

「ん?」

 

 空気を切り裂くような不協和音が戦場を覆い尽くす。

 

 唐突に、何の前触れもなく降り注ぐ弾丸の雨。規則正しく、しかしその一発一発に神秘と死が込められた射撃が、ユスティナ聖徒会の影達を、瓦礫ごと薙ぎ払った。炸裂する音、巻き上がる土煙、破砕と叫びの交錯に、ヒナタは思わずその場に膝をつき、悲鳴を漏らす。

 

「ッ、これは……!?」

 

 砂塵越しに、ハスミは鋭く目を凝らした。視界が次第に晴れ、そこに浮かび上がる銃痕と、崩れた敵の残骸。そして――

 

 瓦礫を踏み砕いて現れた一つの人影。

 

「――銀ちゃんッ、無事!?」

 

 血に濡れた髪をなびかせ、戦場に立つ少女。巨大な愛銃・デストロイヤーを肩に担ぎ、怯えた表情の者たちを睨み据える、ゲヘナ風紀委員会、委員長――ヒナ。

 

「――ゲヘナの風紀委員長!?」

 

 あまりにも予想外の登場に、ハスミが目を見開いた。

 

 その姿を目にした銀時は、叫んだ。

 

「ヒナァァァァァ!!」

 

 悲壮の色を滲ませたその声に、ヒナは瞬きをした。

 

「ぎ、銀ちゃん?」

 

「助けてくれェェェ!!コイツらが幽霊で俺が怖がってるって言いがかりつけていじめてくんだよー!!」

 

「オイ!現に今の今まで帰ろうって言ってた奴が何言ってんだ!!」

 

 近藤が反論するも、銀時はヒナにしがみつかんばかりの勢いで訴える。頭に血を流し、恐怖に顔を引きつらせながら――まさに、戦場における最も情けない姿を晒しながら。

 

ヒナは、立ち込める硝煙の中、ゆっくりと視線を滑らせた。流血し、幽霊だの湯気だのと錯乱しきった銀時を抱き締めるように見つめたまま、低く、呟いた。

 

「…………やっぱりトリニティは信用ならない。」

 

 その瞬間、ツルギとハスミの肩がピクリと跳ね上がる。反射的に構えを取る二人に、ヒナは気怠げに肩をすくめながらも、一歩、確信を持って踏み出した。

 

「この子は私が連れ帰るから」

 

 ――ズコォォォ!!

 

「オイィィィィ!!この子って言われたぞ!」

 

 近藤の絶叫が響いた。反論の声というより、もはや魂の悲鳴だ。

 

「いい歳した大人がJKに“この子”って子供扱いされてるぞ!?いいのか万事屋?本当にそれでいいのか?」

 

 銀時は顔に血を流したまま、放心したような笑みを浮かべる。

 

「いいんだよ。幽霊から守られるなら、俺はガキにだって腹ん中にだって入る。」

 

「オイ!コイツ幽霊怖いって自分から認めやがった!認めやがったぞ!コイツ!!」

 

 近藤のツッコミに銀時は微動だにしない。哀れなほどに、現実から目を背けている。

 

 そんな中、戦況を見極めたハスミが静かに一歩、ヒナに歩み寄る。

 

「仕方ないですね。ここは、私たちで食い止めるとしましょうか。どっちにしろ銀さんは私たちの要ですし……」

 

 静かな口調だが、その言葉には確かな決意が滲んでいた。

 

「銀さんを、頼みます――風紀委員長」

 

 その瞬間、ヒナの表情が微かに揺れる。

 

「……!」

 

「トリニティの首脳陣はほぼ壊滅状態です。シスターフッドも、ティーパーティーも居ない今、銀さんに万が一があっては、本当に収拾がつかなくなってしまいます……!」

 

 ハスミの声には、静かな焦燥と覚悟が込められていた。

 

 彼女が選んだのは――銀時を託し、自らが殿となって戦うこと。

 

 銀時の命を何よりも優先するために。たとえそれが、自らの死を覚悟する行動であっても。

 

 ゲヘナの風紀委員長――ヒナ。彼女の戦闘能力には、業腹ながら信頼を置いている。幽霊におびえる銀時を抱えてなお、生き延びる可能性が最も高いのは、他でもない彼女だと。

 

「その身に代えても、守って下さいッ!」

 

 刹那、ヒナは言葉を失った。身体が一瞬、強張る。

 

 重く、重く響いたその言葉。風紀という責務ではなく、「命を託された」実感が、彼女の心の奥底を揺さぶる。

 

 不意に、震えが指先から走る。彼女の中に潜む「怯懦」――自分には荷が重いという弱さが顔を出し、喉元に冷たい恐怖が這い寄る。

 

 だが。

 

 彼女は深く息を吸い、歯を食いしばり、その怯えを腹の底へと押し込めた。

 

「ッ……任せて」

 

 低く、だが揺るぎない声で答える。

 

 銀時が気楽な声で続ける。

 

「そうだ。その息だ。絶対に銀さんを幽霊なんかに襲わせないでね。」

 

「お前は先生としてもっと威厳を持て!!恥ずかしいだろ見てるこっちも!!」

 

 近藤が殴りかかりそうな勢いで怒鳴るが、銀時はヒナの腕の中でまるで子供のようにおとなしくなっていた。

 

 ヒナは無言で銀時を抱きかかえる。細い腕で、それでも迷いなく。自分より背の高い彼を、迷うことなく持ち上げるその姿には、既にかつての少女らしさはない。

 

 彼女は踵を返す。

 

 向かうはトリニティ中央区――忌まわしき「敵の中心」。だが、今の彼女にとってその場所など些事に過ぎない。彼女のすべては、銀時の命を守るためにある。

 

「シスターヒナタッ! みなさん! 退路は私たちで守りますッ!」

 

「は、はいっ……!」

 

 その言葉に応じるように、面々が武器を構え直す。

 

 

「やる事は変わらない、斬って、斬って、斬りまくるだけ……」

 

「ギャハハ!!」

 

 ツルギの狂気を孕んだ笑い声が、戦場をさらに染め上げる。

 

「よし!いくぞ!トシ!」

 

「じょ、上等だぁ」

 

「土方さん足がガタガタですぜ」

 

 沖田の毒舌に、土方は無言で歯を食いしばる。

 

 そのとき、定春が一声吠えた。

 

「くぅぅん!」

 

 ヒナが足元の白い犬に目を向けると、定春が背を低くして構える。

 

「……乗れって事?」

 

「ワン!」

 

 ヒナは小さく頷いた。

 

「……分かった。」

 

 彼女はためらいもせず、銀時を抱えて定春の背に飛び乗る。

 

 ドサッドサッドサッ――獣の四肢が瓦礫を蹴り、風を切って駆け出した。

 

 そして。

 

「さぁておふざけタイムはここまで」

 

 沈んだ空気を、氷のような声音が切り裂く。

 

 沖田だ。刀を手にし、視線を前方に向ける。

 

 

「次はおたくらだぜユスティナ聖徒会……」

 

 血に染まった瓦礫の先、その奥に潜む敵に向かって歩を進める。

 

「聞くところによるとテメェらの拷問はかなりのもんだったらしいな」

 

 その目に灯るのは、怒りか、興奮か。

 

「面白え。俺のドSの剣とテメェらのドSの弾、どっちが強えか――勝負と行こうじゃねぇか。」

 

 その言葉と共に、風が変わる。

 

 戦場は、再び修羅の刻へと突入した。

 

瓦礫を蹴立て、定春が疾走する。その白い毛並みを風が逆撫で、荒い呼気と共に舗道を打つ蹄の音が空気を裂いた。ヒナはその背に乗り、銀時を抱えたまま、ただ前だけを見つめる。

 

 だが、身体は限界を訴えていた。

 

 定春が一段と跳ねるたび、ヒナの体が揺れ、抉るような痛みが傷口から奔る。引き攣る口元――だが彼女は、ただ歯を食いしばった。

 

 弾丸が貫いた右肩、裂けた脇腹、踏みつけられた足首。どの傷も、普通なら即時撤退を選ぶほどの致命傷だ。けれど、彼女は止まらない。動き続ける。その背に命を預ける銀時の存在が、恐怖の檻となって彼女の背を押す。

 

 《自分が倒れれば、この男も死ぬ。》

 

 その一念が、砕けかけた肉体を動かす最後の楔となっていた。

 

 突如、道の先に影が現れる。

 

 ――ユスティナ聖徒会。

 

 消えたはずの彼女たちは、再びヒナの進路を塞ぐように現れた。その姿は亡霊の如く、静かに、だが確かに彼女の周囲に纏わりつく。

 

「ッ……」

 

 ヒナは、躊躇わなかった。無言のまま、愛銃を抜き放つと、反動も顧みず、引き金を引いた。

 

 光が閃く。空間が撓むほどの神秘が炸裂し、放たれた砲撃は轟音と共に聖徒会の一群を吹き飛ばす。瓦礫が粉砕され、煙が立ち込め、宙を舞うのは肉片と機械部品と――血の霧。

 

 しかし、それでも――終わらない。

 

 息を整える暇もないまま、再び現れる影。ヒナは眉をひそめ、傷口を押さえながら定春を蹴って前進を促す。額から流れ落ちる汗はもはや止まらない。

 

 一体、どこまで追って来るのか――

 

 その時だった。

 

「おい、危ねぇ!」

 

 銀時の声がした。直後、本能が警鐘を鳴らす。

 

「ッ!」

 

 反射的に身体を反らすと、その直前――耳元を銃弾が掠め、真っ直ぐに街灯へと突き刺さる。鋼が断ち割られる鈍い音。崩れ落ちる鉄柱。砕けた硝子の破片が彼女の髪を撫でて通り過ぎた。

 

 視線の先に現れたのは、あの少女だった。

 

「え、えへへっ……また逢いましたね、ヒナさん……」

 

 片腕に巨大なライフルを担ぎ、血塗れの顔で笑みを浮かべる――アリウス・スクワッド、ヒヨリ。

 

「さっきのッ!? 性懲りもなく……!」

 

 その姿は痛々しくもあるが、背後に連なるのは数多の聖徒会。まるで絵画のように、無数の影が整列していた。ヒヨリの一挙手一投足を待つ、機械のような沈黙。

 

「さ、さっきは負けちゃいましたけど、今度は守護者も一緒ですから……」

 

 囁くような声。だがその指先は鋭く振り下ろされる。

 

 即座に動く聖徒会。鈍重な装備を引き摺る音が、迫る死の鼓動のように響き渡る。

 

 ――百。いや、それ以上。

 

 銃を構えたヒナの指が震える。銀時を庇いながら抜けられるような数ではない。ならば、撃つしかない。間引くしかない。ここで、やらねば。

 

 忌々しげに顔を歪め、血塗れの手で銃を握り締める。銃口が、標的を捉える。

 

「これで、終わりですね」

 

 ヒヨリの声は、死神の宣告のように響いた。

 

 確かに――ヒナの体力も、気力も、限界は近い。数え切れぬほどの戦闘、満足な休息も無く、ただ前進するだけの消耗。敵はそれを見抜いている。

 

 静寂の中、引き金に指が掛かる。

 

 ――火を噴く、直前。

 

 「――いいや、終わるのは貴様らだ。」

 

 その声は、まるで空間を断ち切るように響いた。

 

 突如、爆音。地面が震え、視界が炎で満たされる。衝撃に備え、銀時を庇って身を丸めたヒナだったが――その眼前には、別の人影が立っていた。

 

 その男の剣は、飛来する弾丸を悉く打ち払い、斬り裂き、弾き飛ばす。銃撃が降り注ぐたびに鋼がぶつかる金属音が炸裂し、火花が舞った。

 

 まるで夜が昼に切り替わるような、苛烈な光の洪水。

 

 それでも、一歩も退かず、彼は立ち続ける。

 

 「銀時、何をやっている! まさか幽霊が怖いからと、ヒナ殿に頼りきりというわけではあるまいな」

 

 颯爽と振り返ったその男に、銀時が呻くように叫ぶ。

 

「ヅラ! ヅラじゃねぇか!」

 

ヒナと銀時の前に立ちはだかる、アリウス・スクワッドのヒヨリ。その唇は血に濡れ、頬に付着した煤がその痛ましさを際立たせる。だがその瞳は、どこか哀れみすら滲ませていた。

 

「……桂小太郎さんですね」

 

 ヒヨリが呟くように名を呼ぶ。その声は風に消え入りそうなほど弱く、だが確かに響いた。

 

「こんなところにわざわざ出てくるなんて……辛いですよね。痛いですよね?」

 

 痛みを知る者だけが持つ、沈んだ共感。だが、それは戦場には似つかわしくない甘さだ。背後に連なる聖徒会の群れが、まるで無感情の壁のように彼女を支えていた。

 

「でも……私たちには"守護者"がいます。一人増えたところで……」

 

 そう言いかけたヒヨリの言葉が、途中で途切れる。

 

 ――コロコロコロ……

 

 音がした。何かが転がる、乾いた音。

 

「へ?」

 

 その刹那。

 

 ドカァァァァァンッ!!!

 

 轟音と共に爆煙が立ち込め、足元の大地が跳ね上がるように揺れる。白煙の中に火花が散り、聖徒会の列の一部が崩れ落ちる。ヒヨリの身体が後方へと吹き飛ばされ、ゴロゴロと地を転がった。

 

「お前……」

 

 爆煙の中から、銀時の声が漏れた。

 

 不機嫌そうに肩を竦めながら、彼はちらりと桂を見やる。

 

「銀時、お化け嫌いのお前にいい情報をやろう」

 

 桂が涼しげな表情で呟いた。だがその声の奥には、確かな皮肉と笑いが含まれている。

 

「アイツらは“エデン条約”の守護者。つまり、指示がない限り、トリニティーとゲヘナの生徒以外は狙わない」

 

 銀時の顔が引き攣る。

 

「つまり――」

 

 桂は微かに口端を吊り上げた。

 

「銀時、貴様は元からアイツらの眼中にないということ――」

 

 ピシッ……と何かが切れる音がした気がした。

 

 銀時の顔がわなわなと震え始める。怒りか、羞恥か、それとももっと別の――

 

「…………」

 

「銀ちゃん?」ヒナが怪訝そうに覗き込む。

 

 次の瞬間、

 

「ざっけんじゃねぇよ!!!」

 

 空間が割れたかのような叫び。

 

「幽霊如きが俺を無視しやがって!!これでも一応主人公だからね!?これでも一応“先生”なんだからね!!」

 

 烈火の如く燃え上がった銀時は、ヒナを担いだまま木刀を高く掲げた。定春が咆哮を上げ、その背に乗った二人を乗せて一気に加速する。

 

「上等だコラァァァ!!! 幽霊だろうがなんだろうが!! やってやらァァァァァ!!!」

 

 暴走する白い巨獣。その上で、木刀が乱舞する。荒れ狂う突風のような銀時の気迫に、周囲の瓦礫が跳ね、聖徒会が一部動きを止めるほどだった。

 

 桂はその姿を眺めながら、小さく笑う。

 

「ふっ……相変わらずな奴だ……」

 

 一方、爆煙の中から這い出すように姿を見せたヒヨリは、咳き込みながら身体を起こす。

 

「ゲホッ……ゲホゲホッ……い、痛いですね〜……」

 

 煤で汚れた顔に、まだあの独特な笑みを浮かべながら。

 

 だが、桂はその様子を冷たく見下ろす。感情の波一つ浮かばぬ、静かな眼差しで。

 

「痛いか?」

 

 その問いかけは、あまりに静謐で、あまりに冷酷だった。

 

「だが、まだまだだ。本当の“痛み”というものがどういうものか――」

 

 長髪を風に靡かせながら、桂は一歩、前へ。

 

「今ここで……貴様らに教え込んでやろう」

 

 その声音は鋼鉄の刃。優雅でありながら、破壊を予感させる殺気に満ちていた。

 

トリニティ中央区、郊外――大通り。

 

 古聖堂地区の爆心地から離れ、瓦礫と煙の残滓を越えて、ようやく辿り着いた郊外の大通り。ここは中央区へと繋がる、避難路にも指定された主要道路の一つだった。

 

 ヒナはその舗装された道に足を踏み入れた瞬間、全身から溢れるように汗が噴き出した。幾度となく傷を受け、血と火薬の臭いが染みついた身体。それを引き摺るようにしての強行軍は、肉体に想像を超える負荷を与えていた。

 

 喉は焼けるように乾き、視界の端が歪む。それでも彼女は足を止めない。

 

 見上げた先、電子掲示板には「中央区2km先」の文字が表示されていた。目的地は、すぐそこだ。

 

 「オイ、古聖堂の地区、抜けたぞ――……ッ!」

 

 銀時の声が先方から届く。だがその声は、どこか浮ついていた。未だに遠くから断続的に聞こえてくる銃声、爆音。それを背にして走ってきた現実が、未だ彼の背後に纏わりついているように思えたのだ。

 

 「大丈夫か?」

 

 銀時の問いかけに、ヒナは息を切らしながら答える。

 

 「う、うん……だいじょ、ぶ……」

 

 言葉を吐き終えるよりも早く、彼女の身体がぐらりと傾いた。そして、

 

 ドサッ……

 

 崩れ落ちるように、ヒナがその場に膝を突いた。

 

 「オイ! ヒナ!」

 

 駆け寄った銀時が、彼女の身体を支えながら叫ぶ。

 

 「全然大丈夫じゃねぇじゃねぇか……」

 

 その場にしゃがみ込みながら、銀時は周囲を見渡した。高層のビルは避難用のシャッターを下ろし、人影はどこにもない。緊急事態宣言が発令された街は、あまりにも静かだった。

 

 「……まぁ、トリニティの本校まであと少しだしな……」

 

 銀時は小さく溜息をつきながら、ヒナを背負い直す。

 

 「よっこらっせぃ……揺れるかもしれねぇが、我慢しろよ」

 

 そう言った、その時だった。

 

 「――いや、必要はない」

 

 空っぽの街路に、冷たく硬質な声が響いた。まるで金属をこすり合わせたような、無機質な響き。

 

 「ッ……!」

 

 咄嗟に反応した銀時は、声の聞こえた方へ木刀を構える。縦に掲げたその刃先に――瞬間、鋭く放たれた弾丸が跳ね返された。

 

 キィィィン……ッ!

 

 火花が散る。木刀に当たった弾が跳弾し、側壁のガラスを砕いた。散った硝子が煌きながら宙に舞い、昼下がりの光の中で一瞬、星のように輝いた。

 

 「ほう。生徒を背負いながらでも対応できるとは……聞いていた通りの化け物らしい」

 

 路地の奥、影から現れたのは――一人の生徒だった。

 

 黒いマスクで口元を覆い、帽子を深く被ったその少女は、無機質な瞳でこちらを見据えていた。纏うは純白のアリウス・スクワッドのコート。それが風に揺れ、まるでこの都市の死神が顕現したかのようだった。

 

 片手に握られた突撃銃はまだ硝煙を吐いており、もう一方の手には罅割れた端末を握っている。

 

 彼女――サオリは、端末の表示を睨みつけて何事かを確認すると、無造作にそれをポケットへと押し込み、冷たく吐き捨てた。

 

 「ミサキは……トリニティと真選組、それに見廻り組か。ヒヨリは――桂とか云う奴と交戦中。想定外……だが、修正の範囲内」

 

 その呟きと同時に、何もない空間から“それ”が現れ始める。

 

 ユスティナ聖徒会――

 

 銀時とヒナを取り囲むように、ぞろりと姿を現す。その気配は不気味な静寂を纏い、生気のない瞳はただ一心に敵を追い続けている。定春が低く唸り、銀時の腕に力が篭った。抱きかかえるヒナの痛みに歪む顔が、その腕に伝わる。

 

 「……アリウス・スクワッド」

 

 静かに口にしたヒナに、サオリは薄く笑みを浮かべた。

 

 「あぁ、私達を知っているのか。――自己紹介でもしてやりたいところだが」

 

 肩を竦め、皮肉めいた調子で彼女は言葉を続ける。

 

 「今から死ぬ貴様には、不要だろう」

 

 その言葉に、銀時の眉がぴくりと跳ねた。

 

 「おい、勝手に人の死を決めてんじゃねぇよ」

 

 木刀の柄を握る手が、ギリ……と音を立てる。

 

 「死ぬどころかな、俺は天寿真っ当するって心に決めてんだよ」

 

 「孫に囲まれて、煎餅食いながらぽっくり逝くってな!」

 

 その瞬間、銀時の表情が一変する。

 

 「それにもう……」

 

 ヒナをそっと定春の横に下ろし、ゆっくりと前へ出る。

 

 「てめぇらのお供なんか、全然怖くねぇから」

 

 「狙われねぇってわかりゃ――ただのクリアなサンドバッグじゃコラァァァァァ!!」

 

 ヒュッ――!

 

風を切る足音の先に、銀時の木刀が閃いた。

 目標はただ一つ――サオリ。その存在は、この混乱の中心にして、終焉を導く扉。彼女のもとに銀時の刃が届けば、すべてに決着がつく。そんな直感めいた確信があった。

 だが、その刹那。

 「……ちっ!」

 銀時の一撃は遮られた。間に割って入ったのは、ユスティナ聖徒会。

 普段なら物理的な干渉を一切受け付けない彼らが、今だけは違った。

 主であるサオリを守るために、彼らはこの世界のルールすら捻じ曲げて、実体を持ったのだ。銀時の木刀はその胸板に当たり、鋭い衝撃音を生んで止まった。

 「どいつもこいつも、イカれてやがる……」

 すぐさま銃声が響いた。サオリが銀時を狙って発砲する。しかし、彼は咄嗟にユスティナ聖徒会の一体を掴み、まるで人間の盾のように前へ突き出す。

 銃弾がその背を跳ね、銀時は距離を取って姿勢を低く構えた。

 その頃――

 ヒナは、定春の結界の中で膝を抱えていた。

 「………銀ちゃんが戦ってるのに………私が、休んでるわけには……」

 心が軋んだ。呼吸が苦しいのは負傷のせいだけじゃない。

 定春の守りがある。だから動いてはならない。分かっているのに、戦場の轟音が、銀時の姿が、彼女の良心を何度も打ち叩く。

 その葛藤を抱えていた、その時だった。

 

定春の張っていたバリアが解けた。あの巡航ミサイルの爆撃が起きた時からずっと皆を守るために力を使って体力が切れてしまったのだろう。

 

あまりに突然の出来事で驚きが隠せないヒナ。

 

その瞬間

 

 ピッ――。

 

 甲高い、耳をつんざくような電子音。

 「え……?」

 次の瞬間にはもう、すべてが遅かった。

 駆け出した足。視線が吸い寄せられた足元には、うっすらと赤い線が浮かんでいた。赤外線センサー。そこに繋がれていたのは――IED、即席爆発装置。

 ランプが、赤く点滅する。

 「しまッ――」

 爆発。閃光。衝撃。

 世界が白く染まった。

 音が消え、時間が歪む。視界が焼かれ、空気が裂ける音だけが鼓膜に残る。爆心地から飛び出すように、ヒナの小さな身体は空を舞った。

 「ぐぅぅうッ……!?」
 「がッ――!」

 熱波が肌を焼き、アスファルトが皮膚を削り取っていく。着地ではない。ただ転がされるだけの、破壊的な衝突。銃が手からこぼれ落ち、地面を跳ねる音だけがやけに冷たく響いた。

 (……動けない)

 視界が波打つ。世界が遠い。鼓動の音だけが異様に大きい。肺が押し潰されたように重く、呼吸が苦しい。

 腕に力を入れる。踏ん張る。立ち上がるために。

 だが――ボキッ。

 無情な音とともに、力が抜けた。骨が折れた。再び地面に叩きつけられ、ヒナの唇から弱々しい喘ぎが漏れる。

 「はぁ、はッ……ぅ、ぁ……!」

 銃声は、もう聞こえない。ただ、自分の鼓動と、足音が――。

 いや、銃声はこれからだった。

 ユスティナ聖徒会の一人が、ヒナに向けて銃を構えていた。無言のまま、冷ややかに銃口を向けるその姿に、ヒナは悟る。

 (……ああ、ここまでか)

 死の予感は、不思議と静かだった。恐怖も涙も、どこかに置いてきたような錯覚。銃声が鳴るのを、ただ待つしかない。

 そのとき。

 「どおりゃァァァァァ!!」

 轟音とともに、銀時の咆哮が響いた。

 次の瞬間、銃口を向けていた聖徒会の一体が、銀時に掴まれ、地面に叩きつけられるようにして吹き飛ばされる。

 風圧と衝撃波が、まだ立ち上がれぬヒナの頬を撫でる。

 「……銀ちゃん……」

 視界の端に映る銀時が、ヒナの方へと振り返る。手を伸ばし、彼女に駆け寄るその姿に、ヒナの目にわずかに涙が滲んだ。

 「ヒナ!」

 その声には、怒りも悲しみも、優しさも全部詰まっていた。

 ――だからこそ。

 ドン。

 乾いた破裂音が、空気を裂いた。

 銀時の身体が、揺れた。

 左胸。そこに、サオリの銃弾が、正確に撃ち込まれていた。

 時間が止まったようだった。

 銀時の瞳が、こちらを見たまま、ゆっくりと、まるで倒れることさえ拒むかのように、崩れ落ちていく。




次回予告

銀時「侍はな二振りの刀を腰に差してんだ。とっておきの二振りがな」

神楽&新八「ウォォォォ!!!」

神楽「そのもじゃもじゃからそれ「銃」を!!」

新八「離せェェェ!!!」

次回 とっておきの二振り

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

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